異世界から来た中堅冒険者のおっさん、現代日本で始末屋になるようです 作:鳥獣跋扈
翌朝——。
バルドは、天井の薄いシミをぼんやりと眺めながら目を覚ました。
ソファのスプリングはところどころヘタっていて、背中に当たる骨組みの感触が硬い藁床を思い出させる。
だが、今はそれすらも妙に落ち着く「寝床」に変わりつつあった。
窓の外では、まだ色味の薄い朝の光が灰色の雲越しに街を照らし始めている。
隣のビルとの隙間を縫って白い光が事務所の中へ細く差し込み、埃の粒をきらきらと浮かび上がらせていた。
昨夜、カズと共に事務所に戻った時には虎太郎とひよりはすでに家路についていた。
カズも、そのまま黒岩組に顔を出すと言って車で去っていった。
テーブルの上には例の封筒が一つ、ぽつんと置かれている。
昨日、あの得体のしれない男から放り投げられた封筒。
カズと一緒に一度中身をざっと確認はしたが、書類の枚数も多く内容も一筋縄ではいかない。
無理に半端な理解で判断するより、全員そろっての方がいい——そういう結論に落ち着いた。
バルドは上体を起こし、ぎし、と鳴るソファから腰を上げると軽く肩と首を回した。
昨日、一応は「戦闘」と呼べる程度には動いた。
自身としては軽いものだったが、それでも体の調子の確認をするに越したことはない。
息を深く吸い込み、静かに吐き出す。
魔力の流れを自分自身の内側に意識を向けながらなぞる。
筋肉に張りはあるが痛みはない。
骨も関節も異常なし。魔力の循環も滑らかで、淀んでいる箇所は見当たらない。
問題は、体よりも——昨日最後に現れた“あれ”だ。
ふと、あの糸目の男の姿が脳裏に浮かぶ。
中空から唐突に現れた気配。
魔術でも、バルドの知るどんな“術式”とも違う、だが確かに超常と呼べる類の力。
バルドは、窓から差し込む光を背に受けながらソファに腰をかけ直した。
そして、目を閉じる。
いつもと同じように感知の波を広げる——だが、今日はそこに「別の対象」を上乗せする。
魔力だけでなく、あの男が扱っていたものとよく似た異質な“揺らぎ”。
波紋のように、感知の円がゆっくりと、しかし確実に広がっていく。
街の建物をなぞるように、道を、車を、眠気の残る人々をかすめ取りながら。
今までは、魔力の反応を拾うだけだった感知は何も見つけらはしなかった。こちらで、魔力を持つものが居ない、ということ。
だが——今日は違う。
弱いながらも、小さな“点”がぽつり、ぽつりと、感知の網に引っかかり始めた。
人の中に混じる小さな異物。
その多くは力強さに欠け、今すぐ脅威になるようなものではないが、確かにそこに「在る」。
(……ふむ。こちら特有の“魔力のようなもの”、というわけか)
バルドは、感知をじっと維持したまま限界まで範囲を押し広げる。
だが、いくら探っても昨夜の糸目の男と同等の力は見当たらなかった。
力を抜くように、そっと意識を引き戻す。
広範囲を探り続けていたせいか、軽い疲労が眼窩の奥に溜まっている。
ふう、と息を吐き肩を一度ぐるりと回す。
その時——。
階段を上がってくる足音が二つ。
軽い靴底が木の段を鳴らし、やがて扉の前で止まる。
ガチャリ、と事務所のドアが開いた。
「おはようございます!」
「おはようございますー」
虎太郎とひよりの兄妹が、並んで顔を覗かせた。
昨日とは違うラフな私服姿。まだ少年らしさの残る顔が、少し誇らしげに引き締まっている。
事務所の中に朝の光が流れ込み、二人の影がフロアに二本伸びた。
バルドは軽く頷き、顎でソファを指し示す。
「よく来たな。座れ」
促され、兄妹は応接用の長椅子に並んで腰を下ろす。
ソファの革がきゅっと鳴った。
「昨日も言ったが、よくやったな。魔力の循環に違和感はないか」
言葉は淡々としていたが、声にはわずかなやさしさの響きが乗っていた。
「あざっす! はい、夜中はちょっと興奮して寝つきが悪かったですけど、朝起きたら特に問題なさそうっすね」
虎太郎は、後頭部をかきながら笑った。
頬には絆創膏が貼ってあり、昨夜の戦いの名残を主張している。
「バルドさん、本当にありがとうございました。しずくさんからも聞きました。もう大丈夫だって」
ひよりは長椅子から一度きちんと立ち上がると、きゅっと両手を揃え深く頭を下げた。
まだ幼さの残る顔には、安堵と感謝が混ざっている。
どうやら昨夜の後、しずくとひよりの間ではある程度のやり取りがあったらしい。
同じ女性同士ということもあるのか、距離を縮めるのが早い。
「ああ。もともと、こちらが首を突っ込んだようなものだ。気にするな」
バルドがあっさりと言うと、それでも——とひよりはもう一度頭を下げようとする。
バルドは、軽く手を振ってそれを制した。
「さて、カズたちが来るまで多少は時間があるだろう。虎太郎、一応俺の方で診ておくがいいか」
「あ、はい。お願いします!」
虎太郎が立ち上がる。
バルドもソファから腰を上げ、事務所の中央付近で向かい合った。
虎太郎の背丈は決して低くない。だが、バルドと並ぶとまだ一段か二段ほど足りない。
見上げてくる視線に、ほんの少しの緊張が混ざっている。
「力を抜け」
「了解っす」
バルドは目を閉じ、両手を虎太郎の頭の少し上に掲げる。
掌から、細い魔力の糸を垂らすように少年の体表を撫でていく。
巡りが視える。
血管の代わりに、“魔力の流れ”が全身を走っているのをなぞる感覚。
どこかで詰まりがあれば、そこが怪我や異常のサインとなる。
……だが、今日はそれとは違う妙な違和感があった。
(……妙だな)
バルドは眉間に皺を刻む。
虎太郎の体内の魔力の「量」が、昨日よりも明らかに増えているのだ。
(だが、悪い話ではない、か)
顎の裏でそんな結論を出したところで、目の前からおずおずと声が飛んできた。
「あ、あのう……なんか、まずい感じっすか?」
不安を押し隠しきれていない表情。
隣でひよりも、兄の袖をぎゅっと握りしめながら心配そうにこちらを見上げている。
「いや。問題はない」
バルドは手を下ろし、ゆっくりと目を開けた。
「ただ——魔力量が増えている」
「魔力量が? 増えると良さそうなもんですけど……なんか、あるんすか?」
虎太郎の問いに、バルドは少しだけ考えを整理してから答える。
「ああ。魔力量の増加については、鍛錬によって徐々に伸ばすことは可能だ。だが、その増加は、普通は年単位で見てようやくわかる程度の微々たるものだ」
ふっと、少し遠くを見る。
「稀に、魔力汚染からの復帰や、強い外的要因をきっかけに、著しい増加が見込めることもあるがな……」
今の虎太郎の魔力量は、初めて解放させたときよりざっと見て三割ほど増えている。
最初の解放の際に完全には開ききらなかった器が、昨夜の“実戦”で強制的にこじ開けられた——
そんな可能性もある。
(まあ、今のところはいい方向に振れている、と見ていいだろう)
結論を心の隅にしまい込み、バルドは短く告げる。
「気にするな。何か問題があれば改めて伝える」
「了解っす」
虎太郎は素直に頷いた。
まだ本人にも実感が薄いのだろう。だが、増えること自体は「得」であると理解しているのか、あまり深刻には考えないようだ。
「バルドさん、あの、その……」
ひよりが、遠慮がちに口を開きかけた時——。
階段を上る足音が再び聞こえた。
今度は、靴音の重さで誰かが分かる。
ガチャ、と扉が開く。
「おはようっす!」
「……来たわよ」
カズと、後ろからストレートの髪を揺らしながら入ってくるしずく。
事務所の空気がいつもの顔ぶれで満たされる。
「おはようございます!」
「おはようございます」
虎太郎とひよりも立ち上がって頭を下げる。
カズは「おーおー、元気そうで何よりっす」と笑い、しずくは二人を一瞥したあと、ちらりとバルドへ視線を投げた。
「虎太郎君の怪我の具合は?」
「問題ない。体内の魔力も落ち着いている」
「そ。ならいいわ」
しずくは、安堵ともつかない表情で椅子を引き、事務机の方に腰を下ろす。
カズはいつもの木箱に腰掛け、兄妹は再び応接の長椅子へ。
バルドはソファに座り直すと、テーブルの上に置いてあった封筒へ手を伸ばした。
厚みのある紙の感触。
糸目の男が「手土産」と呼んだもの。
「よし——これで、全員揃ったな」
バルドは一言だけそう言うと、封筒をテーブルの中央に、ぽん、と落とした。
鈍い音と共に、四人分の視線が一斉にそこへ吸い寄せられる。
謎の男と封筒。
そこには何が封されているのか。
誰かの、ごくりと唾を飲み込む音が聞こえた気がした。