異世界から来た中堅冒険者のおっさん、現代日本で始末屋になるようです 作:鳥獣跋扈
「さて、雁首そろえて見ているだけでは始まらん。まずは広げるぞ」
バルドはそう言うと分厚い封筒の口を指先で割き、中身をばさりとテーブルへとぶちまけた。
乾いた紙の音が連続して響き、小さな事務所のテーブルの上に白い紙の束が雪崩のように広がる。
A4の紙が重なり合い、捻じれ、滑りながら所狭しと散っていく。
それほど大きくもないローテーブルは、あっという間に文字と線と写真で埋め尽くされた。
顔写真が貼られたもの。
無機質な数字の羅列。
矢印と四角で組み上げられたいかにもな“組織図”。
紙に印刷されたインクの匂いがふわりと立ち上り、事務所の中を広がった。
「バルドとカズは昨日の時点で軽く目を通したんでしょ?」
しずくが、手前に滑ってきた一枚を摘み上げ目を通しながら問いかけた。
紙の角がきれいな白い指先をかすめる。
「そうっすね。ただ、俺の方では特に見覚えがあったりする感じでもなかったですし……」
カズは頭をぽりぽりと掻きながら苦笑いを浮かべる。
「バルドさんに関しては、字が読めなくって……」
「あら、そうなの?」
意外そうにしずくの眉が少し上がる。
「日本語ペラペラだから、てっきり文字も読めると思ってたわ」
「うむ。今まではカズと一緒にいることが多かったからな。口で聞ければ特に不便はなかった。だが……」
バルドは、紙の海を見下ろしながら腕を組む。
「少し文字の練習もした方がいいかもしれんな」
したり顔で頷くと、思わぬ方向から素朴な疑問が飛んできた。
「今さらっすけど、バルドさんってどこの国の人なんです?」
虎太郎が紙を持ったまま顔だけ上げる。
その問いに、ひよりもカズも「そういえば」と言いたげな顔をしていっせいにバルドを見た。
複数の視線が一点に集中する。
バルドは、特段気にした様子もなく淡々と答えた。
「言ってなかったか。俺の出身は王国だ」
さらりと口にしながら、適当な紙を一枚摘み上げる。
「転移罠で飛ばされてしまってな。……昔の知り合いには別大陸から飛ばされた者もいる。気長に戻る手段を探すさ。待っている者もいない」
言い方はあまりにも淡白で、まるで道に迷った旅人が次の宿を探していると口にする程度の軽さだった。
その“普通さ”が逆に、一同の戸惑いを増幅させる。
虎太郎たちが、バルドに聞こえないつもりでこそこそと顔を寄せ合った。
もちろん、バルドの耳には、はっきりと届いている。
「……えーっと、俺って頭悪いんで良く知らないんすけど、転移罠ってなんです? 海外だと良くあるんすか?」
「……ないわよ」
低く、しずくのツッコミが入る。
「魔術を使うって時点でうすうす気づいて無視しようとしてたけど……これって、やっぱりアレかしらね……」
ひよりが、ぽふん、と音が聞こえそうな勢いで両手を握りしめた。
「異世界転移……!」
目をきらきらと輝かせ、鼻息まで荒くしている。
「まさか、小説みたいなお話がホントにあるなんて……!」
「ひよりって、そっち系好きだもんなぁ」
虎太郎がどこか生暖かい視線で妹を見やる。
ひよりは、じとっと兄を睨み返しながらもその頬は興奮で上気していた。
「まあまあ、バルドさんがどこの人かは一旦置いておいて、こっちに集中しましょう?」
カズが慌てて割って入り、崩れかけた空気を手際よくまとめ直す。
数枚の紙を揃えて虎太郎たちの方へずい、と差し出した。
「あら、そうね。ごめんなさい」
しずくが咳払いをひとつし、テーブルの紙に視線を戻す。
虎太郎とひよりも、少し照れくさそうにしながら渡された紙を受け取った。
「えーっと、とりあえず適当に区分けしてみたっす」
カズが、テーブル上の紙を指先で示す。
「今渡したのは、顔写真が付いてるやつっすね。この中で見覚えがあったり、知ってる名前があったりするっすか?」
紙には、証明写真のような顔写真と共に簡単なプロフィールが印字されている。
名前、生年月日、所属会社、肩書き——
バルドは一通り写真だけを追う。
当然、誰一人として見覚えがない……はずだった。
「……む」
ふと、一枚に指が止まる。
「こいつは、昨日踏み込んだ建物で一番偉そうにしていたヤツだ」
バルドはその紙を摘み上げ、皆にも見えるようテーブル中央に置いた。
しずくが身を乗り出し、紙を拾い上げる。
「……鷲塚 悠一《わしづか ゆういち》、三十六歳。職業は……フリーのビジネスコンサルタント?」
眉をひそめながらプロフィールを読み上げる。
「肩書きの割に、会社の住所がちょっと怪しいわね。服装は……スーツ姿の写真だけど」
「表向きは、普通の仕事してる一般人って感じっすね」
カズが隣から覗き込む。
「会社、調べてみるっすか?」
「そうね。ちょっと待って」
しずくは立ち上がり、奥の棚からノートパソコンを持ってくる。
テーブルの紙を少しだけ端に寄せ、キーボードの前に座り込んで手早く検索をかけた。
「……出たわ。ホームページが作られてるけど、何をやってるのかよく分からないタイプね」
画面をスクロールしながら鼻で笑う。
「『企業様の課題解決』とか『トータルプロデュース』とか、ふわっとした言葉ばっかり。代表のところに、さっきの名前が載ってる」
画面を皆に向けて見せると、その時——。
「あ、こいつ」
虎太郎が別の一枚をひょいと差し出してきた。
「名前までは知らないですけど、前にチームに来たことがある奴です」
その紙にも、顔写真と共にプロフィールが記載されている。
しずくが読み上げる。
「村上 洸太《むらかみ こうた》二十七歳。フリーター……兼、イベントスタッフ?」
肩書きに「インフルエンサー」と書かれているのに、しずくの声は呆れが混じっていた。
「なるほど……ってことは、井之頭会長が言ってた組織の関係者資料、みたいなものかしらね」
「その線が一番有力っすね」
カズが、視線を紙から離さぬまま応じる。
「あとで井之頭会長にも見てもらうのはどうっすか?」
「そうね。今後の話もしなきゃいけないし、持って行ってみるわ。会長の方が詳しいでしょうし。けどなんでこんなものを渡してきたのかしら……?」
しずくが頷きながら疑問を浮かべる。
そんな中、バルドの視線を、妙な“違和感”が引っかけた。
紙の海の端——ほかの書類の下に薄く埋もれている一枚。
何の変哲もない白紙にしか見えないそれが、なぜか目に留まる。
バルドはそれを二本指でつまみ上げ、光に透かすように掲げる。
そして——ごく自然に、その紙に印字された“文字”を読み上げた。
「……『この内容が分かる者へ。もし理解できるならば我がもとへ来られたし。この紙に“力”を流せば通ずる』」
部屋の空気が、一瞬だけ止まる。
「……なにそれ?」
しずくがバルドが持つ紙を覗き込みながら眉をひそめた。
だが、彼女の目には——何も見えていない。
ただの真っ白な紙。
インクの跡も、鉛筆の走りも、何ひとつ。
「ふむ。他の者には見えないか。……虎太郎はどうだ?」
バルドは、その白紙をひらりと虎太郎に投げ渡した。
この場に居る中での共通点、魔力を有する者として確認するためだ。
「えっ?」
慌てて受け取った虎太郎が、表と裏をひっくり返しながら眺める。
目を細め、光に透かし、最後に困ったようにバルドを見る。
「……すみません。俺にも白紙にしか……」
申し訳なさそうに紙を差し出した。
「なるほど。俺にしか見えんか」
バルドはそれを受け取り直し、じっと文字列を見つめる。
紙面の上で、黒い線が彼にだけ意味を持って浮かんでいた。
「それで、何だっけ? 力を流すって、やってみるの?」
しずくが慎重な声音で尋ねる。
「恐らく、魔力を流すと発動する術式のようだが……」
バルドは唇を引き結ぶ。
「何が起こるか分からん」
紙の向こう側に昨夜の糸目の男の笑顔がちらついた。
「ひとまずは置いておくとしよう。奴らの側に何らかの術者がいること。そして、こちらのことを“十全には”知らない、ということが分かっただけで十分だ」
「……まあ、確かに。罠だったら笑えないしね」
しずくは肩をすくめる。
「よし。それじゃあ、この資料は私が預かって、井之頭会長と相談ってことで」
しずくは、顔写真付きの資料、組織図、数字のレポートなどを手際よくまとめていく。
「その紙だけはあなたが持ってて」
指先で、さきほどの白紙——バルドにだけ文字が見える紙を示す。
バルドは頷き、紙を二つに折ると懐の内ポケットに滑り込ませた。
(……読めはするが、大分古い書き口だな)
その筆致は、かつての王国で使われていた古い文書体とよく似ていた。
こちらの文字ではない。
それだけでも、“向こう側”と何らかの繋がりが存在することを示している。
「カズは、私と一緒に来てくれるかしら? 色々雑務をお願いするわ」
「うっす、了解っす」
カズが立ち上がり、指を鳴らして準備運動の真似をする。
「虎太郎君たちは、ひとまずゆっくりしてって」
しずくは、少しだけ柔らかい口調になって兄妹を見た。
「改めて会長から依頼料もらえたら、パーっとやりましょ。無事解決したわけだしね。ひとまずは、だけど」
「ありがとうございます!」
虎太郎とひよりが声を揃えて頭を下げる。
どこかぎこちないが、嬉しさが隠しきれていない。
「次の依頼に向けて——虎太郎。お前は俺と鍛錬だ」
バルドが言うと虎太郎の顔がぱっと明るくなった。
「うっす!」
勢いよく返事をする。
「あ、あの、私も一緒に見ててもいいですか?」
ひよりが、おずおずと手を挙げる。
「構わん。邪魔をしなければな」
バルドが軽く顎を引いて応じると、ひよりは「やった」と小さく拳を握った。
「はいっ! じゃあ、そういうことで一旦解散! お疲れ様でした!」
しずくが手を叩き、場を締める。
椅子が軋み、ソファが鳴り、紙の束が片づけられていく音が重なる。
ぞろぞろと、それぞれが立ち上がり事務所のドアへと向かう。
薄曇りの光が差し込むドアの向こうへ、ひとり、またひとりと出て行く背中を見送りながら——。
バルドは、懐に沈んだ一枚の紙の重みを指先でそっと確かめた。
あの紙に魔力を通した瞬間、おそらく何かが“繋がる”。
それが敵か、味方か。
罠か、道標か。
いまはまだ、その答えを急ぐべき時ではない。
ただひとつ、「次の依頼」がすでに静かに始まっている——そんな予感だけが、彼の胸にじんわりと広がっていた。