異世界から来た中堅冒険者のおっさん、現代日本で始末屋になるようです 作:鳥獣跋扈
突然、天井から人影が降ってきた。
その事実に気が付くまで、数秒の時間が必要だった。
そこにいた連中が一斉に立ち上がり、ざわめきが起きる。
散らばる空き缶が蹴飛ばされ、カランカランと転がった。
「……誰だ、あいつ?」
「わかんねぇっすけど……上から降ってきましたよ……」
ざわめきが広がり、土煙が少しずつ薄れていった。
現れた男――バルドは、服にかかった埃を払いながらゆっくりと顔を上げる。
その口元に浮かんだ笑みは、獲物を見つけた獣じみたものだった。
「こ、こいつです!」
先ほど路地で叩きのめされた男のひとりが、真っ青な顔で叫ぶ。
「変な外人! こいつが!」
「あん?」
偉そうな男が、訝しげに目を細めてバルドを見る。
体格の良さだけは一目で分かる。しかし、それ以上のものは――見た目には分からない。
「こいつかよ。……確かにガタイはいいが、それだけじゃねぇか」
男が何やら喋っているのを無視し、バルドは視線を倉庫の内側へと巡らせる。
ここにいる人数、位置、間合い――すでに魔力感知で把握済みだ。
このフロアから少し離れた別区画にも人の気配はあるが、距離と壁の厚みを考えれば、多少騒いだところでここまで音は届かないだろう。
バルドは、ゆっくりと息を吐いた。
「さて」
わざとらしく肩を回しながら、口を開く。
「呼ばれた気がしたから現れたが……それで。俺を連れてきたら、どうするって?」
にやり、と。
その笑みには、愉快さも怒りもない。ただ、静かに獰猛な気配だけが乗っている。
空気が、ひやりと冷えた。
「……っ」
何人かが、言葉もなく後ずさる。
言葉に表せない“危険”を、本能で察したのかもしれない。
「ちょ、ちょっと待てよ!」
そこでようやく、虎太郎が声を上げた。
「俺を置いて先に進めるな! 誰なんだテメェは!?」
怒鳴りつけるような口調だが、その裏には混乱があった。
いきなり呼び出された上に妹の事を盾に強請られ、知らない外人を出せ、と言われたらコレだ。理解が追い付かないのも無理はない。
「ん?」
バルドは視線だけ虎太郎に向ける。
「……そうだな。まあ、成り行きでお前さんを助けることになった」
そこで言葉を切り、軽く肩をすくめる。
「詳しい話は、あとでだ」
「は……?」
虎太郎が眉をひそめるが、それに対してバルドは何も返さない。
視線を戻し“仕切っている男”の正面に立つ。
「そういうことだ」
声の調子は穏やかだが、目は笑っていない。
「この男を、このチームから抜けさせてくれ。それが済むなら、手荒な真似はしない」
一見、穏便な提案。
だが、その言い方が逆に相手の神経を逆なでした。
「……っざけんな」
男の口元が引きつる。
「なんでてめぇに指図されなきゃなんねぇんだよ。ブチ殺してやるぞ、外人」
その声と共に、場の空気がざらついた。
幾らか引けていた周囲の連中が、一斉に腰を浮かせる。
「おい、お前ら!」
号令と同時に、周囲が襲い掛かってくる。
最初に飛びかかってきたのは、一番近くにいた連中。
及び腰でなかった分、他の連中と比べると肝が据わっていたのかもしれないが、誤差でしかない。
「調子乗ってんじゃねぇぞ!」
バルドは、それを迎え撃つでもなく、一歩横へ滑る。
通り抜けざまに、拳を鳩尾へねじ込む。常人では何をされたか分からないほどの速度の拳。
鈍い音。
男は息を詰まらせ、吐しゃ物をまき散らしながらそのまま床へ崩れ落ちた。
二人目は、横合いから駆け寄ってくる。
位置的には、バルドも虎太郎も狙っていると取れる立ち位置。
「っ! 何が何だか分からねぇが!」
どうやら虎太郎の方へ狙いを付けたらしい。
虎太郎は戸惑いつつも、飛んできた拳を腕で受け、そのまま組み付く。
足を払って倒し、背中から床に叩きつける。
破れたコンクリート片が砕け、破片が飛び散った。
「ふむ……中々やるな」
バルドは短く呟き、別方向から突っ込んでくる男に向き直る。
足音の重さ。体の軸の傾き。
格闘の心得があるであろう男が、一直線に突き進んでくる。
振り下ろされた拳を避け、肩口を掴む。
そこからほんの少し体重を乗せるだけで、骨と筋肉が嫌な悲鳴を上げた。
「がっ――ああああっ!」
関節が、無理な方向へねじれる。
男は顔を歪めたまま膝を折り、そのまま横倒しに転がった。
虎太郎も、二人目を相手に善戦していた。
殴られながらも殴り返し、少しふらつきながらも頭突きを叩き込む。
喧嘩慣れした粗雑で泥臭い動き。
どこかに師事すればそこそこの使い手になりそうだった。
(腕は――確かにあるな)
バルドの動きは、対照的だった。
無駄な叫び声も上げず、ステップなど以ての外。
その場にゆるりと立ち、静かに最小限の踏み込みで仕留める。短く、速く。
一撃ごとに、何かが壊れる音がした。
腕。脚。肋骨。
致命は避けているが、容赦はしていない。
「や、やべぇってコイツ……!」
「ちょ、待てって――ああっ!」
しばらくの間、倉庫の中には殴り合う音と悲鳴が続いた。
やがて、立っている者よりも倒れている者の方が多くなった頃。
「――いい加減にしろや!」
乾いた破裂音が、倉庫に響いた。
発砲。
多くの人間が、エンタメの世界でしか聞いたことの無いような音が、そこに響いた。
その瞬間、ほとんど全員の動きが止まる。
顔を上げた者、しゃがみ込んで頭を庇う者。
反応はさまざまだが、その根っこにあるのは同じ――恐怖だ。
ただ一人、バルドだけが、ただ静かに音の方向へ視線を向けた。
(……鉄の礫を飛ばす武器か)
こちらに飛ばされてからすぐ、形こそ違うが同じ種類の武器に襲われた。
その経験則をもって判断する。
脅威は――ない。
天井のコンクリート片がぱらぱらと降り、微かに焦げた埃の匂いが漂う。
偉そうな男が、片手で煙を上げた拳銃を掲げていた。
「……な?」
男は口元を引きつらす様に歪め、笑い出した。
「なぁ、てめぇら。舐められるにもほどがあるだろ」
銃口を振り回すと、周囲の連中がびくと身を縮める。
「な、な……嘗めやがってよ」
男はバルドを睨みつけた。
「だがよ――こいつを出したら、おしまいだな!」
拳銃を持った手を大げさに掲げる。
「ホラよ! さっさとそこに這いつくばれ! 撃たれたくなきゃ土下座でもしてみろや、外人!」
意識のある連中が、へへへ、と卑屈な笑いを漏らす。
だが、その笑い声には、どこか恐怖が混じっていた。
「くそ……」
虎太郎が歯噛みする。
銃を向けられて、さすがに動きが止まった。
バルドは、首を小さく振った。
「やれやれ」
肩を軽く回しながら、ゆっくりと一歩踏み出す。
「そんなものでやれると、本気で思っているのか?」
その声音は、本当に“不思議だ”と言っているようだった。
脅しでも虚勢でもなく、純粋な疑問。
その違和感が、何よりも不気味だった。
「ち、近づくな!」
男の声が上ずる。
「近づくなって言ってんだろうが! 撃つぞ!」
片手で持つ銃がぶるぶると震えている。
狙いは定まっていない。
バン、と再び銃声が響いた。
思わず、といった形で発射された弾丸はバルドの肩口を狙ったはずだった。
しかし、引き金を引いた瞬間、男の手首が跳ねる。手首の固定が甘かったのだ。
弾丸は、バルドの横をかすめて後ろの壁にめり込んだ。
粉塵が、ぱらぱらと降る。
「……外したな」
バルドは、淡々と言った。
足は止まらない。ゆっくり、だが着実に距離を詰める。
「く、来んなっつってんだろうが!!」
男が半ば悲鳴のような声を上げる。
「そんなに震えていちゃ、当たるものも当たらん」
バルドは、目の前まで歩み寄ると、ふい、と右手を伸ばした。
抵抗する間もなく、男の手首を掴む。
その手を導くように――自分の額へと持っていく。
冷たい鉄の感触が、額の中心に触れた。
「ほうら。ここだぞ」
低い声で言う。
周囲の空気が、一気に凍りついた。
「は……?」
さすがの取り巻きたちも、目を見開く。
「こ、こいつ……頭おかしいのか……?」
「やべぇってマジで……!」
恐れと動揺が、あからさまに声に出ていた。
銃を向けられている当の本人は、微動だにしない。
ただ、男の手首をしっかりと押さえつけ、その指に触れているだけだ。
「撃たないのか?」
バルドが、ほんの少しだけ首を傾げる。
挑発というより、催促のように。
男の喉が、ごくりと鳴った。
歯がガチガチと音を立てて震える。
「……撃てないのか?」
さらに一歩、身体を寄せるように近づいた。
銃口は、相変わらずバルドの眉間に押し当てられたままだ。
「撃て」
小さく。
「撃て!!!」
その一言は、倉庫の空気を揺らすほどの大音声だった。
「うわっ――!」
驚愕に押されるようにして、男の指が引き金を引いた。
至近距離から放たれた銃弾。
誰もが、一瞬、同じ未来を想像した。
血しぶき。
頭部の崩壊。
コンクリートに飛び散る何か。
あまりに鮮明な惨劇の予感に――
その場にいた全員が反射的に目を逸らした。
そして。
何も、起こらなかった。
静かな金属音だけが、場違いなほど軽く響いた。
カラン、カラン――と、弾丸が床を転がる音。
恐る恐る目を開けた者たちが見たのは――
眉間の中央に、小さく赤い痣が浮かんでいるだけのバルドの顔だった。
皮膚の表面は、指で押したように少しだけへこんでいる。
だが、血は流れていない。貫通もしていない。
眉間に当たった弾丸は、ぺしゃりと形を潰し、重力に従ってぽとりと落ちたのだ。
床を転がる、無力な鉛の塊。
「な、何だよ……」
男の顔から血の気が引く。
膝が笑い、支えを失ったように、その場にどさりと腰を落とした。
握っていた銃も、手から滑り落ちる。
次の瞬間、男の股間から、ぬるりと温かい液体が広がっていった。
ズボンの色が、じわじわと濃く染まっていく。
「……軟弱だな」
バルドは、冷めた声で言った。
虎太郎が、ごくりと喉を鳴らす。
(……なんだ、こいつは)
さっきまで殴り合いをしていた時とは違う意味で、背筋に寒気が走った。
目の前に立っている男は、殴り合いに強いだけの男ではない。
常識の外側にいる――そんな実感だけが、はっきりと胸に刻まれた。