面倒くさがり剣士のメルヘヴン【MÄR】   作:サクレール

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第12話 不思議なイヌと氷の城

 

森の中は薄暗かった

 

木々が密集し、枝葉の隙間から差し込む光は細い

風が吹くたびに葉擦れの音が重なり、湿った土の匂いが漂う

 

その奥を、二つの影が進んでいた

一人は細身の少年

 

もう一人は、小さな羽を持つ少女だった

ベルが少し不満そうに口を尖らせる

 

「ホントにバッボをあいつに任せて良かったの?」

 

アルヴィスは前を向いたまま答える

 

「監視は続けるよ」

 

その声はいつも通り静かだった

 

「猶予が無くなり次第、バッボは破壊する」

 

ベルは眉をひそめる

だがアルヴィスは構わず続けた

 

「それまでは任せてみたくなった」

 

わずかに目を細める

 

「『賭け』のレートが上がったんだ」

 

ベルは小さく肩をすくめる

 

「相変わらずね」

 

アルヴィスは何も返さない

 

ただ森の奥を見ていた

 

風が吹く

葉が揺れ、二人の姿を木漏れ日の中に溶かしていく

 

場面が変わる

 

森の外れを、ユーリたちは歩いていた

足元の土はまだ柔らかく、ところどころ草が伸びている

 

さっきまで荒野に満ちていた張りつめた空気は薄れたが、完全に消えたわけではない

 

ジャックは元の姿に戻っていた

 

何事もなかったように歩いてはいるが、時折自分の手や足を見て、ちゃんと戻っていることを確認するような仕草をしている

 

しばらく無言が続いたあと、ユーリがぼそりと口を開いた

 

「……妙だな」

 

ジャックが顔を上げる

 

「何がッスか?」

 

ユーリは前を見たまま言う

 

「あいつ」

「バッボを壊さなかった」

 

短い言葉だったが、それで十分だった

 

ジャックは少し考えてから頷く

 

「あー……確かに」

「やろうと思えば、あの場でできたッスよね」

 

ユーリは淡々と続ける

 

「信じたわけじゃねぇ」

「試してる」

 

「オレを」

 

ジャックが苦笑する

 

「うわ、めんどくさいタイプッスね……」

 

「監視されてるじゃないッスか」

 

「だろうな」

 

ユーリは特に気にした様子もない

 

その横で、バッボは黙っていた

いつもの軽口がない

 

ユーリが視線だけを向ける

 

「……おい」

 

バッボがわずかに反応する

 

「なんじゃ」

 

声はいつも通りに聞こえる

だが、普段より少しだけ重い

 

「さっきの話」

「覚えてねぇのか」

 

少しの沈黙

風が枝を揺らし、かすかな音が落ちる

 

「……覚えておらん」

「少なくとも、ワシの記憶にはない」

 

ユーリはそれ以上追及しなかった

 

「……そうか」

 

それだけ言う

ジャックが割って入るように口を開く

 

「いやでもヤバい話ッスよね!」

「生ける屍ってなんスか!」

 

「普通に怖いんスけど!」

 

ユーリは肩をすくめる

 

「来るなら来るだろ」

 

「いやもうちょい警戒するッスよ……」

 

ジャックは呆れたように笑う

その空気を切るように、バッボがゆっくり口を開いた

 

「どうやら我らはこれから〝チェス〟とか言う連中と戦うことになりそうじゃ」

 

低く落ち着いた声だった

 

「危険もつきまとう」

 

少しだけ間を置く

 

「お主は家に帰ったほうが良いぞ」

 

ジャックが足を止める

 

「……は?」

 

一瞬だけきょとんとしたあと、苦笑する

 

「いやいや、何言ってるんスか」

 

軽く肩をすくめる

 

「この旅、オイラにとっても大事なんスよ」

 

少し視線を落とす

 

「やべぇことになりそうだからって逃げてたら」

「昔の自分に戻るだけっス」

 

顔を上げる

 

「そんなのゴメンっすよ」

 

さっきまでの軽さはある

 

だが声の芯はぶれていない

 

「カッコ悪い自分と一生つき合ってくのは、もうイヤなんで」

 

そして、ユーリの背中を見る

 

「それに」

「ユーリにはまだ何も返してない」

 

静かな言葉だった

 

だが、そこに迷いはない

 

ユーリは振り向かない

 

「お前が決めたんならいいんじゃねぇか?」

 

それだけだった

けれど、その短い一言で十分だった

 

ジャックは少しだけ笑う

 

「そうさせてもらうッス」

 

また歩き出す

バッボは小さく息を吐く

 

「……そうか」

 

それ以上は何も言わなかった

 

風が吹く

 

木々が揺れる

しばらく進んだところで、ジャックがふいに足を止めた

 

「あれ?」

 

道の端を指さす

 

「なんか落ちてるッスよ」

 

草むらのそばに、小さな犬が倒れていた

白っぽい毛並みは土で少し汚れていて、ぴくりとも動かない

 

「……犬?」

 

ジャックがしゃがみ込む

 

「おい、大丈夫か?」

 

軽くつつく

 

反応はない

顔を近づける

 

「……あれ、息はしてるっぽいッスね」

 

鼻先に手をかざして確認する

 

「腹減ってるだけじゃないッスかこれ」

 

ユーリが横に立つ

一瞥する

 

「さぁな」

「いや助ける流れじゃないッスか普通!」

 

ジャックが振り向く

 

ユーリは小さく息を吐く

 

「……つってもなぁ」

 

ジャックが苦笑する

 

犬を持ち上げる

 

「軽っ」

 

「マジで何も食ってないんじゃないスかこれ」

 

バッボが低く言う

 

「ふむ……ずいぶんと間の抜けた登場じゃな」

 

ジャックが笑う

 

「いいじゃないッスか、こういうのも」

 

「とりあえず町でなんか食わせるッス」

 

そのまま抱え直そうとした瞬間だった

 

カバッ

 

「うおっ!?」

 

犬がいきなり跳ね起きる

ジャックがびくっとして後ずさる

 

「な、なんスか今の!?」

 

犬はその場でぴしっと姿勢を正した

やたらと堂々としている

 

バッボが声を張る

 

「怪しい犬!」

「名を名乗れ!」

 

犬がすっと顔を向ける

 

「私ですかな?」

 

落ち着いた声だった

 

「名はエドワード」

 

軽く胸を張る

 

「貴公たちこそ、何者ですかな」

 

妙に礼儀正しい

ジャックがぽかんとする

 

「いやいやいや、そこ!?」

「さっきまで倒れてたじゃないッスか!」

 

だがエドワードは気にしない

 

「はっ」

 

急に何かを思い出したように顔を上げる

 

「こんなとこで油を売っている場合ではありませんぞ!」

 

その場でくるくると歩き回る

 

「これで二回……」

 

前足を折って数えるような仕草

 

「あと一回寝なければ」

 

真剣な顔だった

ジャックが完全に固まる

 

「……え?」

「寝るんスか!?」

 

エドワードはすぐに丸くなろうとする

だが、じっとして数秒も経たないうちにむくりと起き上がった

 

「……ダメか」

 

低く呟く

さっきまでの調子と少し違う

 

そのまま天を仰ぐ

 

「こうしている間にも――」

 

声にわずかな焦りが混じる

 

「我が姫君のその小さなお命が危険にさらされているというのに!」

 

ジャックが目を丸くする

 

「え、なに急に!?」

「さっきまで寝ようとしてたッスよね!?」

 

エドワードは真剣な顔のまま

 

「事は一刻を争うのでございますぞ!」

 

ぐっと前足を踏み出す

 

「にも関わらず、この体たらく……!」

 

悔しそうに歯を食いしばる

 

空気が少し変わる

ユーリがエドワードを見る

 

「……姫ってのは何だ」

 

短く問う

エドワードがすぐに振り向く

 

「おお、聞いてくださいますか!」

 

さっきまでの焦りはそのままに、妙にきちんとした姿勢になる

 

「……貴公たち」

 

観察するように見回す

 

「ARM使いでございますかな?」

 

ジャックがきょとんとする

 

「え、あー……まあ、そうッスけど」

 

エドワードの目がわずかに鋭くなる

 

「なるほど」

 

小さく頷く

 

「ならば話は早い」

 

ユーリは短く返す

 

「用件は」

 

その瞬間

場面が切り替わる

 

吹雪だった

激しい風が唸り、視界を白く塗りつぶしていく

 

地面は凍りつき、踏みしめるたびに硬い音が返る

 

その中心に、巨大な城がそびえていた

 

壁も塔も階段も、すべてが氷と雪に覆われている

 

本来神秘的に感じてもおかしくないはずなのに、そこにあるのは美しさよりも異質さだった

 

生き物の気配がない

 

「なんだこりゃ……」

 

ジャックが目を見開く

 

「氷の城!?」

 

声が少し裏返る

 

「なんでこの辺りだけ雪なんスか!?」

 

周囲を見る

少し離れた場所には森がある

 

だが、この周囲だけが別世界のように凍りついていた

吹雪が肌を刺す

 

エドワードが静かに答える

 

「姫様のARMの力でございます」

 

視線は城へ向いている

 

「雪も氷も――」

 

わずかに声が低くなる

 

「そのお身体を封じたことの証明」

 

風が強く吹き抜ける

氷の城が、軋むような音を立てた

 

エドワードはゆっくりと語り出す

 

「姫様は――命を狙われております」

 

吹雪の音に負けぬよう、だが騒がずに続ける

 

「我が国は遠き地にございます」

 

「姫様は国王陛下と王妃様の間に生まれ」

「深い愛情のもとで育てられました」

 

わずかに目を伏せる

 

「ですが、その日々は長くは続きませんでした」

「王妃様が亡くなられ」

「新たに迎えられた妃が、国を変えたのです」

 

ジャックが息を呑む

エドワードは淡々と、だが抑えきれぬ悔しさをにじませながら続ける

 

「やがて王は病に倒れ」

「国の実権はその者の手に渡りました」

 

「外から招き入れた者たちを側に置き」

「都合の悪い者を、次々と排除していったのです」

 

吹雪が一段と強くなる

 

「当然――」

「その手は、姫様にも及びました」

 

エドワードの声がわずかに低くなる

 

「私はそれを察し」

「姫様を連れて城を離れました」

 

雪が舞う

 

「追手を振り払いながら」

「海を越え」

「山を越え」

「逃げ続けました」

 

ユーリは黙って聞いている

視線は城のままだ

 

「そして辿り着いたのが、この島」

 

「しかし――」

「ついに逃げ場を失い」

 

エドワードの視線が氷の城へ向く

 

「姫様は、自らの力でその身を封じたのです」

 

吹雪が唸る

白い世界の中で、その言葉だけがはっきりと響いた

 

ジャックが凍える肩をすくめる

 

「いやいや、重すぎるッスよ……」

「そんなことになってたんスか」

 

エドワードは深く頷く

 

「姫様は今も、この城のどこかで眠っておられるはず」

「ですが時は残されておりません」

 

ユーリがようやく口を開く

 

「で」

 

短い一言

 

「オレたちに、その姫を助けろってわけか」

 

エドワードは姿勢を正す

 

「左様でございます」

「不躾は承知」

「ですが、今の私に頼れるのは貴公たちだけなのです」

 

ジャックがユーリを見る

吹雪の中でも分かるほど、期待のこもった目だった

 

「……どうするッスか?」

 

ユーリは氷の城を見上げる

 

高い

静かだ

だが、その静けさの奥には何かが潜んでいる

 

面倒そうな話だと、ひと目で分かる

それでも

少しだけ息を吐いて

 

「行くぞ」

 

そう言った

ジャックの顔が明るくなる

 

「おお、即決ッスね!」

 

エドワードも深く頭を下げる

 

「感謝いたしますぞ!」

 

バッボだけは黙って城を見ていた

 

吹雪の向こう

氷の奥

 

そのさらに先にある何かを見通そうとするように

 

「……また厄介ごとが増えたのう」

 

小さく漏らした声は、風に消えた

 

ユーリたちは、氷の城へと足を踏み出した

白く凍りついた世界の中へ

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