面倒くさがり剣士のメルヘヴン【MÄR】 作:サクレール
「ま、怖いなら――」
「まとめて来てもいいけどな?」
挑発の言葉が、氷の大広間に静かに落ちる
一瞬の静寂
ユーリの口元がわずかに歪む
「……いいぜ」
一歩踏み出す
「乗ってやるよ」
その言葉に、男が楽しそうに笑う
「気に入った」
視線がまっすぐユーリを射抜く
「名は?」
「ユーリだ」
短い返答
「オレはイアン」
一歩前に出る
「チェスの兵隊(コマ)所属のイアンだよ」
軽い口調
だが、その奥にある圧は隠していない
その言葉を聞いた瞬間、ジャックが目を見開く
「チェスの兵隊(コマ)!?」
「あの男が言っていた……!」
バッボがわずかに表情を引き締める
「待て……ならば、レスターヴァの王妃が集めたという近衛隊っていうのは――」
エドワードが前に出る
「チェスの兵隊(コマ)」
「間違いありません」
「レスターヴァの王城は今や――チェスの砦!」
その言葉が落ちた瞬間
空気が裂ける
イアンが消えた
次の瞬間にはユーリの眼前
拳が迫る
だが、ユーリはすでに動いていた
半歩
わずかに体をずらす
拳が頬をかすめ、風圧だけを残して通り抜ける
そのまま反撃
右手のバッボを振り抜く
重い一撃
空気を押し潰すような音が広間を揺らす
だが、手応えは浅い
イアンは後方へ跳び、氷の床を滑るように距離を取った
「っと……危ねぇな」
笑っている
ユーリは追わない
左手の剣を軽く振り、刃についた氷の粉を払う
その様子を見ていたロコが、静かに口を開いた
「……変形させないのですか」
視線はバッボへ向けられている
「そのような使い方なら――誰でも出来ます」
ユーリの眉がわずかに動く
「……変形?」
ハンマーを構えたまま、短く返す
「何のことだ」
ロコの目が細くなる
「……本気で言っているのですか」
そのやり取りを、少し離れた氷柱の陰から静かに見下ろす影があった
アルヴィス
腕を組んだまま、小さく呟く
「無理だ」
誰にも届かない独白
「今のユーリには知識がない」
わずかに視線を細める
「それに――何より“カギ”がない」
静かな断定
「やつらのチェスでの階級は“ルーク”」
「階級としては低めだが、ピアス付き」
「今のユーリでは手こずるだろうな」
戦場へ向けたまま、さらに小さく続ける
「チェスの兵隊には階級がある」
「一般兵はすべて“ポーン”」
「そこから“ルーク”“ビショップ”“ナイト”――」
「上へ行くほど強くなる」
アルヴィスは動かない
ただ観察している
一方で、エドワードはロコの前で足を止められていた
「無駄です」
ロコの静かな声
見えない圧が空気ごと絡みつくように、エドワードの動きを封じる
「……くっ」
歯を食いしばる
視線の先には、氷に封じられたスノウ
静かに眠るように、だが確実に時を削られている姫
「このままでは……!」
焦りが滲む
エドワードがジャックを見る
「頼みがあります」
切迫した声
「私を――気絶させてください」
「はあ!?」
ジャックが目を丸くする
「無理ッスよそんなの!?」
「いいから早く!」
エドワードが強く言う
ジャックは戸惑いながらも、スコップを構える
「う、うらぁ……!」
振り下ろす
ゴンッ
鈍い音が広間に響く
一瞬の静止
だが
「……まだです」
エドワードは普通に立っていた
「えぇ!?」
ジャックが慌てる
「もう一回ッスか!?」
再び振る
ゴンッ
「まだです!」
「えぇぇ!?」
「全然効いてないッスよ!?」
エドワードの焦りがさらに強まる
「もっと強く!」
「いやこれ以上は危ないッスって!」
その背後で、ユーリとイアンの打ち合いは止まらない
拳
剣
ハンマー
氷の床を打ち、火花と破片が散る
「いいねぇ!」
イアンが笑う
「ちゃんと見えてんじゃん」
ユーリは振り返らない
背後へ剣を振る
金属音
イアンが受け流す
「勘じゃないな」
「ちゃんと読んでる」
距離が開く
ユーリは軽く息を吐き、構えを崩さないまま口を開く
「……ひとつ聞いていいか?」
イアンが眉をわずかに動かす
「なんだよ」
ユーリの視線は鋭い
「なんで暴れてるんだ」
短い問いだった
イアンが肩をすくめる
「理由?」
口元に笑み
「強いから、壊せるから――それじゃダメ?」
軽い口調
だがその中にあるのは、どうしようもなく歪んだ愉しみだ
ユーリの目が細くなる
「……そのためなら」
一歩踏み出す
「ガキでも攫うってか!」
ロコが即答する
「必要とあれば」
一切の迷いがない
その返答を聞いた瞬間、ユーリの口元がわずかに歪む
「あぁそうかい」
低く落ちる声
「こうなりゃもう、世界が違うとかって問題じゃねえ」
踏み込む
ハンマーを振り上げる
「元の世界に戻るにしろ戻らないにしろ――」
一撃
イアンが受ける
衝撃で氷の床に亀裂が走る
そのまま剣を振る
「チェスの兵隊(コマ)は全員倒してやるよ」
一瞬の静寂
イアンが笑う
「ははっ」
「この状況でそんな宣言していいのかよ」
挑発
だがどこか楽しんでいる
ユーリは止まらない
「〝義を持って事を成せ〟」
一歩踏み込む
「うちのギルドの掟なんでな」
刃が交わる
火花が散る
その最中だった
いつの間にか、ユーリの手を離れていたバッボの顔が、イアンのはるか上空にあった
小さな顔
それが
膨れ上がる
一瞬で
あり得ないほど巨大に
広間の光を遮る影が差した
イアンの視界が暗くなる
「……?」
わずかに顔を上げる
次の瞬間
巨大化したバッボの顔が、上空から叩きつけるように降ってくる
「――は?」
回避が一瞬遅れる
轟音
氷の床が砕ける
衝撃が大広間を揺らし、粉雪のように氷の破片が舞い上がる
ジャックが思わず叫ぶ
「でっけぇ!?」
白く霞んだ視界の中
ユーリはすでに距離を取っていた
視線は一点
「……潰れたか?」
低く呟く
次の瞬間
煙の奥から影が動く
鋭い一撃
ユーリの頬をかすめる
「……っ」
わずかに血が滲む
ユーリはすぐに距離を取り直す
煙が晴れる
そこに立っていたのはイアンだった
肩で息をしている
片腕がわずかに下がり、服は裂け、血がにじんでいる
「……はぁ……」
だが、笑っていた
「今のは効いたわ……」
軽く首を鳴らす
「さすがにちょっとヤバかった」
ユーリは頬の血を親指で拭う
「……避けたか」
短い評価
イアンが肩をすくめる
「全部は無理だよ」
「でも直撃は勘弁ってね」
視線が鋭くなる
さっきまでの軽さが少しだけ消えていた
その背後で
ジャックの視線がふいに止まる
「……あれ?」
倒れているエドワード
その身体が――淡く光っている
「な、なんスかこれ……?」
思わず声が漏れる
光は弱い
だが確かに、内側から滲むように輝いていた
ジャックが慌てて顔を上げる
「ユーリ!」
叫ぶ
「エドが……!」
その瞬間
ユーリはイアンの攻撃を弾きながら、ほんの一瞬だけ視線を向ける
状況を確認
すぐに視線を戻す
「……動くな」
短い指示
それだけ言って、再びイアンへ踏み込む
ジャックは言葉を失う
だが視線はエドワードから離せない
光は、徐々に強くなっていた
最初は淡く
次第に輪郭を持ち
今では倒れた身体そのものを包み込むように広がっている
氷の大広間の戦闘音の中で、その光だけがまるで別の理で動いているようだった
「な、なんだよこれ……!」
ジャックが息を呑む
ロコの視線も一瞬だけそちらへ流れる
アルヴィスもまた、氷柱の陰からその異変を見ていた
ユーリはイアンの拳を剣で逸らし、バッボを叩きつける
イアンが笑う
ロコが静かに身構える
エドワードの身体を包む光が、さらに一段強くなる
次の瞬間
白い閃光が、大広間いっぱいに弾けた