面倒くさがり剣士のメルヘヴン【MÄR】 作:サクレール
神殿の中は静けさに包まれていた
砕けたはずの門は跡形もなく消え、石壁は何事もなかったかのように元の姿を取り戻している
長い時間を過ごしたはずなのに、そこには時間の経過を感じさせるものは何も残っていなかった
ただ、ここが外界とは切り離された場所であるという感覚だけが、空気の中に静かに漂っている
ユーリはその場に立ったまま、軽く腕を回した
肩から肘、手首へと意識を通し、身体の状態を確かめる
重さはない
だが、完全に馴染んでいるとも言えない
どこか掴みきれていない感覚が残っている
「まだ慣れねぇな」
小さく呟く
独り言に近い声だった
そのすぐ横に、メリロが静かに立っている
距離は近すぎず遠すぎず
だが自然と隣にいる位置だった
「無理もありません」
やわらかい声が返る
「シンクロは一度で完全にできるものではありませんから」
責める色は一切ない
ただ事実を穏やかに伝えている
ユーリは視線だけを横に向ける
「って言われてもな」
軽く肩をすくめる
「さっきのも、なんとなくだ」
曖昧な言葉
だが嘘ではない
メリロは小さく頷く
「それで十分です」
迷いなく言い切る
「その感覚を否定しないでください」
「感じたものを、そのまま受け入れることが大切です」
ユーリは少しだけ目を細める
「お前は簡単に言うな」
半ば呆れたような声音
メリロはやわらかく微笑む
「そう聞こえるかもしれません」
押しつけではない
ただ自分の経験として語っている
ユーリは小さく息を吐く
「……ま、いいか」
完全に理解したわけではない
だが拒絶もしない
メリロはその様子を見て、ほんのわずかに視線を柔らかくする
やがて、ゆっくりと口を開く
「さて、ここでのトレーニング期間は180日、約半年です」
空気が少し変わる
「これがアラン様からの指令です」
ユーリの眉がわずかに動く
「ずいぶんと長いな」
率直な感想
スノウが声を上げる
「私もこんなに長いのは初めてだよ」
少し驚いた様子
だがすぐに表情を明るくする
「でも外では3日だから平気だよね」
メリロが頷く
「はい」
「この空間では外界とは異なる時間が流れています」
「外での1日が、ここでは60日に相当します」
ユーリは小さく息を吐く
「便利なもんだな」
軽い口調
だがメリロは静かに続ける
「ですが同時に逃げ場のない時間でもあります」
その言葉に、わずかな重みが宿る
ユーリは口元を歪める
「上等じゃねぇか」
短く言い切る
その一言で覚悟は決まった
それからの日々は濃密だった
剣を振る
感覚を探る
繰り返す
同じ動きのようで、同じではない
ほんのわずかな違いを確かめるように、ユーリは何度も身体を動かしていた
バッボとの呼吸を合わせる
意識を重ねる
最初は曖昧だった感覚が、少しずつ輪郭を持ち始める
スノウもまた、自分の課題に向き合っていた
迷いながらも、確実に前へ進んでいく
やがて
その時間は終わりを迎える
一方で
ジャックは別の門に入れられていた
静まり返った空間
音はほとんどない
ジャックはスコップを構える
振る
無駄のない動き
だが、わずかなズレが残る
「……まだか」
小さく呟く
その後ろ
ドロシーが腕を組んで見ている
「ふーん」
「悪くはないけど……まだまだね」
ジャックは何も言わない
もう一度構える
「焦っても変わらないわよ」
ジャックの動きがわずかに変わる
繰り返す
それだけだった
外の世界では
森の中は静まり返っていた
風は弱く、木々の葉がわずかに揺れる音だけが響いている
その空気の奥には、張り詰めた緊張が確かに存在していた
アランはその場に立っている
一本の木にもたれかかるようにしながら
だが完全に気を抜いているわけではない
足の位置、重心、すぐに動ける状態を保ったまま、わずかに休んでいる
(今日で三日、さ、さすがに寝みぃな)
内心でぼやく
身体には確かな疲労が蓄積している
だが視線は鋭いままだ
そのとき
「犬のおじさん!み〜つけた!」
場の静けさを切り裂くような声が響く
アランの視線が動く
木々の間から現れたのは先日の少年
イアン
その後ろには仮面をつけたポーン兵が一体控えている
イアンは楽しそうに歩み出る
「探すのに苦労しちゃったよ」
(ったく、こんな時に)
アランは小さく舌打ちする
視線は逸らさない
次の瞬間
気配が跳ねる
イアンの姿が消える
背後
間に合わない
直撃
衝撃がアランの背中に叩き込まれる
体が前へ押し出される
踏みとどまる
だが完全には勢いを殺しきれない
地面を滑る
イアンは軽やかに距離を取る
「あれ?反撃しないのかい?」
「でも手加減しないよ」
間を置かずに踏み込む
連撃
アランの体に次々と打撃が叩き込まれる
避けない
受ける
耐える
反撃はしない
その様子を見て
イアンの笑みが深くなる
「どうだい?今回のARMは?」
腕の動きが歪む
そこから伸びる異形
「ウェポンARM〝オクトパス〟」
一本
さらに一本
増えていく
最終的に八本
それぞれが独立してうねる
「こないだは2本だったけど今日のは8本」
触手が襲いかかる
「しかも再生するよ」
切れても戻る
止まらない
アランは受け続ける
踏みとどまる
視線は逸らさない
イアンを見ている
動きを見ている
その中で
イアンが問いを投げる
「ユーリはどこだい?」
アランは息を吐く
「さぁな、その辺で遊んでんじゃねぇか?」
軽い調子
だが視線は鋭い
イアンはその答えを聞きながら、じっとアランを見る
笑みは消えない
だがその目は観察している
そして
「あんたの強さはチェスの基準でいうとナイト級、本来ルークであるオレっちの攻撃なら難なくかわせるはず」
一歩踏み出す
「なのにかわせていない。考えられる理由はアンタはこの3日間そこから動いていない、食事や睡眠だってとっていない」
さらに距離を詰める
「だから本来の力を発揮できない」
視線が後ろへ向く
「アンタの後ろにある2つの扉、それが原因てことかな?」
空気が張り詰める
アランはゆっくりと息を吐く
そして口元を歪める
「興味があるなら開けてみな!この俺を倒すことができたらな!」
低く言い放つ
イアンの笑みが深くなる
「いいね」
「次でトドメだ!」
八本の触手が一斉に収束する
空間が圧縮される
逃げ場はない
すべてが一点へ向かう
アランへ
その瞬間
(ユーリ、強くなるんだろ!なら俺にお前を信じさせてみろ!)
歯を食いしばる
振り下ろされる
直撃寸前
斬撃
空気が裂ける
音が走る
次の瞬間
八本すべての触手が切断されていた
地面へと落ちる
静寂
その中心
アランの前に立っていた
ユーリ
剣を構え
腕輪状態のバッボをはめたまま
動かない
切り落とされた触手が地面に散らばる
蠢くように再生を始めようとするが、その動きは一瞬止まる
場の空気が変わっていた
アランの前
背中でアランを庇うように立ち
視線はまっすぐ前へ向けられている
イアンと目が合う
わずかな沈黙
その中で
イアンの表情がぱっと明るくなる
「おー!ユーリ!会いたかったぜ!」
無邪気な声
だが、その裏には確かな興味がある
しかし次の瞬間
その笑みが止まる
違和感
感じ取った
ユーリから溢れる魔力
以前とはまるで違う
抑えきれずに滲み出るようなそれは、確かな圧となって周囲の空気を震わせている
イアンの目がわずかに見開かれる
(このあいだとは、まるで別人!バカな!)
否定しようとする
だが感覚がそれを許さない
目の前にいるのは同じ人物
だが中身が違う
まるで別物
イアンの笑みが歪む
楽しさの質が変わる
興味が、さらに深くなる
そのとき
空気が揺れる
軽い足音
次の瞬間
「ただいま!エド!」
明るい声が響く
スノウが駆け寄ってくる
その表情には迷いがない
「180日トレーニング終了しました!」
胸を張って言い切る
長い時間をやり切った実感
アランは小さく息を吐く
「……遅ぇよ」
ぶっきらぼうな一言
だがその声にはわずかな安堵が混じっている
ユーリはそのまま前を見たまま口を開く
「おい!おっさん!ずいぶん調子悪そうだな!腹でも壊したか?」
軽口
だが視線はイアンから外さない
アランが鼻で笑う
「バカ言え、テメェが遅すぎんだよ」
短く返す
ユーリは肩をすくめる
「悪いな!ちょっと気合入れて修行したもんだからよ」
「にしてもボロボロだな。しっかり戦えよ」
横目でアランを見る
その言葉に
スノウが一歩前に出る
「違うの、ユーリ。エドは戦えなかったの」
ユーリの眉がわずかに動く
「?」
短い反応
スノウはそのまま続ける
「エドが万全の状態で戦うには、他のARMを解除する必要がある」
「でもそんなことしたら異空間にいる私たちは永遠に出てこれなくなる」
言葉に重みが乗る
ユーリの視線がほんのわずかに変わる
スノウはさらに続ける
「ガーディアンARMを展開してることで一定範囲から動けなくなっていたしね」
静かに言い切る
ユーリは小さく息を吐く
「……なるほどな」
状況を理解する
そして
前へ視線を戻す
イアンを見る
空気が再び張り詰める
その一方で
修練の門内部
まだ解除されてない空間のなかで
上空を見つめる視線があった
メリロ
直接干渉はしない
だがすべてを見ていた
ユーリの立ち方
呼吸
魔力の流れ
すべてが、つい修行が始まる前までとは別物だった
(すごいセンスの方でしたね、魔力は完全にスノウを超えてしまった)
静かな驚き
(……不思議な方ですね)
視線がわずかに柔らぐ
(なぜでしょうか)
自分でも分からない感情
(もう少し見ていたかったですね)
わずかな名残
そして
(ガンバってくださいね!スノウ、そして――ユーリ)
静かに想いを託す
戦場へ