面倒くさがり剣士のメルヘヴン【MÄR】 作:サクレール
振り上げられた鉄の腕が、空気を押し潰すような唸りを上げた
次の瞬間、轟音とともに拳が振り下ろされる
床が砕け、石片が弾けた
衝撃が遅れて広間全体を震わせ、壁際の砂をぱらぱらと落とす
ユーリは地面を蹴り、横へ滑るように身を流す
わずかに遅れていたら、あの拳の下敷きだった
「……重いな」
着地と同時に距離を取り、改めて目の前の巨体を見据える
岩壁を背にした台座の前に立つ鉄の人形
分厚い装甲
鈍く光る金属
人の形をしているくせに、生き物の温度が一切感じられない無機質な顔
あれはさっき草原で戦ったリングアーマーの延長線上にある存在だ
だが、格が違う
その出現は唐突だった
台座の支柱に埋め込まれていたARMが光を放ち
空間がわずかに歪み
次の瞬間には、最初からそこにいたみたいな顔でこの巨体が立っていた
「……でかいな」
ユーリが低く呟く
ドロシーが顔をしかめた
「なによあれ……」
少しだけ間を置き、じっと観察する
そして、あっさりと言う
「……ブリキンって感じね」
ユーリは一瞬だけ視線を向ける
「見たまんまだな」
「分かりやすいでしょ」
ドロシーは軽く肩をすくめる
その瞬間、ブリキンが一歩踏み出した
ドン、と重い音
床が低く震える
「……来るぞ」
ユーリが剣を低く構える
ブリキンの腕が再び振り上がった
「――来るぞ!!」
叫ぶと同時に、拳が振り下ろされる
轟音
床が抉れ、広間の中央に亀裂が走る
ユーリは紙一重でそれをかわし、斜め後ろへ抜けた
視界の端を鉄の拳が通過し、肌を刺すような風圧が遅れて頬を撫でる
「……遅い」
踏み込む
ウェポンARMの剣を横薙ぎに振るう
甲高い金属音
火花が散る
「硬いな」
浅い
刃は通っているが、決定打には遠い
ユーリはすぐに退く
まともに斬り合う相手じゃない
あれは削る敵ではなく、崩す敵だ
ブリキンが腕を振り払う
空気が裂ける
さっきまでユーリがいた場所が、拳の余波だけで砕けた
「……まともに受ける気はねぇぞ」
「フライングレオ!!」
ドロシーの声が広間に響く
手首のブレスレットが光を放ち、弾けるような閃光の中から翼を持つ獣が飛び出した
鋭い爪
しなやかな胴
猛禽と獣を混ぜたような鋭い輪郭
フライングレオはそのまま高く舞い上がり、旋回しながらブリキンへ急降下する
鋭い爪が肩口へ叩き込まれる
火花が散る
だが、やはり深くは入らない
「……やっぱ硬いわね」
ドロシーが舌打ちする
フライングレオは上空へ抜け、再び弧を描いて旋回する
ブリキンの視線がそちらへ向いた
「……なるほど」
ユーリはわずかに口元を緩める
「引きつけ役か」
地面を蹴る
低く潜り込み、今度は脚部へ斬撃を入れる
厚い装甲の継ぎ目を狙う
わずかに揺れる
「効いてはいるか」
ブリキンの腕が振り払われる
ユーリは即座に後方へ跳ぶ
衝撃が走る
石片が跳ねる
「そっち、いける?」
ドロシーが大声で叫ぶ
「問題ねぇ!!」
ユーリも声を返す
「だが時間はかけられねぇな!!」
「同感!!」
フライングレオが再び正面から突っ込む
ブリキンの注意が上へ向く
ユーリはその隙を見る
広間の奥
台座
宝箱
ここまで来る途中に罠も試練もなかったことをドロシーは訝しんでいた
その違和感は正しかった
なら、この巨体は明らかに“番人”だ
守っているものがある
だったら、そっちが本命だ
「……悪いが、任せた」
小さく呟き、ユーリは横へ抜ける
狙いは最初から一つだった
ブリキンが追おうとする
「させない!!」
ドロシーの声
フライングレオが正面から突っ込み、顔面近くをかすめるように急旋回する
注意が逸れた
ユーリは一気に距離を詰める
台座へ到達
剣を片手に構えたまま、もう片方の手で宝箱へ触れる
「……露骨だが」
「悪くねぇ」
蓋を開ける
中にあったのは、銀色のアクセサリーだった
大きめのけん玉型
ただし、普通のけん玉ではない
金属で出来ていて、表面には過剰な装飾が施され、玉の部分には顔のような意匠が彫られている
アクセサリーと言うには主張が強い
武器と言うには気が抜けている
「……なんだこれ」
「アクセサリーにしちゃ主張が強いな」
剣をしまい手に取る
その瞬間
「……ん……」
小さな声
玉の部分の目が、ゆっくりと開いた
「……なんじゃ……」
ひどく寝ぼけた声だった
ユーリの動きが止まる
「……は?」
数秒の沈黙
手の中のそれは、ゆっくりと瞬きをしたあと、いかにも今起きましたと言わんばかりにぼんやり周囲を見回した
「うるさいのう、さっきからガンガンガンガンと」
ユーリは一拍置く
「……お前がバッボか?」
銀色のけん玉は、眠そうなまま胸を張った気になって答える
「いかにも」
即答だった
ユーリは一瞬だけ視線を逸らす
「……普通に会話成立するのか」
「なんじゃ、文句でもあるのか」
まだ少し眠そうな調子だ
というより、緊張感がまるでない
ユーリはため息を一つついたあと、振り返って叫ぶ
「おいドロシー!!」
「ARMって喋るもんなのか!!」
離れた位置でフライングレオを操りながら、ドロシーが大声で怒鳴り返す
「聞いたことないわよ!!」
「ARMが喋るなんて気持ち悪いでしょ!!」
「気持ち悪いとはなんじゃ!!」
バッボが即座に噛みつく
ちゃんと聞こえていたらしい
ユーリは視線を戻す
「……で」
「何ができる」
「知らん」
「……は?」
「わしの名前はバッボじゃ」
「それ以外は知らん」
あっさりと言う
「気づいたらここで寝ておった」
ユーリはわずかに眉を動かす
「記憶がないってやつか」
「多分そうじゃな」
バッボはやけに軽く答える
「名前は分かるが、それ以外はさっぱりじゃ」
「じゃが、それがどうした」
「どうしたも何も」
「問題あるだろ」
即答した、そのときだった
影が落ちる
振り上げられたブリキンの腕
いつの間にかフライングレオを振り切って、こちらを捉えていた
「来るぞ」
ユーリが呟く
バッボに目を向ける
「戦えるか」
「知らんと言うておる」
「試すぞ」
「断る」
即答だった
「なんでわしがそんなことをせねばならん」
「わしはまだ状況を把握しておらん」
「こんな危険な場所で、いきなり使われるのは御免じゃ」
ユーリは一瞬だけ目を細める
「……そうか」
軽く頷く
ブリキンの拳が迫る
空気が軋む
それでもユーリは動かない
そのままバッボを見た
「なら選べ」
「なに?」
「ここで潰れるか」
「試してみるか」
静かに言う
「どっちも嫌じゃ!!」
バッボが叫ぶ
ユーリはわずかに口元を緩める
「だろうな」
「じゃあ三つ目だ」
「……あるのか?」
「今作る」
一瞬だけ視線を外し、再びバッボへ戻す
「俺に使われてみる」
「それで生き残る」
「そのあとで、文句を言え」
バッボが黙る
拳が目前まで迫る
「ぬぅ……!!」
逡巡
そして
「……分かった!!」
「一度だけじゃぞ!!」
ユーリは小さく頷く
「それでいい」
「やり方は?」
「知らん!!」
「……そうか」
わずかに口元が緩む
「じゃあ試すか」
バッボへ意識を向ける
さっき剣のARMを起動したときと同じ感覚
“使う”という意識をそのまま叩きつける
「……こうか」
光
次の瞬間、バッボが膨れ上がった
「なんじゃこれはあああああ!!」
玉の部分が一気に巨大化する
人の頭どころではない
鈍器として十分すぎる大きさ
そのまま振り下ろされるブリキンの拳を受け止めた
轟音
衝撃
床が軋む
だが、止まる
ユーリの腕に重さは来る
だが潰されるほどではない
むしろ押し返せる
「……いけるな」
「今だ!!」
ドロシーへ向かって叫ぶ
「フライングレオ!!」
ドロシーの声
獣が急降下する
ブリキンの頭部へ爪を叩き込む
その一瞬、体勢が崩れる
ユーリも踏み込む
さっき戻した剣のARMへ意識を向ける
光
剣が手の中に再び現れる
連続斬撃
一撃
二撃
三撃
硬い
だが一点に集中すれば話は別だ
胸部にひびが入る
「そこか」
さらに一撃
深く
フライングレオの追撃が重なる
甲高い音とともに、ひびが広がる
そして砕ける
ブリキンの巨体がぐらりと揺れ、そのまま音を立てて崩れ落ちた
広間に静寂が戻る
転がる金属片の音だけが、遅れて響く
ユーリはゆっくりと息を吐いた
「……終わりか」
バッボが元の大きさへ戻る
「なんじゃ今のは!!」
「勝手に大きくしおって!!」
「説明せい!!」
ユーリは視線だけ落とす
「使えたからいいだろ」
「よくないわい!!」
「わしは寝起きじゃぞ!!」
「加減というものを知らんのかおぬしは!!」
騒がしい
ドロシーがゆっくりと歩み寄ってくる
視線は一直線にバッボへ向いていた
「……それ」
少しだけ目を細める
「普通のARMじゃないわね」
「かなり珍しいタイプ」
ユーリは軽く持ち上げる
「これがか?」
「ええ」
ドロシーは観察するように視線を動かす
「見たことがないわ」
「少なくとも、ただのレアじゃない」
バッボはまだ少し怒っているらしく、ふんと鼻を鳴らした
「当然じゃ」
そこだけは妙に自信がある
だが、その直後には首をかしげる
「……いや、当然かどうかは知らん」
「なんせ覚えておらんしの」
ユーリが肩をすくめる
「都合のいいやつだな」
「便利な言葉じゃぞ、記憶がないというのは」
「開き直るな」
ドロシーが小さく笑う
「面白いの拾ったわね」
「……拾った覚えはねぇな」
ユーリはバッボを見る
うるさい
偉そう
妙に自己主張が強い
それでいて、自分が何者なのか分かっていない
明らかに異質だった
「……まあいい」
軽く指で持ち上げる
「使えるなら、それで十分だ」
バッボが目を剥く
「なんじゃその雑な評価は!!」
「もっと敬意を持て!!」
「敬意を向けるには情報が足りねぇ」
「ぐぬぬ……!!」
数秒もがいたあと、バッボは突然胸を張ったつもりで言う
「まあいい」
「特別に認めてやる」
「おぬし」
「わしの家来にしてやろう」
「断る」
即答
「そういう柄じゃねぇ」
「なにィ!?」
ドロシーがまた小さく笑った
「息ぴったりじゃない」
「冗談だろ」
「わしは本気じゃぞ!!」
ユーリは小さく息を吐く
見知らぬ世界
見知らぬ理屈
そして喋るARM
厄介ごとの匂いしかしない
だが、それでも
「……面倒なのに巻き込まれたな」
一度だけ肩を回す
「ま、今さらか」
口元がわずかに緩む
戦い
未知の道具
意味の分からない世界
それでも
(退屈はしなさそうだ)
ユーリは視線を上げる
その後ろで
「おい待て!!」
「わしの話はまだ終わっておらんぞ!!」
「せめてもう少し丁重に扱わんか!!」
騒がしい声が響く
新しい戦いの始まりだった