面倒くさがり剣士のメルヘヴン【MÄR】 作:サクレール
温かい湯気が、ゆっくりと立ち上っていた
木のテーブルの上には、素朴な料理が並んでいる
煮込み、焼いた野菜、そして湯気を立てるスープ
質素だが、どれも丁寧に作られているのが分かる
ユーリは無言でそれを口に運び、一口噛んでから小さく息を吐いた
「……美味いな」
その一言に、向かいに座る女性が嬉しそうに笑う
「でしょ うちの畑で採れたやつだからね」
にこやかな声が続く
「人間のお客さんなんて、ほんと久しぶりだよ」
あっけらかんとした口調だった
ジャックが少しだけ顔をしかめるが、母親は気にした様子もなく肩をすくめる
「いいじゃないか こうして食べてくれる人がいるんだからさ」
ユーリは短く「納得だ」とだけ返し、再び箸を動かす
しばらくして手を止めると、軽く視線を上げた
「……悪いが、こっち今は金持ってねぇ」
あっさりとした言い方だった
ジャックが露骨に眉をひそめる
「やっぱりタダ飯狙いじゃないっスか」
だが母親は気にも留めない
「いいさ、そんなもん 困ったときはお互い様だろ?」
その言葉に、ユーリはほんのわずかに目を細め
「……そうか」
とだけ答えた
再び静かな食事の時間が流れる
やがてユーリはふと思い出したように口を開いた
「おばさん ここはあんたとそいつで暮らしてるのか?」
顎でジャックを指す
「そうだよ この子はジャック うちの息子さ」
「紹介いらないっス……」
ぼそりと呟くジャックに構わず、母親は続ける
「うちはあの畑で野菜を作ってね それを売って食ってるんだよ」
ユーリは軽く視線を細め
「……だからあの出来か」
と短く納得した
その横では、バッボが相変わらず遠慮なく料理に手を伸ばしている
「ほう……これはなかなかじゃのう」
「次はこれじゃな」
その様子を横目に、ユーリが淡々と呟く
「……よく食うな」
「うまいからのう」
「それは分かる」
力の抜けたやり取り
だがその空気とは裏腹に、ジャックは腕を組んだままじっと二人を睨んでいた
納得などしていない
むしろ疑いは強まるばかりだった
「……納得いってないっス」
「そりゃそうだろうな 畑荒らしてた相手を家に上げてるんだからな」
「だから違うって言ってるじゃないか」
母親が呆れたように返す
ジャックは一瞬だけ黙り込み、改めてユーリを見る
「あんたは結局誰っすか?」
「ユーリだ」
「そんな名前、聞いたことないっス」
「だろうな」
あっさりと返し、続ける
「こっちは、この世界の人間じゃねぇ」
一瞬、空気が止まった
ジャックは思わず声を漏らす
「……は?」
母親も首を傾げる
「どういうことだい?」
ユーリは少しだけ考えるように目を細め
「気づいたら知らねぇ場所に飛ばされてた それだけだ」
簡単に言う
ジャックは言葉を失いかける
だが
(……ありえなくはないっス)
この世界なら、そういうことも起こり得る
だが同時に
(でも……)
視線が横へ流れる
テーブルの上
当たり前のように座り、普通に喋りながら食事をしている存在
「ほう……これはなかなかじゃのう」
(……やっぱりおかしいっス)
顔をしかめた、そのときだった
遠くから、低く長い遠吠えが響く
空気が一瞬で変わる
ジャックの表情が固まった
「……!」
椅子を引き、立ち上がる
「今の……!」
そのまま外へ飛び出す
「ジャック!!」
母親の声も聞かずに
ユーリとバッボも後を追う
月明かりの下、畑の前でジャックがしゃがみ込んでいた
「……まただ」
地面には一枚の布
そこに刻まれているのは、狼の脚の形
「予告状っス また来るって合図っス」
「……随分と律儀な盗賊だな」
「ふざけてるんスよ 来る前にわざわざ印だけ残していくんス」
「ほう……余裕の表れかのう」
「ただの嫌がらせっス」
ジャックは布を握りしめる
「ルーガルーブラザーズ 人狼の盗賊兄弟っス」
「夜になると現れて、畑を荒らしていく」
「今度こそ叩き返してやるっス」
拳が震えていた
バッボが静かに言う
「ずいぶん舐められておるな」
「その間、おぬしはどうしておった?」
「自らの誇りを胸に戦っておったのかな?」
ジャックの肩が揺れる
「……違うっス」
「そんなの、無理っスよ……」
視線が落ちる
脳裏に蘇るのは、あの夜の光景
闇の中に浮かぶ影
赤く光る目
鋭い牙
その威圧に、足がすくんだ
動けなかった
ただ、見ていることしかできなかった
畑が荒らされていくのを
何もできずに
回想が途切れる
「……怖くて、近づけなかったっス」
「何もできなかったっス」
悔しさが滲む声
沈黙が落ちる
それを破ったのは母親だった
「仕方ないさ」
明るい声だった
「相手はあんたよりずっと強いんだろ?」
「怖くて当たり前さ」
軽く笑う
「野菜はまた作ればいい」
そしてまっすぐにジャックを見る
「あんたは取り返しがきかない 私のたった一人の肉親だからね」
「……母ちゃん」
ジャックの声が揺れる
「甘いのう じゃが嫌いではない」
バッボが呟く
ユーリは腕を組んだまま
「……別に珍しい話でもない 相手が強けりゃビビるのは普通だ」
淡々と言う
その夜はそれ以上何も起こらなかった
■翌朝
朝日が畑を照らしていた
ユーリは荒らされた跡を一瞥する
「……で」
「昨日のあれ、予告状なんだろ?」
「……そうっス あの印が来た日は必ず来るっス」
「今日の夜、来るっス」
「なら話は早い」
「今回は俺がやる」
あっさりと言う
ジャックは一瞬驚いたように目を見開き
「……ありがとうっス」
と頭を下げる
だがすぐに顔を上げる
「でもこれはオイラの問題っス」
「オイラ、自分の力で道をひらきたいっス」
「オイラは……意気地なしを捨てたいんス」
真っ直ぐに言い切る
ユーリは静かにそれを見て
「……そうか」
とだけ返す
「ほう……ようやく口だけではなくなってきたかのう」
バッボが楽しげに言う
「好きにしろ」
ユーリは短く言った
ジャックはその言葉を受け止めるように頷く
「……それでいいっス」
朝日が三人を照らしていた