面倒くさがり剣士のメルヘヴン【MÄR】 作:サクレール
夜が、静かに畑を包み込んでいた
昼間の熱をわずかに残した土が、足裏にじんわりと伝わる
踏みしめるたびに、柔らかな感触が返ってくる
自分が毎日手入れしてきた土だ
風が草を揺らす
擦れ合う音がやけに大きく聞こえる
遠くで虫が鳴いている
その音が、逆に静けさを強く感じさせる
いつもと同じ夜のはずだった
だが
胸の奥のざわつきだけが消えない
嫌な予感が、ずっと居座っている
ジャックは畑の中央に立っていた
手に握るのは、使い慣れた農具
何度も土を掘り、野菜を育ててきた道具
その重みは、よく知っている
だが今は
それを武器として握っている
手のひらが汗で湿る
滑りそうになるのを、何度も握り直す
来る
予告状が来た夜は、必ず
(……来るっス)
喉が乾く
唾を飲み込もうとしてもうまくいかない
呼吸が浅い
胸が締めつけられる
頭の奥に浮かぶのは
何もできなかった夜
守れなかった畑
ただ見ているしかなかった自分
踏み荒らされる土
折られる野菜
笑い声
何もできなかった
その記憶が、体を縛りつける
そのとき
「ガハハ……来てやったぞ、ジャック」
低い声が夜を裂く
背筋がぞくりとする
ゆっくりと振り返る
畑の外れ
闇の中から二つの影が現れる
月明かりに照らされる異形
人の体に狼の頭
鋭い牙
獣のような気配
ただ立っているだけで、圧がある
「……なんだそりゃ」
「そんなもん持って、畑仕事か?」
ガルーが鼻で笑う
「まさかやる気じゃねぇよな?」
「いくじなしジャック」
その言葉が、胸に突き刺さる
体が強張る
怖い
逃げたい
足がすくむ
それでも
ジャックは顔を上げる
「……これ以上」
声が震える
「これ以上、うちの畑を荒らすと――」
「荒らすと、なんだ?」
軽い声
完全に見下している
一瞬、言葉が詰まる
怖い
それでも
拳を握る
「ぶっとばす!!」
叫びと同時に踏み込む
一直線に突っ込む
逃げない
「甘ぇな」
その瞬間
消える
目の前
拳
――ドンッ
「が……っ」
息が止まる
体が浮く
叩きつけられる
転がる
止まらない
土が舞う
視界が回る
何度も転がり、ようやく止まる
呼吸ができない
肺が焼けるように痛い
体が動かない
何もできない
圧倒的な差だった
ガルーは退屈そうに腕を振る
ルーガが笑う
「なんのマネだよ、ジャック」
見下した声
完全な嘲り
(……無理っス……)
心が折れかける
そのとき
頭の奥に、はっきりとした声が浮かぶ
『その間、おぬしはどうしておった?』
『自らの誇りを胸に戦っておったのかな?』
思い出す
ついさっき聞いたような声
逃げていた自分を突きつける言葉
胸が痛む
「……っ」
歯を食いしばる
指先に力が戻る
肘をつく
体を起こす
膝が笑う
それでも
立つ
ゆっくりと
だが確かに
立ち上がる
息は荒い
それでも
前を見る
ガルーを睨みつける
「……まだ終わってないっス」
かすれた声
それでも意思は消えていない
その目に、わずかな変化が宿る
「……は?」
「まだやる気かよ」
ガルーが呆れたように言う
「ガハハ……懲りねぇな」
ルーガが笑う
「まだ立つのかよ」
面倒くさそうに吐き捨てる
それでも余裕は崩れない
ジャックは一歩踏み出す
足は重い
それでも
止まらない
逃げない
「はぁ……ほんと頭悪ぃな」
「いいぜ」
「遊んでやるよ」
ガルーが構える
そのとき
少し離れた場所
ルーガの背後
空気が歪む
風が止まる
音が遠のく
異様な気配
「……あ?」
何もなかった場所に、男が現れる
細身
長い髪
口元は笑っている
だが
目だけが冷たい
「……チッ」
「なんだよ、ペタさん」
「わざわざ来るってことは、ロクな話じゃねぇな」
「仕事だ」
短く言い放つ
だがその声には、逆らえない圧がある
「この近くに洞窟がある」
「古い封印が残っている場所だ」
「中にあるARMを狙って、以前から盗賊を送り込んでいた」
「だが結果は同じだ」
「誰も持ち帰れない」
「つい昨日も動かした」
「その報告があった」
一瞬の間
「宝箱は空だった」
静かに言い切る
空気がわずかに重くなる
「……空だと?」
ルーガの声が低くなる
「中身は持ち出されている」
視線が戦場へ向く
「おそらくまだ遠くには行っていない」
「痕跡が残っている」
「つまり――この近くにいる」
断言
「……なるほどな」
「で、それを探せってか」
ルーガが笑う
「探せ」
「持ってるやつを見つけ出せ」
「ARMを奪え」
静かに言い切る
夜の空気が、重く沈む
その頃
ジャックは構えたまま、動かない
視線は逸らさない
頭の奥に、別の声がよぎる
「野菜はまた作ればいいけど」
「ジャックは取り返しがきかない私のたった一人の肉親だからね」
母の声
胸の奥が熱くなる
守られていた
ずっと
逃げていた自分も
全部
受け入れてくれていた
目を閉じる
そして開く
迷いはない
「オイラにとってもそうッスよ!」
「母ちゃん!!」
叫び
左腕を前に出す
右手を添える
スコップがあしらわれた腕輪
光が宿る
弱く
だが確かに
脈打つ
呼応する
「来い……!!」
一瞬
空気が止まる
次の瞬間
――パァンッ!!
光が弾ける
収束する
形を成す
ジャックの手に収まる
ウェポンARM
『バトルスコップ』