「どうして、僕を助けたんだ?」
拳銃をホルスターに仕舞い、リィンは尋ねる。サブリナは、「死んで欲しくなかったから」と答えた。
「あなた、この人となら死んでもいい、って思っていた」
「思っちゃいけないのか?」
「あなたはまだやるべきことがあるはずだから」
――ああ、親友よ。この運命の守護天使は、自分に安楽な死さえも許してくれない。共に死ぬことさえも。
リィンは雨空を仰いだ。
「ライフ・フリークスは、僕らを殺そうとした。だから彼を送り込んだ」
「武装警官隊の中に、先生がいるってことになるけれど」
そうなのだ。自分たちが見知った誰かが、ライフ・フリークスだ。リィンは「観」の象形文字が刻まれたヘリへと目線を向けた。
「見ているんだろうね。今の僕たちを」
嗤っているのかもしれない。愚かな運命を選択したものだと。リィンはビルの隙間に置いておいた武装を取りに行った。まだ援軍があると考えたのだ。しかしヘリから繋がれた無線からは思っていたのとは違う声がかけられた。
『カーネーション警部。本部施設で課長がお呼びだ』
「僕への罪状は?」
『一時的に取り消す。条件は』
「彼女を連れて来い、だろ」
その言葉に了承の返事の代わりに沈黙が流れた。リィンは無線に吹き込む。
「いつも僕らを支援してくれた本部のオペレーター」
自分は彼の名も知らない。『何か』と無機質な声が投げられる。
「ありがとう」
思わぬ謝辞だったのだろう。オペレーターは言葉をなくしていた。リィンは降下を始めたヘリを視界に入れる。
「行こう」
「ヘリでの旅は苦痛ではなかったかね?」
いつもの作戦報告と同じ調子で尋ねられたものだからリィンはこれが非常時であることを忘れそうになった。リィンは応じる。
「いつものトレーラーと似た調子でした。案外、この時代のヘリってのも悪くない」
「本来ならば三人も四人も乗る仕様にはなっていないんだが、それでもそう言っていただけると助かる」
リィンは形ばかりの言葉を並べ立てるつもりはなかった。単刀直入に言う。
「課長、あなたがライフ・フリークスですね?」
円筒型の部屋の水槽でアロワナがぎょろりとリィンを睨む。課長は背中を向けたまま、微動だにしない。
「どうしてそう思う?」
「今までの状況を統合すると、ライフ・フリークスの存在をにおわせたのはあなたでした。それに、作戦地点だってあなたならば事前に罠を仕込める」
「状況証拠か」
「それだけじゃありません。彼、ウィペット・ガンスに掃除を命じられるのはあなただけだ」
「帰ってこないな」
わざとらしい声にリィンは返す。
「死にました。僕が殺しました」
課長は喉の奥でくっくっと笑う。
「事、ここに至っても、君はいつも通りだな」
「そう見えますか」
リィンは拳銃を構えた。照準を真っ直ぐ課長へと向ける。課長は振り返った。
「その感情が何なのか、分からないだろう?」
「ええ、僕にはさっぱり。母親の死を決断した時も、この感じはあったんですがどう形容するべきなのかまるで分かりません。もやもやとした、不完全燃焼の炎が胸の中で燻っているみたいなんです」
「教えてあげよう。それは怒りだ」
課長も拳銃を取り出し、リィンへと向けた。その銃口に躊躇いはない。
「怒り、ですか。僕は、今までの人生の中で怒ったことなんてなくって」
「死に、死なされ、殺し、殺される世の中だ。死は資本として回り、死を中心軸に据えた経済がまかり通っている。そんな世の中で一時的な怒りに身をやつして行動する人間はいない。皆、命を複数持つ人間だ。いや、それを現状、人間と定義しているだけのこと」
「僕らは、多分人間じゃありませんよ。本来の意味からは随分と外れてしまった」
「では何だと言うのだね? 私たちを人間だと言わなければ、この世の中に跳梁跋扈する人々は何の具現だと?」
「化け物だ」
リィンの声に迷いはなかった。この回答はずっと持っていたものだ。サブリナを初めて見た時から、彼女を知ってから、というもの、付き纏っていた答え。自分たちは人間ですらない、紛い物だ。
「僕らこそが、命の化け物だった」
その言葉に課長は高笑いを返した。心底、おかしいとでも言うように。リィンは課長がいつものいやらしい笑み以外で笑ったところを始めて目にした。
「ライフ・フリークスはこの世に棲まう人々全員か。それはまた、面白い回答に辿り着いたものだな」
課長は笑いを鎮め、いつもの冷徹な調子に戻る。
「では、どうする? 抹殺対象であったライフ・フリークスは実は自分たちであった。だとすれば、どうする?」
「命令を実行するまでです」
「命令、とは」
小首を傾げた課長へとリィンは言い放つ。
「ライフ・フリークスを抹殺する。あなたが自分で下した命令ですよ」
リィンは懐から銃弾を取り出す。シルバーバレットを拳銃に装填し、構え直した。
「なるほど。いつか使う時があるだろう、と思っていたが。そうか。私を殺す時であったか」
課長は銃身を振る。
「この血なまぐさい決着の行方を、彼女に見せなくっていいのかね?」
サブリナはこの部屋にいなかった。リィンは自分の持っている武装を彼女に託し、この部屋に残った。
「サブリナが自分たちと決定的に違うところがあります」
「何かね? まさか命の有無、とは言うまい」
リィンは一拍だけ間を置いてから口にする。
「彼女は人間で、我々は化け物だった。それだけのことですよ。化け物を殺すのに、人間以外に適任がいるでしょうか」
「彼女を神の代行人に据えるつもりかね。違うと言っているだろう。以前より言い聞かせているはずだ、我々命を保有する人間こそがこの地球上の頂点。秩序の代弁者は我ら武装警官隊なり」
「それが、間違っているのだと、僕はようやく気づけた」
課長は口元を緩める。いつものように、皮膚の吊り上がった嫌な笑い方で。
「ならば銀の弾丸で化け物を殺すのは彼女、というわけか。だとすれば化け物同士で喰らい合ったところで仕方のないような気がするが」
「いえ、僕も武装警官隊です。秩序の代弁者、というのならば、その秩序に異を唱えることもまた、秩序を守ることに繋がるのではないでしょうか」
「詭弁だよ、カーネーション警部。誰かが牢屋を見張らなければならないのだ。獣を解き放ってどうする? いたずらに被害を増やし、恐怖と混沌の中に人心を混ぜ込むつもりか? 番人がいなければ、世界は地獄の釜の底だ。分かるだろう。武装警官隊が番人だったからこそ、表立って被害はなかった。我々が矢面に立っていたから、この時代は平穏だったのだ。犯罪が起こっても、抑止力として我々がいた。武装警官隊は滅びてはならない存在なのだ」
「今までだってそうだった。これからは化け物が怯える時代だ、というだけです」
リィンの返答に課長は唇を曲げた。
「そうか。君と私は、究極のところ考えが違っていた、というわけか」
「終わりにしましょう。化け物が支配する夜から、人間の夜明けに」
彼女一人では何もできないかもしれない。だが可能性はある。この真っ暗な夜を終わらせる、朝陽になり得るのが人間だ。生きている者だけが響かせられる音色なのだ。
「私を殺した。そこまではいいとしよう。だがそれからはどうする? 武装警官隊は私だけの組織ではないし、上層部が躍起になって彼女を追うだろう。その時、守るべき騎士もいない彼女はどうやって生きるのかな。この世の地獄とも言える生を憎みはしないだろうか」
「僕が騎士になる、と言いたいところですが、銀の弾丸を撃ち込まれれば死ぬのは同じです。僕も、化け物ですから」
守りたい、と思える心が芽生え始めていた。だがもうそれも摘まれてしまうのだろう。化け物が咲かせる花など、最初から醜いに決まっている。だったら、自分の爪で、切り取ってしまえばいい。
「人間に、なりたかったのかね? リィン・カーネーション」
ああ、同じだ。リィンは既視感に襲われていた。母親の死を決断した時、自分は武装警官隊として母親を殺した。そこに「リィン・カーネーションの意思」は存在しなかったし、存在させようとも思わなかった。だがほんの少し、何かがしこりとなって自分の中に根を張ったのだ。それが「罪悪感」なのだと、今初めて知った。言葉の上で知っていても、実感するのは随分と違うものだ。
「そうですね。僕は、人間になりたかった。笑ったり、泣いたり、怒ったりする、とても単純で、幼稚で、稚拙で、そして死ぬのを怖がる、臆病な生き物に」
「そう、か」
セーフティが解除される。リィンも同じように解除した。
「本当に、君のような人間を殺さねばならないことが、残念で仕方がない」
「化け物、の間違いでしょう?」
発砲したのは同時だった。リィンの放った弾丸は課長の胸へと吸い込まれ、貫いて後ろの水槽を割った。リィンを貫いた弾丸も扉に突き刺さる。
お互いに仰向けに倒れた。課長は眼鏡を取って笑う。
「そうか。これが死か」
直後、課長は目を見開いたまま事切れた。一撃で課長は死の淵へと追いやられた。リィンは視界が暗くなっていくのを感じ取る。自分も同じように死の淵へ。暗黒の世界へと誘われていた。
その時、ゴゥンゴゥンと鐘が鳴った。日付が変更されたサインだった。
『本日のニュースをお知らせします。武装テロリストグループ、命の強奪者が再び現れたとの情報がありました。街頭では警戒レベルを五段階の四に引き上げてください。なお、この二人組の詳細については……』
街は変わらない。完璧が故に不完全で、まともが故に狂っている人々が今日も歩いている。
『ライフ・フリークス』 完