朝の冷えが、薄い毛布の隙間からじわりと入り込んでくる。
カエデはゆっくり目を開けた。
天井の板はところどころ歪んでいて、細い隙間から差し込む光が白く揺れている。雨の日はそこから雫が落ちるけれど、今日は晴れらしい。冷たい空気の奥に、乾いた朝の匂いがあった。
体を起こすと、足元で丸くなっていたガーディが耳をぴくりと動かした。
色違いの淡い毛並みが、朝の薄明かりの中でやわらかく浮かぶ。
「……おはよう」
人に向ける時より、少しだけやわらかい声が出る。
ガーディは小さく喉を鳴らしてから立ち上がり、カエデの膝に鼻先を寄せた。
ぼろぼろの上着を羽織って外へ出ると、朝露の残る草が足元を濡らした。
町外れのボロ屋のまわりは静かで、マサラタウンの家々からは少し遅れて朝が届く。遠くには、煙突から上がる細い煙が見えた。朝食の支度をしているのだろう。笑い声までは聞こえない。それでも、誰かと朝を迎える家があそこにはあるのだと分かる。
カエデは井戸代わりにしている浅い水場へ向かい、木桶に水を汲んだ。
途中で拾っておいた枯れ枝を抱え、家に戻る。
火を起こして、小さな鍋に水をかける。昨日のうちに集めておいた木の実を少し潰して入れ、固くなったパンをちぎる。豪華でも何でもない、いつも通りの朝だった。
ガーディの分を先に器へ移すと、カエデはしゃがみ込んだ。
「熱いから、待て」
言うと、ガーディはちゃんと座って待つ。
その姿に、ほんの少しだけ口元がゆるんだ。
自分の分は少ない。
けれど、慣れていた。足りないことにも、寒いことにも、誰も呼んでくれない朝にも。
それでも今日は、少しだけ違った。
壁に掛けた古い紙切れに目を向ける。
何度も折り直して、端の擦り切れたそれには、自分で数えた日付が乱雑に記されていた。
今日の印に触れて、カエデは指先を止める。
十二歳。
小さく息を吐く。
ようやく、だと思った。
十歳でここに追い出されてから、ずっと待っていた。
寒い夜も、雨漏りの音で眠れない夜も、町の人たちが自分を見ないふりをする昼も、全部、今日までの辛抱だと言い聞かせてきた。
旅に出られる年齢になるまで。
ここを出ていける日が来るまで。
食事を終えると、カエデは壊れかけた棚から布を取り出して、上着のほつれを縫い直した。針を動かす手つきは慣れたものだった。穴の開いた袋も結び直す。中に入っているのは、水筒代わりの小瓶と、わずかな干し木の実、それから大事にしまっていた古い布切れだけ。
旅支度と呼ぶにはあまりにも少ない。
それでも、今の自分に持っていけるものはこれだけだった。
外へ出ると、朝の光はさっきより少し強くなっていた。
眩しさに目を細めながら、カエデは森の方へ歩く。
ガーディが当然のように隣をついてくる。
森の入口に立つと、鳥ポケモンの鳴き声が木々の間を渡っていた。
風に揺れる葉の音を聞きながら、カエデはそっとガーディの頭を撫でる。
「……もう少しだ」
誰に言うでもない言葉だった。
けれどガーディは、分かっているみたいにじっとこちらを見る。
マサラタウンに、自分の居場所はなかった。
親戚の家にも、町の中にも、あたたかい食卓にも、自分の席はなかった。
それでも、旅に出れば変わるかもしれないと思っていた。
知らない町なら、自分を先に噂で知っている人はいない。
最初から厄介者として見られることもないかもしれない。
隣には、ガーディもいる。
その小さな希望だけを、カエデはずっと抱えてきた。
朝の風が白い髪を揺らす。
カエデは町の方角を振り返った。
まだ遠い研究所の屋根は、朝日に照らされて静かに光っている。
今日だ。
ようやく来た、自分の旅立ちの日だった。