誰にも祝われない旅立ち   作:ひよこ大福

1 / 46
十二歳の朝

朝の冷えが、薄い毛布の隙間からじわりと入り込んでくる。

 

カエデはゆっくり目を開けた。

天井の板はところどころ歪んでいて、細い隙間から差し込む光が白く揺れている。雨の日はそこから雫が落ちるけれど、今日は晴れらしい。冷たい空気の奥に、乾いた朝の匂いがあった。

 

体を起こすと、足元で丸くなっていたガーディが耳をぴくりと動かした。

色違いの淡い毛並みが、朝の薄明かりの中でやわらかく浮かぶ。

 

「……おはよう」

 

人に向ける時より、少しだけやわらかい声が出る。

ガーディは小さく喉を鳴らしてから立ち上がり、カエデの膝に鼻先を寄せた。

 

ぼろぼろの上着を羽織って外へ出ると、朝露の残る草が足元を濡らした。

町外れのボロ屋のまわりは静かで、マサラタウンの家々からは少し遅れて朝が届く。遠くには、煙突から上がる細い煙が見えた。朝食の支度をしているのだろう。笑い声までは聞こえない。それでも、誰かと朝を迎える家があそこにはあるのだと分かる。

 

カエデは井戸代わりにしている浅い水場へ向かい、木桶に水を汲んだ。

途中で拾っておいた枯れ枝を抱え、家に戻る。

火を起こして、小さな鍋に水をかける。昨日のうちに集めておいた木の実を少し潰して入れ、固くなったパンをちぎる。豪華でも何でもない、いつも通りの朝だった。

 

ガーディの分を先に器へ移すと、カエデはしゃがみ込んだ。

 

「熱いから、待て」

 

言うと、ガーディはちゃんと座って待つ。

その姿に、ほんの少しだけ口元がゆるんだ。

 

自分の分は少ない。

けれど、慣れていた。足りないことにも、寒いことにも、誰も呼んでくれない朝にも。

 

それでも今日は、少しだけ違った。

 

壁に掛けた古い紙切れに目を向ける。

何度も折り直して、端の擦り切れたそれには、自分で数えた日付が乱雑に記されていた。

今日の印に触れて、カエデは指先を止める。

 

十二歳。

 

小さく息を吐く。

ようやく、だと思った。

 

十歳でここに追い出されてから、ずっと待っていた。

寒い夜も、雨漏りの音で眠れない夜も、町の人たちが自分を見ないふりをする昼も、全部、今日までの辛抱だと言い聞かせてきた。

 

旅に出られる年齢になるまで。

ここを出ていける日が来るまで。

 

食事を終えると、カエデは壊れかけた棚から布を取り出して、上着のほつれを縫い直した。針を動かす手つきは慣れたものだった。穴の開いた袋も結び直す。中に入っているのは、水筒代わりの小瓶と、わずかな干し木の実、それから大事にしまっていた古い布切れだけ。

 

旅支度と呼ぶにはあまりにも少ない。

それでも、今の自分に持っていけるものはこれだけだった。

 

外へ出ると、朝の光はさっきより少し強くなっていた。

眩しさに目を細めながら、カエデは森の方へ歩く。

ガーディが当然のように隣をついてくる。

 

森の入口に立つと、鳥ポケモンの鳴き声が木々の間を渡っていた。

風に揺れる葉の音を聞きながら、カエデはそっとガーディの頭を撫でる。

 

「……もう少しだ」

 

誰に言うでもない言葉だった。

けれどガーディは、分かっているみたいにじっとこちらを見る。

 

マサラタウンに、自分の居場所はなかった。

親戚の家にも、町の中にも、あたたかい食卓にも、自分の席はなかった。

 

それでも、旅に出れば変わるかもしれないと思っていた。

知らない町なら、自分を先に噂で知っている人はいない。

最初から厄介者として見られることもないかもしれない。

隣には、ガーディもいる。

 

その小さな希望だけを、カエデはずっと抱えてきた。

 

朝の風が白い髪を揺らす。

カエデは町の方角を振り返った。

まだ遠い研究所の屋根は、朝日に照らされて静かに光っている。

 

今日だ。

 

ようやく来た、自分の旅立ちの日だった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。