誰にも祝われない旅立ち   作:ひよこ大福

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石に向かうための修行

朝のニビシティは、空気まで少し硬い気がした。

 

ポケモンセンターの窓から見えた山の影はまだ淡くて、石造りの町並みの上を冷たい風がゆっくり通っていく。

カエデはベッドの上で目を覚ますと、しばらく天井を見つめた。

 

昨日の夜、口にした言葉がまだ胸の奥に残っている。

 

ジム。

 

ニビシティに着いた時から、町のどこかにそれがあることは分かっていた。

石の町で、岩タイプのポケモンを使うジムリーダーがいることも、図鑑や旅の案内で少しだけ知っている。

でも、知っていることと、自分がそこへ向かうことは全然違った。

 

「……起きよっか」

 

小さくそう言うと、ベッドのそばで丸くなっていたガーディが耳を動かした。

床の近くでは、ニドも眠たそうに目を開ける。

 

二匹の顔を見ると、胸のざわつきが少しだけ和らぐ。

 

「今日は……少し、やってみたいことがあるの」

 

そう話しかけながら身支度を整える。

ガーディはすぐに立ち上がり、ニドも少し遅れてこちらへ寄ってきた。

 

朝食を済ませたあと、カエデはポケモンセンターのロビーに置かれていた町の案内図を見ていた。

ジムの位置はすぐに見つかった。

大きく書かれた看板の印の近くには、見学に向いた広場や、ポケモンの練習に使われる空き地も載っている。

 

「……いきなり行くのは、たぶん無理だよね」

 

呟くと、ガーディが小さく鳴いた。

ニドも耳を立てる。

 

無理だと決めつけたいわけじゃない。

でも、トキワの森で初めて野生のポケモンとまともに戦ったばかりの自分が、いきなりジムリーダーに勝てるとは思えなかった。

 

だったら、今できることをするしかない。

 

カエデは案内図を指先でなぞって、小さく頷いた。

 

「……修行、しよっか」

 

ポケモンセンターを出て、町の外れにある広場まで歩く。

ニビシティの端は大きな岩が多く、少し歩くだけで土の色も町中より濃くなっていった。

目的の場所は、石の壁に囲まれた開けた空き地だった。

トレーナーが練習に使うこともあるのか、地面は踏み固められていて、近くには壊れた木箱や丸太も置かれている。

 

カエデは周囲を見回して、二匹の方へ向き直った。

 

「……ここなら、少し動きやすそう」

 

ガーディはやる気満々みたいに前足で地面を掻く。

ニドも、小さい体をきゅっと引き締めるように構えた。

 

そんな二匹を見ていると、カエデの緊張も少しだけ前向きなものに変わっていく。

 

まずは図鑑を開いた。

ガーディのページ。

ニドのページ。

それから、岩タイプの簡単な説明。

 

カエデは表示された文字をゆっくり読む。

 

「……岩タイプは、かたくて、物理の攻撃に強いことが多い……」

声に出しながら、ちらりと二匹を見る。

「たぶん、真正面からぶつかるだけじゃ、だめなんだよね」

 

ガーディは首を傾げた。

ニドはじっと図鑑の画面を見ている。

 

「ガーディは速いし、ひのこも使える。でも、石のポケモン相手だと、火だけじゃ押しきれないかもしれない」

次にニドを見る。

「ニドは……小さいけど、動きが速いし、ちゃんと相手を見て動ける」

 

そう言うと、ニドの耳がぴくりと動いた。

褒められていると分かったのか、少しだけ胸を張る。

 

カエデは図鑑を閉じて、丸太の前へ立った。

 

「まずは、ちゃんと狙う練習からしよっか」

 

最初にガーディ。

少し離れた位置から丸太を見据える。

 

「ひのこ」

 

声をかけると、ガーディの口元に火の粉が生まれる。

ぱっと飛んだ炎は丸太に当たったけれど、少し中心から外れていた。

 

「ううん……悪くない。でも、もう少し真ん中」

 

カエデは丸太の焦げた跡へ近づき、指先で位置を示す。

 

「ここ。次はここを狙ってみて」

 

ガーディは真剣な顔で頷くように鳴き、もう一度身構える。

二回目のひのこは、さっきより狙いが良かった。

三回目には、かなり真ん中に近い位置へ当たる。

 

「……うん、上手」

 

そう言うと、ガーディは嬉しそうにしっぽを振った。

 

次はニドだった。

丸太の前に立たせて、少し考える。

 

「ニドは、つつく……だったよね」

 

ニドは小さく鳴く。

カエデは木箱をひとつ転がして、地面の上へ置いた。

 

「この端っこ、狙える?」

指差すと、ニドはじっと見る。

「真正面じゃなくて、横からでもいいよ」

 

ニドは少しだけ間を置いてから、すっと回り込んだ。

そして横手から素早く飛び込んで、小さな角で木箱の端を鋭く突く。

 

乾いた音がして、箱の薄い板がぴしりと割れた。

 

「……っ、すごい」

 

思わず声が漏れる。

ニドは着地してから、少し得意そうにこちらを見た。

 

「うん、すごいよ。ちゃんと見て動けてる」

 

その言葉に、ニドは今度こそはっきり胸を張った。

その姿がかわいくて、カエデは少しだけ笑う。

 

練習はそれだけじゃ終わらなかった。

走る距離を増やしてみたり、岩の間をすばやく抜けるように動いてみたり、ガーディとニドで交互に動く練習をしたり。

ときどき失敗もした。

ガーディのひのこが思ったより手前に落ちたり、ニドが石に足を取られて転びそうになったりもする。

 

そのたびにカエデは止めて、どうしたらいいかを一緒に考えた。

 

「……急ぎすぎなくていいよ」

「ニド、今のは悪くなかった。ちょっと足場が悪かっただけ」

「ガーディ、次は一回見てからでいいよ。焦らなくてだいじょうぶ」

 

短い言葉ばかりだったけれど、二匹はちゃんと聞いてくれる。

いや、聞いてくれるだけじゃない。

次には少しだけ良くなっている。

 

そのことが、カエデにはたまらなくうれしかった。

 

昼前には、さすがに三人とも少し疲れていた。

近くの岩陰で休憩を取って、カエデは持ってきた水と木の実を分ける。

ガーディは水を飲んだあと、カエデの膝に鼻先を寄せた。

ニドは少し離れた場所で実を食べていたけれど、しばらくしてから自分から近づいてきて、カエデの足元へ座った。

 

「……疲れたね」

 

そう言うと、ガーディが小さく鳴く。

ニドも、口元をもぐもぐさせたまま短く声を返した。

 

カエデは二匹を見ながら、空を見上げた。

雲は少なくて、青い空が高い。

 

「でも……ちょっと、分かってきたかも」

 

ぽつりとそう零す。

 

強い相手に勝つ方法なんて、まだ全然分からない。

ジムでどんなポケモンが出てくるのかも、本当のところは知らない。

それでも、自分の隣にいる二匹がどんなふうに動いて、どんなところが強いのかは、少しずつ見えてきていた。

 

ガーディは真っ直ぐで、速い。

言葉をかければ、すぐに前へ出てくれる。

ニドは慎重だけど、よく見ている。

小さい体でも、ちゃんと狙って入れば強い。

 

「……真正面から勝てなくても、やり方はあるかもしれないよね」

 

その言葉に、ガーディが顔を上げた。

ニドも耳を動かす。

 

「お前たちが頑張ってくれるなら……私も、ちゃんと考えるから」

 

口にした瞬間、胸の奥が少し熱くなった。

今までのカエデは、何かを誰かと一緒に頑張るなんて、あまり知らなかった。

ひとりで耐えることばかりだった。

でも今は違う。

 

二匹と一緒なら、自分も前に進める気がする。

 

午後、もう少しだけ練習を重ねてから、カエデたちは広場をあとにした。

町へ戻る道すがら、ガーディは疲れたのか少しだけ歩幅がゆっくりで、ニドも口数ならぬ鳴き声が少ない。

それでも二匹とも、やりきったような顔をしていた。

 

カエデはそんな二匹を見て、そっと目を細める。

 

「……今日は、ありがと」

そう言って、まずガーディの頭を撫でる。

「ひのこ、すごくよくなってた」

次にニドへ手を伸ばす。

「ニドも。動き、ちゃんと見えてたよ。かっこよかった」

 

ニドは少し照れたみたいにそっぽを向きながら、それでも逃げなかった。

ガーディは素直に喉を鳴らす。

 

ニビシティの町中へ戻る頃には、夕方の光が石の壁をまたやわらかく照らし始めていた。

昨日見た景色と同じはずなのに、今日は少し違って見える。

 

たぶん、自分の中に少しだけ覚悟ができたからだ。

 

ポケモンセンターの前で、カエデは一度立ち止まる。

遠くの方角を見れば、町のどこかにジムがある。

 

まだ不安は消えていない。

怖いし、負けるかもしれない。

でも、それでも。

 

「……挑みたいな」

 

小さく呟く。

ガーディがすぐに鳴いた。

ニドも、遅れて小さく声を上げる。

 

カエデは二匹を見て、ほんの少しだけ笑った。

 

「……うん。もう少し、頑張ってみよっか」

 

石の町の夕暮れの中で、その言葉はちゃんと明日の方を向いていた。

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