ガーディのひのこが、もう一度イシツブテの体に当たった。
背後から散った火の粉に、イシツブテの動きがわずかに止まる。
その一瞬を逃がさないように、カエデは息を詰めた。
「ガーディ、今……たいあたり!」
ガーディが地面を蹴る。
正面からじゃなく、少し斜めに角度をつけてぶつかった。
ぐらついていたイシツブテの体が大きく揺れ、そのまま土の上へ転がる。
しばらくしても起き上がらない。
審判が手を上げた。
「イシツブテ、戦闘不能! よって、この勝負、挑戦者カエデの勝ち!」
カエデは思わず肩で息をした。
「……やった」
小さく零すと、ガーディが振り返って鳴く。
嬉しそうなのに、体はかなりきつそうだった。さっきのたいあたりをまともに受けたせいで、足元が少しふらついている。
「ありがとう、ガーディ」
そう言った時、ムノーが次のボールを手に取る。
「まだ終わりじゃないぞ。ここからが本番だ」
低い声と一緒に、ボールが高く放られた。
赤い光が広がる。
次の瞬間。
重い地響きみたいな音が、ジムの床を震わせた。
「……っ」
カエデは思わず息を呑む。
現れたのは、イワークだった。
灰色の岩がいくつも連なった巨大な体。
高く持ち上がった頭は、見上げるくらい上にある。
ただそこにいるだけで圧迫されるような大きさだった。
ガーディが低く唸る。
でもその足は、さっきより確かに重い。
ムノーの声が落ちる。
「いくぞ、イワーク」
巨大な体がゆっくりとうねるたび、土が細かく揺れる。
カエデは喉が乾くのを感じた。
強い。
見ただけで分かる。
正面からぶつかったら、きっと押し潰される。
「……ガーディ、戻って」
ガーディが驚いたようにこちらを見る。
まだやれる、と言いたそうな目だった。
それでもカエデは小さく首を振る。
「だいじょうぶ。お前は、もう十分頑張った」
声は少し震えていたけれど、ちゃんと届いたらしい。
ガーディはじっとカエデを見てから、悔しそうに小さく鳴いた。
それでも、ボールへ戻る光を拒まなかった。
カエデはガーディのボールを胸元で握る。
熱が残っている気がした。
そしてもう片方のボールへ、そっと触れる。
「……ニド、お願い」
光の中から現れたニドは、イワークの姿を見上げた瞬間、耳をぴんと立てた。
小さな体が一瞬だけ強張る。
怖いのだと思う。
当たり前だった。
カエデだって、怖い。
それでもニドは逃げなかった。
「ニドラン♂、か」
ムノーが少しだけ目を細める。
「その小ささで、イワークに向かうつもりか」
カエデはニドを見た。
数日間、ずっと一緒に修行してきた。
ニドは小さい。
でも、よく見て動く。
真正面からぶつからず、相手の隙を探すのが上手い。
岩の間を抜ける足もある。
そして。
「……いけるよね」
小さく言うと、ニドが短く、でもはっきり鳴いた。
審判が手を振り下ろす。
「イワーク対ニドラン♂、バトル開始!」
先に動いたのはムノーだった。
「イワーク、たいあたり!」
巨大な体が一気に前へ出る。
ただ進むだけなのに、壁みたいな圧力が迫ってきた。
「右……っ、避けて!」
ニドが土を蹴って飛ぶ。
ぎりぎりでかわす。
イワークの体が通り過ぎたあと、地面に大きく爪跡みたいな線が残った。
「……速い」
カエデは息を詰める。
大きいだけじゃない。
あの巨体で、思ったよりずっと速い。
「ニド、にらみつける!」
ニドが鋭く睨む。
イワークの動きがほんのわずかに鈍る。
でも、それだけで止まる相手じゃない。
「まるで効いてないな」
ムノーが低く言う。
「イワーク、しめつけるぞ!」
長い体がうねる。
回り込むようにニドへ迫り、逃げ道を塞ごうとする。
「後ろに下がらないで、横!」
ニドが左へ飛ぶ。
そのまま岩の節の間をすり抜けるように走った。
巨体の向きを変えるのが一瞬遅れる。
その動きを見て、カエデの脳裏に、数日前の修行がよみがえった。
岩の間を走る練習。
足場の悪い場所で、相手の外側を取る練習。
「……そうだよ」
小さく呟く。
真正面から勝てないなら、動かすしかない。
「ニド、そのまま回って!」
ニドがイワークの周囲を走る。
イワークの頭がそれを追う。
大きい分、動き出しにも向きを変えるのにも少しだけ間がある。
「今、つつく!」
ニドが飛び込んだ。
狙ったのは顔じゃない。
体を繋ぐ岩と岩の隙間、その節の近く。
乾いた音が響く。
イワークが低く唸った。
完全には効いていない。
でも、嫌がっている。
ムノーの眉がわずかに動いた。
「そこを狙うか」
カエデは答えず、ニドだけを見る。
「離れて!」
直後、イワークの尾が大きく薙いだ。
ニドが飛び退く。
風圧だけで落ち葉が舞った。
「イワーク、いわおとし!」
上から岩の塊が崩れるみたいに降ってくる。
ニドは一つ、二つとかわしたけれど、三つ目が肩をかすめた。
「ニド!」
小さな体が地面を転がる。
すぐに起き上がろうとして、でも一瞬足がもつれる。
カエデの胸がぎゅっと縮む。
「……だいじょうぶ。だいじょうぶだから」
自分に言い聞かせるみたいに呟く。
ここで慌てたら、ニドにも伝わる。
数日間の修行で、それは少しだけ分かっていた。
ニドは体勢を立て直し、またイワークを見上げた。
痛いはずなのに、目の奥の光は消えていない。
その姿に、カエデは深く息を吸った。
「ニド、もう一回……にらみつける!」
鋭い視線。
イワークが嫌そうに頭を振る。
「そのまま、外側!」
ニドがまた走る。
イワークが追う。
大きな体が向きを変えるたび、土が軋む。
「ムノーさん、すごいね……」
カエデは小さく呟く。
「こんな大きいのに、ちゃんと動かしてる」
でも。
「お前も、すごいよ」
ニドへ向けて、今度ははっきり声を出した。
「小さいのに、ちゃんと見えてる」
その瞬間だった。
ニドが跳ねるみたいに前へ出る。
いつもより深く踏み込み、そのまま連続で前足を打ち込んだ。
一回。
二回。
「……っ!」
カエデは目を見開く。
「にどげり……!」
イワークの節に、二度の蹴りがきれいに入る。
重い音と一緒に、巨体がぐらりと揺れた。
ムノーが目を細める。
「なるほど。ここでそれを引き出したか」
ニドも、自分で驚いているみたいだった。
着地したあと、少しだけ目を丸くしている。
でもカエデはすぐに叫ぶ。
「ニド、今だよ! もう一回!」
声に押されたみたいに、ニドが走る。
イワークは体勢を戻しきれていない。
「にどげり!」
今度はさらに深く入った。
節のつなぎ目へ、連続の蹴り。
イワークの頭が大きくのけぞる。
「イワーク!」
ムノーの声が飛ぶ。
「持ちこたえろ、たいあたりだ!」
前へ出ようとした巨体が、半歩だけ遅れる。
そこに、さっきのにらみつけると連続の攻撃が効いていた。
カエデは喉が痛くなるくらい大きな声を出した。
「ニド、最後……っ!」
ニドが駆ける。
小さい体が、まっすぐにイワークの懐へ飛び込む。
「にどげり!」
乾いた、重い音。
巨大な岩の体が、ゆっくり傾く。
信じられないくらい大きな音を立てて、イワークが地面へ崩れた。
土煙が上がる。
しばらく誰も動かない。
やがて審判の声が響いた。
「イワーク、戦闘不能! よって勝者、挑戦者カエデ!」
その言葉が耳に入った瞬間、カエデは立ち尽くしたまま瞬きをした。
「……勝った」
信じられないみたいに、自分の声が小さく漏れる。
ニドがふらつきながら振り返る。
その姿を見た途端、カエデは駆け出していた。
「ニド!」
しゃがみ込んで、その小さな体を両手で抱えるように支える。
ニドはかなり疲れていたけれど、意識はしっかりしていた。
そして、少しだけ得意そうだった。
「……すごい」
声が震える。
「すごいよ、ニド……っ」
頭を撫でると、ニドは力なく、それでもちゃんと鳴いた。
そこへ、ムノーがゆっくり近づいてくる。
イワークをボールへ戻したあと、カエデたちの前で足を止めた。
「見事だった」
低い声だったけれど、さっきまでよりずっとやわらかい。
「力だけじゃなく、よく見て戦っていたな」
カエデはニドを抱いたまま顔を上げる。
「……ニドが、頑張ってくれたから」
「それだけじゃない」
ムノーは首を振る。
「お前が、この子の強さをちゃんと見ていたからだ。大きさや派手さじゃなく、できることを信じて使った」
その言葉が、胸の奥へまっすぐ落ちた。
マサラタウンにいた頃、自分をちゃんと見てくれる人なんてほとんどいなかった。
でも今、目の前の大人は、自分の戦い方を見て言葉をくれている。
ムノーは懐から小さなケースを取り出した。
「ニビジム勝利の証、グレーバッジだ」
差し出されたそれを、カエデは少しだけ震える手で受け取る。
灰色の、石みたいな質感の小さなバッジ。
でもその重みは、見た目よりずっと大きかった。
「……ありがとうございます」
ちゃんと言えた。
ムノーは短く頷く。
「タケシにも、いつか見せてやりたい戦いだったな」
その名前に、カエデは少しだけ目を瞬く。
でも今はそれより、胸の中がいっぱいだった。
ガーディのボールにも手を触れる。
「……ガーディも、ありがとう」
小さくそう言ってから、ニドを見る。
「お前も、本当に……ありがと」
ニドは照れたみたいに顔をそらす。
それでも、カエデの腕の中から離れようとはしなかった。
石のジムの中、カエデはグレーバッジをぎゅっと握る。
誰にも祝われない旅立ちだった。
何も持っていないまま始まった旅だった。
でも今、自分の手の中には、ちゃんと掴んだものがある。
小さなバッジと、隣にいてくれる仲間たち。
それだけで、次の町へ向かう足は、きっと前より少し強くなる気がした。