翌朝、カエデが目を覚ました時、窓の外にはやわらかな光が広がっていた。
ハナダシティの朝は、ニビシティより少し明るく感じる。
窓の外を流れる水路が朝日を受けてきらきら光っていて、それだけで町全体が目を覚ましていくみたいだった。
カエデはしばらく布団の中で天井を見つめて、それから小さく息を吐く。
「……今日、ちゃんと考えよっか」
昨夜ジョーイに聞いた言葉が、まだ胸の中に残っていた。
ハナダジム。
水タイプ。
華やかだけど、思っているより難しい場所。
怖さがないわけじゃない。
でも、ニビジムの時みたいに、何も考えないまま向かうのは違う気がした。
ベッドのそばではガーディが丸くなっていて、床の近くにはニドが眠っている。
カエデが起き上がると、ガーディが先に耳を動かした。
少し遅れて、ニドも目を開ける。
「……おはよ」
小さく声をかけると、ガーディが喉を鳴らし、ニドも短く鳴いた。
「今日はね、すぐジムに行くんじゃなくて」
身支度をしながら、カエデは二匹へ話しかける。
「まず、ちゃんと作戦考えたいの」
そう言うと、ガーディは首を傾げた。
ニドはじっとこっちを見ている。
食堂で簡単な朝食をとって部屋へ戻ると、カエデはベッドの上に図鑑を置いた。
それから荷物袋の中身を少し端へ寄せて、小さな空間を作る。
二匹も自然とそこへ集まってきた。
「……よし」
自分で言ってから、少しだけ可笑しくなる。
会議なんて、前の自分なら口にもしなかった気がする。
でも今は、そうした方がいいと思えた。
「ハナダジムは、水タイプ」
図鑑を開いて、水タイプの簡単な説明を表示させる。
「だから、たぶん……お前はちょっと不利なんだよね」
そう言って、ガーディを見る。
ガーディは最初きょとんとしていたけれど、自分のことを言われていると分かると、少しだけ耳を倒した。
しっぽの動きまで小さくなる。
「……あ、ちがうの」
カエデはすぐに身を乗り出して、その頭を撫でた。
「不利って、お前が弱いって意味じゃないよ」
ガーディは撫でられながら、でもまだ少しだけ納得していない顔をしている。
「火は、水に弱いことが多いんだって」
カエデは図鑑を見ながら続ける。
「だから、ひのこをそのまま使うより……別の戦い方を考えた方がいいかも」
ガーディは黙って聞いていた。
少ししてから、小さく鳴く。
それは、拗ねた声じゃなくて、ちゃんと聞くよっていう返事みたいに聞こえた。
「……うん。ありがと」
次に、ニドの方を見る。
「ニドは、水に強いわけじゃないけど……」
図鑑のページを切り替える。
「小さいし、動きが速いし、よく見て動ける」
ニドの耳がぴくりと動く。
「たぶん、水タイプ相手って、真正面から押すより、相手の動きを見た方がいいよね」
そう言うと、ニドは少しだけ得意そうに胸を張った。
ガーディはそれを見て、ちょっとだけ悔しそうに鼻を鳴らす。
「……お前も、速いよ」
カエデは慌ててガーディの頭をもう一度撫でる。
「ガーディは、速くて、言った通りにすぐ動ける。それってすごく大事だもん」
ガーディのしっぽが、今度は少しだけ揺れた。
カエデは図鑑を膝の上へ置いたまま、考え込む。
ハナダジムの相手がどんなポケモンを使うのかは、まだ詳しくは分からない。
でも、水タイプなら、動きがしなやかで、距離の取り方も独特なのだろう。
「……お水の中にいる相手だと」
ぽつりと呟く。
「こっちの攻撃、届きにくいのかな」
ガーディが首を傾げる。
ニドは図鑑の画面をじっと見ている。
カエデは昨日ジョーイに言われたことを思い出す。
水辺での動きに慣れておく。
相手の速さにどう対応するか考える。
「たぶん、まずは……」
指先で図鑑の端をなぞる。
「水に慣れた方がいいよね」
その瞬間、ニドの耳がぴんと立った。
嫌そうな反応で、カエデは思わず笑ってしまう。
「……そんな顔しないで」
そう言って、そっとニドの頭を撫でる。
「いきなり泳げっていうわけじゃないから」
ニドは少しだけ不満そうに目を細める。
その隣で、ガーディは逆に興味ありそうだった。
「お前は好きそうだよね」
ガーディの方へそう言うと、得意そうに胸を張る。
その反応があまりにも分かりやすくて、カエデの口元が自然とゆるむ。
しばらくして、カエデはベッドの上に小さな図を描くみたいに指を動かした。
「たとえばね」
ガーディとニドの間に目線を落とす。
「ガーディは、ひのこじゃなくて、速さと動きでかき回す」
ガーディが顔を上げる。
「にらみつけるとか、相手の気をそらすのも大事かも」
それからニドを見る。
「ニドは、相手が近づいてきた時に、ちゃんと狙う」
ニドはじっと聞いている。
「にどげり、つつく……そのへんが使えるかもしれない」
少しだけ考えてから、続ける。
「でも、水の中までは追いかけない方がいいよね。たぶん、向こうの方が慣れてるから」
言葉にしていくと、少しずつ形になっていく気がした。
まだ答えじゃない。
でも、何もないところから手探りするのとは違う。
カエデは図鑑を閉じて、二匹を見る。
「……それとね」
声が少しだけやわらかくなる。
「もし難しいって思ったら、すぐ引くのも大事だと思うの」
ガーディもニドも、黙って聞いていた。
「ニビジムの時みたいに、無理して頑張ってくれるの、すごくうれしい。でも……」
小さく息を吐く。
「今度は、ちゃんと守りながら勝ちたい」
それは昨日からずっと胸の中にあった本音だった。
勝てたことはうれしい。
でも、ぎりぎりだった。
次も同じようにすればいいわけじゃない。
ガーディはしばらくカエデを見てから、そっと鼻先を膝へ押しつけてきた。
ニドも、少し遅れて足元へ近づいてくる。
「……うん」
カエデは二匹を順番に撫でる。
「ありがとう」
窓の外から、水の流れる音が聞こえる。
朝の光はもうだいぶ明るくなっていて、部屋の中までやわらかく差し込んでいた。
カエデは立ち上がって、窓の外を見た。
水路の向こうに、ハナダシティの町並みが広がっている。
この町のどこかに、ハナダジムがある。
まだ少し遠い目標みたいに感じるけれど、見えないわけじゃない。
「……今日は、まず見に行こっか」
振り返って二匹を見る。
「ジムの場所とか、水辺の感じとか。実際に見た方が分かることもあると思うし」
ガーディが元気よく鳴く。
ニドは少しだけ慎重な顔をしていたけれど、それでも小さく声を返した。
「それから、できそうなら」
カエデは少しだけ笑う。
「お水の近くで練習、かな」
ニドは今度こそ、はっきり嫌そうな顔をした。
それが可笑しくて、カエデは思わず声を立てずに笑ってしまう。
「だいじょうぶだよ。無理にはしないから」
そう言ってしゃがみ込む。
「ちょっとだけ、慣れるだけ」
ニドはまだ納得していない顔だったけれど、逃げなかった。
ガーディは完全にやる気で、しっぽが大きく揺れている。
「……お前、楽しみなんだね」
その反応にまた少し笑ってから、カエデは荷物袋を引き寄せた。
図鑑をしまって、ボールの位置を確かめて、必要なものを整える。
支度をしながら、胸の中のざわつきも少しずつ形を変えていった。
怖さがなくなったわけじゃない。
でも、ただ怖いだけじゃない。
知って、考えて、準備して。
そうやって向かえば、きっと前より少しはましだと思える。
「……よし」
今度のその言葉には、自分でも少しだけ実感があった。
ガーディとニドが、同時にこっちを見る。
「ハナダジムに向けて」
カエデは二匹を見て、そっと目を細めた。
「今日から、ちゃんと作戦立てていこうね」
水の町の朝は静かに明るくなっていく。
その中でカエデたちは、小さな部屋の中で、次の戦いへ向けた最初の一歩を踏み出していた。