ハナダジムを出たあともしばらく、カエデはブルーバッジの入ったケースを何度も見てしまっていた。
開いて、閉じて。
また少しだけ開いて、青いしずくみたいな形を確かめる。
「……ほんとに、もらったんだね」
小さく呟くと、足元のコハクがすぐに鳴いた。
ニドも耳を揺らして、スイは少しだけ胸を張る。
その反応が可笑しくて、カエデはようやく少しだけ笑う。
「うん、分かってるよ」
ケースを大事に袋へしまいながら続ける。
「みんなで取ったんだもんね」
ハナダシティの水路は、来た時と同じようにきらきらしていた。
でも今日は、橋の白さも、水の青さも、全部が少しだけ明るく見える気がした。
ポケモンセンターへ戻る道の途中、コハクは機嫌よく先を歩き、ニドはその少し後ろを落ち着いた足取りでついてくる。
スイは今日はカエデのすぐ隣だった。
ジムの帰りだからか、それとも勝ったことが少しだけ自信になったのか、昨日までより近い。
「……スイ」
名前を呼ぶと、スイが見上げる。
「ほんとにすごかった」
やわらかくそう言う。
「最後、ちゃんと見えてたよ」
スイは一瞬だけ目を瞬いて、それから照れたみたいに少しだけ顔をそらした。
でも、嫌そうじゃない。
その反応がうれしくて、カエデはそっと頭を撫でた。
ポケモンセンターの自動ドアが開く。
ひんやりした空気と、落ち着いた明るさが迎えてくれた。
受付にいたジョーイが、カエデたちの姿を見つけて、すぐに表情をやわらげる。
「あら」
少しだけ目を細めて、カエデの顔と、足元の三匹を見る。
「……その顔は、いい報告かしら?」
カエデは一瞬だけ照れくさくなって、それでも小さく頷いた。
「……勝てたの」
それから、ちゃんと言い直す。
「ハナダジム、勝てました」
ジョーイの顔がぱっと明るくなる。
「まあ……! 本当に?」
「……うん」
「すごいじゃないですか」
その声には、本当にうれしそうな響きがあった。
「おめでとうございます、カエデさん」
その言葉に、胸の奥がじんわり熱くなる。
祝いの言葉を向けられることに、まだ少しだけ慣れない。
でも今日は、ちゃんと受け取りたかった。
「……ありがとう」
小さくそう返すと、ジョーイは三匹の方へも目を向ける。
「みんなも、おつかれさま」
そのやさしい声に、コハクがすぐに鳴いた。
ニドも少しだけ胸を張り、スイは静かに目を細める。
ジョーイは少し考えるようにしてから、にこっと笑った。
「それじゃあ、今日は特別に、頑張った子たちへごほうびを用意しましょうか」
「……ごほうび?」
「ええ。祝勝会、というほど大げさじゃないですけど」
少し楽しそうに続ける。
「みんなでお祝いできるようなものを」
その言葉に、コハクがすぐ反応した。
しっぽがぶんっと大きく揺れる。
ニドも耳をぴんと立てて、スイまで少しだけ目を丸くした。
「……ふふ」
カエデは思わず笑う。
「もう分かってるんだね」
部屋へ戻る前に、三匹を軽く診てもらう。
ジム戦のあとだから、念のため。
コハクは足場の上を動き回った疲れが少し。
ニドはヒトデマン戦のダメージが少し。
スイもスターミーとのバトルで細かく削られていたらしい。
「でも、みんな大きな問題はありませんよ」
ジョーイはやわらかく言う。
「今日はちゃんと休めば大丈夫です」
「……よかった」
そのあと案内された食堂の一角には、小さなテーブルがひとつ空けられていた。
そこへ、カエデの分のあたたかい食事と、三匹のためのポケモンフードが運ばれてくる。
いつもより少しだけ豪華で、ポケモン用の器には特製のポフレまで添えられていた。
「わ……」
思わず声が漏れる。
コハクはもう目を輝かせているし、ニドも表情には出にくいけれど明らかに気になっている。
スイは戸惑っているようで、でも視線はしっかり器の方へ向いていた。
ジョーイがテーブルのそばで微笑む。
「今日はお祝いですから」
それから、カエデへ小さくウインクするみたいに続けた。
「ただし、食べすぎはだめですよ」
「……うん」
四人でテーブルを囲む形になる。
そんなふうに座るのが、なんだか少しだけくすぐったい。
「……じゃあ」
カエデは少しだけ迷ってから、小さく息を吸った。
「えっと……おつかれさま、かな」
三匹の顔を見る。
「あと、ありがとう」
コハクが待ちきれないみたいに鳴く。
ニドは一拍遅れて短く返事をして、スイも小さく鳴いた。
「……ふふ。うん」
カエデはやわらかく笑う。
「食べよっか」
食事のあいだ、コハクは分かりやすく機嫌がよかった。
おいしいものを食べている時の顔もそうだけど、ときどきカエデの方を見上げて鳴く。
たぶん、まだ勝ったことがうれしいのだ。
「コハク、そんなに急がなくてもあるよ」
そう言って頭を撫でると、喉を鳴らしてまた食べ始める。
ニドは最初こそ慎重だったけれど、一口食べてからは少しずつ表情がゆるんでいった。
派手に喜ぶタイプじゃないけれど、おいしいのはちゃんと分かるらしい。
「ニドも、好き?」
そう聞くと、顔をそらしながらも耳だけがぴくっと動く。
「……好きなんだね」
その反応が分かりやすくて、カエデは小さく笑った。
スイは最初、少しだけ遠慮していた。
こんなふうに“自分のためのごほうび”が出てくることに、まだ慣れていないのかもしれない。
でも、カエデが器を少しだけ近づけてやると、恐る恐る口をつけた。
「……おいしい?」
小さく聞く。
スイは少しだけ目を丸くして、それから静かにもう一口食べた。
そのあと、ほんの少しだけ食べる速さが上がる。
「……そっか」
その様子を見て、カエデはふっと目を細めた。
「よかった」
自分のスープも、今日はいつもよりあたたかく感じる。
勝ったからなのか、みんなとこうして囲んでいるからなのかは分からない。
でも、今この時間がすごく大事なものに思えた。
食べ終わったあとも、しばらくはテーブルでゆっくりしていた。
食堂の中には他のトレーナーたちの声もあるけれど、今日はそれさえ遠くに感じる。
カエデは袋からブルーバッジのケースを取り出して、そっと開いた。
青いしずくみたいな形が、照明を受けて静かに光る。
「……きれい」
ぽつりと零す。
ニドがそのケースをのぞき込み、コハクも身を乗り出した。
スイは少し遅れて近づいてきて、じっとバッジを見ている。
「ニビジムのグレーバッジも、ちゃんと大事だけど」
カエデはケースを見つめたまま続ける。
「この色、ハナダっぽいね」
そう言って少しだけ笑う。
「水の町って感じ」
コハクが短く鳴いた。
ニドも小さく鼻を鳴らす。
スイは何も言わなかったけれど、視線はバッジから離れなかった。
「……スイ」
カエデはそっとその名前を呼ぶ。
「今日はほんとに、お前がいてくれてよかった」
スイが顔を上げる。
「助けた時は、こんなふうになるなんて思ってなかった」
少しだけ目を細める。
「でも、来てくれてありがとう」
スイの目が少しだけ揺れる。
それから、静かにカエデの手元へ顔を寄せた。
バッジの入ったケースじゃなくて、そのケースを持っているカエデの指先へ。
その仕草だけで、答えは十分だった。
「……うん」
今度はコハクを見る。
「コハクも」
毛並みをそっと撫でる。
「今日は足場、すごくちゃんと見えてた」
コハクはすぐに胸を張る。
「ひのこに頼りすぎないで動けたのも、えらかったよ」
続いてニドへ目を向ける。
「ニドも、最初の一戦すごくよかった」
ニドは照れたみたいに目をそらす。
「水辺、まだ好きじゃないのに」
そこまで言うと、ニドが少しだけ不満そうに耳を揺らした。
「……ふふ。でも頑張ったでしょ」
そう言って頭を撫でると、結局逃げなかった。
三匹を順番に見ているうちに、カエデの胸の奥がまたじんわりあたたかくなる。
祝勝会なんて、自分には似合わない気が少ししていた。
誰かに勝ったことを祝ってもらうとか、みんなで笑うとか、そういうのはもっと別の誰かのものだと思っていたから。
でも今は、こうしてここにいる。
三匹がいて、ジョーイがいて、あたたかい食事があって、バッジがある。
それが全部、本当に自分の今日なんだと思える。
「……私」
ぽつりと零す。
三匹が顔を上げる。
「旅に出る前は、こんな日が来るなんて思ってなかった」
コハクが小さく鳴いた。
ニドは黙って見ていて、スイは少しだけ首を傾げる。
「誰かと一緒にごはん食べて」
続けて、少しだけ笑う。
「ジムに勝って、お祝いしてもらって」
自分でも少し不思議なくらい、言葉が静かに出てくる。
「……うれしいね」
その一言に、コハクが真っ先に鳴いた。
ニドも短く返して、スイも小さく声を重ねる。
「……うん」
カエデはやわらかく頷く。
「ほんとに」
祝勝会は、派手なものじゃなかった。
でも、だからこそよかった。
あたたかい食事と、少し多めのごほうびと、静かな会話。
それだけで十分だった。
部屋へ戻る頃には、ハナダシティの外はもう少しだけ暗くなっていた。
水路の光が夜の色を映して、昼とは違うきらめき方をしている。
部屋の中へ入ると、四人とも少しだけ満たされたみたいな空気になる。
コハクは早々に丸くなり、ニドもその近くに座り込む。
スイは窓辺を見てから、今日は自分からカエデの近くへ来た。
「……今日は、いい日だったね」
カエデがそう言うと、三匹がそれぞれ小さく返事をする。
「ありがとう」
その言葉は、今日何度目か分からなかった。
でも、何度言っても足りない気がした。
ベッドの上に座って、カエデは二つのバッジを並べてみる。
グレーとブルー。
石の色と、水の色。
まだ二つしかない。
でも、もう二つもある。
「……次、どうしよっか」
ぽつりと呟くと、コハクが耳を動かし、ニドがちらりとこっちを見る。
スイも静かに顔を上げる。
「今日は、考えるのやめよ」
少しだけ笑って、バッジをしまう。
「今日は、お祝いの日だもんね」
水の町の夜は静かだった。
でもその静けさは寂しいものじゃなくて、今日一日のあたたかさをそのまま包んでくれるみたいだった。
カエデは三匹の寝息を近くに感じながら、ゆっくり目を閉じる。
ハナダジムに勝った日。
その夜の祝勝会は、きっとあとから思い返しても、あたたかいまま残る気がした。