翌朝、ハナダシティの空はよく晴れていた。
窓の外を流れる水路が朝日を受けてきらきらしていて、昨日の祝勝会の余韻まで、まだ町のあちこちに残っているみたいに見える。
カエデはベッドの上で体を起こして、しばらくその光を眺めていた。
ニビジムを越えて、ハナダジムも越えた。
二つのバッジが荷物の中にある。
それがまだ少し不思議で、でもちゃんと嬉しい。
「……起きよっか」
小さく声をかけると、コハクが真っ先に耳を立てた。
ニドは少し遅れて目を開けて、スイは窓の近くからゆっくり振り返る。
「今日は、次の道のこと考えなきゃだね」
その言葉に、三匹がそれぞれ小さく反応した。
コハクはもう行く気らしく、起き上がるのが早い。
ニドはまだ少し眠たそうで、スイは静かにカエデの方を見ている。
朝食を済ませたあと、カエデは荷物をきちんとまとめ直した。
図鑑、モンスターボール、キズぐすり、水筒、残っている食べ物、小さなランタン。
月の石も、布に包んだまま奥にしまってある。
「……大丈夫かな」
ぽつりとそう言うと、コハクがすぐに鳴いた。
ニドも耳を揺らして、スイは少しだけ前へ出る。
「うん、分かってる」
カエデは小さく笑って、袋の口を結ぶ。
「前よりはちゃんとしてる、よね」
ポケモンセンターの受付へ向かうと、ジョーイがいつものやわらかい笑顔で迎えてくれた。
「おはようございます。今日は出発ですか?」
「……たぶん」
カエデは少しだけ迷ってから頷く。
「次の町に、進もうかなって」
「そうですか」
ジョーイはうれしそうに微笑んで、それから少し考えるように言った。
「ハナダから先へ行くなら、クチバ方面に向かう道がありますけど……途中でイワヤマトンネルを通るなら、準備はしっかりしておいた方がいいですよ」
「……イワヤマトンネル」
その名前を口にすると、胸の奥が少しだけざわつく。
おつきみ山の暗さが頭をよぎった。
ジョーイは頷く。
「おつきみ山とはまた違います。もっと暗くて、長い道ですから」
その言葉に、カエデは荷物袋の中のランタンを思い出す。
「野生のポケモンも多いですし、疲れたまま入るのはおすすめしません」
「……そっか」
ジョーイは三匹の方へも目を向けた。
「でも、みんな一緒なら、きっと大丈夫ですね」
コハクが嬉しそうに鳴く。
ニドは少しだけ胸を張って、スイは静かに目を細めた。
「……ありがとう」
カエデは小さく頭を下げる。
「ハナダで、いっぱいお世話になりました」
「いいえ」
ジョーイはやさしく笑った。
「またいつでも寄ってくださいね。ゼニガメちゃんも、ちゃんと元気そうでよかったです」
その言葉に、スイが少しだけ耳を動かす。
カエデはそっとその頭を撫でた。
ポケモンセンターを出ると、朝のハナダシティはもうしっかり動き始めていた。
橋を渡る人たち。水辺で遊ぶポケモン。店先を整える声。
この町に来たばかりの頃は、全部が眩しすぎるくらいに感じたのに、今は少しだけ名残惜しいと思う。
「……行こっか」
そう言うと、コハクが先に歩き出した。
ニドはその少し後ろ、スイはカエデのすぐ隣を歩く。
ハナダシティを抜けてしばらく進むと、町中のやわらかな水の気配は少しずつ遠ざかっていった。
道の脇には草むらが広がり、その向こうには木々の影も見える。
陽射しは明るいけれど、ハナダの中にいた時より空気が少しだけ乾いている。
図鑑の地図を確認しながら、カエデは歩幅を整える。
「……クチバまで行くには、途中でトンネルなんだよね」
ぽつりとそう言うと、ニドが耳をぴくりと動かした。
コハクは相変わらず前を向いたままで、スイは静かに聞いている。
「おつきみ山みたいに、また暗いところかな」
そこまで言ってから、少しだけ笑う。
「でも、前はひとりじゃなかったし、今はもっと違うもんね」
そう言いながら三匹を見る。
コハク。
ニド。
スイ。
名前を呼ぶ前から、それぞれの気配がちゃんと近くにある。
それだけで、前よりずっと大丈夫だと思えた。
昼前、道の途中で少しだけ休憩を取る。
木陰に座って、水を分け合いながら、カエデは空を見上げた。
「……スイ」
名前を呼ぶと、スイが顔を上げる。
「昨日、ほんとにかっこよかった」
言われると思っていなかったのか、スイが少しだけ目を瞬く。
「ハナダジムで、ちゃんと自分で動いてた」
カエデは目を細める。
「お前、水の中だとすごくきれい」
スイはしばらく黙っていたけれど、少しだけ照れたように顔をそらした。
その横で、コハクが不満そうに小さく鳴く。
「分かってるよ」
カエデはすぐに笑って、コハクの頭を撫でた。
「コハクもかっこよかった」
それからニドを見る。
「ニドも、最初の一戦すごかったよ」
ニドは相変わらず照れたみたいにそっぽを向く。
でも、逃げなかった。
「……次はトンネルだから」
カエデはもう一度、荷物袋を軽く叩く。
「明かりもあるし、ちゃんと休みながら行こうね」
その言葉に、三匹がそれぞれ小さく鳴いた。
午後に入ると、道は少しずつ変わっていった。
大きな岩が増えて、草の間から見える地面も、やわらかな土より石が多くなる。
ところどころ道の脇に岩壁みたいな影も見えて、町と町の間から、また別の地形へ入っていくのが分かる。
「……なんか、ちょっと変わってきたね」
カエデがそう言うと、コハクも前を見上げる。
ニドは足元を気にしながら歩き、スイは岩の多い景色を静かに見ていた。
少し進んだ先で、つるはしを背負ったハイカーらしい男の人とすれ違った。
その人はカエデたちを見ると、にこっと笑って手を挙げる。
「お、旅の子か」
「……こんにちは」
「この先に行くのかい?」
「うん。イワヤマトンネルの方へ」
そう答えると、その人は少しだけ感心したように目を細めた。
「へえ、偉いな。あそこは暗いし、野生のポケモンも多いから気をつけなよ」
それから、カエデの足元の三匹を見る。
「でも、頼もしい仲間がいるみたいだ」
コハクが得意そうに鳴いて、ニドは少しだけ胸を張る。
スイは静かにその人を見返した。
「……うん」
カエデは小さく頷く。
「みんないるから、大丈夫だと思う」
その言葉は、前よりずっと自然に出た。
ハイカーと別れてから、しばらく道を進む。
日が少し傾き始めたころ、遠くに大きな岩肌が見えてきた。
「……あ」
カエデは足を止める。
山というほど高くはない。
でも、地面からせり上がるみたいに続く灰色の岩壁の中に、ぽっかりと暗い口が開いているのが見えた。
イワヤマトンネルだ。
遠くから見ても、そこだけ空気が違って見える。
昼の光の中にあるのに、その入口だけはもう夕方みたいに暗かった。
コハクが低く小さく鳴く。
ニドは耳をぴんと立てて、その暗がりを見ている。
スイも、いつもより少しだけ体を固くしていた。
「……着いたね」
口にした瞬間、胸の奥が少しだけ強く打つ。
次の場所。
次の試練。
そういう言葉が、自然と頭に浮かぶ。
でも、ただ怖いだけじゃなかった。
おつきみ山を抜けた時と同じで、ここまで自分たちの足で来たのだという実感があった。
ニビジムも、ハナダジムも越えて、今ここに立っている。
カエデは三匹の方へ向き直った。
「今日は、入口の近くまでにしよっか」
そう言って、少しだけ笑う。
「暗くなってから入るのは、さすがに危ないし」
コハクがすぐに鳴く。
ニドも小さく返して、スイは静かに頷くみたいに目を細めた。
トンネルの手前には、少しだけ開けた場所があった。
岩陰になっていて、荷物を下ろすにはちょうどいい。
カエデはそこへ座り込み、荷物袋を横に置いた。
「……ここまで来たんだね」
言葉にすると、少しだけ現実味が増す。
コハクが近くへ来て鼻先を押しつける。
ニドはその横に座り、スイは少しだけ離れた場所からトンネルの入口を見ていた。
「明日、ここに入るんだよね」
小さくそう言ってから、カエデは三匹を見た。
「また暗いし、ちょっと怖いかも」
正直に言う。
「でも、おつきみ山より長いなら、ちゃんと見て進まないと」
そこで少しだけ笑った。
「ニドは足元係ね」
ニドが少し不満そうに耳を揺らす。
「コハクは前を見てくれる?」
すぐに元気よく鳴く。
「スイは……」
少しだけ考えてから続ける。
「たぶん、水はないけど、落ち着いててくれるだけで助かる」
スイは静かに瞬きをした。
でも、その目はまっすぐカエデへ向いていた。
「……よし」
カエデは小さく頷く。
怖くないわけじゃない。
でも、ちゃんと準備して、ちゃんと休んで、明日進めばいい。
夕方の光が、トンネルの岩肌を少しだけ赤く染めていた。
その前で四つの影が長く伸びる。
ハナダシティを越えて、またひとつ先へ。
カエデたちは、イワヤマトンネルの入口まで来ていた。