暗がりの奥で、小石を踏む音がもう一度した。
かり、と乾いた音。
それに続いて、かすかな明かりが揺れる。
カエデはランタンの取っ手を握ったまま、じっと前を見る。
コハクが低く唸り、ニドは小さな体をきゅっと固めた。
スイも、静かにその気配を追っている。
やがて、暗がりの向こうから別の灯りが見えた。
ゆらゆら揺れる小さな明かり。
それと一緒に、人影がゆっくり近づいてくる。
「……誰か、いるのか?」
先に聞こえたのは男の人の声だった。
警戒しているけれど、怒っている感じではない。
カエデは少しだけ息をついてから、小さく答える。
「……います」
その声に、向こうの影が止まった。
「通ってるだけ、です」
数秒の沈黙のあと、相手の灯りが少し近づく。
姿を見せたのは、つるはしと大きな袋を背負った中年くらいの男の人だった。
岩山を歩き慣れていそうな服を着ていて、ランタンを片手にこちらを見ている。
「なんだ、旅の子か」
男の人はほっとしたように息を吐いた。
「びっくりさせないでくれよ」
「……そっちも」
思わずそう返してしまって、カエデは少しだけ気まずくなる。
でも男の人は気にした様子もなく、小さく笑った。
「はは、たしかにな」
それから足元の三匹を見て、少しだけ目を丸くする。
「ガーディに、ニドラン♂に、ゼニガメか。ずいぶん頼もしいな」
コハクが少し得意そうに鳴く。
ニドは慎重に相手を見ていて、スイはカエデのすぐ隣に寄った。
「この先に行くのか?」
男の人がそう聞く。
「……うん」
カエデが頷くと、男の人は顎に手をやった。
「だったら気をつけろ。少し先で道がまた分かれてる。右は崩れやすくて、イシツブテがよくいる」
「……左の方がいい?」
「今はな」
その人はランタンを持ち上げて、通路の奥を少し照らした。
「左は少し遠回りだが、休める窪みがある。暗いところで無理するよりマシだ」
「……ありがとう」
素直にそう言うと、男の人は少しだけ目を細めた。
「焦らず進みな。トンネルは逃げない」
その言い方が、ジョーイの言葉に少し似ていて、カエデは小さく頷く。
「はい」
「よし。それじゃ、俺は入口の方へ戻るから」
そう言って男の人は手を軽く挙げた。
「明かり、ちゃんと消すなよ」
「……うん」
人影と灯りが遠ざかっていく。
足音が消えて、またトンネルの静けさが戻った。
「……びっくりしたね」
カエデが小さくそう言うと、コハクが喉を鳴らした。
ニドも、やっと少しだけ力を抜いたみたいに耳を揺らす。
スイは静かに瞬きをした。
「でも、助かったかも」
カエデは図鑑を開いて、さっき聞いた分かれ道の位置をざっと確かめる。
「左、だね」
少しだけ休んでから、四人はまた歩き出した。
ランタンの明かりは相変わらず頼りないくらい小さい。
でも、それでもあるのとないのでは全然違う。
壁に映る影が動くたびに少し怖いけれど、その光の輪の中にみんながいると分かるだけで、前へ進めた。
しばらく歩くと、男の人が言っていた通り、通路はまた二つに分かれていた。
右は岩がごろごろしていて、足場も悪そうだ。
左は少し狭いけれど、地面はまだましに見える。
「……左、行こっか」
コハクが先に一歩進む。
ニドはその場で地面を見てから、カエデのすぐ前に出た。
スイも、今日は迷わずついてくる。
左の道は最初こそ静かだった。
でも、奥へ進むほど空気が少しずつ変わる。
ひんやりしているのに、どこかこもった感じが強くなる。
上の方から、羽音みたいなものが時々聞こえた。
「……ズバット、かな」
小さく呟いた、その時だった。
ばさっ、と頭上で大きく羽音がした。
「……っ!」
思わずしゃがみそうになる。
ランタンの光のすぐ外を、黒い影が何か横切った。
一匹じゃない。
二匹、三匹。
暗がりの中で、赤い目だけがきらっと光る。
「コハク!」
カエデが呼ぶと、コハクが前へ出る。
でも、飛びかかってくる相手に火を使うのは危ない。
狭い通路の中で火を散らしたら、こっちも見えなくなるかもしれない。
「ひのこはだめ……っ、にらみつける!」
コハクが鋭く顔を上げる。
低い唸りと視線に、飛びかかろうとしていたズバットの一匹がわずかにひるんだ。
でも、その横から別の影が滑り込んでくる。
「ニド、右!」
ニドがすぐに動く。
壁際を蹴るようにして位置を変え、飛び込んできたズバットの下へつつくを入れた。
乾いた音と一緒に、ズバットがバランスを崩して下がる。
「いいよ……!」
カエデの声が少しだけ強くなる。
「スイ、上!」
スイがランタンの明かりの中へ一歩出る。
水のない場所でのバトルは得意じゃないかもしれない。
でも、その目はちゃんと動く影を追っていた。
「みずでっぽう!」
細い水の弾が、低く飛んできたズバットへ当たる。
狭い通路の中で水が散って、影がばさばさと乱れる。
三匹が揃って前を向いたことで、ズバットたちの方も一気に来づらくなったらしい。
数匹の影が頭上を大きく旋回したあと、そのまま暗がりの奥へ離れていく。
静けさが戻る。
「……はぁ」
カエデはようやく息を吐いた。
思っていたよりずっと肩に力が入っていたらしい。
「みんな、だいじょうぶ?」
コハクはすぐに振り返って鳴く。
ニドも小さく声を返し、スイは静かに頷くみたいに目を細めた。
「……よかった」
それから少しだけ笑う。
「ちゃんとやれたね」
コハクは嬉しそうにしっぽを振る。
ニドは照れくさそうに顔をそらした。
スイはまだ少し緊張しているみたいだったけれど、逃げなかったことが何より大きかった。
「スイ」
名前を呼ぶと、視線がこちらに向く。
「今の、すごくよかったよ」
小さく、でもはっきり言う。
「水がなくても、ちゃんと見てた」
スイの目が少しだけ揺れた。
でも今度は、そのまま小さく鳴いてくれた。
「……うん」
カエデはランタンを持ち直す。
暗い通路の先は、まだまだ続いている。
でも、さっきみたいなことがあっても、三匹と一緒ならちゃんと対処できるかもしれない。
そんな気持ちが、ほんの少しだけ生まれていた。
もう少し進むと、男の人が言っていた通り、壁の一部が少し窪んだ場所があった。
通路より一段高くて、四人で休むにはちょうどいい広さだ。
「……ここかな」
カエデはランタンを置いて、壁にもたれた。
足が少しだけ疲れている。
でも、さっきまでの怖さはもう少し薄くなっていた。
コハクは窪みの入口側で伏せて、ニドはカエデのすぐ近くへ座る。
スイは少しだけ通路の奥を気にしながらも、最後にはカエデの隣へ来た。
「……入ってすぐはどうなるかと思ったけど」
そう言って、カエデは小さく笑う。
「なんとかなるもんだね」
その言葉に、コハクが短く鳴く。
ニドも耳を揺らし、スイは静かに目を閉じた。
「でも、まだ途中だし」
カエデは図鑑の地図を開く。
現在地は思っていたよりも、まだ入口寄りだった。
「今日は、ここより先に行けるとこまで行って……もう一回休める場所、探したいな」
おつきみ山より長い。
ジョーイの言葉が頭をよぎる。
だったら、焦らない方がいい。
今日抜けることにこだわらなくてもいいのかもしれない。
「……ね」
カエデは三匹を見る。
「みんなとなら、大丈夫な気がする」
コハクが喉を鳴らす。
ニドは少しだけ得意そうに胸を張った。
スイは昨日までよりずっと自然に、カエデの手の近くへ額を寄せる。
その重みがあたたかくて、カエデはそっと目を細めた。
暗いトンネルの中でも、ちゃんと前へ進める。
その実感が、少しずつ形になってきていた。
カエデはもう一度ランタンを手に取る。
小さな灯りが、また岩の壁を照らした。
「……よし」
今度は、少しだけ自信のある声だった。
「もう少し、進もっか」
コハクが先に立ち上がる。
ニドがそのあとに続き、スイも静かに歩き出す。
そしてカエデも、三匹と一緒にまた暗がりの先へ足を踏み出した。