朝、目を覚ました時、シオンタウンの空は薄く白んでいた。
窓の外には、昨日と同じ静かな町並みが広がっている。
人の姿はあるのに騒がしくはなくて、水の町だったハナダとはまるで違う朝だった。
カエデは布団の中で少しだけ目を瞬いてから、ゆっくり体を起こした。
ベッドのそばではコハクが丸くなっていて、ニドは少し離れた場所で静かに眠っている。
スイは窓の近くで伏せたまま、もう起きていたらしい。外をじっと見ていた。
「……おはよ」
小さく声をかけると、コハクが先に耳を動かした。
ニドも少し遅れて目を開ける。
スイは振り返って、静かに瞬きをした。
昨日、ジョーイに聞いた話がまだ胸の中に残っている。
ポケモンタワー。
亡くなったポケモンたちのための場所。
だからこの町は、ただ暗いんじゃなくて、静かなのだと。
「……今日は、町を少し見てみよっか」
そう言うと、コハクがすぐに鳴いた。
ニドは少しだけ耳を揺らして、スイは黙ったまま立ち上がる。
食堂で朝食を済ませてから、四人で外へ出る。
朝のシオンタウンは、昼よりもさらに音が少なかった。
開き始めた店の扉の音も、誰かが話す声も、全部が遠慮がちに聞こえる。
通りをゆっくり歩きながら、カエデは昨日より少し落ち着いてまわりを見ることができた。
古い木の看板。
窓辺に飾られた白い花。
通りの端を静かに歩くロコン。
どれも派手じゃないのに、ちゃんとこの町の色を作っている。
「……きれい、だね」
ぽつりと零すと、コハクが顔を上げる。
ニドは足元を見ながら歩いていて、スイは少しだけカエデの近くへ寄った。
最初に立ち寄ったのは、昨日遠くから見えた花屋だった。
店先には白や紫の花が並んでいて、どれもやわらかく揺れている。
おばあさんがひとりで店番をしていて、カエデたちを見ると穏やかに笑った。
「おはよう。旅の子かい?」
「……おはようございます」
カエデが小さく頭を下げると、おばあさんは目を細める。
「シオンは初めてかね」
「……うん」
おばあさんは、コハクたちを見てから、花の一つをそっと持ち上げた。
薄い紫色の花だった。
「この町ではね、花を買う人が多いんだよ」
やわらかい声だった。
「会いに行く人が、たくさんいるからね」
その言葉に、カエデの視線が自然と町の奥へ向く。
遠くに見える高い建物。
ポケモンタワー。
「……そうなんだ」
小さく返すと、おばあさんは頷いた。
「でも、悲しいだけの町じゃないよ」
そう言って、花を元の場所へ戻す。
「ちゃんと想ってもらえる子たちがいる町だからね」
その言い方が、昨日ジョーイに言われたことと少し似ていて、カエデは静かに目を細めた。
「……うん」
花屋を離れてからも、その言葉はしばらく胸の中に残っていた。
悲しいだけの町じゃない。
そう思って見ると、町の静けさも少し違って感じられる。
ただ重いだけじゃなくて、大事にするための静けさなのかもしれなかった。
しばらく歩いていると、小さな広場のような場所に出た。
そこからはポケモンタワーがよく見える。
町の中でいちばん高くて、薄い灰色の壁が空へ伸びていた。
昼間なのに、そこだけ少しだけ影が深く見える。
カエデは足を止める。
「……あれが、そうなんだね」
コハクも立ち止まって見上げる。
ニドは少しだけ耳を立てていて、スイはじっとその姿を見ていた。
高い。
静か。
でも、怖いだけじゃない。
そう思えるのは、昨日より少しだけこの町のことを知れたからかもしれない。
「……今日は、まだ入らなくていいかな」
誰にともなくそう言う。
自分で言って、自分で少しだけほっとした。
無理に急がなくてもいい。
この町に着いたばかりなのだから、まずは空気に慣れてもいいはずだ。
コハクが足元に鼻先を押しつける。
ニドも小さく鳴いて、スイは静かにこちらを見る。
「……うん、ありがと」
そのまま広場の端のベンチみたいな石に腰を下ろす。
風が吹くと、遠くの鈴みたいな音が聞こえた。
どこかの家の飾りかもしれないし、ただの風音かもしれない。
でも、シオンタウンではそういう曖昧な音まで町の一部みたいに思えた。
「コハク」
名前を呼ぶと、すぐに顔を上げる。
「お前、この町どう思う?」
コハクは少しだけ首を傾げて、それから短く鳴いた。
警戒はしているけれど、嫌いではない、みたいな声に聞こえる。
「ニドは?」
聞くと、ニドは少し考えるみたいに耳を揺らしてから、足元の石を一度だけ前足で叩いた。
静かな場所は落ち着くけれど、ちょっと気を張る、みたいな感じだろうか。
「……スイは」
最後に名前を呼ぶ。
スイは少し間を置いてから、タワーの方を見て、それから小さく鳴いた。
その声を聞いた瞬間、カエデは少しだけ目を伏せた。
たぶん、スイにとってはこういう町は、ただ静かなだけじゃないのかもしれない。
捨てられたこと。
ひとりだったこと。
ちゃんと覚えている痛みが、少しだけ近くなるような場所なのかもしれなかった。
「……そっか」
カエデはそっとスイの甲羅の端を撫でる。
「無理しなくていいからね」
やわらかくそう言う。
「ここで、何か急いで思い出さなくてもいいし」
言いながら、自分にも言っている気がした。
「怖かったら、ちゃんと怖いままでいいから」
スイは黙ったままだった。
でも、逃げなかった。
そのまま、少しだけカエデの手に体を寄せる。
昼前になると、町に少しだけ人の気配が増えた。
それでも騒がしくはない。
シオンタウンは、昼になってもずっと静かなままだった。
通りの端で、小さな女の子がロコンを抱いて歩いているのが見えた。
近くの家の前では、おじいさんが花に水をやっている。
そういう日常の景色が、この町にもちゃんとあるのだと分かる。
「……普通の町なんだよね」
思わずそう呟く。
ポケモンタワーがある町。
静かな町。
でも、それだけじゃなくて、人が暮らして、ポケモンと一緒に過ごしている町でもある。
そのことが分かると、少しだけ呼吸がしやすくなった。
昼食はポケモンセンターへ戻って取ることにした。
静かな町を歩いているだけなのに、思っていたより神経を使っていたらしい。
部屋に戻って椅子へ座ると、ふっと力が抜けた。
「……ちょっと疲れたかも」
そう言うと、コハクがすぐに膝へ鼻先を寄せる。
ニドは近くの床へ座って、スイは窓辺じゃなくてカエデの手の届く位置に落ち着いた。
「……でも、来てよかった」
三匹を見ながら、ぽつりと続ける。
「シオンタウン、ちゃんと見られてよかった」
ハナダの明るさとも、ニビの重たさとも違う。
シオンタウンには、シオンタウンのやさしさがある。
まだ全部は分からない。
でも、知らないまま怖がるより、ずっとよかった。
窓の外には、昼の光を受けた町が静かに広がっている。
その向こうに、ポケモンタワーの影も見える。
カエデはしばらくそれを眺めてから、小さく息を吐いた。
「……明日、かな」
誰にともなくそう言う。
「タワー、行くなら」
コハクが耳を立てる。
ニドも顔を上げて、スイは静かに目を細めた。
「今日は、ここまででいいよね」
その言葉に、三匹が小さく返事をする。
カエデはそっと笑った。
「うん。ありがと」
シオンタウンに着いた次の日。
町を少しだけ歩いてみて、静けさの意味に少しだけ触れて。
それだけでも、この一日は十分だった。
カエデは三匹の気配を近くに感じながら、昼のやわらかい光の中で、もう一度だけ窓の外の町を見つめた。