誰にも祝われない旅立ち   作:ひよこ大福

4 / 46
最初の道

マサラタウンを背にしてから、どれくらい歩いただろう。

 

振り返ればまだ町の屋根は見える距離にあったはずなのに、いつの間にかそれも木立に隠れていた。

代わりに目の前にあるのは、まっすぐ伸びる土の道と、風に揺れる草むらだけだ。

 

カエデは肩に掛けた古い袋の位置を直し、少しだけフードを深くかぶった。

朝より高くなった日差しが白い髪に落ちる。眩しさに目を細めると、隣を歩いていたガーディがこちらを見上げた。

 

「……平気」

 

そう言うと、ガーディは納得したように前を向いた。

 

一人で生きてきた二年間、町の外へ出ることはほとんどなかった。

森へ木の実を取りに行くことはあっても、それはあくまで“帰るため”の外だった。

でも今は違う。

今日は戻るためじゃない。

進むために歩いている。

 

その事実が、足元を少しだけ軽くしていた。

 

道端の草の先に、小さな影が跳ねた。

コラッタだ。

茶色い体が草の中へ消えていくのを見て、カエデは脇に抱えていた図鑑をそっと取り出す。

 

新品の表面はまだ固く、開くたびに少し緊張する。

スイッチを押すと、機械音声が響いた。

 

『コラッタ。ねずみポケモン。なんでもかじってしまうため、家の木材や食べ物を荒らすことがある』

 

淡々とした説明を聞き終えて、カエデは小さく息を吐く。

 

「……本当に喋るんだな」

 

研究所でもらった時は、ただ手渡された道具でしかなかった。

けれどこうして道の上で使うと、旅に出た実感が少しずつ形になる。

 

ガーディが図鑑に鼻を近づけた。

気になるらしい。

 

「お前のも見てみるか」

 

そう言って図鑑を向ける。

ガーディは一歩引いたが、逃げはしなかった。

 

『ガーディ。こいぬポケモン。人になつきやすく、賢い性質を持つ。忠誠心が強く、主人を守るためなら恐れず立ち向かう』

 

そこまで聞いて、カエデはそっと視線を落とした。

 

人になつきやすい。

そう言われても、目の前のガーディは最初から誰にでも懐くような子ではなかった。

森で出会った時は、痛めた前足を庇いながら、低く唸って近づくもの全部を拒んでいた。

あの時の警戒を知っているからこそ、今こうして隣を歩いてくれることが、余計に特別に思える。

 

「……忠誠心、強いって」

 

ぽつりと呟くと、ガーディは首を傾げた。

カエデはその頭を軽く撫でる。

 

「そのままだな」

 

撫でられると気持ちよさそうに目を細める。

その反応だけで、胸の奥に張っていた何かが少しやわらいだ。

 

道はやがて森の縁に沿うように続いていた。

草の匂いに混じって、土と木の湿った匂いが濃くなる。

時折、ポッポの羽音が頭上を横切り、ビードルが木の幹を這う姿が見えた。

 

旅は始まったばかりなのに、世界はもうマサラタウンの外の顔を見せ始めている。

 

ぐう、と小さく腹が鳴った。

 

カエデは立ち止まり、袋の中を探る。

朝の残りの固いパンが少しと、干した木の実がいくつか。

多くはない。

でも、尽きるまではまだ余裕がある。

 

「休むか」

 

道から少し外れた木陰にしゃがみ込み、パンを半分に割る。

自分の分より先に、ガーディへ木の実を差し出した。

 

「食べろ」

 

ガーディは差し出された実とカエデの顔を見比べる。

それから自分の分だけ咥えると、残りのパンに鼻先を寄せて、押し返すように前足で触れた。

 

「……いらないのか」

 

もう一度差し出しても、ガーディは食べない。

代わりにカエデの手元へ鼻先を寄せ、くん、と小さく鳴いた。

 

分かった瞬間、少しだけ目を見開く。

 

「……お前」

 

自分に食べろと言っているのだ。

 

人間相手なら、そんなふうに譲られたことはほとんどなかった。

カエデはしばらく何も言えずにいたが、やがて小さく息を吐いた。

 

「じゃあ、半分ずつ」

 

もう一度パンを割り、今度は同じ大きさにして片方を渡す。

ガーディは満足そうに受け取った。

 

二人で並んで食べる固いパンは、いつもの朝より少しだけましに感じた。

 

食べ終えて、また道に戻る。

昼に近づくにつれて日差しは強くなり、カエデは自然と影の多い側を選んで歩くようになった。

長く歩いていると、旅慣れていない体に少しずつ重さが溜まっていく。

それでも口には出さず、ただ足を前に出した。

 

その時だった。

 

草むらの奥から、甲高い鳴き声が響いた。

 

カエデはすぐに足を止める。

ただの鳴き声じゃない。怯えた、短い悲鳴に近い音だった。

 

「ガーディ」

 

名前を呼ぶより早く、ガーディの耳がぴんと立つ。

二人で音のした方へ駆け寄ると、草の陰の小さな窪地で、一羽のポッポの雛が羽をばたつかせていた。

まだうまく飛べないのか、地面から離れられない。

その前に、コラッタが二匹、じりじりと距離を詰めていた。

 

カエデはすぐに状況を呑み込む。

巣から落ちた雛を狙っているのだ。

 

コラッタの一匹が飛びかかった。

ポッポが小さく鳴く。

 

「ガーディ!」

 

呼んだ瞬間、ガーディが土を蹴った。

低く唸りながらコラッタの前へ割って入る。

ぶつかる寸前で体をひねり、相手を横へ弾き飛ばした。

 

もう一匹が背後から飛びかかる。

カエデはとっさに叫ぶ。

 

「右っ」

 

ガーディはすぐに振り返り、鋭く吠えた。

ひるんだ隙に前へ出て、体当たりで押し返す。

 

二匹のコラッタはすぐには逃げない。

獲物を取られた苛立ちで歯を剥き、低く唸り声を漏らす。

 

カエデは息を整えた。

森で野生ポケモンと距離を取ることには慣れていたけれど、こうして正面から向き合うのは初めてだ。

それでも、不思議と頭は冷えていた。

 

コラッタの視線はガーディに向いている。

背後のポッポへ行かせなければいい。

 

「ガーディ、ひだり」

 

短く言う。

ガーディはすぐ左へ回り込んだ。

一匹が追うように動き、もう一匹がわずかに遅れる。

 

「今、ひのこ!」

 

次の瞬間、ガーディの口元に赤い火の粉が灯った。

小さな炎が弾けるように飛び、前にいたコラッタの足元で散る。

驚いて飛び退いたところへ、ガーディがさらに一歩踏み込んだ。

 

炎そのものは大きくなかった。

けれど野生のコラッタにとっては十分だったらしい。

二匹は威嚇するように鳴いたあと、草むらの奥へ一目散に逃げていく。

 

静けさが戻る。

 

カエデは息を吐き、すぐに雛ポッポの方へしゃがみ込んだ。

まだ震えているが、大きな怪我はなさそうだ。

 

「……大丈夫か」

 

そう声をかけると、ポッポは怯えた目でこちらを見上げた。

人に慣れていないのだろう。

無理に触れず、カエデは少しだけ距離を取る。

 

その時、頭上で大きな羽音がした。

見上げると、成鳥のポッポが低く旋回している。

親だろうか。

 

カエデはゆっくり立ち上がり、雛から離れた。

ガーディもすぐに後ろへ下がる。

 

成鳥は警戒しながら降りてきて、雛の前に立つ。

雛が安心したように鳴くのを見て、カエデはようやく肩の力を抜いた。

 

親ポッポは一度だけこちらを見る。

それが礼だったのか、ただの警戒だったのかは分からない。

それでも次の瞬間には、雛を促すようにして木立の向こうへ消えていった。

 

残された草むらに風が通り抜ける。

 

「……よかったな」

 

呟くと、隣でガーディが得意そうに胸を張った。

その姿に、カエデは少しだけ口元をゆるめる。

 

「お前も、ありがとう。よく動いた」

 

頭を撫でると、ガーディは嬉しそうに目を細めた。

 

誰かと力を合わせる、というのはこういう感じなのかもしれない。

相手が人間ではなくても、一人で生きるのとは違う感覚だった。

 

再び道に戻ると、さっきまでの景色が少し違って見えた。

何も起こらないただの道ではない。

ここには野生の暮らしがあって、危険もあって、助けられる命もある。

旅に出るというのは、ただ町を出ることじゃないのだと、少しだけ分かった気がした。

 

歩き続けるうちに、遠くの木々の向こうに大きな緑が見えてきた。

トキワの森だ。

その手前には、町の屋根も少しだけ覗いている。

 

「……やっと着くな」

 

カエデがそう呟くと、ガーディは前方を見て小さく鳴いた。

 

マサラタウンを出たばかりなのに、もう次の場所が見えている。

その事実は心強くもあり、少しだけ怖くもあった。

 

でも、足は止まらない。

 

カエデは図鑑を抱え直し、ガーディと並んで道の先を見る。

知らない町。知らない森。知らない人たち。

何が待っているのかは分からない。

 

それでも、隣にガーディがいるだけで、世界は少しだけ怖くなくなる。

 

「行こう」

 

今度は迷いなく言えた。

 

風が前から吹いてくる。

カエデはその中へ、一歩ずつ踏み出していった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。