Fate/stay night [Alter Ego of Calamity] ――理外の双貌 作:りー037
呪いの王と、宝石の魔術師
【時刻:某年2月X日 午前1:15】
【場所:冬木市・遠坂邸 二階、凛の私室】
深夜の冬木市は、まるで世界そのものが凍りついてしまったかのような静寂に包まれていた。
窓ガラスの向こう側で、冷たい風が木々の枝を揺らす音が微かに聞こえる。遠坂邸の厚い壁に守られた室内であっても、肌を刺すような冬の冷気は容赦なく忍び込んでくる。
遠坂凛は、豪奢なアンティークチェアに深く腰掛け、自身の掌をじっと見つめていた。
時刻は午前一時を回ったところ。本来ならば深い眠りに落ちているべき時間帯だが、彼女の神経は研ぎ澄まされた刃のように覚醒し、魔術回路は微かな熱を帯びて脈打っている。
「……いよいよ、ね」
ぽつり、と。乾いた唇から零れ落ちた呟きは、誰に聞かせるためのものでもない。ただ、己の内に渦巻く熱情を確かめるための儀式のようなものだった。
聖杯戦争。
七人の魔術師(マスター)が、七騎の英霊(サーヴァント)を召喚し、あらゆる願いを叶えるという万能の願望機『聖杯』を巡って殺し合う、血塗られた魔術儀式。
遠坂の家系に生まれた彼女にとって、それは単なるお伽話でも、降って湧いた災難でもない。物心ついた頃から、その身に課せられた絶対の『義務』であり、遠坂の悲願であった。
凛の脳裏に、今は亡き父、遠坂時臣の背中がフラッシュバックする。
常に優雅であれと説いた父。魔術師としての誇りと、冷酷なまでの合理性を持ち合わせていた父。彼が前回の聖杯戦争で命を落としたという事実は、凛の心に暗い影を落としていると同時に、決して消えることのない業火を点火していた。
(お父様が成し遂げられなかったこと。遠坂の当主として、私が必ず証明してみせる)
ぎゅっと、掌を握り込む。爪が皮膚に食い込む痛みで、僅かな雑念すらも排除する。
恐怖がないと言えば嘘になる。これから始まるのは、机上の空論ではない、正真正銘の殺し合いだ。敗北はすなわち死を意味する。しかし、そんな恐怖を凌駕するほどの「熱」が、彼女の胸の奥底で渦を巻いていた。
勝利への執着。己の魔術への絶対的な自信。そして、最強の座たる『セイバー』のクラスを召喚するという確固たる意志。
彼女は机の上に置かれた、父の遺品であるペンダントを一瞥した。これといった聖遺物(触媒)を用意していない彼女にとって、自身の魔力と、遠坂の土地の力、そして自身の波長こそが最強のサーヴァントを引き当てる鍵となる。
「……行くわよ。準備は完璧。時間も、魔力も、私の状態も。これ以上ないくらいに仕上がってる」
凛は立ち上がった。赤いコートを羽織り、深く息を吸い込む。
肺の奥まで冷たい空気を満たし、それをゆっくりと吐き出す過程で、彼女は「女子高生・遠坂凛」から「魔術師・遠坂凛」へと完全に切り替わった。瞳に宿る光は鋭く、その足取りに一切の迷いはない。
目指すは、地下工房。
聖杯戦争の幕開けを告げる、運命の場所へ。
【時刻:午前1:45】
【場所:冬木市・遠坂邸 地下工房】
カツン、カツン、と。石造りの階段を下りる靴音が、冷たく淀んだ空気に反響する。
地下工房の扉を開けると、そこには長年蓄積された魔力と、埃、そして微かなオゾンのような匂いが立ち込めていた。外界から完全に遮断された、魔術師の神聖なる領域。
床の中央には、すでに召喚のための魔法陣が描かれている。
凛は冷たい石の床に膝をつき、最後の手直しを行う。水銀と自身の血を混ぜ合わせた特殊なインクで、魔法陣の欠けた部分を緻密に、そして完璧に繋ぎ合わせていく。一ミリの狂いも許されない。魔法陣は、異世界から強大な存在を引っ張り上げるための命綱であり、同時に彼らを縛るための檻でもあるのだ。
「……ふぅ」
額に滲んだ汗を手の甲で拭い、凛は立ち上がった。
魔法陣の周囲に配置した宝石が、彼女の魔力に呼応して鈍い光を放ち始める。準備は整った。あとは、魔力が最も高まる午前二時丁度を待つだけだ。
凛は、壁に掛けられた古めかしい時計を見上げた。
針は、刻一刻と約束の時間へと近づいている。
(私の全魔力を注ぎ込む。回路の接続、同調、すべてに一切の妥協はしない。喚び出すのは、最高の剣士。私に相応しい、最強のサーヴァント……!)
鼓動が早鐘のように打つ。血液の代わりに、液状化した熱い魔力が全身の血管を駆け巡り始める感覚。四十のメイン回路、三十のサブ回路×2が、一斉に悲鳴を上げながら開いていく。
痛い。熱い。全身の内側から炎で焼かれているような激痛。しかし、凛はその痛みを力技でねじ伏せ、唇を噛み締めて笑みを浮かべた。
「これくらい……遠坂の当主には、どうってことないわ……!」
時計の針が、午前二時を指す。
――その瞬間、遠坂凛の時計が、一時間ほど進んでいたことなど、彼女は知る由もなかった。
「告げる――!」
凛の声が、地下工房の静寂を切り裂いた。
それは、世界に干渉するための呪文。自身の魂を削り、理外の存在を現世に縛り付けるための契約の言葉。
「汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
聖杯の召喚に従い、この意、この理に従うならば応えよ」
バチバチと、魔法陣から青白い火花が散る。周囲の空気が急速に重さを増し、重力そのものが歪んだかのような錯覚に陥る。
「誓いを此処に。
我は常世総ての善と成る者、
我は常世総ての悪を敷く者。
汝三大の言霊を纏う七天、
抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ――!!」
最後の言葉を紡ぎ終えた瞬間、魔法陣から爆発的な光が溢れ出した。
いや、それは光ではなかった。
(……え?)
凛の瞳孔が限界まで収縮する。
溢れ出したのは、神々しい英霊の輝きなどではなかった。泥のように重く、底なしの闇のようにどす黒い「何か」。
空間が軋みを上げ、工房内のマナが悲鳴を上げて逃げ出していくような、異常な感覚。
ドクン、と。
凛の心臓が、本能的な、そして根源的な警鐘を鳴らした。
息ができない。工房内の空気が一瞬にして「致死の毒」にすり替わったかのような錯覚。魔術回路が恐怖に粟立ち、膝がガクガクと震え出す。強靭な精神力を持つ凛でさえ、その場にへたり込みそうになるのを、己の足に爪を立てるようにして必死に堪えた。
召喚の煙――いや、呪力の澱みが、ゆっくりと晴れていく。
魔法陣の中心に立っていたのは、甲冑を着た騎士でも、ローブを纏った魔術師でも、赤い外套の弓兵でもなかった。
そこにいたのは、一人の少年だった。
ツンツンと跳ねた黒い髪。細身だが、無駄のない筋肉が備わった体躯。現代の高校生くらいの年齢、白色の和装。
一見すれば、どこにでもいる普通の少年のように見える。
だが、その顔、腕、露出した肌の至る所に、異様な「紋様」が刻まれていた。
そして何より、その存在感。
少年の器を完全に凌駕し、世界そのものに己の存在を押し付けるかのような、圧倒的で暴虐な圧力。魔力とは似て非なる、底なしの負のエネルギー。
【――呪いの王――】
ただそこに「在る」だけで、空間の位相が歪んでいる。彼が呼吸をするたびに、周囲の空気が恐怖に震えているように感じられた。
「……ほう」
少年――両面宿儺は、ゆっくりと目を開けた。
自身の両の掌を見つめ、何度か指を動かす。伏黒恵の肉体。呪力の出力、肉体の練度、五条悟と死闘を繰り広げた際の「最高潮(ピーク)」の感覚が、隅々まで満ちている。
だが、彼の内面は驚くほど凪いでいた。
(……なるほど。俺はあの小僧のブレない理想の前に敗れ、灰になったはずだが。死後の世界から、こうして見知らぬ法則の器に押し込められたというわけか)
死の直前、彼は己の生き方の限界――「身の丈」を完全に悟り、そして受容していた。人間を虫ケラのように殺し、己の快楽のみを追求した「歩く天災」としての生。それをやり切ったという絶対的な満足感と、その果てに訪れた敗北に対する、一切の言い訳のない潔さ。
憑き物が落ちたような、ある種の老成した精神状態。
「……おい、小娘」
宿儺は、床にへたり込みそうになりながらも、必死に自分を睨みつけている赤い服の少女を見下ろした。
「ここは何処だ? 随分と空気が薄っぺらいが……俺をこの『器』に喚び出したのは、お前か?」
その声は、重低音の刃のようだった。殺意はない。激昂もしていない。
ただ、圧倒的な強者が放つ、自然体ゆえの覇気。
凛は奥歯を噛み締め、口の中に血の味が広がるのを感じながら、震える足に鞭打って立ち上がった。
相手が何者かは分からない。セイバーではないことだけは確かだ。しかし、ここで視線を逸らせば、自分が自分ではなくなってしまう気がした。遠坂の魔術師としての矜持が、ここで屈することを絶対に許さない。
「……ええ、そうよ。私があなたを召喚したマスター、遠坂凛。あなた、クラスはなによ。セイバー?」
虚勢だ。声が微かに震えているのを、凛自身が一番よく分かっていた。
宿儺は、そんな凛の姿をじっと見つめた。
「クラス、マスター……か。なるほど、頭の中に妙な知識が流れ込んできている。聖杯戦争……殺し合いの儀式か。暇つぶしにはなりそうだな」
宿儺はくつくつと喉の奥で笑い、首をポキリと鳴らした。
かつての、すぐに周囲を微塵切りにするような苛烈な殺意はない。だが、その瞳の奥には、彼が「呪いの王」であるという事実を隠しきれない深淵が覗いていた。
「俺のクラスは『アルターエゴ』らしい。だが、そんな枠組みはどうでもいい」
宿儺は一歩、凛へと歩み寄る。
石の床を、裸足の足が踏みしめる音が響く。それだけで、凛は自身の首筋に冷たい刃を、あるいは巨大な獣の牙を当てられたような錯覚に陥った。不可視の斬撃『解』と『捌』の気配を、魔術師の直感が無意識に感じ取っていたのだ。
「俺は両面宿儺。好きに喰らい、好きに殺す。……だが」
宿儺はそこで言葉を区切り、面白そうに凛を見つめた。
強がりながらも、決して目を逸らさないその意志の強さ。死の恐怖を前にしても、己の足で立とうとする気高い魂。
かつて彼が認めた、伏黒恵や、自分を打ち破った虎杖悠仁に見出したような「折れない芯」の気配が、この少女にも確かにある。
「俺の生き方は一度、終わりを迎えた。だからこそ、今度の生は少し趣向を変えてみるのも悪くない。いいだろう、小娘。お前のその安い矜持、俺が隣で見ていてやる」
宿儺は制服のポケットに手を突っ込み、ひどく穏やかな、それでいて王としての絶対的な傲慢さを隠さない笑みを浮かべた。
「せいぜい、俺を楽しませろ。つまらなくなったら、その時は――お前を最初の供物にしてやる」
その言葉には、一切の嘘が含まれていなかった。
彼は角がとれたとはいえ、善人になったわけではない。己の尺度で世界を測る暴君であることに変わりはない。ただ、かつてのように手当たり次第に破壊するのではなく、「少し様子を見て、違う生き方(選択)を試してみる余裕」が生まれただけだ。
「っ……言ったわね、この。私がマスターなんだから、私の指示には絶対に従ってもらうわよ。令呪だってあるんだから!」
強がる凛の言葉を、宿儺は「ふっ」と鼻で笑って受け流した。
かつての彼であれば、その生意気な態度だけで、少女の首は床に転がっていたはずだ。しかし、精神的な極致(最終到達点)にある今の宿儺は、そんな人間の「足掻き」すらも、一つの景色として楽しむだけの度量(ゆとり)を持ち合わせていた。
「勝手にしろ。ただし、俺が『不快』だと思った時は、その赤い腕ごと切り落としてやるから覚悟しておけ」
冬木の地の底で、二つの視線が交錯する。
聖杯戦争の理から完全に逸脱した規格外の怪物。精神的完成状態と戦闘的最盛期を同時に保持した複合時間軸霊基。
呪いの王にしてアルターエゴ、両面宿儺は、かくして現界を果たした。
ここから始まるのは、聖杯を巡る魔術師たちの戦いであると同時に、一人の傲慢な王が「新たな暇つぶし」の果てに何を見るのかという、未知の観測の始まりでもあった。
息抜きがてら見切り発車で書きました。
どれくらい書くか現時点で不明です。
諏訪部さんが別の諏訪部さんになったみたいな作品ですね。
読んでくれる方の需要を感じれば続く、……続くかもし………れない。
モチベーション上げるために感想と評価まってます。
ちなみ、褒められると伸びるたいぷです、僕は