Fate/stay night [Alter Ego of Calamity] ――理外の双貌 作:りー037
【時刻:午前1:15】
【場所:冬木市・郊外の森】
ガァァァァァンッッ!!!
神話の英雄が振るう無銘の斧剣と、呪力を限界まで圧縮した伏黒恵の肉体による拳が、夜の森の中心で激突する。
巻き起こる暴風が周囲の木々を根こそぎなぎ倒し、霧を晴らす。
「ルォォォォォォォ!!」
バーサーカーの巨体から放たれる圧倒的な膂力。
しかし、両面宿儺はそれを真っ向から受け止めず、達人の技術である【柔】の動きで威力を逸らし、空界踏破で空間の『面』を捉えて死角へと回り込む。
「遅い!」
シュパッ! シュパッ!
不可視の斬撃――『解』がバーサーカーの巨体に浴びせられる。
肉が裂け、鮮血が舞う。しかし、宿儺の目にはっきりと映っていた。
先ほどまではバーサーカーの強靭な筋肉の奥、骨まで届きそうだった斬撃が、今や分厚い鋼に阻まれたかのように浅い傷しか刻めなくなっている。
攻撃を浴びるほどに、その肉体は『解』という事象を学習し、適応し、強固な耐性装甲へとリアルタイムで変質しているのだ。
(……チッ。本当に、際限なく硬くなるな。)
宿儺は舌打ちをしつつも、その口角は狂喜に歪んでいた。
(ならば、耐性が完全に出来上がる前に、さらに高出力で切り刻むか、あるいは『捌』で一気に削り取るか。……十種影法術の式神を織り交ぜて属性を変えるのも悪くないな)
宿儺が次の一手を思案し、呪力を練り上げようとした、その時だった。
「――そこまでよ、バーサーカー」
夜の森に、鈴を転がすような無邪気で透き通る声が響き渡った。
その声は、狂戦士の鼓膜ではなく、魂に直接響く絶対の命令だった。
「ギ、ルォォォ……ッ」
斧剣を振りかぶっていたバーサーカーが、ピタリと動きを止めた。その赤く濁った瞳が、自身の小さなマスター――イリヤスフィールへと向けられる。
「え……?」
遠くで見守っていた遠坂凛が、予期せぬ中断に声を漏らした。
イリヤスフィールは、真っ白なコートの裾をふわりと揺らし、凄惨な戦場の跡地を散歩でもするかのように軽やかに歩み出た。
彼女の瞳には、一切の恐怖も焦りもない。あるのは、自身のサーヴァントに対する絶対的な信頼と、他者を見下す傲慢なまでの余裕だけだった。
「ふふっ。やるじゃない、そこのサーヴァント私のバーサーカーの命を一つ削るなんて、大したものね」
イリヤは天使のように微笑みながら、宿儺と凛を見つめた。
「でも、もう無理よ。あなたのその『見えない斬撃』は、今のバーサーカーには通じないわ。バーサーカーはね、受けた攻撃に対してどんどん強くなっていくの。どんな英雄だって、私のバーサーカーには勝てないわ」
アインツベルンの最高のサーヴァント・ヘラクレスによる『十二の試練(ゴッド・ハンド)』。
そのデタラメな仕様を隠そうともしない。それは、情報を与えたところで絶対に覆せないという、強者の驕りだった。
「……ほう。なら、俺の別の手札でその硬い皮を剥いでやろうか」
宿儺が指先を鳴らし、好戦的な笑みを浮かべる。
「ダメよ。今日はもう遅いし、お兄ちゃんたちもボロボロだもの」
イリヤは衛宮士郎の方を向き、無邪気に手を振った。
「今日はこの辺にしてあげる。お兄ちゃんも、凛も、また遊んでね。次会った時は、木っ端微塵にしてあげるから」
イリヤがふわりと背を向けると、バーサーカーはその巨大な体を霧の中へと沈ませ、主の背後を追うようにして音もなく姿を消していった。
圧倒的な暴力の気配が、嘘のように冬の夜の冷気へと溶けていく。
「……逃げたか。興醒めなガキだ」
宿儺は呪力の練成を解き、深く息を吐いた。
ボロボロになった和服の袖を鬱陶しそうに引きちぎり、無関心な様子で凛の元へと歩き出す。
【時刻:午前1:45】
【場所:冬木市・森の入り口】
戦闘の余波で地形が変わってしまった森の入り口に、四人が集まっていた。
息も絶え絶えの士郎。彼を庇うように立つセイバー。
そして、額の汗を拭う凛と、退屈そうに欠伸を噛み殺す宿儺。
「……助かったよ、遠坂。それに、あんたのサーヴァントも」
士郎が、痛む体を庇いながら頭を下げた。
「勘違いしないで。あいつはただ自分の暇つぶしで戦ってただけよ。それに、私だって……」
凛は腕を組み、険しい表情で士郎とセイバーを見つめた。
「あのバーサーカー……規格外にも程があるわ。死からの蘇生、そして攻撃に対する耐性獲得。あんな化け物、一陣営だけでどうにかなる相手じゃない」
凛は自身のマスターとしての合理的な思考をフル回転させていた。
「衛宮くん。今のあなたじゃ、ランサーやバーサーカーに狙われたら秒殺よ。セイバーも、あなたから魔力供給を受けられない以上、本来の力は出せないはず」
セイバーが悔しげに目を伏せる。それは紛れもない事実だった。
「だから……同盟を結びましょ、衛宮くん」
凛の口から出た提案に、士郎は目を丸くした。
「私とあなたで手を組むの。少なくとも、あのイリヤスフィールとバーサーカーを打倒するまではね。……どうかしら?」
「同盟……」
士郎は少し考え込んだが、すぐに頷いた。
「俺は構わない。俺一人じゃ何もできないのは痛感したし、遠坂が力を貸してくれるなら、これ以上心強いことはないよ」
「……シロウ。私は反対です」
セイバーが鋭く口を挟んだ。彼女の翡翠の瞳は、凛の背後に立つ宿儺を警戒してやまない。
「あの男……宿儺は、非常に危険な存在です。先ほどの狂戦士との戦いぶり、力や技の次元が異常すぎます。彼と同盟を結ぶなど、爆弾を抱えるようなものです」
宿儺が鼻で嗤った。
「同盟だの協力だの、群れるのは弱者の特権だ。勝手にしろ。だが、俺がその小僧やあの不死の獣をどう料理しようと、俺の勝手だということを忘れるな」
「あなたねぇ……!」
凛が宿儺を睨みつけるが、宿儺は意に介さない。
「まあ、こいつの性格は最悪だけど、戦力としては申し分ないでしょ?」
凛はため息をつきながら、士郎に向き直った。
「詳しい条件や今後の作戦は、明日決めましょう。明日のお昼、屋上でいいわね?」
「ああ、分かった。……今日は本当にありがとう、遠坂」
「だから、恩に着る必要はないって言ってるでしょ」
凛は顔を背け、コートを翻した。
「それじゃあね、衛宮くん。帰り道、気をつけるのよ」
士郎とセイバーが衛宮邸の方角へ向かって歩き出すのを背中で聞きながら、凛と宿儺もまた、遠坂邸への帰路についた。
【時刻:午前2:30】
【場所:冬木市・遠坂邸 居間】
カチャリ、と。
深夜の遠坂邸の居間に、ティーカップを置く微かな音が響いた。
暖炉の火はとっくに消えており、部屋は肌寒い。
「……はぁ。本当に、信じられないくらい長い一日だったわ」
凛はソファに深く沈み込み、温かい紅茶――宿儺の要求に応じた、全く甘くないストレートティー――を啜って息をついた。
学校での結界解除、ランサーとの遭遇、士郎の蘇生、セイバーの召喚、そしてバーサーカーとの死闘。これだけのイベントがたった半日で起きたのだ。魔術師としての精神力を持っていなければ、とうに過労で倒れている。
向かいのソファには、宿儺がどっかりと腰を下ろしていた。
伏黒恵の肉体に受肉した際に着ていた純白の和服は、バーサーカーとの戦闘の余波で袖や裾がボロボロに引き裂かれている。だが、その肌には傷一つなく、呼吸の乱れすら微塵も感じさせない。
「何度も生き返る木偶の相手は、少しばかり骨が折れたな」
宿儺はティーカップを指先で弄びながら、面白そうに呟いた。
「だが、それだけだ。耐性を得るというのなら、耐性が完成する前に一撃で消し飛ばすか、耐性の上からでも無理やり切り刻む手札を出せばいい。俺の術式(御廚子)も、影の式神たちも、まだまだあの獣を捌くための引き出しはある」
「……本当に、あんたってやつは」
凛は呆れたように頭を振った。
「普通、あんな不死身の怪物を相手にしたら絶望するのよ? それを『まだ引き出しがある』なんて涼しい顔で言うんだから。あなたの強さの底が知れないわ」
「俺に恐怖などない。あるのは、相手をどう楽しむかという俺の『快』だけだ」
宿儺は傲慢に言い放ち、紅茶を喉に流し込んだ。
「だが、今日だけは褒めてやろう、凛。お前がその安い感情で小僧を助け、結果的にあの騎士の王や不死の獣という『極上の暇つぶし』を俺の前に引きずり出した。……悪くない手際だったぞ」
「……褒められてる気が全くしないんだけど」
凛はむっとしながらも、少しだけ口元を緩めた。
「でも、今日だけはあなたのデタラメな強さに助けられたわ。あなたがバーサーカーの斧剣を止めてくれなかったら、士郎もセイバーも、もしかしたら私も、ペチャンコになってたかもしれないしね」
「俺は俺の暇つぶしを守っただけだ。」
宿儺はそっぽを向き、カップをテーブルに置いた。
「はいはい、素直じゃないわね」
凛はクスクスと笑った。
価値観は絶対に交わらない。
一人は全てを背負おうとする魔術師。もう一人は全てを切り捨てる呪いの王。
しかし、この極限の状況下で背中を預け合い、数々の修羅場を乗り越えたことで、二人の間には奇妙な『共犯関係』のようなものが出来上がりつつあった。
言葉にしなくても、互いの能力と精神の強靭さを、どこか心の底で認め合っている。そんな歪で、しかし確固たるバディの関係。
「……ねえ、宿儺」
凛が、少し真面目なトーンで切り出した。
カップをテーブルに置き、彼女は宿儺の四つの瞳を真っ直ぐに見据えた。
「正直に答えて。あなたは……あのバーサーカーに勝てる?」
その問いは、今夜の戦いを目撃した魔術師として、当然抱くべき懸念だった。
『十二の試練』。Bランク以下の攻撃を無効化し、死んでも蘇り、さらに受けた攻撃への耐性を得るという、あまりにもデタラメな宝具。魔術師の常識で考えれば、あれは「倒す方法が存在しない」絶望の具現だ。
宿儺は、凛の問いにすぐには答えなかった。
ただ、ティーカップを置き、三日月のように口角を引き上げた。
「勝てるか、だと? 凛、お前は誰に物を言っている」
宿儺の声は低く、しかし絶対的な自信を孕んでいた。
「あの木偶が何度蘇ろうが、十回、百回と殺せば済む話だ。耐性ができるというのなら、その耐性ごと焼き尽くすまで。奴の『命のストック』とやらが尽きるのが先か、俺が飽きるのが先か……そんなものは勝負ですらない。ただの調理だ」
宿儺は自身の掌を見つめ、軽く握り込んだ。
「お前はあの獣の不死性に怯えているようだが、俺から見ればあれは欠陥品だ。再生するということは、それだけ『死』を内包しているということ。死を繰り返す度に、奴の魂は摩耗していく。俺の『捌』でお前の理解を超える次元まで刻んでやれば、再生の理(ことわり)すら崩壊するだろうよ」
「……言うわね。でも、確かにあなたならやってのけそうな気がするのが怖いわ」
凛は呆れたようにため息をついた。
「明日は士郎たちと同盟の具体的な話をするし、対策も練り直さないとね。今日はもう寝るわよ」
凛は立ち上がり、背伸びをした。
「あ、明日、あなたのそのボロボロになった着物、なんとかしないとね。現代風の服でも買ってこようかしら」
「断る。俺はこのなりでいい。着心地の悪い服を押し付けるなら、お前を斬るぞ」
「はいはい、わかったわよ。じゃあ似たような和服を見繕ってくるわ。……本当、手のかかるサーヴァントなんだから」
凛は苦笑しながら、居間の明かりを落とした。
「おやすみ、宿儺。……明日もよろしくね」
「……ふん」
宿儺は鼻で返事をし、暗闇の中で目を閉じた。
冬木の夜が、ようやく深い眠りにつく。
血塗られた聖杯戦争の序盤戦は、この奇妙で最強な凸凹コンビを中心に、さらに激しく、そして誰も予測できない方向へと回り始めていた。
嵐の前の、静かで、しかし確かな信頼を孕んだ夜が更けていく。