Fate/stay night [Alter Ego of Calamity] ――理外の双貌 作:りー037
【時刻:午後8:30】
【場所:冬木市・遠坂邸】
「……なるほど。私たちが新都で散歩している間に、そんなことがね」
遠坂邸の豪奢な居間。
凛はソファに深く腰掛け、温かい紅茶を口に運ぶことも忘れて、対面に座る衛宮士郎の報告に耳を傾けていた。
士郎は制服にいくらかの土埃をつけ、その隣に座るセイバーも、見えない剣の警戒を解かないまま、静かに頷いた。
「ああ。放課後、俺とセイバーが弓道場の戸締まりをしていたら、突然、黒い装束の女が襲ってきたんだ」
士郎が、忌々しそうに眉をひそめる。
「長い髪で、目隠しをした……多分、結界を張っていたサーヴァントだ。セイバーが応戦してくれたから大事にはならなかったけど、奴の動きは素早かった。二、三合打ち合った後、結界を部分的に起動するような素振りを見せて、そのまま逃げていったよ」
「……ただの奇襲、牽制のつもりね」
凛は腕を組み、思考を巡らせた。
「私たちが昨日、結界の起点を潰したから、あっちも焦って『この学校には誰がいるのか』を探りに来たってわけか。……それにしても」
凛の視線が、部屋の隅の柱に寄りかかり、ひどく退屈そうに目を閉じている白い和服の少年――両面宿儺へと突き刺さった。
「あなた、気づいてたんじゃないの? 新都にいる時、学園の方向でサーヴァントの魔力がぶつかり合ってることに」
凛の声には、明確な怒気が孕んでいた。
「……気づいていたさ。それがどうした」
宿儺は目を閉じたまま、面倒くさそうに口を開いた。
「どうした、じゃないわよ! なんで黙ってたの!? 同盟を組んだんだから、すぐに駆けつけるのが筋でしょうが!」
「勘違いするな、凛」
宿儺がゆっくりと目を開き、その四つの瞳で凛を冷徹に見据えた。
「俺はお前と契約しただけで、そこの小僧どもの乳母になった覚えはない。自身の命も守れん弱者が、この血塗られた盤面でどう無様に死ぬか。それを放置して眺める権利くらい、俺にはあるはずだ」
「あなたねぇ……!」
凛が立ち上がりかけたのを、士郎が慌てて制止した。
「よせ、遠坂。俺たちは無事だったし、宿儺の言うことも一理ある。俺の未熟さを、お前のサーヴァントに尻拭いさせるわけにはいかない」
「シロウ……しかし」
セイバーが不満げに口を挟もうとしたが、士郎は首を振ってそれを遮った。
「……ふん。小僧の方は、自分の弱さを自覚している分、お前よりは少しだけマシなようだな」
宿儺は鼻で嗤い、再び柱に背を預けた。
凛は大きなため息をつき、どさりとソファに座り直した。
「……はぁ。本当に、いつか胃に穴が開きそうだわ。……で、ライダーは逃げたとして、キャスター(魔女)の方はどうするの?」
凛の問いに、場が再び重い沈黙に包まれる。
「私が新都で調べた限り、キャスターは円蔵山――柳洞寺に強固な陣地を作っている。しかも、今日になってから、街中からの魔力(オド)の吸い上げが異常なペースで加速しているわ。このままじゃ、本当に冬木中の人間が干からびる」
凛はテーブルの上に冬木市の地図を広げ、円蔵山の部分を指で叩いた。
「キャスターが焦っているのは間違いない」
士郎が地図を見つめながら呟いた。
「でも、なんで急にそんなペースを上げたんだ? 結界を張って魔力を集めるなら、もっと目立たないように少しずつやるはずだろ?」
その問いの答えは、士郎たちの知らないところで、すでに明確に存在していた。
【時刻:同時刻】
【場所:冬木市・柳洞寺 地下神殿(キャスター視点)】
円蔵山の地下深くに広がる、大空洞。
その中心に設えられた祭壇で、紫のローブを目深に被った妖艶な女――魔女キャスターは、水晶球を見つめながら、ギリッと美しい歯を食いしばっていた。
「……信じられない。何よ、あのデタラメな化け物たちは」
キャスターの水晶球には、昨夜、冬木の森で繰り広げられた、宿儺とバーサーカーの「神話級の死闘」の録画映像が繰り返し映し出されていた。
彼女が放っていた使い魔が、偶然にもその狂騒の一部始終を記録していたのだ。
何度も死から蘇り、物理的な耐性を獲得していく不死の獣、ヘラクレス。
それだけでもキャスターの手に負えないというのに。
(あの、和服のサーヴァント……! 空間を蹴り、見えない斬撃でヘラクレスの肉体を容易く削り取る異常な魔力。……それに、あの不快で悍ましい『呪い』の気配!)
キャスターは、水晶球に映る宿儺の姿を見るだけで、自身の魔術回路が恐怖に粟立つのを感じていた。
「あれは、英霊などではない。純粋な『天災』。あるいは、この世の悪意そのもの……!」
キャスターの額から、冷たい汗が流れる。
彼女は、自身のマスター(葛木宗一郎)のために、この聖杯戦争を勝ち抜く絶対の自信を持っていた。柳洞寺という最高の霊脈に陣地を構築し、アサシン(佐々木小次郎)を門番として召喚し、街の人間から魔力を搾取することで、本来のステータスを凌駕する無尽蔵の魔力を得た。
だが。
あの二体の規格外(バーサーカーと宿儺)を前にしては、今の魔力量では全く足りないと、彼女の魔術師としての本能が悲鳴を上げていた。
「……もっと。もっと魔力を集めなければ。街の人間全員の命を吸い尽くしてでも、私が、私が勝ち残らなければ……!」
キャスターは狂気じみた瞳で、自身の宝具『破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)』を握りしめ、魔力収集の陣(テリトリー)をさらに強烈に稼働させた。
冬木の街のあちこちで、眠りについていた人々が、さらに深く、死に限りなく近い昏睡状態へと叩き落とされていく。
【時刻:午後9:30】
【場所:冬木市・遠坂邸】
「……キャスターの焦りの理由は分からないけど、悠長に構えていられないのは確かね」
凛は地図から顔を上げ、決意の表情を見せた。
「明日、あるいは明後日の夜には、柳洞寺に攻め込む。それまでに、少しでも勝率を上げる算段をつけないと」
「攻め込むって……あの山に、正面からか?」
士郎が信じられないという顔をした。
「敵の本拠地だぞ。セイバーは魔力が足りなくて宝具が使えないし、俺なんて戦力外だ。遠坂と宿儺だけで、あのキャスターを倒せるのか?」
「当然よ。私と宿儺を舐めないで」
凛は胸を張ったが、その実、彼女の内心も不安でいっぱいだった。
キャスターの陣地作成は規格外だ。柳洞寺という霊脈の恩恵に加え、何重にも張り巡らされた魔術結界。正面から突っ込めば、いくら宿儺の『解』があろうと、地の利を得た魔術戦で押し切られる可能性はゼロではない。
「……戦力外、か」
その時、不意に宿儺が声を上げた。
彼は柱からゆっくりと離れ、テーブルを挟んで士郎の正面へと歩み寄った。
「な、なんだよ」
士郎が身構え、セイバーが即座に間に割って入ろうとする。
「退け、光の騎士。小僧に少し、話がある」
宿儺はセイバーを鬱陶しそうに一瞥し、再び士郎を見下ろした。
「おい、小僧。お前、自分が戦力外だと言ったな。……本当にそう思っているのか?」
宿儺の四つの瞳が、士郎の瞳の奥、さらにはその奥にある『異常な魔術回路』を射抜くように見つめている。
「……ああ。俺は半人前の魔術師だ。できるのは、物を硬くする『強化』の魔術くらいだ。サーヴァント相手に、俺が役に立つとは思えない」
「ふっ、くはははは!」
宿儺が突然、腹を抱えて笑い出した。
その嘲笑に、凛もセイバーも、そして士郎自身も怪訝な顔をする。
「笑い事じゃないぞ、宿儺!」
士郎が反発するが、宿儺は笑いを収め、ひどく冷酷で、そして「悪魔的」な笑みを浮かべたまま告げた。
「お前は、自身の『中身』を全く理解していないようだな。お前の体内に眠る、その異常な骨組み……魔術回路の構造を」
「中身……?」
「俺の目にははっきりと見えている。お前の体の中には、魔術回路などというチンケな管ではなく、無数の『剣』がギチギチと詰め込まれている。お前はただの人間ではない。その体を鞘とした、異質の剣の集合体だ」
「なっ……!?」
士郎は絶句した。
自身の体が「剣」でできている? そんな馬鹿な話があるはずがない。だが、宿儺の言葉を聞いた瞬間、士郎の脳裏に、かつて何度も夢に見た「荒野に無数の剣が突き刺さった光景」がフラッシュバックした。
「シロウの体が、剣……?」
セイバーも驚きを隠せない。彼女は士郎の中に自身の宝具『全て遠き理想郷(アヴァロン)』が埋め込まれていることは知っていたが、彼の魔術回路そのものが異常な変質を遂げていることまでは気づいていなかった。
「……いいか、小僧」
宿儺は、士郎の胸倉を掴み、自身の顔をギリギリまで近づけた。
「弱者が強者に勝つ方法は、たった一つだ。己の命を賭け金にして、相手の想定の『外』から、理不尽な火力を叩き込むことだ。お前のその『剣の骨組み』……ただの強化などで腐らせておくには、あまりにも惜しい」
宿儺の言葉は、まるで悪魔の囁きだった。
「自身の内にあるものを、外へと引っぱり出せ。魔術の真似事など捨てるのだ。お前の魂の形を、そのまま物理法則(現実)へと叩きつけろ。それができれば、お前はただの足手まといから、一振りの『呪いの剣』くらいには昇格できるだろうよ」
士郎は、宿儺の四つの瞳に吸い込まれそうになりながら、激しく脈打つ自身の心臓の音を聞いていた。
自身の内にあるものを、引き出す。
それは、彼が毎夜の鍛錬で無意識のうちに行おうとしていた、「自身の内なるイメージを外界へ投影する」という禁忌の魔術――『固有結界』の片鱗への、残酷なまでの誘導だった。
「……やめなさい、宿儺!」
凛が鋭い声で割って入り、士郎と宿儺の間に強引に体を滑り込ませた。
「これ以上、衛宮くんを焚きつけるのはやめて! あなたの言っていることは、魔術師の常軌を逸してるわ。彼にそんな無茶な魔術行使をさせたら、回路が焼き切れて死ぬわよ!」
「……ふん。死ぬなら、所詮はその程度の器だったというだけのことだ」
宿儺は士郎の胸倉から手を離し、退屈そうに背を向けた。
「俺は、弱者が強者に食い下がるためのヒントをくれてやっただけだ。それをどう使うかは、小僧の自由だ」
「……」
士郎は、自身の震える両手を見つめていた。
恐怖ではない。自分の中に、まだ知らない「武器」があるかもしれないという、歪な高揚感。
「シロウ、惑わされてはいけません。あの男の言葉は、あなたを破滅へと導く毒です」
セイバーが、悲痛な声で士郎に呼びかける。
「あなたはマスターであり、戦うのは私の役目です。無謀な力に頼る必要はありません」
「……分かってるよ、セイバー。心配しないでくれ」
士郎は顔を上げ、無理に笑顔を作った。
だが、その瞳の奥には、宿儺が落とした「毒(可能性)」が、確実に根を張り始めていた。
夜が更けていく。
キャスターの狂気的な魔力収集によって、冬木の街が静かな死に包まれていく中。
遠坂邸での合同会議は、宿儺という異物がもたらした最悪のカンフル剤によって、士郎の運命の歯車を狂わせながら、決戦の夜(柳洞寺攻略)へと着実に歩みを進めていた。