Fate/stay night [Alter Ego of Calamity] ――理外の双貌 作:りー037
【時刻:午前8:20】
【場所:冬木市・穂群原学園】
冬の澄んだ空気が、登校する生徒たちの白い息を際立たせている。
昨夜、あの神話級の狂戦士(バーサーカー)と呪いの王との絶望的な死闘があったことなど嘘のように、冬木市の朝はいつも通りの平和な日常の顔をしていた。
「……おはよう、衛宮」
「ああ、おはよう一成」
2年C組の教室。衛宮士郎は自身の席に鞄を置きながら、生徒会長の柳洞一成と挨拶を交わした。
聖杯戦争という非日常に足を踏み入れたとはいえ、昼間は一般の学生として振る舞う。士郎もまた、セイバーを近くに待機させ、一人で学園へと登校してきていた。
「どうしたんだ、一成。なんか難しい顔をしてるぞ」
士郎が尋ねると、一成は眼鏡のブリッジを押し上げ、小さくため息をついた。
「いやな、葛木先生のことだ。昨日から無断欠勤が続いていてな。あの生真面目な先生が連絡もなしに休むなど、前代未聞だ。電話も繋がらんらしい」
「葛木先生が……?」
士郎の脳裏に、厳格な社会科教師の顔が浮かぶ。
(……嫌な予感がする)
昨夜、遠坂邸での会議で聞いた「街の魔力を吸い上げるキャスター」の存在。葛木がそれに巻き込まれたのか、あるいは……。明確な根拠はないが、士郎の直感が微かな警鐘を鳴らしていた。
「まあ、そういうわけで今日の歴史は自習になった。俺は生徒会室に顔を出してくる」
一成が教室を出ていくのと入れ替わりで、始業のチャイムが鳴り響いた。
【時刻:午前9:45】
【場所:2年C組 教室】
異変は、2時間目の自習中に唐突に訪れた。
ゾワァァァァァッ……!!
「……っ!?」
窓際でノートを開いていた士郎は、全身の毛穴が逆立つような強烈な悪寒に襲われ、ガタッと席を立った。
周囲の空気が、急激に重く、そして「赤く」染まっていく。
教室の壁に、そして窓ガラスに、赤黒い血のような紋様が不気味に浮かび上がり始めたのだ。
「なんだ、これ……」
クラスメイトの一人が、ふらりと立ち上がり、そのまま糸の切れた操り人形のように床へと倒れ込んだ。
それを皮切りに、教室中の生徒たちが次々と意識を失い、机に突っ伏し、あるいは床に倒れ伏していく。
「おい、しっかりしろ! みんな!」
士郎が隣の席の生徒を揺さぶるが、反応はない。呼吸はしているが、その体からは目に見えない『生命力(オド)』が強制的に吸い上げられ、空気中に赤い霧となって溶け出していた。
(……結界が、本格的に起動したのか!)
遠坂凛が起点を潰して回ったはずだったが、敵も馬鹿ではない。残された起点を利用して、強引に結界を完成させたのだ。
「くそっ……遠坂……!」
士郎は、別のクラスにいるはずの凛の顔を思い浮かべた。彼女なら、すでに対処に動いているはずだ。自分もマスターとして、結界の主を止めなければ。
士郎は、倒れた生徒たちを安全な壁際に寄せると、単身、赤く染まった教室を飛び出した。
【時刻:午前9:50】
【場所:学園・三階廊下】
廊下もまた、赤黒い地獄絵図と化していた。
倒れ伏す生徒たちを掻き分け、士郎は結界の魔力の中心――おそらく屋上か最上階――を目指して走る。
しかし。
カチャリ、カチャリ……。
赤黒い霧の中から、異様な足音が響いてきた。
人間の足音ではない。硬い骨と骨が擦れ合う、ひどく無機質で、死の匂いを纏った足音。
「……なっ」
士郎は足を止め、息を呑んだ。
廊下の奥、階段の踊り場から這い上がってきたのは、武装した白骨の群れ――『竜牙兵(スケルトン)』だった。その数、優に十体以上。
(骨の化け物!? これも結界を張った奴の……いや、違う!)
士郎の未熟な魔術回路でも、はっきりと分かった。教室や廊下を染める赤黒い結界の魔力と、この動く骨たちから漂う陰湿な魔力は、明らかに「質」が異なっている。
(別の魔力……まさか、第三者が乱入してきたのか!?)
昨夜の遠坂との会議で聞いた、冬木に潜む他のマスターたちの存在が脳裏をよぎる。この学園の異常事態(結界)に便乗して、別の誰かが外から使い魔を差し向けてきたのだとすれば、最悪の状況だ。
「ギ、キキキキッ!」
正体について思考を巡らせる暇など与えぬまま、竜牙兵たちが錆びた剣を振りかざし、一斉に士郎へと襲いかかってくる。
「ふざけるな、こんなところで……!」
士郎は近くの掃除用具入れからモップを引き抜き、その柄を両手で握りしめた。
自身の魔術回路を起動させる。背骨に焼け火箸を突っ込まれるような激痛。
「『同調、開始(トレース・オン)』!」
魔力がモップの柄に流れ込み、その硬度と殺傷力を鋼鉄の域にまで引き上げる。
士郎は、先頭に躍り出た竜牙兵の剣をモップの柄で弾き飛ばし、そのまま頭蓋骨を叩き割った。
パァン! という音と共に、一体の骨が砕け散る。
だが、敵は多すぎた。狭い廊下で、四方八方から刃が迫る。
「くそっ、次から次へと……!」
士郎の肩を、竜牙兵の刃が掠める。鮮血が舞う。
足元の生徒たちを踏まないように動くため、回避のスペースもない。強化魔術で武器を作れても、士郎自身はただの素人だ。サーヴァントや、その使い魔の群れを一人で相手にできるほどの力はない。
(このままじゃ、俺が死ぬ……。みんなも助けられない!)
士郎は、迫り来る刃の壁を前に、自身の右手――甲に刻まれた赤い令呪を強く握りしめた。
約束した。もう誰も、あんな地獄で死なせはしないと。
「――来い、セイバー!!」
士郎が令呪を一画消費し、魂の底から絶叫した。
その瞬間。
赤黒い結界の闇を、純白と黄金の『光』が物理的に引き裂いた。
「――マスター、」
大気が爆発した。
士郎の目の前に、不可視の剣を構え、銀の甲冑を纏った騎士王が顕現する。
令呪による強制転移。
「セイバー……!」
「伏せてください、シロウ!」
セイバーは、士郎を背中で庇いながら、群がる竜牙兵の只中へと踏み込んだ。
「ハァァァァッ!!」
風王結界(インビジブル・エア)に包まれた不可視の聖剣が、一閃される。
ただの一振り。それだけで、廊下を埋め尽くしていた十数体の竜牙兵が、暴風に巻き込まれた木の葉のように木っ端微塵に粉砕され、壁や天井に激突して塵と化した。
圧倒的なまでの力。一般の使い魔など、最強の剣士の前では紙くずに等しい。
「遅参しました、マスター。……この惨状、結界の主の仕業ですね」
セイバーは周囲の倒れた生徒たちを一瞥し、翡翠の瞳に静かな怒りを燃やした。
「ああ。学園の中はもう、めちゃくちゃになってる」
士郎は肩の傷を押さえながら立ち上がった。
「セイバー、結界の主を見つけて止める。遠坂も動いてるはずだ!」
「了解しました。私の背中から離れないでください、シロウ」
主従の契約を確固たるものにした二人は、結界の中心へと向かって走り出した。
【時刻:午前10:05】
【場所:学園・屋上】
一方、その頃。
学園の屋上では、冷たい冬の風に吹かれながら、一人の少年が狂気に満ちた笑い声を上げていた。
「あははははは! 見ろよライダー、傑作だ! あの偉そうな遠坂も、今頃は這いつくばって俺の結界の中で血を吐いてるはずだ!」
間桐慎二。士郎の友人であり、この『鮮血神殿』の結界を敷いた主。
彼は屋上のフェンスに寄りかかり、眼下に広がる学園の惨状を想像して恍惚とした表情を浮かべていた。彼の背後には、黒いライダースーツに身を包み、目隠しをした長髪のサーヴァント――ライダーが静かに控えている。
「マスター。……来ます」
ライダーが、低く冷たい声で警告した。
ドガンッ!!
屋上の重い鉄扉が、蹴り破られて吹き飛んだ。
「……随分と楽しそうじゃない、慎二」
土埃の中から現れたのは、赤いコートを翻し、両手に魔力を込めた宝石を握りしめた遠坂凛だった。
彼女の背後には、純白の和服の少年――両面宿儺が、音もなく付き従っている。
「と、遠坂……!? なんでお前が動けてるんだ! 結界の中で、魔力がないはず……!」
慎二は目を見開き、後ずさった。
「馬鹿ね。結界の起点をあらかじめいじって、影響を最小限にする術式を組んでおいたに決まってるでしょ」
凛は冷酷な目で慎二を睨み据えた。
「学園を巻き込むなんて、魔術師の風上にも置けない下劣な真似ね。……間桐の家が腐ってるのは知ってたけど、まさかあなたがマスターだったとはね」
「うるさい、うるさい! 俺は選ばれたんだ! お前らエリートぶった奴らを、この学園ごと搾り取ってやる!」
慎二は逆上し、ライダーに向かって叫んだ。
「やれ、ライダー! そいつを殺せ! その隣にいる変な着物のガキごと、八つ裂きにしてやれ!!」
ライダーが、両手に鎖付きの短剣(無銘・短剣)を構え、重心を落とした。
しかし。
「……おい」
それまで、まるで風景の一部のように気配を消していた宿儺が、ゆっくりと一歩、前に出た。
「誰に向かって口を利いている、下水虫」
ゾクッ、と。
屋上の空気が、完全に凍りついた。
宿儺の四つの瞳が、慎二を真っ直ぐに見据える。
【認識阻害】のベールを自ら剥ぎ取り、特級呪霊すらも平伏させる『純度100%の悪意と殺気』を、ほんの一滴、ただ視線に乗せて慎二へとぶつけたのだ。
「――――あ、」
慎二の脳髄が、悲鳴を上げた。
魔術の知識も、英霊の常識も関係ない。ただの生物としての絶対的な格付け。
目の前にいる存在は、人間ではない。英霊ですらない。触れれば死ぬ、言葉を交わせば魂が消滅する、理不尽な厄災の具現。
「ひっ……ぁ、あ、あああぁぁぁ……ッ!!」
慎二は腰から砕け落ち、コンクリートの床にへたり込んだ。
両手で頭を抱え、ガチガチと歯の根を鳴らし、股間からは生温かい液体が染み出していく。
完全に、精神が破壊された。プライドも、マスターとしての自負も、呪いの王のただの『視線』だけで粉微塵にすり潰されたのだ。
「……つまらん。這い蹲るだけの能しかない泥虫か」
宿儺はひどく退屈そうに目を細め、興味を失ったように視線を外した。
「……っ!!」
その主の醜態を、そして目前の『異常な化け物』の脅威を本能で察知したライダーが、動いた。
マスターを守るため、ライダーは神速の踏み込みで宿儺の懐へと飛び込む。
「死ねッ!」
ライダーの短剣が、宿儺の首筋を刈り取るべく放たれる。
常人には視認すら不可能な、サーヴァントとしての最高峰の敏捷性。
だが。
ガキィィンッ!!
「……っ!?」
ライダーは驚愕に息を呑んだ。
彼女の渾身の短剣を、宿儺はポケットに片手を入れたまま、もう片方の手の『二本の指』で白刃取りのように挟み込んで止めていたのだ。
「速さ『だけ』は悪くない。犬(ランサー)には劣るがな」
宿儺は凶悪な笑みを浮かべた。
「だが、軽い。お前の刃には、殺意の重さが足りん」
宿儺が指先に微かな呪力を込めた瞬間、ライダーの短剣の刃がミシリと悲鳴を上げた。
「――!」
ライダーは咄嗟に短剣から手を離し、後方へ大きく跳躍して距離を取る。
直後、彼女が先ほどまでいた空間を、見えない斬撃『解』が通り過ぎ、屋上のフェンスが音もなくスッパリと両断された。
(……見えない攻撃!? それに、あの異常な膂力……マスターの言う通り、こいつはただのサーヴァントではない!)
ライダーは額に冷や汗を浮かべながら、再び鎖付きの短剣を引き寄せ、低い姿勢で警戒する。
「ほう、勘がいいな。ならば、その目隠しの下にあるモノを見せてみろ」
宿儺が、楽しそうに笑う。
「お前、ひどく上等な『目』を持っているだろう? 隠さずに俺を睨んでみろ、蛇女」
ライダーの正体を見透かしたかのような、宿儺の挑発。
屋上に吹き荒れる血の匂いの中、呪いの王と、神話の怪物(メドゥーサ)の、絶望的な力の差を見せつける蹂躙劇が、今まさに幕を開けようとしていた。