Fate/stay night [Alter Ego of Calamity] ――理外の双貌   作:りー037

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毒と紅茶と、交わらないはずの二つの軌跡

【時刻:午前2:30】

 

【場所:冬木市・遠坂邸 一階、居間】

 

地下工房に立ち込めていた「死の濃度」から逃れるように、二人は一階の居間へと移動した。

 

遠坂邸の居間は、父・時臣の趣味が色濃く残る、豪奢でクラシカルな洋室である。マホガニーの重厚なテーブル、毛並みの良いペルシャ絨毯、そしてアンティークのソファ。本来ならば、客人を招き入れ、優雅な会話を楽しむための空間だ。

 

しかし今、その空間を支配しているのは、ただ一人の少年が放つ異様なまでの「質量」だった。

 

「……随分と、こざっぱりとした箱庭だな。千年前に比べれば小奇麗だが、ひどく窮屈だ」

 

 

両面宿儺は、伏黒恵の姿をしたまま、まるでこの館の主であるかのように革張りのソファに深く腰を下ろしていた。組んだ長い脚。背もたれに預けられた体重。その何気ない仕草のすべてが、周囲の空間を己の色に塗り替えていく。

 

 

彼は物珍しそうに、しかしどこか退屈そうに、シャンデリアや暖炉の意匠を眺めていた。彼にとってこの世界は「見知らぬ法則で動く新しい盤面」に過ぎない。

 

 

一方の遠坂凛は、壁際のキッチンカウンターで湯を沸かしていた。

 

 

(……落ち着け、遠坂凛。呼吸を整えなさい。相手はサーヴァント。私がマスター。主導権は私にある)

 

シュンシュンと音を立てるケトルを見つめながら、凛は必死に自身の内なる動揺を抑え込んでいた。

 

背中には、びっしょりと冷や汗が張り付いている。魔術師としての直感が、あの少年に背を向けることへの絶対的な警鐘を鳴らし続けていたからだ。振り向けば首が飛んでいるのではないか。そんな錯覚に襲われながらも、彼女は優雅に、そして正確に、最高級のアールグレイの茶葉をティーポットへと落とす。

 

コトリ、と。

 

純白の陶器のカップが、宿儺の目の前のテーブルに置かれた。

 

立ち昇るベルガモットの芳醇な香り。

 

「……ほう」

 

宿儺は四つの目を見開くようなそぶりは見せず、ただ細められた双眸で、カップから立ち上る湯気を眺めた。

 

「紅茶よ。とりあえず、体を温めなさい。霊体とはいえ、サーヴァントだって実体を持っているんでしょう? 毒は入ってないから安心して」

 

凛は精一杯の虚勢を張り、腕を組んで宿儺を見下ろすように立った。

 

宿儺は凛の言葉に鼻で笑うと、ティーカップの取っ手を指で摘み、躊躇いなく口に運んだ。かつての彼であれば、人間が淹れた茶など一瞥もせずに撥ね退けていたかもしれない。だが、「限界」を知り、ある種の「ゆとり」を獲得した今の彼は、こうした「日常の味見」すらも暇つぶしの一環として楽しむことができた。

 

 

「……悪くない」

 

 

喉を鳴らして飲み込み、宿儺はカップを置いた。

 

「だが、いささか香りが鼻につく。次はもっと渋みのあるものを淹れろ。俺は甘いものは好かん」

 

「……っ、文句があるなら自分で淹れなさいよ。私はあなたのメイドじゃないのよ」

 

「メイド? 何のことかは知らんが、小間使いには変わりあるまい。聖杯戦争において命を繋ぎ止めてやるのだ、感謝こそすれ文句を言われる筋合いはないぞ、小娘」

 

 

傲慢。絶対的な自己肯定。

 

 

他者の価値観など一切介在する余地のない、王としての振る舞い。

 

凛はカチンと頭に血が上るのを感じたが、同時に、この規格外の化け物相手に「日常の会話」が成立しているという事実そのものに、奇妙な安堵を覚えていた。

 

「……はぁ。まあいいわ。味覚がまともなだけでも御の字ね。それじゃあ、改めて現状の確認をするわよ」

 

凛は自身のカップを手に取り、ようやく宿儺の対面のソファに腰を下ろした。

 

紅茶を一口含み、高ぶる神経を落ち着かせてから、彼女は真剣な眼差しで宿儺を射抜いた。

 

「あなたは『聖杯戦争』という言葉を知っていると言ったわね。七人の魔術師が、七騎の英霊を喚び出し、最後の一人になるまで殺し合う儀式。勝者には、あらゆる願いを叶える『聖杯』が与えられる。……あなたの願いは、何?」

 

英霊には、必ず聖杯に託す願いがある。

 

過去のやり直し、未練の解消、悲願の達成。それを共有することこそが、マスターとサーヴァントの絆を結ぶ第一歩だと、凛は父の遺した手記で学んでいた。

 

 

しかし。

 

 

宿儺の口からこぼれたのは、腹の底から響くような、重く低い嘲笑だった。

 

「くっ、くはははは……! 願い、だと? この俺が、得体の知れない杯ごときに願いを乞うとでも思ったか?」

 

「なっ……じゃあ、なんであなたはこの呼びかけに応じたのよ!」

 

「言ったはずだ。『暇つぶし』だと」

 

宿儺は笑いを収め、冷たい目で凛を見た。

 

「俺の望みは、俺が喰いたい時に喰い、殺したい時に殺すこと。それだけだ。だが、死後の世界というのもひどく退屈でな。そこに『闘争の盤面がある』と声が聞こえた。だから、降りてきてやったまでのこと。願いを叶える杯? そんな呪物など、俺には何の価値もない」

 

究極のエゴイズム。

 

「世界を救う」でもなく、「過去をやり直す」でもない。ただ、「そこにある闘争を楽しむため」だけに、この男は現界したというのか。

 

「……狂ってる」

 

「褒め言葉として受け取っておこう。だが、条件としては悪くない盤面だ。命を賭して足掻く者たちの姿は、酒の肴には丁度いい。せいぜい、俺を楽しませる極上の『食材』が揃っていることを期待するさ」

 

宿儺はニヤリと笑い、牙のような犬歯を覗かせた。

 

その瞬間、凛は理解した。この男にとって、聖杯戦争に参加する他の魔術師や英霊は、敵ですらない。ただの「娯楽」であり「獲物」なのだと。

 

「……ふざけないで。これは遊びじゃないのよ。遠坂の悲願がかかった、絶対に負けられない戦いなの」

 

凛の言葉に、怒りが混じる。父の死、これまでの修練、そのすべてを「暇つぶし」と一蹴された気がしたからだ。

 

「あなたがどう思おうと勝手だけど、私は勝つ。そのためなら、あなたにも本気で働いてもらうわ。……忘れないことね、あなたをこの世界に繋ぎ止めているのは、私の魔力だということを」

 

凛はそう言って、自身の右手を高く掲げた。

 

色白の手の甲に刻まれた、三つの赤い令呪。魔術師に与えられた絶対の命令権にして、サーヴァントを従わせるための三度の呪縛。

 

「私には『令呪』がある。いざとなれば、あなたの意思に関係なく、絶対の命令を下すことができる。これ以上、勝手な振る舞いをするなら――」

 

 

「――やってみろ」

 

 

言葉を遮られた。

 

いや、言葉だけではない。周囲の空間が、完全に「切断」された。

 

【固有スキル:御廚子(みづし) A+】

 

 

ドクン。

 

 

凛の心臓が、恐怖で一瞬、停止した。

 

宿儺はソファに座ったまま、指一本動かしていない。表情すら変えていない。

 

しかし、大気が凍りつき、周囲の「面」が不可視の刃となって、凛の全方位を取り囲んだのが分かった。

 

ヒュッ……という、微かな風切り音。

 

凛の右の頬を、目に見えない「何か」が掠めた。

 

ツー、と。一筋の赤い血が、白い肌を伝って流れ落ちる。同時に、凛の豊かな黒髪のひと房が、音もなく床へと滑り落ちた。

 

「な……っ」

 

「『解(かい)』だ。呪力を乗せた、ただの斬撃。お前のその安い魔術回路が認識するよりも早く、俺はお前の首と胴体を永遠に離別させることができる」

 

 

宿儺の声に怒りはない。

 

 

ただ、事実を述べているだけだ。空から雨が降るように、火が燃え広がるように。彼が「切る」と思えば、そこにあるものは切断される。絶対的な力の格差。

 

「その『令呪』とやらで俺を縛るのが先か。俺の斬撃がお前の喉笛を掻き切るのが先か。……試してみるか? 小娘」

 

 

底なしの闇が、凛の瞳を覗き込んでいた。

 

これはブラフではない。少しでも彼女が「意に沿わない」命令を下そうとすれば、この男は躊躇なくマスターである自分を殺す。自身が現界できなくなるリスクなど、この呪いの王にとっては「不快感を我慢する」ことに比べれば、取るに足らない事象なのだ。

 

圧倒的な死のプレッシャー。

 

普通の魔術師であれば、ここで泣き叫ぶか、土下座をして命乞いをしていただろう。

 

だが。

 

遠坂凛は、遠坂凛だった。

 

彼女は震える膝を必死に押さえつけ、頬を流れる血を拭うことすらせず、真っ直ぐに宿儺の双眸を睨み返した。瞳には、恐怖を焼き尽くすほどの強烈な「怒り」と「矜持」が宿っていた。

 

「……舐めないで」

 

絞り出すような声だったが、そこには確かな力がこもっていた。

 

「私が、そんな安い脅しに屈するとでも思った? あなたが私を殺せることくらい、最初から分かってるわよ。でもね……私は『遠坂』の魔術師なの」

 

凛は右手を下ろさず、令呪を見せつけたまま、言葉を紡ぐ。

 

「私は勝つためにあなたを喚んだ。令呪は、勝利を確実にするための切り札よ。あなたのような狂犬を躾けるために、こんな貴重な切り札を無駄使いするつもりはないわ!」

 

「……ほう?」

 

「殺したければ殺せばいい。でも、ここで私を殺せば、あなたの『暇つぶし』はそこでおしまいよ。二度と現世の退屈しのぎはできない。……それでもいいなら、やりなさいよ!!」

 

凛の叫びが、居間に反響する。

 

沈黙が落ちた。一秒が、一時間にも感じられるような極限の均衡。

 

凛の額から汗が滴り落ち、ソファの肘掛けを握る宿儺の指先が、微かにピクリと動いた。

 

斬られる――。

 

凛がそう覚悟して、奥歯を噛み締めた、その瞬間。

 

 

「――っ、く、くはははははははっ!!」

 

 

宿儺が、腹を抱えて笑い出した。

 

それは嘲笑ではない。心底からの、愉快でたまらないといった大笑いだった。

 

張り詰めていた死のプレッシャーが、嘘のように霧散していく。

 

不可視の刃は消え去り、居間には再び、ただの冬の夜の静寂と、冷めた紅茶の香りが戻ってきた。

 

「あー、傑作だ。貴様、本当に傑作だな小娘。その貧弱な体で、よくぞ俺の殺気に耐え切った。それに、その『自分を殺せば暇つぶしが終わるぞ』という脅し……理にかなっている。悪くない」

 

宿儺は笑い涙を拭うような仕草をしながら、心底楽しそうに凛を見つめた。

 

かつて、彼を楽しませた強者たち。折れない心を持っていた者たち。その系譜に連なる「面白さ」を、彼はこの異世界の少女に見出していた。

 

「合格だ。遠坂、凛と言ったな」

 

初めて、彼が凛の名前を呼んだ。

 

「お前のその生意気なツラ、少し気に入った。いいだろう、俺はお前のサーヴァントとして、この『聖杯戦争』とやらに付き合ってやる。令呪とやらを使わずとも、お前が俺を退屈させない限り、俺の力は貸してやろう」

 

 

「……っ、当たり前よ。最初からそう言いなさいよ、馬鹿」

 

凛はついに耐えきれなくなり、どさりとソファに深く寄りかかった。

 

全身の力が抜け、大きなため息が漏れる。頬の傷に手を当てると、ヒリヒリとした痛みがようやく現実感を持って襲ってきた。

 

(……最悪。とんでもないのを喚び出しちゃった。でも……)

 

凛は、笑い続ける宿儺を見つめながら、口元に微かな笑みを浮かべた。

 

 

決して御しきれる相手ではない。いつ首を撥ねられるか分からない、爆弾を抱えて歩くようなものだ。

 

しかし、この圧倒的な強さは、間違いなく聖杯戦争において最大の武器となる。

 

「……じゃあ、契約成立ということでいいわね。だったら、さっそくマスターとしての仕事をさせてもらうわ。あなたの『能力』について、教えなさい」

 

凛は魔術で頬の止血を済ませると、再び凛とした表情を作り、宿儺に向き直った。

 

主従関係とは違う。互いのエゴと目的が奇妙に噛み合った、コンビの誕生の瞬間だった。

 

「能力、か。お前たちの世界の法則に当てはめるなら、俺のパラメータはこうなっているらしい」

 

宿儺は、聖杯から与えられた知識を読み上げながら、自身のステータスを開示した。

 

「筋力A+、耐久A+、敏捷A。……ふん、まあこんなものだろう」

 

「……は? 待って、全部Aランク以上!? しかもプラス付きって……信じられない、セイバーやバーサーカークラスでもそうそうない数値よ……」

 

凛は驚愕に目を見開いた。彼女の魔術師としての知識が、目の前の少年の規格外ぶりを改めて証明している。

 

「驚くのは早いぞ。俺の『魔力』のランクは、EXだそうだ」

 

「E、X……? 測定不能ってこと!? 待って、確かにあなたの魔力……ううん、これ、普通の魔力(オド)じゃないわよね。すごく重くて、淀んでいて……」

 

「俺の世界ではこれを『呪力』と呼ぶ。人間の負の感情から漏れ出すエネルギーの束だ。」

 

宿儺は右手を軽く持ち上げた。

 

瞬間、彼の手のひらの上に、黒と赤が混じったような、禍々しいエネルギーの塊が可視化された。それだけで、周囲の温度が数度下がったように感じられる。

 

「俺の基本戦術は、先ほど見せた『解』と『捌』という二つの斬撃だ。呪力を乗せて飛ばすか、直接触れて対象を細切れにするか。大抵の有象無象は、これで事足りる」

 

「不可視の斬撃……さっきのあれね。回避も防御も困難な、超高速の切断魔術……。それが基本戦術って、デタラメすぎるわ」

 

凛は頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた。

 

しかし、宿儺はそこで言葉を切った。

 

自身の真の奥義である対界宝具『世界を断つ斬撃』、『炎の術式』、そして『絶対必中の死域である領域』については、口を閉ざした。

 

さらには、この受肉した肉体が持つ第二の手札『十種影法術』と、最強の式神『魔虚羅』の存在も。

 

 

(……すべてを語る必要はあるまい。切り札は、いざという時の盤面をひっくり返すための娯楽だ。この小娘がどこまで俺の「斬撃」だけで戦いを構築できるか、見極めさせてもらおう)

 

 

宿儺の老成した、悪辣な探究心。

 

彼は自身の底をあえて見せず、凛の指揮能力と、他者の絶望する顔を楽しむための「余白」を残したのだ。

 

 

 

 

 

「……………以上だ。これでお前も、戦いの組み立てができるだろう?」

 

「……ええ。十分すぎるわ。これだけのパラメータと斬撃の術式があれば、正面からの殴り合いで負けることはまずない。あとは、敵の宝具や魔術に対する警戒と、戦術次第ね」

 

凛は、宿儺が切り札(宝具)を隠していることはわかっているが、あえてそれ以上は追求しなかった。無理に引き出そうとすれば、また先ほどの殺気が飛んでくる。今は、彼が「戦う意思」を見せているだけで十分だった。

 

 

「……ふん。悪くない顔になったな」

 

宿儺は立ち上がり、窓の外を見た。

 

冬の夜空に、薄っすらと白みがかかり始めている。夜明けは近い。

 

 

凛は、ソファに深く背中を預けたまま、長く、重い息を吐き出した。

 

その瞬間、ピンと張り詰めていた彼女の中の糸が、ふつりと緩む音がした。魔術回路の異常な稼働状態が収束し、全身の筋肉から極度の緊張が抜け落ちていく。それに伴い、鉛のような疲労感と、冷や汗で濡れた衣服の不快感が、どっと押し寄せてきた。

 

「今日はここまでよ。少し、休むわ」

 

「休む、だと?」

 

宿儺は窓の外から視線を戻し、面白そうに片方の眉を上げた。

 

「俺を前にして、無防備に眠ろうというのか。随分と図太いことだ。俺がその気になれば、お前が微睡みに落ちた瞬間にでも、その首を落とすことができるのだぞ」

 

「徹夜で魔力切れのマスターじゃ、おちおち『暇つぶし』の案内もできないでしょ」

 

 

凛は虚勢を張り直すように、ソファから立ち上がった。足元が微かにふらついたが、気力で持ち堪える。

 

「それに……あなたがその気なら、私が起きているかどうかなんて関係ないじゃない。さっきみたいに、瞬きする間に斬れるんでしょ?」

 

「違いない」

 

 

宿儺は喉の奥で短く笑った。その笑みには、先ほどまでの刺すような殺気はなく、どこか呆れたような、あるいは彼女の生意気さを許容するような色が混じっていた。

 

「二階の空き部屋は好きに使っていいわ。ベッドもあるから。……勝手に家の中を荒らさないでよね」

 

「必要ない。俺はここでいい」

 

 

宿儺は再び、どさりと革張りのソファに腰を下ろした。目を閉じ、腕を組む。

 

「早く行け。お前のその疲労困憊の魔力(オド)の匂いは、ひどく鼻につく。次ここへ来る時は、少しはマシな状態に仕上げてこい」

 

「……言われなくても、そうするわよ。おやすみ、宿儺」

 

凛はそれだけ言い残し、逃げるように、しかし決して背中を丸めないよう意識しながら、居間を後にした。

 

 

 

 

【時刻:午前3:15】

 

【場所:遠坂邸 二階、凛の私室】

 

自室のドアを閉め、鍵をかける。

 

カチャリ、という小さな金属音がした瞬間、凛の膝から完全に力が抜けた。

 

「……っ、あ……ぁ……」

 

ドアに背中を預けたまま、ズルズルと床へ座り込む。

 

震えが止まらなかった。歯の根が合わず、カチカチと小さな音を立てる。先ほどまで必死に抑え込んでいた「死の恐怖」が、一人になった途端、ダムがパニックを起こしたように決壊したのだ。

 

(狂ってる……何よ、あいつ。何なのよ、あれは)

 

両手で顔を覆う。右頬に走る、浅い切り傷の痛みが、あれが幻ではなく現実であることを冷酷に突きつけてくる。

 

『解』と名付けられた、不可視の斬撃。あれが文字通り、髪の毛一本分の誤差もなく自身の急所を狙い澄ましていたことを、凛の魔術師としての本能は完全に理解していた。もしあの時、自分が一瞬でも怯懦を見せていれば。令呪の力に頼り、力ずくで従わせようとしていれば。

 

間違いなく、自分は今頃、この家で肉塊になっていた。

 

「はぁっ……はぁっ……」

 

冷たいフローリングに座り込んだまま、荒い呼吸を繰り返す。

 

遠坂の悲願。最強のサーヴァント。そんな誇り高い言葉が、ひどく滑稽に思えるほどの「災害」を、自分は喚び出してしまったのだ。

 

「でも……」

 

凛は顔を上げ、暗い部屋の天井を睨みつけた。

 

恐怖で涙が滲む瞳の奥底に、決して消えない「魔術師としての炎」がチロチロと燃え上がっていた。

 

「逃げるわけにはいかない。あいつは……宿儺は、確かに私を認めた。私の言葉を、意志を聞き入れた」

 

それが彼の気まぐれであろうと、暇つぶしであろうと関係ない。あの絶対的な自己中(エゴイスト)が、遠坂凛という人間を「盤面に立つ資格がある」と見做したのだ。

 

凹凸などという生易しいものではない。猛獣の檻に素手で入り込み、餌をチラつかせながら綱渡りをするような関係。しかし、もしこの綱を渡り切ることができれば。

 

 

(勝てる。間違いなく、この聖杯戦争を制覇できる)

 

 

凛はゆっくりと立ち上がり、ベッドへと倒れ込んだ。

 

シーツの冷たさが、火照った体を少しだけ冷ましてくれる。

 

階下には、今もあの怪物が鎮座している。その事実だけで胃が痛くなりそうだったが、奇妙なことに、あれほど彼女を苛んでいた恐怖は、いつの間にか「武者震い」へと変質し始めていた。

 

「せいぜい、使いこなしてやるわよ……呪いの王」

 

誰に言うでもない決意の言葉を虚空に投げかけ、凛は泥のような眠りへと落ちていった。

 

 

 

 




息抜き作品なので余り期待しないでもらえると助かります。

感想とか評価とかもらえるとモチベ爆上がりするのでお願いします……お願いしますぅ

酷評でも評価でも罵倒でもいいので、
コメント読むの楽しみなので、おねがいしますぅ…すぅ…すー
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