Fate/stay night [Alter Ego of Calamity] ――理外の双貌   作:りー037

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呪いの共鳴と、星の息吹

【時刻:午前0:30】

 

【場所:冬木市 円蔵山・山門前】

 

 

キャスター陣営の壊滅。

 

 

冬木市最大の霊脈を占拠し、数万人の生命力を啜り上げていた魔女の陣地は、両面宿儺の理不尽な暴力と、極致の剣士を打ち破ったセイバーの誇りによって、完全に攻略された。

 

「……ふぅ。これで、とりあえず最大の懸念事項は片付いたわね」

 

 

山門の石段で、遠坂凛は大きく伸びをし、張り詰めていた緊張の糸を少しだけ緩めた。

 

彼女の顔には疲労の色が濃い。宿儺に魔力を供給し続け、さらに魔虚羅という神話級の式神の顕現による反動は、彼女の優秀な魔術回路をもってしても強烈な負担となっていた。

 

それでも、冬木を脅かす大魔術が止まったという事実は、遠坂の当主としての彼女に深い安堵をもたらしていた。

 

 

「遠坂、お疲れ様。それに、宿儺も」

 

士郎が、額の汗を拭いながら二人を出迎える。

 

 

「葛木先生がマスターだったっていうのは驚きだけど……、これ以上、学校の奴らや街の人が巻き込まれずに済んだのは、お前たちのおかげだ」

 

「フン。俺は俺の気に食わん魔女を解体しただけだ。感謝されるいわれはない」

 

 

宿儺はポケットに両手を突っ込んだまま、退屈そうに夜空を見上げた。

 

「シロウ、傷の手当てを。マスターの安全が確保されたとはいえ、まだ聖杯戦争が終わったわけではありません」

 

セイバーは自身の右肩に負った浅い傷を魔力で塞ぎながら、士郎の身体を気遣う。

 

その時、セイバーの翡翠の瞳が、ふと柳洞寺の境内――山頂の方角へと向けられた。

 

 

「……キャスターの魔力が消散していく一方で、何か、嫌な冷気を感じます」

 

 

セイバーが、見えない剣の柄を握り直す。

 

 

「冷気? 山の霊脈が正常化していく過程の揺り戻しじゃないの?」

 

凛が不思議そうに問うが、彼女の魔術師としての本能もまた、微かな警鐘を鳴らし始めていた。

 

 

それは、魔術の気配ではない。

 

 

大地の底から、じわり、じわりと染み出してくるような、物理的な『重さ』を伴った悪寒。

 

 

「……ほう」

 

 

誰よりも早く、その異変の正体に気づいたのは、宿儺だった。

 

彼の四つの瞳が、山門の奥の暗闇を鋭く射抜く。

 

先ほどまで彼が放っていた退屈そうな雰囲気は完全に消え去り、代わりに、極上の『獲物』を見つけた猛禽類のような、底知れぬ歓喜と闘争心が全身から溢れ出し始めたのだ。

 

 

「宿儺……? どうしたの?」

 

 

凛が宿儺の異変に気づき、声をかける。

 

 

「ククッ……なるほど。そういうことか。あの魔女、死に際に面白い置き土産を残していきおった」

 

宿儺の顔が、三日月のように深く、凶悪に歪む。

 

「あの魔女が溜め込んでいた莫大な魔力……それが栓となって抑え込んでいた『本命』が、蓋を外されて溢れ出そうとしているか?……いや、違うな。これは『俺』に呼ばれて這い出してきたというべきか」

 

「本命? 俺に呼ばれて……って、一体何の話だ!?」

 

 

士郎が後ずさる。

 

 

「……来ます!! マスター、離れて!!」

 

セイバーの絶叫が、夜の静寂を完全に引き裂いた。

 

 

 

 

ゴボォォォォォォォォォォォッ!!!!!

 

 

 

地鳴り。

 

 

いや、それは円蔵山そのものが、内側から『嘔吐』するような、悍ましい破裂音だった。

 

 

「な、何あれ……!?」

 

 

凛が、恐怖に顔を蒼白にして後退りする。

 

山門の奥。柳洞寺の境内に続く長い石段の上から、真っ黒な『泥』が、巨大な津波となって押し寄せてきたのだ。

 

 

それは、コールタールのように黒く、ドロドロとしており、そして何よりも、この世のすべての悪意、憎悪、殺意を煮詰めたような、絶対的な『呪い』の気配を放っていた。

 

 

「ひっ……!」

 

 

士郎の脳髄が、その泥から発せられる悲鳴のような呪詛の波に打たれ、強烈な吐き気と頭痛に襲われる。

 

 

「これは……英霊の霊基そのものを汚染する、純粋な悪意の塊! なぜ、こんなものがこの山に……!」

 

 

セイバーは直感で、この泥に触れれば英霊としての自分が完全に裏返り、狂気に呑み込まれることを確信した。

 

 

「アハハハハハハッ!! 素晴らしい! 極上の臭いじゃないか!」

 

 

泥の津波を前にして、宿儺だけが腹を抱えて狂笑していた。

 

 

彼という『呪いの王』の存在、その極限まで高められた純粋な悪意と呪力が、大空洞に眠っていたアンリマユ(この世の全ての悪)と強烈に共鳴し、泥を地上へと引き摺り出してしまったのだ。

 

 

「笑ってる場合じゃないわよ、宿儺! 逃げるわよ!!」

 

凛は、もはや魔術戦でどうにかなる相手ではないと即座に判断し、撤退を叫んだ。

 

「チッ、興醒めな女だ。まあいい、こんな泥濘で泥遊びをする趣味はない」

 

 

 

 

宿儺は舌打ちをすると、凛の腰に左腕を回し、まるで荷物のように軽々と小脇に抱え上げた。

 

「きゃっ!? ちょっと、もっと優しく扱いなさいよ!」

 

「文句を言うなら、その泥の餌食になるか? 舌を噛まんように口を閉じておけ」

 

 

宿儺は、迫り来る泥の津波を一瞥すると、【空界踏破】で虚空を蹴り、山門の屋根から一気に深い森へと跳躍した。

 

 

「シロウ、走ってください! 決して振り返ってはなりません!」

 

セイバーもまた、士郎の腕を掴み、超人的な脚力で石段を駆け下りる。

 

 

 

ズゴゴゴゴゴゴゴォォォォォッ!!!

 

 

 

四人が飛び退いた直後、十メートルを超える泥の津波が山門を完全に飲み込み、凄まじい質量をもって粉砕した。

 

泥は意志を持っているかのように蠢き、逃げる獲物を喰らおうと、森の木々を薙ぎ倒しながら、生き物のように追従してくる。

 

 

 

 

【時刻:午前0:40】

 

【場所:円蔵山・裏森】

 

深夜の森を駆け抜ける、スリル満点の逃走劇が幕を開けた。

 

 

「ハァッ……! ハァッ……!」

 

 

士郎はセイバーに手を引かれ、肺が破けそうなほど息を切らしながら走っていた。

 

背後からは、木々がへし折られ、泥が地面を削り取る不気味な轟音が絶え間なく響いてくる。

 

「シロウ、もう少しです! 麓まで下りれば……!」

 

セイバーが士郎を励ます。だが、彼女の顔にも焦燥が浮かんでいた。

 

泥の進行速度は、自然の土石流などとは比較にならないほど速い。明らかに、自分たちという「英霊」の魔力を狙って追跡してきているのだ。

 

一方、空界踏破で木々の間を立体的に飛び回る宿儺と凛。

 

 

「宿儺! 泥が……泥が追いついてくるわ!」

 

 

宿儺の腕の中で、凛が背後を振り返って悲鳴を上げる。

 

「うるさい女だ。……あの泥の塊、意志を持っているな。それに、明らかに俺の『呪力』に惹かれて伸びてきている」

 

 

宿儺は、樹木の太い枝を蹴って跳躍しながら、冷静に状況を分析していた。

 

「俺の呪力と共鳴している……ククッ、本当に面白い。俺という最大の呪いに呑み込まれ、一つになろうとしているわけか。だが、俺を染めようなどと、百年早い」

 

 

宿儺が、背後に迫る泥の触手に向けて、指先を軽く振るう。

 

 

 

シュパァァァァンッ!!

 

 

 

不可視の斬撃『解』が、泥の触手を縦に両断する。

 

だが、斬られた泥は一瞬で液状に融合し、何事もなかったかのように再び伸びてくる。

 

「斬撃が効かない……! 物理的な切断じゃ、あの液体の塊は止められないわ!」

 

 

凛が絶望的な声を上げる。

 

 

「なら、一息に蒸発させてやろう。凛、令呪を使え。」

 

 

宿儺の手に、極大の炎を生み出す術式が宿ろうとした。

 

 

「待って! この森でそんな規模の炎を出せば、火災になって冬木中が大パニックになるわ! それに士郎たちも巻き込まれる!」

 

 

凛が咄嗟に宿儺の手首を掴んで止める。

 

「チッ、面倒な縛りだ。ならば、ひたすら逃げるしかなかろう」

 

 

宿儺は舌打ちをし、さらに加速して森を駆け下りる。

 

だが、泥の濁流は勢いを増すばかりだった。

 

巨大な波が左右に広がり、逃げ道を塞ぐように包囲網を敷き始める。

 

 

「――マスター!」

 

 

前方から、セイバーの悲痛な叫び声が響いた。

 

宿儺と凛が空中の枝から見下ろすと、士郎が木の根に足を取られ、無惨に転倒してしまっていたのだ。

 

 

「ぐっ……!」

 

 

士郎が立ち上がろうとするが、足首を捻ったのか、顔をしかめて膝をつく。

 

そこに、数十本の泥の触手が、蛇のようにうねりながら士郎とセイバーへと殺到する。

 

 

「セイバー、逃げろ……! 俺にかまうな!」

 

「馬鹿なことを言わないでください! あなたを置いて逃げるくらいなら、私は……」

 

 

セイバーは士郎の前に立ち塞がり、不可視の剣で泥の触手を懸命に薙ぎ払う。

 

しかし、風王結界の風の刃では泥を弾き飛ばすのが限界であり、触れるたびに彼女の魔力がゴリゴリと削り取られ、銀の甲冑が黒く汚れ始めていた。

 

 

(このままでは、シロウも私も、この泥に呑み込まれる……!)

 

セイバーの『直感』が、絶望的な未来を告げていた。

 

この泥に触れれば、己の存在意義すらも黒く塗り潰される。逃げ切ることは不可能。物理的な斬撃も通じない。

 

 

ならば、残された手段はただ一つ。

 

 

セイバーは、自身の内にある膨大な魔力回路のロックを、強引に解除した。

 

 

「……シロウ」

 

 

セイバーが、背後の士郎を振り返る。

 

その翡翠の瞳には、死を覚悟した騎士の、悲壮な決意が宿っていた。

 

「私の誇りにかけて、あなたを死なせはしない。……マスター、許可を」

 

「セイバー……? まさか、宝具を使う気か!?」

 

 

士郎が驚愕する。凛から、セイバーの魔力は枯渇寸前であり、宝具を使えば霊基が崩壊して消滅する可能性があると聞かされていたからだ。

 

 

「この規模の呪いを祓うには、星の光を以て薙ぎ払うしかありません。……完全な真名解放は現時点では不可能です。しかし、限定的な解放であれば、この泥の波を焼き払い、血路を開くことはできるはず」

 

「だめだ! そんなことをしたら、お前が消えちまう!」

 

「シロウ!!」

 

 

セイバーの強い一喝が、士郎の制止を打ち消した。

 

「私は、あなたのサーヴァントです。主の命を守るのが、騎士の務め。……あなたと共に戦えたこと、誇りに思います」

 

セイバーが、不可視の剣の封印を解いた。

 

風の渦が弾け飛び、夜の森に、目も眩むような『黄金の光』が姿を現した。

 

星の息吹を鍛え上げた、神造兵装。

 

 

 

 

『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』

 

 

 

 

 

「……ほう」

 

上空の木の枝に降り立った宿儺が、その黄金の光を見て、感心したように目を細めた。

 

「あの光……あれは、極上の『斬撃』の気配がする」

 

泥の波が、光を飲み込もうと巨大な大口を開ける。

 

セイバーは、残された自身の魔力、いや、英霊としての存在(霊基)そのものを燃料にして、黄金の剣を天高く振り上げた。

 

 

「――光よ!!」

 

 

セイバーの絶叫と共に。

 

黄金の剣から、極太の光の奔流が放たれた。

 

真名解放には及ばない、限定的な解放。しかし、その光は、この世のすべての悪意を浄化するほどの、圧倒的で神聖な熱量を持っていた。

 

 

 

ズバァァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!!!

 

 

 

黄金の閃光が、夜の森を真昼のように照らし出す。

 

迫り来る泥の津波が、光の奔流に触れた瞬間、ジュワァァァァッ!! と悲鳴のような音を立てて蒸発し、消し飛んでいく。

 

光の波は扇状に広がり、円蔵山の麓に押し寄せていた泥の海を、一気に焼き払った。

 

圧倒的な破壊と浄化。

 

数十秒後、光が収まると、そこには焼け焦げた大地の跡と、完全に退けられた泥の残骸だけが残されていた。

 

 

「……やった、のか」

 

 

士郎が、信じられないものを見るように呟く。

 

 

 

だが。

 

 

カラン……、と。

 

 

 

黄金の剣が、地に落ちる音がした。

 

「……はぁっ、はぁ……」

 

光の奔流を放ち終えたセイバーが、糸の切れた操り人形のように、その場に崩れ落ちたのだ。

 

「セイバー!!」

 

 

士郎が慌てて駆け寄り、彼女を抱き起こす。

 

しかし、士郎の手に伝わるセイバーの体は、信じられないほど軽く、そしてその輪郭は、半透明の黄金の粒子となって、今にも空気に溶けて消えてしまいそうだった。

 

 

限界を超えた魔力行使による、霊基の崩壊。

 

彼女の存在が、世界から薄れようとしていた。

 

 

 

 

「シロウ……ご無事で、何より……」

 

セイバーが、力なく微笑む。

 

「馬鹿野郎……! なんで、そこまで……!」

 

士郎の目から、涙がこぼれる。

 

 

「……退きなさい、衛宮くん!!」

 

 

その時、上空から赤いコートを翻して、遠坂凛が飛び降りてきた。

 

彼女の両手には、ありったけの魔力を充填した複数の宝石が握りしめられている。

 

「遠坂……?」

 

「セイバーの霊基が保たないわ! 私が、一時的に魔力パスを補強して繋ぎ止める!」

 

 

凛はセイバーの胸元に手を当て、自身の魔術回路を限界までフル稼働させた。

 

 

「ふっ……っ、あああああッ!!」

 

 

凄まじい痛みが凛の全身を駆け巡る。

 

ただでさえ宿儺という規格外のサーヴァントに魔力を吸われ、魔虚羅の顕現で疲弊しきっていた彼女の身体。そこへさらに、消えゆく最強の英霊を無理やり現世に縛り付けるための魔力を絞り出す。

 

それは、自身の生命力(オド)そのものを削り取る、自殺行為に近い魔術行使だった。

 

 

「遠坂! やめろ、お前まで倒れるぞ!」

 

士郎が叫ぶが、凛は歯を食いしばって魔力を流し込み続けた。

 

 

「黙ってて! 私の目の前で……死なせはしないわよ……ッ!!」

 

 

バチィッ!!

 

 

 

凛の握っていた宝石が、すべての魔力を使い果たして粉々に砕け散った。

 

「……はぁっ、はぁ……」

 

その瞬間、セイバーの身体の輪郭が、ギリギリのところで実体を取り戻し、消滅の危機を脱した。

 

セイバーは静かな寝息を立てて、完全に意識を失っている。

 

 

「……よかった……間に、合った……」

 

 

凛が安堵の笑みを浮かべた直後。

 

彼女の身体から完全に力が抜け、その場に崩れ落ちそうになる。

 

 

だが、彼女の身体が地面に叩きつけられるよりも早く。

 

 

「……チッ。まったく、世話の焼けるマスターだ」

 

 

純白の腕が、倒れゆく凛の身体を、乱暴に、しかし確実に抱き止めた。

 

 

両面宿儺だった。

 

 

「……宿、儺……」

 

凛が、虚ろな目で自身を抱きとめた宿儺を見上げる。

 

「魔力も体力もすっからかんだな。自身の身の丈を超えた魔術行使など、愚の骨頂だ。……そのまま寝ていろ」

 

 

宿儺は悪態をつきながらも、凛を軽々と小脇に抱え直した。

 

「……あなた、私を見捨てて……逃げても、よかったのに……」

 

凛が微かな声で皮肉を言う。

 

 

 

「ふっ……いやなに、お前がいなくなれば、俺が現世に留まるためのパスが切れる。それに……お前のその、己を削ってでも意地を通す傲慢な生き様は、もう少しだけ見ていてやりたくなっただけだ」

 

 

宿儺は、どこか楽しそうに、三日月のように目を細めた。

 

それは、絶対的な自己本位を貫く呪いの王が、ほんの気まぐれで見せた「他者への許容」

 

 

アルターエゴとして、老成した精神を持つ彼だからこそ選んだ、ほんの僅かな軌道修正だった。

 

 

「おい、小僧。そっちの光の騎士を背負え。……ここで長居すれば、またあの泥が湧いてくるかもしれん」

 

 

宿儺が、士郎に命令を下す。

 

 

「ああ、分かってる。……恩に着る、宿儺」

 

士郎が、意識を失ったセイバーを背負いながら、素直に感謝の言葉を述べる。

 

「フン。感謝など不要だ。さっさと歩け」

 

宿儺は、気絶した凛を抱えたまま、夜の森を抜け、冬木の街へと向かって歩き出した。

 

 

 

 

 

【時刻:午前2:30】

 

【場所:冬木市 新都・冬木教会 礼拝堂】

 

重厚な扉が開く音が、冷え切った礼拝堂の静寂を打ち破った。

 

「……これは驚いた。随分と派手な夜遊びをしてきたようだな、凛、それに衛宮士郎」

 

祭壇の前に立っていた偽りの神父――言峰綺礼が、ボロボロになった一行を見て、ひどく楽しげに目を細めた。

 

凛は宿儺の腕の中で意識を取り戻したものの、自力で歩くことはできず、宿儺の肩を借りてなんとか立っている状態だ。士郎もまた、意識を失ったセイバーを背負い、満身創痍であった。

 

 

「……嫌味を言っている暇があったら、椅子の一つでも用意しなさいよ、エセ神父」

 

 

凛が、息を荒げながら言峰を睨みつける。

 

「ふっ、相変わらず口の減らないものだ。……それで、キャスターの討伐に向かったようだが、そのお前たちが、なぜこれほどまでに疲弊している? あの山の異常な魔力溜まりは、確かに消滅したように見えるが」

 

 

言峰の問いに、凛はギリッと唇を噛み締めた。

 

「キャスターは倒したわ。でも……問題はその後よ。言峰、あんた監督役として、今の聖杯のシステムについてどこまで知っているの?」

 

「……何の話だ?」

 

 

言峰の瞳の奥に、怪しい光が点灯する。

 

 

「とぼけないで。円蔵山の地下から、真っ黒な泥の津波が溢れ出してきたのよ。英霊の霊基を汚染し、生命を啜るような純粋な呪いの塊がね」

 

凛の言葉に、言峰の表情が僅かに動いた。

 

 

「あの泥に触れれば、サーヴァントは理性を失い、取り返しのつかないことになる。……あれは明らかに、聖杯戦争という儀式の枠組みを超えた『異常事態』よ。あの泥の正体は、そしてなぜあんなものが噴き出したの?」

 

凛の鋭い追及が、礼拝堂に重く響き渡る。

 

士郎もまた、背中のセイバーを守るように、厳しい視線を言峰へと向けていた。

 

 

だが。

 

 

「――なるほど。聖杯そのものが、何らかの『異常』に陥っているということか」

 

言峰は顎に手を当て、どこか芝居がかった、しかし隠しきれない愉悦を滲ませた声で呟いた。

 

「異常……? 監督役のあんたでも、理由が分からないって言うの?」

 

「いかにも。私の管轄はあくまで儀式の進行と秘匿の維持だ。大聖杯の深部で何が起きているかまでは把握できん。……だが、推測することはできる」

 

 

言峰は、ゆっくりと一行の前に歩み出た。

 

「ライダー、アサシン、そしてキャスター。今夜までに複数のサーヴァントが脱落し、その魂が器へと還った。これにより、聖杯は想定よりも早く活性化の段階に入ったのだろう」

 

言峰の視線が、凛の隣で退屈そうにあくびをしている宿儺へと向けられる。

 

「そして何より……そこの『規格外の呪い』の存在だ」

 

「俺がどうかしたか、偽神父」

 

 

宿儺が、四つの瞳で言峰を冷酷に見据え返す。

 

「大聖杯に溜まった莫大な魔力が、君の持つ底知れぬ悪意と呪力に『共鳴』したのだ。本来なら器が満ちるまで溢れることのないはずの魔力が、君という極大の呪いに引かれ、暴走して泥となって地上へ漏れ出した……そう考えるのが自然だろうな」

 

「ククッ。つまり、俺の魅力に当てられて、山が吐瀉物を漏らしたというわけか。下らん」

 

宿儺は鼻で嗤い、興味を失ったように視線を外した。

 

「じゃあ、あの泥の正体自体は何なの!? 聖杯は万能の願望機なんでしょう? なんであんな、呪いの塊みたいなものが……!」

 

士郎が、納得がいかないと声を荒げる。

 

「さあな。システムそのものに致命的なバグが起きているのか、それとも……。私には不明だ」

 

言峰は両手を広げ、肩をすくめてみせた。その顔には、彼らが直面している「得体の知れない恐怖」をワインのように味わう、邪悪な笑みが張り付いている。

 

 

「……役に立たない神父ね」

 

 

凛が忌々しそうに吐き捨てる。

 

「なら、自力で調べるしかないわね。このままじゃ、聖杯戦争を続けるどころか冬木が泥に沈むわ」

 

「自力で調べる、か。ならば一つ、有益な助言をしてやろう」

 

 

言峰が、背を向けようとした凛たちに向けて、甘く、悪魔のような囁きを投げかけた。

 

 

「聖杯のシステムを構築し、その『器』を用意した御三家の一つ。彼らならば、大聖杯の深部に何が起きているのか、あの泥の正体が何なのか……その真実に辿り着くための『情報』を持っているやもしれんぞ」

 

「……御三家。アインツベルン、ということか」

 

士郎が、ハッと顔を上げる。

 

「イリヤ……」

 

「いかにも。冬木郊外の森に陣取る、白き少女。彼女の持つ知識を叩き出せば、この聖杯戦争の異常を止める手立てが見つかるかもしれない」

 

言峰は、楽しげに笑みを深めた。

 

「さあ、どうする? 正義の味方を気取る少年と、優秀な魔術師よ。敵は他のマスターだけではない。あの泥の海が本格的に冬木を飲み込む前に、アインツベルンの城へ向かい、真実の扉を叩く覚悟があるかな?」

 

キャスターを倒し、一息つけると思ったのも束の間。

 

聖杯の異常と、不気味な黒い泥の出現。次なる目的地として示された「アインツベルンの森」へ向け、士郎と凛の戦いは、さらに先の見えない混迷の深淵へと足を踏み入れていくのだった。

 

 

 




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