Fate/stay night [Alter Ego of Calamity] ――理外の双貌 作:りー037
【時刻:午後2:30】
【場所:冬木市 郊外・アインツベルンの森】
漆黒の夜空を埋め尽くすように展開された、数百に及ぶ眩い黄金の波紋。
空間そのものが歪み、そこから剣、槍、斧、鉾といった、人類史におけるあらゆる武具の原典が、切っ先を下に向けて無慈悲に射出された。
音速を優に超える『黄金の雨』。
それが眼下の雪原へと降り注ごうとした瞬間、その絶対的な死の気配に反応できたのは、森の中心に立つ二つの規格外――呪いの王と大英雄だけであった。
「チッ――!」
両面宿儺は、上空の黄金の輝きが膨張したその刹那、己の傍らで腰を抜かしそうになっていた遠坂凛の腰を片腕で強引に抱き寄せ、大地を蹴った。
【空界踏破】による空間の面を蹴る絶技。神速の跳躍で後方へと大きく身を躱す。
直後、彼らが先ほどまで立っていた雪原に、無数の宝具が流星のごとく突き刺さった。
ズドガァァァァァァァァァァァンッ!!!!!!
アインツベルンの森が、文字通りひっくり返った。
宝具の直撃による爆発ではない。それぞれの武具に込められた神代の神秘、その圧倒的な質量が大地に衝突したことで生じた、純粋な物理的破壊。
岩盤が砕け散り、凍てついた土砂がクレーター状に抉り飛ばされ、凄まじい衝撃波が森を薙ぎ払う。
「――っ!」
宿儺は空中で姿勢を制御し、凛を庇いながら着地しようとした。
だが、あまりにも広範囲に降り注いだ宝具の余波は、彼らの退路にまで及んでいた。至る所で地面が爆砕し、飛び散った岩の破片の一つが、宿儺の腕の中に抱えられていた凛の後頭部へと、砲弾のような速度で直撃した。
「が、ぁ……」
ゴツッ、という鈍い音が響き、凛の口から微かな空気が漏れた。
彼女の頭部から鮮血が舞い散り、白亜の雪原に赤い斑点を穿つ。
その瞬間、遠坂凛の意識の糸は完全に断ち切られ、彼女の体は糸の切れた操り人形のように宿儺の腕の中で力なく首を垂れた。
「……凛」
宿儺の掌に、温かく、そして生温かい彼女の血がべっとりと付着した。
魔力枯渇で動けぬマスター。その無防備な肉体を、自分という絶対の強者が庇い切る前に傷つけられたという事実。
それは、呪いの王にとっての『敗北』に近い屈辱であった。
宿儺の四つの瞳の奥底で、ドス黒い、底知れぬ怒りと殺意の炎がボワリと点火する。
一方、その惨劇の中心地では、もう一つの『王と王の邂逅』の影で、大英雄の最後の幕が引かれようとしていた。
「バーサーカー……ッ!?」
頭上に死の雨が降り注ぐ中、イリヤスフィールは己の死を悟った。
だが、その黄金の雨が彼女の小さな身体を貫くことはなかった。
「ルォォォォォォォォォォォォォッ!!!」
十三度目の蘇生を果たし、本来であれば宿儺を殺すために全霊を傾けるはずだった狂戦士
彼は一切の躊躇いなく、イリヤの上に覆い被さるようにして、その岩山のような巨躯を『盾』としたのだ。
ズバッ! ドスッ! ガキィィィンッ!!!
大英雄の背中に、数十、数百という神代の宝具が容赦なく突き刺さる。
【十二の試練】を失い、令呪による奇跡の回復も使い果たしたヘラクレスには、もはやこの理不尽な火力を防ぎ切る耐性も、蘇生するための残機もない。
黄金の剣が肺を貫き、呪いの槍が心臓をえぐり、重い戦斧が霊核を粉々に砕いていく。
「やめて、やめてぇぇぇぇっ! バーサーカー!!!」
己を包み込む巨大な腕の中で、イリヤが血の涙を流して絶叫する。
だが、バーサーカーは微動だにしなかった。彼はその命が完全に尽き、肉体が魔力の粒子となって崩壊していく最後の瞬間まで、ただひたすらに、マスターに傷一つ負わせまいと、その巨体を盾として張り続けたのだ。
ザザザァァァ……。
大英雄の肉体が、黄金の光に包まれて完全に消滅する。
その傍らで、宿儺が顕現させていた式神『円鹿』もまた、無数の宝具に貫かれ、悲鳴を上げる間もなく影へと還元されていった。
「……チッ。手前のマスターを庇って塵に還ったか。つまらん最期だ」
宿儺は、完全に消滅したバーサーカーの跡地を冷ややかに一瞥した。
そして、腕の中で意識を失っている凛の頭部へと右手を当て、極上の正のエネルギー――『反転術式』を静かにアウトプットする。
淡い光が凛の傷口を包み込み、砕けた頭蓋と損傷した脳組織が瞬時に修復されていく。呼吸が安定し、命の危機が去ったことを確認すると、宿儺はゆっくりと立ち上がり、空を見上げた。
「……さて。どこぞの成り上がりか知らんが、よくも俺のマスターの頭をカチ割ってくれたものだな」
宿儺の低い声が、静まり返った森に響く。
その視線の先、黄金の船・ヴィマーナの舳先に立つ男――英雄王ギルガメッシュは、紅蓮の双眸を細め、心底からの不快感と嫌悪感を露わにしていた。
「――図に乗るなよ、雑種。我の庭に湧いた泥水かと思えば、これほどまでに醜悪な腐臭を放つ『呪い』であったとはな」
ギルガメッシュの声は、絶対的な王としての傲慢さに満ちていた。
神代の英霊である彼にとって、両面宿儺という存在は、人々の負の感情、恐れ、怨念が煮詰まって生まれた純粋な『悪意の塊』――すなわち、王の治めるべき世界を汚す、不浄なる汚物でしかなかった。
「英雄が何人も束になって死闘を繰り広げるならば、我の退屈凌ぎの余興にもなったものを。……貴様のような得体の知れぬ汚物が跋扈するなど、美学の欠片もない。その娘ごと、我が宝物庫の剣の錆となる光栄に浴するがいい」
英雄王の宣言と共に、彼の背後の空間がさらに大きく波打った。
先ほどの倍以上――数百にも届こうかという黄金の波紋が、夜空を完全に覆い尽くす。
「……ハッ。金ピカの成金趣味が、天から見下ろして神にでもなったつもりか」
宿儺は四つの瞳を凶悪に歪め、口角を吊り上げた。
「その安いプライドごと、地に引きずり下ろして四肢をもいでやる。泣き喚く準備はできているのだろうな、羽虫」
王と王。
互いに天上天下唯我独尊を地で行き、己以外の全てを雑種と見下す二つの極大のエゴが、ついに真っ向から衝突した。
「ほざけ、泥人形が!!」
ギルガメッシュの腕が振り下ろされる。
それを合図に、夜空を埋め尽くした数千の宝具が、一斉に宿儺たちへと牙を剥いた。
「チッ……!」
宿儺は即座に凛を小脇に抱え込み、大地を蹴って凄まじい速度で後退を開始する。
だが、範囲が広すぎる。
「邪魔だ。泣き喚くなら他所でやれ」
宿儺は走りながら片手で手印を結び、足元の影から『蝦蟇』を顕現させた。
緑の巨蛙たちは、ヘラクレスを失ってその場で呆然とへたり込んでいたイリヤスフィールに向けて、長い舌を射出。彼女の身体をグルグル巻きにすると、そのまま背中に乗せ、宿儺とは全く別の方向――森の側面へと強引に飛び去っていった。
「きゃあっ!? な、何するのよ!! 放して!!」
イリヤの悲鳴が遠ざかる。
宿儺にとって、彼女の命などどうでもよかった。だが、金ピカの注意を少しでも分散させる餌になるなら、生かしておく価値はある。
「逃げ惑う様はネズミそのものだな、呪い!」
ヴィマーナに乗ったギルガメッシュが、悠然と空を滑りながら宿儺を追撃する。
黄金の雨が、宿儺の退路を正確に先読みして降り注ぐ。
シュパパパパパパパパッ!!
宿儺は凛を抱えたまま、空いている片手で無数の『解』の網を上空へ放つ。
不可視の斬撃が、飛来する宝具と激突し、次々と空中で相殺されていく。だが、英雄王の宝物庫から射出される原典は、一つ一つが神代の神秘を帯びた極上の業物。宿儺の『解』ごと押し潰し、斬撃の網をすり抜けてくる宝具が何本も存在した。
「防ぎきれんか。――『大蛇』『虎葬』」
宿儺は走りながら影を開放し、巨大な蛇の式神と、二足歩行の虎の式神を上空へと射出した。
攻撃のためではない。純粋な『肉の盾』としての使い捨てだ。
ズガガガガガガガッ!!!
大蛇の巨体が無数の剣と槍に貫かれてズタズタに引き裂かれ、虎葬の強靭な肉体もまた、数秒持たずに血だるまとなって消滅する。
だが、その一瞬の肉の壁が、宿儺の逃走経路を辛うじて確保した。
「ハハハッ! 醜い、ひどく醜いぞ! 己の手駒を盾にして生き延びるか!」
ギルガメッシュの嘲笑が上空から降ってくる。
乱射される宝具の豪雨の中、宿儺の超絶的な体術と空間把握能力をもってしても、すべての攻撃を無傷で躱し切ることは不可能だった。
ズバッ! ドスッ!
「グッ……!」
二本の宝剣が、網をすり抜けて宿儺の左肩と背中を深々と貫通した。
通常であれば即座に回避できる軌道。だが、彼の腕の中には意識を失った凛がいる。マスターを庇うために、あえて己の肉体を差し出して剣を受けたのだ。
痛覚を無視し、宿儺は走りながら『反転術式』を回す。
剣が刺さったままの傷口から白い蒸気が上がり、細胞が強引に修復されていく。
(……不味いな)
宿儺の冷徹な脳髄が、現在の戦況を極めて冷静に計算し、最適解を弾き出していく。
自身の疲労は問題ない。だが、マスターの魔力は完全に枯渇寸前である。
その上、マスターを守りながらの撤退戦。
相手は、上空から無限の遠距離火力を投射してくる、紛れもない最上位の英霊。
(このままジリ貧で走り続ければ、いずれ俺の呪力出力が追いつかず、凛ごと串刺しになる。……ならば、手札を切り直すしかあるまい)
宿儺は森の木々を縫って走りながら、十種影法術の極めて特殊な『ルール』を起動させた。
十種影法術の式神は、一度完全に破壊されると二度と顕現させることはできない。
だが、その破壊された式神が遺した『術式』と『力』は、残された他の式神へと継承される。
先ほどヘラクレス共に巻き添えを食って消滅した『円鹿』。
そして今、盾となって消滅した『大蛇』と『虎葬』。
「来い」
宿儺は片手で印を結び、自身の影の奥底に命じた。
これらの破壊された三体の式神の力を、飛行能力を持つ『鵺』へと継承させる。
さらに、特級クラスの戦闘力を持つ『玉犬・渾』を、その鵺と融合・拡張させる。
死と再生の法則を捻じ曲げ、異なる獣の力を一つに縫い合わせる。
「――『嵌合獣・顎吐』」
ボワァァァァッ!!
宿儺の足元の影が爆発的に膨れ上がり、そこから異形の獣が飛び出した。
魔虚羅にも似た二メートルを超える人型のシルエット。だが、そのフォルムは対照的に女性的な丸みを帯び、顔には鵺の骸骨面が張り付いている。
計五体(虎葬、円鹿、大蛇、鵺、渾)の力を併せ持つ、最強のキメラ式神。
「ギィェェェェェェェッ!!」
顎吐は顕現するなり、その骸骨面から天に向けて凄まじい紫電を放った。
バリバリバリッ!!
落雷のような電撃の網が上空へ広がり、飛来する黄金の宝具を次々と弾き飛ばし、溶かしていく。さらに、顎吐の周囲には円鹿の力である正のエネルギー(反転術式)が淡く展開されており、宝具の余波を受けても即座に自身の肉体を再生させていく。
「ほう? 妙な合成獣(キメラ)を出しおったか。だが、数が一つ増えたところで結果は変わらんぞ!」
ギルガメッシュはヴィマーナの高度を下げ、さらなる宝具の雨を準備する。
(……分かっている。これだけでは足りん)
顎吐は強力だが、魔虚羅のように「一撃で完全破壊されなければ適応する」という絶対的な生存能力はない。あの金ピカの底知れぬ火力を前にすれば、いずれ一撃で消し飛ばされるのは時間の問題だ。
完全に逃げ切るための、絶対的な殿。最強の盾が必要だ。
だが、現在の手札の中で最強を誇る『八握剣異戒神将・魔虚羅』を、通常の方法で召喚することは不可能だった。
魔虚羅の顕現と維持には、莫大な魔力の消費が伴う。マスターである凛の回路はすでに限界を超えており、ここで魔虚羅を喚び出せば、その魔力負担は彼女の脳髄を完全に焼き切り、確実な死をもたらす。
ならば、どうするか。
宿儺の口角が、凶悪な弧を描いた。
魔術師の常識にはない、呪術師だけが持つ究極の理――『縛り』。
何かを得るために、何かを失う。等価交換の絶対法則。
マスターへの負担をゼロにするために、宿儺は己の未来の戦力を、未練もなく全てドブに捨てる決断を下したのだ。
(俺は、己に縛りを課す)
走りながら、宿儺は己の魂の深淵に刻み込むように宣言した。
(今後、未来永劫……俺は『魔虚羅』を除く十種影法術のすべての式神――玉犬、鵺、大蛇、蝦蟇、満象、脱兎、円鹿、貫牛、虎葬の使用を永久に放棄する)
それは、あまりにも重すぎる代償だった。
多彩な手札を自在に組み合わせ、相手の弱点を突くという十種影法術の最大の強み。その戦術の幅を、今後の聖杯戦争において完全に自ら絶つという負債。
九種の式神を永遠に失うという、絶大なペナルティ。
(この縛りにより得られる恩恵は一つ。……今、この瞬間の『魔虚羅』の召喚に伴うマスターへの魔力負担を、完全に『ゼロ』へ、魔力の消費を肩代わりさせることだ)
魂の誓約が結ばれた。
縛りは成立した。この魔虚羅の顕現を解いた瞬間、宿儺は魔虚羅以外の影法術を二度と使えなくなる。
だが、それでいい。今この瞬間にマスターを生かし、あの傲慢な王から逃げ遂せることが最優先だ。
「――布瑠部由良由良」
宿儺は、凛を抱えたまま、空いている右手を前に突き出し、呪詞を唱えた。
「『八握剣異戒神将・魔虚羅』」
ゴォォォォォォォォォォォォォッ!!!!
アインツベルンの森の空気が、重圧で悲鳴を上げた。
宿儺の背後に展開された巨大な影の中から、天にも届くほどの巨大な法陣――『八握剣』を頭上に掲げた、異形の神将が立ち上がったのだ。
その腕には布が巻かれ、右腕には退魔の剣が固定されている。
あらゆる事象に適応する、十種影法術の最終にして最強の切り札。
その顕現に伴う莫大な魔力消費は、宿儺が課した『未来の戦力の全放棄』という縛りによって完全に相殺され、凛の魔術回路には一切の負担がかかっていなかった。
「なんだ、あの不気味な巨人は……!」
ヴィマーナの上で、ギルガメッシュが初めてその表情に驚愕の色を浮かべた。
彼の所有する宝物庫(ゲート・オブ・バビロン)の原典の中にも、あのような規格外の霊威を放つ化け物の記録はない。
「行け」
宿儺の短い命令。
「ガァァァァァァァァァァッ!!」
「ギィェェェェェェェッ!!」
魔虚羅と顎吐。
二体の特級クラスの式神が、大地を蹴り砕き、ヴィマーナに向かって一直線に跳躍した。
「雑種どもが! 身の程を知れ!!」
ギルガメッシュが激昂し、数千の宝具を二体の式神へと一斉に射出する。
だが、魔虚羅は右腕の退魔の剣を振り回し、迫り来る黄金の雨を物理的に弾き落としていく。剣に弾かれなかった宝具が魔虚羅の肉体に突き刺さるが、その傷は瞬時に修復され、頭上の法陣が『ガコンッ』と音を立てて回転を始めた。
一度受けた攻撃に対する、完璧な適応の開始。
顎吐もまた、魔虚羅の背後に隠れながら紫電を放ち、英雄王の注意を完全に引きつけていた。
「……上出来だ」
二体の式神に意識が向いた、数秒という名の永遠の隙。
宿儺はその間に、意識を失った凛の身体をしっかりと抱き抱え直し、森の最深部へと向けて神速の跳躍を開始した。
背後で響き渡る、神話の宝具と最強の式神たちが衝突する天地を揺るがす轟音。
宿儺は一度も振り返ることなく、凛の頭部へ反転術式の光を流し込み続けながら、漆黒の雪原を疾風の如く駆け抜けていく。
未来の手札を1つ投げ捨てて掴み取った、絶対的な逃走劇。
血塗られた白亜の森を後にし、呪いの王と魔術師の少女は、より深く、予測不能な混迷の闇へと姿を消していった。