Fate/stay night [Alter Ego of Calamity] ――理外の双貌   作:りー037

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呪いの記憶、微睡みの中で交わる魂

【時刻:午後5:00】

 

【場所:意識の底・夢の狭間】

 

 

暗い。

 

 

果てしなく、どこまでも暗く、そして息が詰まるほどに粘り気のある暗闇だった。

 

遠坂凛は、自身の意識が深海の底へと沈み込んでいくような感覚の中で、見知らぬ『誰か』の視界を体験していた。

 

 

視界といっても、最初は光すらなかった。

 

あるのは、焼け焦げるような『飢餓感』だけ。

 

そして、すぐ隣にある、自分と同じ形をした小さな命の鼓動。

 

 

『……喰わなければ、喰われる』

 

 

 

生存本能というにはあまりにも生々しい、呪いのような衝動。

 

暗闇の中で、それは隣の命を喰らった。母の胎内で、自身の片割れを栄養として咀嚼し、ただ一人で産声を上げるために。

 

 

視界が開ける。

 

 

 

見下ろしてくるのは、母親の慈愛に満ちた顔ではない。

 

恐怖と、嫌悪と、絶望に歪んだ村人たちの顔。

 

彼方から投げつけられる石。松明の炎。突きつけられる槍の切っ先。

 

 

 

『化け物』『忌み子』『災厄』

 

 

 

言葉の刃が、産み落とされたばかりの肉体に突き刺さる。

 

 

腕が四本、目が四つ、口が二つ。

 

人間の腹から産まれたはずなのに、誰一人として、彼を『人間』として扱う者はいなかった。

 

愛情を与えられることはなく、ただひたすらに蔑まれ、恐れられ、殺意を向けられるだけの日々。

 

 

(……ああ。だから)

 

 

 

夢を見ている凛の心に、彼の抱えていた底知れぬ感情が流れ込んでくる。

 

臓腑の底で、ドロドロと煮え滾る黒いタールのような感情。憎悪。怒り。そして、圧倒的な『呪詛』。

 

 

もし、この理不尽な世界に対して牙を剥かず、この感情を内に押し留めようとすれば。

 

 

間違いなく、己自身の内から湧き上がる呪いによって、自分自身が焼き殺されてしまう。

 

彼は恐れたのだ。自らの呪いに喰われることを。

 

 

 

だから彼は、呪いを外へと吐き出した。

 

己を蔑む者たちを蹂躙し、理不尽を暴力でねじ伏せ、他者の命を己の肉とし血とした。

 

自分を人間扱いしない世界で、彼は人間であることを放棄し、『呪いの王』として君臨することを選んだ。

 

 

 

『身の丈に合った生き方をしてきただけだ』

 

 

 

分かり合おうとせず。

 

ただ己の快楽と不快感のみを絶対の基準とし、人を殺すことを『死ぬまでの暇つぶし』と称して、孤独という名の玉座に座り続けた。

 

その生涯の中で、彼の生き方を変え得る『切っ掛け』はあった。

 

 

 

彼に愛を教えようとした者

 

 

 

彼と共に歩もうとした者

 

 

 

 

 

 

 

そして、死の淵において、彼が虫ケラのように扱い、心を折り続けた少年――虎杖悠仁が差し伸べた手。

 

 

『宿儺……もう一度やってみよう。』

 

 

『誰かを呪うんじゃなくて誰かと生きるために』

 

 

『誰にも受け入れられなくても』

 

 

『俺だけはオマエと生きていける』

 

 

 

 

その言葉を聞いた瞬間、彼の臓腑は煮えくり返るほどの怒りに包まれた。

 

今更、己の歩んできた道(呪い)を否定できるはずがない。己は己のやりたいようにやり、そして負けたのだ。哀れみなど虫唾が走る。

 

彼は少年の慈悲を明確に拒絶し、最後まで「呪い」としての矜持を抱いたまま、その生涯を終えた。

 

 

 

だが。

 

 

 

夢の最後。真っ白な死後の世界で、彼はかつて共に戦った呪霊に語りかけていた。 

 

 

 

『次があれば、生き方を変えてみるのもいいかもしれない』

 

 

 

それは、呪いとして完成し、死んでいった男が、最後の最後に初めて見せた『変化への容認』。

 

己の行き止まりの景色を見た彼が、あり得ないはずの「もしも」を口にした瞬間だった。

 

 

 

 

(……あなたは)

 

 

 

凛の頬を、一筋の冷たいものが伝う。

 

パスを通じて流れ込んできた、両面宿儺という男の魂の根源。

 

底知れぬ悪意と絶対的なエゴイズムの裏側にあったのは、そう生きるしかなかった異形の哀しさと、自らの呪いに焼き殺されることへの恐怖だった。

 

 

 

 

 

【時刻:午後6:30】

 

【場所:冬木市 深山町・遠坂邸 凛の自室】

 

 

「……ん、ぁ……」

 

 

微かな呻き声と共に、遠坂凛はゆっくりと重い瞼を開けた。

 

視界に飛び込んできたのは、見慣れた天蓋付きのベッドと、薄暗い部屋の天井。

 

冬木の街の喧騒から隔絶された、静謐な遠坂邸の自身の部屋だった。

 

 

「……目覚めたか、小娘」

 

 

すぐ傍らから、低く、しかしひどく落ち着いた声が鼓膜を打った。

 

凛が顔だけを横に向けると、ベッドの脇に置かれたアンティークの椅子に、深く腰掛ける男の姿があった。

 

 

 

両面宿儺

 

 

父・時臣の仕立ての良いスリーピーススーツは、無数の宝具の破片や土埃で見る影もなくボロボロになり、上着はどこかに捨てられたのか、血に染まった純白のシャツ一枚の姿だった。

 

 

「……宿儺」

 

凛が身を起こそうとすると、体の奥からズシリと重い鉛のような倦怠感が襲ってきた。

 

 

しかし、あの時、黄金の宝具の破片が直撃したはずの後頭部には、痛みはおろか傷跡一つ残っていない。

 

「頭の傷は反転術式で治した。だが、お前の魔術回路は文字通り干上がっている。自力で歩こうなどと考えるな」

 

宿儺は腕を組み、目を閉じたまま冷ややかに告げた。

 

 

「……ここ、私の部屋よね。どうやって……」

 

「アインツベルンの森から、俺が抱えて飛んできた。……あの阿呆な白髪の小娘(イリヤスフィール)は、途中で回収して衛宮の家に放り込んできた。適当な理由をつけて、あの赤毛の小僧に押し付けてある」

 

 

宿儺の言葉に、凛は小さく息を吐いた。

 

最悪の状況下で、彼はマスターである自分を守り抜き、さらに情報源たるイリヤの身柄確保まで完璧にこなしてみせたのだ。

 

 

「なんで……うちの屋敷に?」

 

「衛宮の家では、お前のそのボロボロの魔術回路を回復させるための『場』が足りん。この屋敷の地下に流れる霊脈と、そこらに転がっている魔力を帯びた石(宝石)の力を使って、お前の肉体を強制的に休ませる必要があった。ただそれだけだ」

 

 

合理的な判断。

 

だが、その言葉の裏にある事実を、凛はすでに知っていた。

 

宿儺から反転術式の治癒を受け続け、魔力を介して深く繋がったパス。

 

その過程で、彼女は宿儺の過去の記憶だけでなく、彼がアインツベルンの森で何を行ったのかを、感覚として理解していたのだ。

 

 

 

 

凛は、ベッドのシーツを弱々しく握りしめた。

 

 

「あの金ピカの英霊から逃げる時……あなた、私を守るために『縛り』を結んだわね」

 

 

宿儺の四つの瞳が、ゆっくりと開かれた。

 

赤黒い瞳が、ベッドの上の凛を静かに見据える。

 

 

「今後、十種影法術を……式神を、永遠に使えなくなる縛り。それを代償にして、私への負担を肩代わりして宝具を使った。……そうでしょう?」

 

 

それは、魔術師の常識から見れば、狂気の沙汰だった。

 

 

自身の強力な手札を、九つも永遠に捨てる。

 

今後の聖杯戦争において、どれほど不利になるか計り知れない絶大なペナルティ。

 

己の命と快楽を最優先するはずの呪いの王が、わざわざマスターである自分を死なせないために、そんな未来への負債を背負い込んだのだ。

 

 

「なんで、私なんかのために……そこまでするのよ。式神を使えなくなったら、あなたの力が……」

 

 

凛の声が、微かに震える。恩義と、申し訳なさと、そして彼の行動の真意が分からないことへの戸惑い。

 

 

だが、宿儺は鼻でフッと嗤った。

 

 

「勘違いするな、小娘」

 

宿儺は、組んでいた腕を解き、ベッドの縁に身を乗り出した。

 

 

「手札がいくつか減ろうと、俺の力の本質は変わらん。式神が使えなくなったのなら、俺自身の肉体と術式だけで、立ちはだかる敵を骨の髄まで解体するだけだ。俺が弱くなるわけではない」

 

 

その言葉には、己の強さに対する絶対的な自負が満ちていた。

 

「それに……お前のその身の丈に合わぬ、傲慢な足掻きをな」

 

宿儺は、大きな右手を伸ばし、凛の黒髪をひどく無造作に撫でた。

 

 

「あの状況で、己の死を覚悟してなお俺の前に立ち塞がり、あの白髪の小娘を生かそうとしたお前のエゴ。……その滑稽で傲慢な理想の行く末を、もう少し先まで眺めていたくなった。ただそれだけのことだ。俺は、俺のやりたいようにやったに過ぎん」

 

 

身勝手な言い分。

 

 

だが、凛には分かっていた。

 

 

夢で見た、彼の孤独。彼が歩んできた、誰も理解できない血塗られた道。

 

そして、死後の世界で彼が残した、『次があれば、生き方を変えてみるのもいいかもしれない』という言葉。

 

 

宿儺自身は絶対に認めないだろう。

 

だが、彼は今、この新たな世界(盤面)で、かつての自分とは違う選択をしたのだ。

 

他者をただの暇つぶしの玩具として消費するのではなく。自身の『特等席』の主として、遠坂凛という一人の人間の在り方を尊重し、歩み寄った。

 

 

 

「……馬鹿」

 

 

凛は、自身の頭を撫でる宿儺の大きな手に、そっと自分の両手を添えた。

 

呪いの王の、数え切れないほどの人間を殺してきたその手は、冷たくて、けれど今の凛にとっては、ひどく安心できる温度を持っていた。

 

「私のために手札を捨てたこと、絶対に後悔させてやらないんだから。……私が、あなたを最後まで特等席に座らせてあげる。そして、最高の勝利を見せてあげるわ」

 

 

恐れはない。

 

 

夢で彼の底知れぬ悪意に触れてなお、凛の彼に対する感情は「恐怖」から、一人のサーヴァントであり、背中を預ける「相棒」としての確かな『信頼』へと変わっていた。

 

凛は、彼を見上げて、ふっと優しく微笑んだ。

 

 

 

「……生き方を変えるのも、悪くないでしょ?」

 

 

 

その言葉を聞いた瞬間。

 

宿儺の動きが、ピクリと止まった。

 

四つの瞳がわずかに見開かれ、彼の中で、点と点が繋がる。

 

治癒のための反転術式。深く繋がりすぎた魔力のパス。……この小娘は、俺の魂の底に、あの死後の世界の記憶に触れたのだ、と。

 

かつての宿儺であれば、己の内面を覗き見られた不快感で、即座に彼女の首を刎ねていただろう。呪いの王の孤独な玉座に、他者が土足で踏み入ることなど万死に値する。

 

 

だが。

 

 

 

 

「…………ハッ」

 

数秒の沈黙の後、宿儺の口からこぼれたのは、怒りではなく、ひどく呆れたような、それでいてどこか毒気の抜けた笑いだった。

 

 

「……本当に、底知れず生意気な小娘だ」

 

 

宿儺は、凛の髪から手を離し、再び椅子に深く腰掛けた。

 

 

否定はしなかった。激昂もしなかった。

 

 

ただ、窓から差し込む冬の夕日を背に受けて、静かに目を閉じる。

 

 

「せいぜい、早くその干上がった回路を治すことだな。あの金ピカの成金趣味……次会った時は、その傲慢な顔面ごと、三枚におろしてやらねば気が済まん」

 

「ええ。そうね」

 

 

凛もまた、ベッドの背もたれに寄りかかり、目を閉じた。

 

冬木を覆い尽くそうとする「黒い泥」の真実。

 

そして、圧倒的な力を持つ英雄王の存在。

 

状況は絶望的であり、残された手札も少ない。

 

だが、凛の心は、かつてないほどに穏やかで、そして確かな熱を帯びていた。

 

 

 

 

十種影法術という多彩な盾を失い、己の術式という純粋な刃のみを頼りに闘うことを選んだ呪いの王。

 

彼と交わした、言葉にしない魂の誓約。

 

静まり返った遠坂邸の夕暮れの中。

 

魔術師の少女と、呪いの王の間に結ばれた絆は、いかなる神代の宝具よりも強固に、深く、彼らの魂を繋ぎ合わせていた。

 

 

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