Fate/stay night [Alter Ego of Calamity] ――理外の双貌 作:りー037
【時刻:午前7:15】
【場所:冬木市 深山町・遠坂邸 前庭】
神速、という言葉すら生温い。
令呪という、聖杯戦争における絶対的な魔力結晶。それを複数重ね掛けされたクー・フーリンの肉体は、英霊としての限界点(リミッター)を完全に破壊されていた。
「シィァァァァァァァァッ!!」
裂帛の気合いと共に放たれる真紅の刺突。
槍の切っ先が空気を抉り、プラズマのような赤い軌跡を残して宿儺の眉間、心臓、喉仏へと同時に殺到する。一突きの中に込められた無数のフェイントと、必殺の軌道。アイルランドの光の御子が誇る、神域の槍術である。
「ハッ!」
だが、両面宿儺はその超絶的な連撃を前にして、一歩も退かなかった。
彼の眼球――四つの瞳が、神速の槍の軌道を完全に捉え切っている。
宿儺は上体を紙一重で反らし、あるいは首をわずかに傾け、あるいは手首で槍の柄を弾き、死の刺突をミリ単位で見切っていく。
ズガガガガガガガガガッ!!
槍が空を切り、宿儺の背後にある遠坂邸の石畳が、触れてもいないのに次々と爆砕していく。風圧だけで分厚いコンクリートを粉砕するほどの理不尽な膂力と速度。
「……良いぞ、番犬! 動きが数段良くなっている!」
宿儺は歓喜の笑声を上げながら、回避の合間に右手を無造作に振るった。
「――『解』」
シュパンッ!
不可視の斬撃が、ランサーの首を刎ね飛ばすべく放たれる。
だが、ランサーは直感スキルと野生の本能でその見えない刃を察知し、突き出していた魔槍を瞬時に手元へ引き戻し、盾のように構えた。
ガキィィィンッ!!!!
金属同士が激突する甲高い音が響き、赤い火花が散る。
魔槍ゲイ・ボルクの強固な柄が『解』の斬撃を受け止めるが、その威力はランサーの巨体を数メートル後方へと滑らせた。
「チッ、見えねえ斬撃ってのは、何度やってもタチが悪いぜ……!」
ランサーは靴底を焦がしながら石畳にブレーキをかけ、獰猛な笑みを浮かべた。
「だがな、化け物! 槍兵(ランサー)の懐に、自分から飛び込んでくる馬鹿がいるかよ!!」
宿儺は、ランサーが後退したその隙を見逃すどころか、自ら距離をゼロにするために跳躍していたのだ。
空中。回避不能の軌道。
ランサーは、下から掬い上げるように魔槍を振り抜いた。
宿儺の胴体を真っ二つにする、必殺の薙ぎ払い。
しかし。
タンッ。
「――なっ?」
ランサーの目が、驚愕に見開かれた。
空中にいるはずの宿儺が、何もない『空間』を足場にして蹴り、直角に軌道を変えたのだ。
【空界踏破】
空間を無数の面の集合体として捉え、見えない面を蹴って三次元的な立体機動を行う、宿儺の絶技。
「隙だらけだぞ、雑兵」
空中で軌道を変え、ランサーの頭上に回った宿儺が、落下しながらその強靭な踵をランサーの脳天へと振り下ろした。
呪力で極限まで強化された、大質量の踵落とし。
「オラァッ!!」
ランサーは咄嗟に魔槍の柄を頭上に掲げ、防御の姿勢を取った。
ドゴォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!
遠坂邸の前庭が、すり鉢状に陥没した。
宿儺の踵を受け止めたランサーの足元の石畳が粉々に砕け、土砂が津波のように四方八方へと吹き飛ぶ。
「ぐっ……! グルルォォォッ!!」
ランサーは膝を折ることなく、両腕の筋肉を限界まで隆起させ、宿儺の踵を強引に跳ね除けた。そして、その反動を利用して槍の石突を宿儺の腹部へと叩き込む。
ゴッ!
鈍い音が響き、宿儺の体が後方へと弾き飛んだ。
だが、空中で体勢を立て直した宿儺の口元は、微塵も苦痛に歪んでいない。彼の腹部に生じた打撲痕は、白い蒸気を上げて一瞬にして『反転術式』により完治していた。
「ハハハハハッ!! 素晴らしい! 神話の英雄とは伊達ではないな!」
宿儺の全身から、どす黒い呪力が間欠泉のように噴き上がり始める。
十種影法術を失い、純粋な呪力強化と体術、そして自身の生得術式(斬撃)のみで戦うという制約。それが逆に、呪いの王としての闘争本能をこれ以上ないほどに研ぎ澄ませていた。
「てめえこそ、不死身のバケモノかよ! 斬っても叩いても、一瞬で元通りになりやがる……!」
ランサーは、魔槍をくるりと回して再び構え直した。令呪による強制的な殺意のブーストを受けていながらも、彼の戦士としての魂は、この底知れぬ強者との純粋な死闘を心の底から楽しんでいた。
二つの影が、再び激突する。
槍と拳。魔力と呪力。
互いの超絶技巧が交錯し、一秒の間に数十合もの攻防が繰り広げられる。
ランサーの槍が宿儺の頬を掠め、宿儺の手刀がランサーの肩当てを砕く。
血が飛び散り、肉が裂けるが、どちらも歩みを止めない。
「……だが」
鍔迫り合いの中、宿儺の四つの瞳が、冷徹な光を帯びてランサーを見据えた。
「このまま純粋な武を競い合うのも一興だが、お前も俺も、後ろに面倒なマスターを抱えている身だろう?」
「……ハッ。違いねえ。俺のマスターは、てめえらをここで八つ裂きにしろとうるさくてな」
ランサーもまた、不敵に笑い返す。
「ならば、手っ取り早く終わらせよう。……見せてみろ、お前のその槍の真の価値(宝具)を」
宿儺は、ランサーの魔槍を弾き飛ばし、数メートル後方へと跳躍して距離を取った。
「言われなくても、そのつもりだ……!」
ランサーの全身から、これまでとは桁違いの、血のように赤い魔力が奔流となって立ち昇り始めた。魔槍ゲイ・ボルクが、主の殺意に呼応して禍々しい赤い光を放つ。
「てめえのその治癒能力がどこまで万能か知らねえがな……心臓を直接ブチ抜かれりゃ、さすがのバケモノも死ぬだろうぜ!!」
ランサーは、魔槍を低く構え、獣のように身を沈めた。
宿儺もまた、口角を凶悪に吊り上げながら、自身の内側で渦巻く『世界に干渉する』ための極大の呪力(魔力)をゆっくりと練り上げ始める。
神話の大英雄が放つ、因果を逆転させる必殺の魔槍。
対する呪いの王が解き放とうとしている、未知の絶技。
二つの規格外の必殺の一撃が、今まさに真っ向から激突しようとしていた。
【時刻:午前7:20】
【場所:冬木市 深山町・衛宮邸】
一方、衛宮邸の状況は、絶望の泥沼へと沈み込んでいた。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……!」
セイバーは、大きく肩で息をしながら、辛うじて両足で立ち続けていた。
彼女の誇る銀の甲冑は無残に砕け散り、肩や太腿からは鮮血が流れ落ちている。手にした見えない剣(インビジブル・エア)の風は弱まり、その刀身の黄金の輝きが微かに透けて見えるほどに魔力が枯渇していた。
「どうした、セイバー。その程度か?」
黄金の甲冑を纏ったギルガメッシュは、瓦礫の山となった衛宮邸の中庭に悠然と立ち、嘲笑を浮かべていた。彼自身の体には、傷一つ、埃一つついていない。
彼の背後には、空を埋め尽くすほどの『黄金の波紋』が展開されていた。
王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)。そこから射出される神代の宝具の雨を、セイバーはただひたすらに防ぎ、弾き、あるいは身を挺して耐えるしかなかったのだ。
「その貧相なマスターでは、十全な力が出せないとでも言い訳をするか? だが、それは違うな」
ギルガメッシュは、無情な事実を突きつける。
「お前は、我の圧倒的な財力と真理の前に、己の無力さを痛感しているに過ぎん。国を救うという下らぬ理想にしがみつき、自らの生を呪いながら死んでいった小娘。それがお前の本質だ」
「……黙れ……!! 私は、私の誓いを……この剣に懸けた誓いを、絶対に曲げない……!!」
セイバーは、震える足で一歩前へと踏み出し、剣を構え直した。
だが、その強がりを嘲笑うかのように、ギルガメッシュの背後から十本の宝具が同時に射出された。
ズドガァァァァンッ!!!
防ぎきれない。数本の宝具がセイバーの防御をすり抜け、彼女の身体を吹き飛ばした。
地面を何度も転がり、土埃にまみれて倒れ伏す騎士王。
「セイバー!!」
背後で、士郎が悲痛な叫びを上げる。
彼は足の怪我を押して駆け寄ろうとするが、ギルガメッシュが横目でにらみつけ、足元に一本の剣を投擲した。
ドスッ!
「うぐっ……!」
士郎の足元ギリギリに剣が突き刺さり、その風圧だけで士郎は尻餅をついた。
「動くなよ、雑種。我の演説の最中だ」
ギルガメッシュは、地べたに這いつくばるセイバーを見下ろした。
「見ろ、この惨めな姿を。これが、人間どもの理想を背負わされた王の末路だ。……さあ、器の心臓を置いて、我の前に跪けセイバー。そうすれば、我が元へ迎え入れてやらんこともないぞ?」
「……ふざける、な……! 貴様のような暴君に、屈するくらいなら……!!」
セイバーは、血を吐きながらも、決してその誇り高い翡翠の瞳の光を失っていなかった。彼女は両手で剣の柄を握りしめ、再び立ち上がろうとする。
だが、もはや限界だった。
ギルガメッシュは、彼女の最後の抵抗をへし折るべく、背後の波紋から『最上級』の宝具を二十門、同時に引き出した。
「ならば、死ね。お前のその下らぬ理想ごと、塵に還してやる」
無慈悲な死の宣告。
黄金の宝具が、セイバーの体を完全に粉砕すべく、一斉に射出されようとした。
その、絶体絶命の瞬間だった。
「――っ、やらせるかぁぁぁぁぁぁっ!!!」
セイバーとギルガメッシュの間。
死の雨が降り注ぐその射線上に、一人の少年が飛び出した。
衛宮士郎。
魔術師としての力など無に等しい、ただの半人前の人間。
「シロウ!? ダメです、退いてください!!」
セイバーが悲鳴のような声を上げる。
「ハハハハ! 馬鹿が! 自分から串刺しになりにきたか!」
安全圏から見ていた慎二が、腹を抱えて嗤う。
だが、士郎の瞳には、一切の迷いがなかった。
ただ、セイバーを死なせない。その強烈な、自己犠牲すらも凌駕する絶対の意志。
(……やれる。いや、やるんだ。俺の中には、ずっと『それ』があった……!)
士郎は、両手を広げて迫り来る死の雨の前に立ち塞がりながら、己の体内の奥深く――魔術回路のさらに奥、魂(起源)の深淵へと意識をダイブさせた。
十年前の火災。切嗣に助けられたあの日から、自分の体の中に埋め込まれ、ずっと自分を生かしてくれていた『何か』。
そして、セイバーとパスが繋がったことで、微睡みの中で見たあの記憶。
選定の岩に突き刺さる、一本の黄金の剣。
王を証明する、まばゆき理想の象徴。
ギルガメッシュの宝具が射出される。
士郎は、自身の魔術回路を、焼け焦げるほどの出力で全開に駆動させた。
背骨に焼け火箸を突っ込まれたかのような激痛。神経が千切れ、血液が沸騰する。
だが、その痛みを代償に、士郎の魔術――『投影(トレース)』のプロセスが、極限の集中力の中で展開されていく。
「――『投影、開始(トレース・オン)』!!!!」
士郎の両手の間に、青白い魔力のスパークが爆発的に弾けた。
空間が歪み、魔力が物質へと変換されていく。ただの模造品ではない。術者の魂の奥底に焼き付いた『本物の記憶』を引きずり出し、世界に強引に上書きする究極の偽造。
「な……!?」
ギルガメッシュの紅蓮の瞳が、初めて驚愕に見開かれた。
カァァァァァァッ!!!
士郎の手の中に顕現したのは、まばゆい黄金の光を放つ、一振りの豪剣。
装飾が施された美しい柄。そして、刀身に刻まれた妖精文字。
「……それは……!」
背後で倒れていたセイバーの瞳から、涙が溢れた。
それは、かつて彼女が王として選ばれた日に引き抜き、そして失われたはずの王の象徴。
必勝の黄金の剣――『勝利すべき黄金の剣(カリバーン)』
「おおおおおおおおっ!!!」
士郎は、投影したカリバーンを両手で握り締め、降り注ぐギルガメッシュの宝具の雨に向かって、渾身の力で振り抜いた。
ただの少年の筋力ではない。投影した武器に込められた『使い手の歴史と技』が、士郎の肉体を強引に牽引し、英霊の如き一撃を放たせたのだ。
ガガガガガガガガガガッ!!!!!!
黄金の光の刃が、飛来する二十本の宝具を真っ向から迎え撃つ。
神代の宝具と、偽造された聖剣の衝突。
衛宮邸の中庭で、太陽が爆発したかのような閃光と、鼓膜を破壊するほどの轟音が響き渡った。
「ぐ、あぁぁぁぁぁっ……!!」
士郎の腕の筋肉が断裂し、毛細血管から血が吹き出す。
偽物の剣で、本物の宝具の飽和攻撃を弾き返す。その圧倒的な負荷が、士郎の肉体を内側から破壊していく。
だが、弾いた。
カリバーンの放つ光の奔流が、ギルガメッシュの射出した宝具をすべて空中で相殺し、弾き飛ばしたのだ。
「……馬鹿な」
ギルガメッシュは、自身の宝具がただの人間によって防がれたという事実に、一瞬だけ硬直した。
その、絶対の王が見せた、ほんのわずかな隙。
「シロウ!!!」
セイバーが、最後の力を振り絞って立ち上がり、士郎の背後から跳躍した。
士郎が作り出した道を通り、ギルガメッシュの懐へと肉薄する。
手にした不可視の剣(インビジブル・エア)の封印を解き放ち、黄金の光の刃――約束された勝利の剣(エクスカリバー)を、大上段から振り下ろした。
「――ッ!!」
ギルガメッシュは咄嗟に空間の波紋から無銘の宝剣を抜き放ち、セイバーの一撃を防御する。
ガキィィィィィィンッ!!!!
凄まじい衝撃波が弾け、ギルガメッシュの足が地面を削りながら後退した。
「己れ……! 己れ、己れ、己れぇぇぇぇぇっ!!!」
ギルガメッシュの顔が、これまでにないほどの屈辱と怒りに歪んだ。
ただの人間が、宝具を偽造した。その偽造者の作った隙を突かれ、己が後退させられた。
絶対の王にとって、それは万死に値する最大の不敬。
「よくも我の庭を、その薄汚い偽物(フェイク)で汚してくれたな……! 許さんぞ、雑種!! 貴様ら、塵一つ残さず消し去ってくれる!!!」
ギルガメッシュの背後の空間が、王の怒りに呼応して眩い黄金に染まり上がる。
これまでの『王の財宝』とは比べ物にならない。数十、数百といった次元ではなく、夜空の星々を思わせる数千もの黄金の波紋が、衛宮邸の上空を完全に覆い尽くした。
「……くっ……!」
セイバーの顔が、絶望に青ざめる。
「はぁっ……はぁっ……」
士郎は投影の反動で両腕から血を流し、カリバーンを地面に突き立ててなんとか倒れるのを堪えていた。
魔力も体力も限界を迎え、もはや次を防ぐ手立ては何一つ残されていない。
だが、怒り狂う王に慈悲などあろうはずがなかった。
空間を埋め尽くす圧倒的な死の壁が、宝具の雨が、満身創痍の少年と騎士王を完全に微塵にすべく、今まさに解き放たれようとしていた――。