Fate/stay night [Alter Ego of Calamity] ――理外の双貌   作:りー037

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泥の海と氷の弾丸、呪いを喰らう王

【時刻:午前9:15】

 

【場所:冬木市 円蔵山・柳洞寺 境内(大聖杯前)】

 

 

 ドロドロと湧き出す黒い泥が、石畳を溶かし、境内の空間を汚染していく。

 

 それは単なる物理的な泥ではない。六十年間、大聖杯という名の培養炉の底で煮詰められ続けた、六十億の人類が抱える怨嗟、嫉妬、絶望、そして純粋な『殺意』の結晶――『この世の全ての悪(アンリマユ)』の呪いそのものであった。

 

 

「さあ、足掻くがいい! 絶望の泥に沈むその瞬間まで、己の無力さを噛み締めるがいい!!」

 

 泥の海の中央、脈打つ巨大な肉塊の傍らに立つ言峰綺礼が、両手を広げて狂喜の声を上げる。

 

 

 

 ズゴォォォォォォォッ!!!

 

 

 

 肉塊から、太さ数メートルにも及ぶ巨大な黒い触手が十数本、蛇のように鎌首をもたげ、一斉に凛と宿儺へと襲い掛かった。

 

 

「シッ!」

 

 

 宿儺は一切の表情を変えることなく、前衛として泥の触手の正面へと躍り出た。

 

 両手の指先から放たれる、無数の不可視の斬撃――『解』。

 

 

 

 シュパパパパパパパッ!!

 

 

 

 網の目のような斬撃の嵐が、迫り来る泥の触手をサイコロ状に細切れに切り刻む。肉片と化した泥が境内に雨のように降り注ぐ。

 

 

 

 しかし。

 

 

 

「……チッ。斬り甲斐のないゴミめ」

 

 

 宿儺は不快げに舌打ちをした。

 

 切り刻まれた泥は、地に落ちた瞬間から再びドロドロと融合し、新たな触手となって際限なく立ち上がってくる。物理的な破壊に対して、流体である泥はあまりにも相性が悪い。

 

 

「宿儺! あの泥に直接触れちゃダメよ! あれは英霊の理性を奪う猛毒(呪い)だわ!」

 

 

 後方から、凛が両手に魔力を圧縮した宝石を構えながら警告を飛ばす。

 

 

 

「ハハハ! 賢明な判断だ、凛! だが、いつまで逃げ切れるかな!?」

 

 

 

 言峰が法衣の袖を振るう。

 

 

 泥の海から這い出した無数の『シャドウ』たちが、四つん這いの不気味な姿勢で、高速で凛へと殺到した。

 

 

「――『Neun(ノイン)』! 『Acht(アハト)』! 『Sieben(ズィーベン)』!!」

 

 

 

 

 

 凛は指の間に挟んだ三つの紅玉、ルビーを同時に粉砕した。

 

 解放された極大の魔力が、彼女の足元から扇状に広がる灼熱の炎の壁となって爆発する。

 

 

 

 ゴォォォォォォォォォォンッ!!

 

 

 

 炎の壁に突っ込んだシャドウたちが、ジュワァァァッと不快な音を立てて蒸発していく。魔力(オド)による純粋な熱破壊であれば、泥の再生を一時的に遅らせることができる。

 

 

「素晴らしい火力だ。だが、お前自身に隙ができているぞ、愛弟子よ!」

 

 

 炎の壁の死角から、黒い法衣が弾丸のように飛び出してきた。

 

 

 

 言峰綺礼。

 

 彼は泥の怪物たちを囮にし、八極拳の神速の踏み込みで凛の間合いを完全にゼロにしたのだ。

 

 彼の指先に握られた三本の黒鍵が、凛の喉笛を掻き切るべく無慈悲に振るわれる。

 

 

 

「――読んでるって、言ったでしょッ!!」

 

 

 

 凛は後退しなかった。

 

 

 彼女の瞳には、かつて見せたような焦りも、恩師に対する感情の揺らぎも一切ない。あるのは、害悪を駆除するという絶対零度の殺意のみ。

 

 凛は右足で強く地面を蹴り、後ろに下がるのではなく、あえて言峰の懐へと『半歩』前進した。

 

 

 

「な……?」

 

 

 

 言峰の黒鍵が空を切る。凛が前進したことで、刃の有効範囲(レンジ)からわずかに外れたのだ。

 

 同時に、凛の左拳が、青白い魔力のスパークを纏って言峰の鳩尾へと叩き込まれた。

 

 

「――『Gandr(ガンド)』・零距離撃発ッ!!」

 

 

 

 ドガァァァァァァァァンッ!!!!

 

 

 

 拳の接触面から、呪詛の黒い魔力弾が直接体内に撃ち込まれる。

 

 言峰の巨体が「ぐはぁッ!?」と血を吐きながら、数メートル後方へと弾き飛ばされた。

 

 

「……ハァ……ハァ……」

 

 

 凛は油断なく右手に宝石を構え直し、吹き飛んだ言峰を見据える。

 

 昨夜の魔力循環により、彼女の体術と魔術の連携は、もはや一流の魔術師すら凌駕する領域に達していた。

 

 

 

「ク、ククク……ハハハハハハ!!!」

 

 

 

 だが、言峰は泥まみれの地面を転がりながらも、腹を押さえて狂喜の笑い声を上げた。

 

 

「良い! 素晴らしいぞ凛! 私の教えを、こうも完璧に殺意へと昇華させてくれるとは! 私はお前を誇りに思うぞ!!」

 

 

「あなたの教えじゃないわ。遠坂の当主としての義務よ。……さっさと死になさい、言峰」

 

 

 凛の瞳は、どこまでも冷たい。

 

 

 

「そうはいかん。この最高の泥の産声を、お前たちと共に味わい尽くすまではな!」

 

 

 

 言峰が両腕を天に掲げる。

 

 

 

 ズゴォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!

 

 

 

 境内の中心の巨大な肉塊が、限界を超えてさらに大きく膨張した。

 

 

 その表面に無数に浮かび上がった『人間の顔』のような瘤が、一斉に断末魔の悲鳴を上げ始める。

 

 

 

「オ……ア……アアァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!!」

 

 

 

 肉塊の頂点から、真っ黒な泥が火山の噴火のように上空へと噴き上がった。

 

 それは空中で巨大な漆黒の雨雲となり、境内の全てを押し潰す『泥の津波』となって、凛と宿儺へと降り注いできたのだ。

 

 

 

「ッ……! これだけの量、防ぎきれない!」

 

 

 

 凛が咄嗟に魔力障壁を最大出力で展開するが、アンリマユの呪いの質量の前に、障壁の表面がピキピキと音を立ててひび割れ始める。

 

 

 物理的な圧力ではない。泥に込められた『悪意』が、魔力障壁という概念すらも腐食させているのだ。

 

 

「宿儺! 泥を! 炎で焼き払って!」

 

 

 

 凛が背後の呪いの王へと叫ぶ。

 

 

 

 

だが。

 

 

 

「……フン。馬鹿を言え。そんな真似をすれば、泥の出処であるあの肉塊ごと灰になるだろう」

 

 

 

 宿儺は、降り注ぐ泥の津波を前にしても、一歩も退かずに悠然と立ち尽くしていた。

 

 

「煮詰められた極上の呪いだぞ。炭にしてしまっては、俺の胃袋で味わうこともできまい」

 

 

「そんなこと言ってる場合じゃないわ! このままじゃ私たちが泥に飲まれて……!」

 

 

 

 

「……飲まれる、だと?」

 

 

 

 宿儺の四つの瞳が、ゆっくりと細められ、そして三日月のように凶悪に吊り上がった。

 

 

「勘違いするなよ、凛」

 

 

 宿儺の全身から、どす黒い、泥の瘴気すらも霞むほどの圧倒的な『呪力』が間欠泉のように噴き上がり始めた。

 

 

「俺は呪いの王だ。……この世の全ての悪だか何だか知らんが、たかが人間どもが吐き出した程度の汚物(呪い)が、俺を飲み込めるはずがなかろう」

 

 

 

 宿儺は、両手をだらりと下げたまま、迫り来る泥の津波の真っ只中へと、あえてその身を晒すように一歩前へ出た。

 

 

 

「な……!? 何を考えている!」

 

 

 

 言峰が、宿儺の狂気的な行動に初めて驚愕の声を上げる。

 

 

「その泥は英霊の理性を喰らい、存在そのものを黒く染め上げる猛毒だぞ! いくら貴様が呪いであろうと、それに触れれば自意識を失い、大聖杯の奴隷となるだけだ!!」

 

 

「ハハハハハハハッ!!!」

 

 

 宿儺は、天を仰いで腹の底から笑い声を上げた。

 

 

「奴隷だと? くだらん! 呪いとはな、より強大で、より絶対的なエゴイズムを持つ者が、弱き呪いを『喰らい』、支配するものだ!!」

 

 

 

 

 ズザァァァァァァァァァァァッ!!!!

 

 

 

 

 漆黒の泥の津波が、宿儺の肉体を完全に飲み込んだ。

 

 

 

 

 

 

「宿儺ァァァッ!!」

 

 

 

 凛が悲痛な叫びを上げる。

 

 

 泥の海に沈んだ宿儺。

 

 

 通常であれば、その瞬間に英霊としての霊基は反転し、理性を失った黒化サーヴァントへと変貌するはずだった。

 

 

 

 だが。

 

 

 

 泥の海が、突如として奇妙な渦を巻き始めた。

 

 

 

 ゴボッ……ゴボボボボボボボボボボッ!!!!

 

 

 

「な、何だ……!? 泥が……吸い込まれている!?」

 

 言峰の目が、信じられないものを見るように見開かれた。

 

 肉塊から溢れ出た泥の津波が、宿儺が沈んだ一点を中心にして、巨大なブラックホールに吸い込まれるように急速に収束し始めたのだ。

 

 

 

 

 ドォォォォォォォォォォォンッ!!!!

 

 

 

 

 泥の渦が爆発的に弾け飛び、その中心から、一人の男が姿を現した。

 

 

 

 

 

 両面宿儺。

 

 

 彼の肉体は、黒く染まってなどいなかった。理性を失ってもいなかった。

 

 ただ、彼のその口元から、顎にかけて。

 

 そして、彼の足元から全身を覆うように。

 

 大聖杯の放つ漆黒の泥(アンリマユの呪い)が、まるで宿儺という巨大な胃袋に『捕食』されるように、ジュルジュルと音を立てて彼の体内へと直接吸収されていたのだ。

 

 

 

「あ……ああ……」

 

 

 言峰の顔から、完全に余裕の笑みが消え失せた。

 

 

「……なるほど。少し味が濃いが、極上のスパイスだ」

 

 

 宿儺は、自身の唇についた黒い泥を舌でペロリと舐め取り、極上のフルコースを平らげたかのように、恍惚とした笑みを浮かべた。

 

 

 

「ば、馬鹿な……! 『この世の全ての悪』を、自身の魔力(呪力)に変換して取り込んでいるというのか!? 英霊すら狂わせる絶対悪の呪いを、己の自我でねじ伏せて『喰らった』と!?」

 

 

 

 言峰の全身が、理解を超えた存在を前に震える。

 

 

 

「絶対悪などと、大層な名前をつけるから勘違いするのだ」

 

 

 

 宿儺の四つの瞳が、かつてないほどの赤黒い、神すらも殺す圧倒的な邪悪の光を放って言峰を見据えた。

 

 

 

「呪いにおいては、俺が絶対だ。……俺が喰えと言えば、世界中の呪いであろうが、俺の胃袋の足しになるしか道はない」

 

 

 

 ゴゴゴゴゴゴゴッ……!!!

 

 

 

 

 宿儺の肉体から放たれるプレッシャーが、次元を超越した。

 

 泥を喰らい、呪いを自身の力へと還元した呪いの王。彼の周囲の空間が、その圧倒的な質量の前に悲鳴を上げて歪み始める。

 

 

 

「オ……オォォォォォォ……ッ」

 

 

 宿儺が泥を吸い上げ続けた結果。

 

 境内の中心にいた巨大な肉塊が、まるで中身を抜かれた風船のように、急速に萎縮し始めたのだ。

 

 大聖杯のエネルギーそのものを、宿儺が逆に吸い上げ、枯渇させている。

 

 

 

「や、やめろ……! 私の、私の聖杯が……!!」

 

 

 

 言峰が、もはやなりふり構わず、手にした黒鍵を宿儺に向けて投擲しようと踏み込んだ。

 

 

「――よそ見をしてる場合じゃないわよ、言峰ッ!!」

 

 

 

 言峰の死角。

 

 

 宿儺の背後で、魔力を極限まで溜め込んでいた遠坂凛が、跳躍していた。

 

 彼女の両手には、これまでにないほどの眩い光を放つ、遠坂の家宝である特大の宝石が握り込まれている。

 

 

 

「……しまッ!」

 

 

 

 言峰が咄嗟に防御の態勢を取ろうとする。

 

 

 

 

 だが、遅い。

 

 

 宿儺が泥を喰らい、言峰の意識を完全に釘付けにしたその一瞬の隙。それは、凛がこの戦いに終止符を打つための、完璧な『特等席』からの死角の突撃だった。

 

 

 

「十年間、私を騙し続けてくれたお礼よ!!」

 

 

 凛は空中で両手の宝石を合わせ、その内包された全ての魔力を、言峰綺礼という一人の外道に向けて、全開で解放した。

 

 

「――地獄の底で、父さんに謝りなさい!!」

 

 

 

 

 カァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!

 

 

 

 

 

 冬木の朝の空を真っ白に染め上げるほどの、極大の魔力の閃光。

 

 それは、誇り高き魔術師の少女が、十年の因縁と悲哀を乗り越え、自らの手で未来を切り拓くための、決別の光であった。

 

 

 

 

 

 

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