Fate/stay night [Alter Ego of Calamity] ――理外の双貌   作:りー037

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天災の降臨と、 血霧の残滓、そして平安の羅刹

【時刻:神代の終焉――紀元前2600年代】

 

【場所:絶対魔獣戦線近郊・神代の原生林】

 

 

 ゆっくりと、両面宿儺は重い瞼を押し上げた。

 

 先ほどまで彼を包んでいた、冥界の冷たく澱んだ空気は完全に消失していた。代わりに彼の全身の皮膚を打ち据えたのは、むせ返るような緑の匂いと、大気そのものが意思を持っているかのような、異常なまでの圧力だった。

 

 

 神代の原生林。

 

 視界を埋め尽くすのは、天を突くほどに巨大に成長した名も無き古代樹の群れ。葉の一枚一枚が内側から青白い燐光を放ち、大地からは目に見えるほどの濃密な生命の息吹が立ち昇っている。

 

 そして何より、この空間を満たしている「大気」が異常だった。

 

 

(……ほう)

 

 

 宿儺は一度、深く息を吸い込んだ。

 

 現代の地球環境ではあり得ない、極めて高純度の魔力――『真エーテル』。通常の人間であれば、一口吸い込んだだけで肺胞が焼け焦げ、内臓が破裂して死に至るほどの猛毒にも等しい神秘の塊である。

 

 だが、伏黒恵の肉体をベースとしながらも、その本質を呪いの王としての極致へと完全に作り変えられた彼の身体は、この神代の毒をいとも容易く許容した。血管内をマグマのように駆け巡る絶大にして無尽蔵の『呪力』が、外部からの異物(真エーテル)の侵入を細胞レベルで瞬時に弾き返し、最適化を行っていく。

 

 

 不快感はない。むしろ、細胞の隅々までが闘争の予感に歓喜の声を上げるような、極上のウォーミングアップ環境だった。

 

 現状の把握は完了した。次に宿儺が意識を向けたのは、この広大な世界の「索敵」だった。

 

 自身の呪力による知覚範囲を、森の奥、地平の彼方へと一気に広げる。

 

 卓越した知性と探究心を持つ彼は、この神代の世界がどのようなレイヤーで構成されているかを即座に理解し始めた。

 

 

(……なるほどな)

 

 

 東西南北、遥か遠方の四方に、この神代の濃密な大気すらも霞むほどの、途方もなく巨大で異常な魔力源が複数点在している。

 

 その性質は、先ほど冥界の底で言葉を交わしたあの不器用な女神・エレシュキガルと同質のもの。

 

 

 すなわち、この時代を歪める元凶たる『三女神同盟』の神気だ。

 

 だが、そのスケールは現代の特級呪霊など比較にならないほど巨大であり、加えて、大気中に満ちる神代の魔力がノイズとなって空間全体に乱反射しているため、「どれが同盟の神で、何処にいるのか」を正確にピンポイントで特定することは不可能だった。

 

 さらに、神々とは明らかに異なる、しかし現代の術師を凌駕するほどに高密度に圧縮された魂の気配――英霊(サーヴァント)と思われる反応も複数感知できる。

 

「……まずは、神の気配を優先的に潰していくとするか」

 

 

 誰に聞かせるでもなく、静かに独り言つ。

 

 世界を救うためでも、人類を助けるためでもない。ただ、彼に与えられた『世界の歪みをクリア』する、という目的のため。

 

 

 

 ――その時だった。

 

 

 ズシン、ズシン、と。

 

 湿った腐葉土を踏み鳴らす、重々しい足音が原生林の奥から響いてきた。一つではない。四つ、八つ、十……いや、数十の群れ。

 

 風に乗って漂ってくるのは、ひどく獣臭く、血なまぐさい匂い。この神代の濃密な魔力を取り込み、変異し、生態系の上層に立った『魔獣』の群れだ。

 

 彼らは、突如として自身の縄張りに現れた未知の匂いを嗅ぎつけ、「格好の獲物」として包囲網を敷きながら近づいてきている。

 

 

「クッ……」

 

 

 宿儺は喉の奥で低く嗤った。

 

 真紅の瞳が、木々の隙間から姿を現した異形の獣たちを捉える。

 

 獅子に似た巨大な四足歩行の体躯。赤みがかった硬質な皮膚。首の周りには鬣のように黄色い突起物が逆立ち、巨大な顎からは酸性の涎が滴り落ちて、地面の草をジュウジュウと溶かしている。

 

 一匹一匹が、現代の呪術界であれば間違いなく一級以上の認定を受けるであろう凶悪な個体。

 

「この神代の空気に、まだ肉体が完全に馴染みきってはいない。……丁度いい、準備運動だ。……味見といくか」

 

 

 宿儺は両手をだらりと下げたまま、完全に無防備な姿勢で、獣たちが飛び掛かってくるのを待った。

 

 

 

 GRRRRAAAAAッッ!!

 

 

 

 宿儺の姿を「無抵抗な餌」と認識した先頭の一匹が、弾かれたように跳躍した。丸太のような前脚が、宿儺の頭部を粉砕すべく振り下ろされる。

 

 その巨体が宿儺に迫り、鋭い爪が彼の白い和服を掠めようとした、まさにその刹那――。

 

 

 ――ドゴォォォォンッッ!!

 

 

 

 空気が爆発するような重低音が、静寂の森を揺るがした。

 

 宿儺の姿が、一瞬だけブレた。否、常人の動体視力ではそう見えただけであり、実際は一切の無駄を省いた神速の踏み込みから放たれた、極限の「右ストレート」だった。

 

 

 宿儺の右拳は、魔獣の硬質な胸骨を紙切れのように容易く貫通し、背中側からどす黒い内臓と血しぶきを円錐状に撒き散らしながら突き抜けていた。

 

 

「ギャ……ァ……?」

 

 

 己が致命傷を負ったことすら理解できない魔獣が、宿儺の腕に串刺しにされたまま痙攣する。

 

 宿儺は表情一つ変えず、突き入れた右腕に莫大な呪力を込めると、そのまま力任せに上段へと振り抜いた。

 

 ブチブチィッ! と太い筋繊維が千切れる悍ましい音と共に、巨大な魔獣の肉体が真っ二つに引き裂かれる。宿儺は千切れた魔獣の右腕を無造作に掴み取ると、それを鈍器代わりにし、遅れて飛びかかってきた二匹目の魔獣の頭部へとフルスイングで叩きつけた。

 

 

 

 メチャッ、という生々しい破壊音。

 

 仲間だった者の巨大な腕で顔面を陥没させられた魔獣が、即死して吹き飛ぶ。

 

 

「ほう。見た目よりは肉が硬い。だが、大味すぎるな」

 

 

 血の雨が降り注ぐ中、宿儺は白い和服に一滴の血も浴びることなく、軽やかなステップを踏むように踊り始めた。

 

 それは戦闘ではなく、圧倒的な捕食者による、残酷にして流麗な「蹂躙」だった。

 

 三匹目が背後から噛み付こうとする。宿儺は振り返ることもなく、空気を面として捉え、蹴る。『空界踏破』によって不規則に軌道を変化させ、魔獣の頭上に舞い降りる。そのまま脳天に踵落としを叩き込み、頭蓋を首の中へと陥没させる。

 

 四匹目、五匹目。怒り狂った群れが四方から殺到するが、宿儺はそのすべてを、強化された肉体による近接格闘のみで完封していく。

 

 

 引きちぎり、殴り砕き、踏み潰す。

 

 神代の神秘を帯びた魔獣の肉体が、まるで安物の粘土細工のように無惨に解体されていく。森の緑は瞬く間にどす黒い赤に染まり、生命の息吹は死の悪臭へと塗り替えられていった。

 

 

「……そろそろ、肉体の連動はこんなものか。次は、術式の試運転だ」

 

 

 十数匹を素手で殴り殺したところで、宿儺は退屈そうに首を鳴らした。

 

 周囲にはまだ、数十匹の魔獣の群れが彼を取り囲み、仲間を惨殺された怒りと、未知の怪物(宿儺)に対する本能的な恐怖の間で唸り声を上げている。

 

 宿儺は、スッと右手の人差し指と中指を揃え、軽く振った。

 

 

 無造作な、本当に何気ない仕草だった。

 

 だが、その指先から放たれたのは、対象との呪力差や強度に応じて威力を自動調整し、必ず一太刀で両断する重斬撃――『捌』。そして、空間を飛び交う無数の基本斬撃――『解』。

 

 

 

 

 ――ヒュッ、ヒュンッ、シュガガガガガッッ!!

 

 

 

 

 

 不可視の刃の嵐が、原生林の空間そのものを切り刻むかのような恐るべき密度で展開された。

 

 何が起きたのか、魔獣たちには理解できなかった。

 

 飛びかかろうと脚に力を込めた瞬間、その脚が四本とも綺麗に切断された。

 

 咆哮を上げようと口を開いた瞬間、頭蓋から顎下までが縦に両断された。

 

 逃げようと背を向けた瞬間、胴体がサイコロ状の肉片へと細切れにされた。

 

 木々が倒れる音すらない。なぜなら、魔獣の肉体もろとも、周囲の古代樹の巨木すらも、原形を留めないほどの細かい木片へと解体されてしまったからだ。

 

 

 わずか数秒。

 

 宿儺が指を振るっただけの数十秒間で、数十匹の群れは完全に消滅した。

 

 後に残ったのは、綺麗に切り揃えられた肉のブロックの山と、内臓から溢れ出した血が大地に染み込み、あるいは大気中のエーテルと反応して蒸発し、視界を赤く染め上げる「血の海(レッドカーペット)」だけだった。

 

 

「ふむ」

 

 

 宿儺は小さく息を吐き、自らの掌を見つめた。

 

 この未知の環境、高密度の神秘に満ちた神代の空間であっても、肉体の動きに遅滞はなく、不可視の斬撃『御廚子』の出力にも一切の減衰は見られなかった。

 

 魔力(マナ)というシステムにおいては制約を受けるかもしれないが、こと己の内側で完結する『呪力』の運用に関しては、完全に全盛期のままである。

 

 

「もう少し、実践での試運転を続ければ、問題はない範囲だな」

 

 

 そう結論づけ、彼が踵を返そうとした時だった。

 

 

 

 ――ズズズズズ……ッ!

 

 

 

 大気を震わせる、先ほどまでの小規模な群れとは比較にならないほどの重低音。

 

 宿儺の鋭敏な知覚が、数キロ先の地点で、途方もない数の生命が激突し、爆発し、消滅していく「戦争」の気配を捉えた。

 

「……ほう? 何か派手にやっているな」

 

 

 宿儺の真紅の瞳に、再び昏い好奇の光が宿る。

 

 様子見がてら、彼はそちらの方向へと歩みを進めた。歩くというよりは、空間を滑るような縮地。巨木を蹴り、森を一直線に駆け抜けていく。

 

 

 

 数分後。

 

 森を抜けた宿儺は、切り立った高い崖の上へと躍り出た。

 

 そこから見下ろす眼下の光景は、まさに神代の地獄絵図であった。

 

 大地を黒く塗りつぶすほどの、数万、いや数十万という単位の魔獣の大群。

 

 それに抗うように、広大な平野を横断する巨大な城壁――『絶対魔獣戦線』。

 

 壁の上や平野部では、槍を構えた人間の兵士たちが絶望的な数的不利を覆すべく、死に物狂いで獣たちと殺し合いを繰り広げている。

 

 

 どちらが生き残り、どちらが死ぬか。これは種を賭けた究極の生存競争。

 

 そして、その戦場の最前線には、群を抜いて強大な魂の輝きを放つ者たち――英霊(サーヴァント)の姿があった。

 

 紅蓮の炎を纏いながら槍を振るい、盾を構えて一歩も退かぬスパルタの王・レオニダス。

 

 軽業師のように戦場を跳躍し、魔獣の首を次々と刎ね飛ばしていく小柄な日本の武将・牛若丸。

 

 そして、薙刀を振るいながら彼女を援護する大柄な僧兵・弁慶。

 

 

 彼らが人間側の戦力なのだろう。

 

 宿儺は崖の縁に胡座をかいて座り込み、肘をついて、その血みどろの戦争を劇場での見世物のように淡々と見下ろした。

 

 冥界の女神が愚痴っていた「人間と獣の争い」とはこれのことか。

 

 

(さて、どうするか)

 

 

 宿儺は少しだけ思考を巡らせる。

 

 彼には、人間側に肩入れする義理など微塵も存在しない。人間が魔獣に喰らい尽くされようが、彼にとっては道端の蟻が踏み潰されるのと同じ、究極的にどうでもいい出来事だ。彼の中に「弱者を救う」という倫理観は皆無である。

 

 

 だが、彼の目的はこの世界の歪みを解消するための「神殺し」。

 

 そのためには、神代の環境における自身の肉体と術式の適応度を、極限(100%)まで引き上げておく必要がある。

 

(人間と群れる理由はない。馴れ合う気もない。……だが、俺の肉体を完全にこの世界に適用させるための「的」としては、あの獣の数は悪くない)

 

 

 結論は、すぐに出た。

 

 己のエゴを満たし、試運転を完了させるための、最も効率的で、最も残酷な手段。

 

 

 宿儺はゆっくりと崖の上に立ち上がった。

 

 そして――今まで肉体の内側に抑え込んでいた、自身の圧倒的な『呪力』の気配を、一切の制限なく外部へと完全解放した。

 

 

 

 ――ドウンッ……!!

 

 

 

 それは、音ではない。

 

 戦場にいたすべての存在の「魂」を直接殴りつけるような、次元の違う絶望の波。

 

 高密度の真エーテルで満たされていた空気が、一瞬にして氷点下まで凍りついたかのように錯覚するほどの、極大の「悪意」と「死」の重圧。

 

 その瞬間、眼下の戦場で繰り広げられていた激戦が、ピタリと停止した。

 

 数万の魔獣たちが、目の前の人間の喉笛に食らいつく寸前で動きを止め、恐怖に全身の毛を逆立てて一斉に崖の上を見上げた。

 

 兵士たちの手から槍が滑り落ち、腰を抜かして座り込む。

 

 

「な、なんだこれは……!?」

 

 

 最前線で盾を構えていたレオニダスが、顔面を蒼白にして呻いた。スパルタの王として数多の絶望的な戦場を潜り抜けてきた彼でさえ、その異常すぎる気配に背筋が凍りつくのを止められなかった。

 

「弁慶……! 今すぐ、後ろへ退け!」

 

 

 牛若丸が、かつてないほどの切迫した声で叫んだ。

 

 彼女の魂に刻み込まれた、平安の世の記憶。京の都で数多の悪鬼羅刹を討伐してきた彼女の直感が、ありありと警鐘を鳴らしていた。

 

 

 あれは、神ではない。魔獣でもない。

 

 一切の情理を持たず、ただそこにある全てを無差別に破壊し尽くす――正真正銘の「歩く天災」だ。

 

 戦場のすべての視線が、崖の上に立つ白い和装の男へと向けられる。

 

 宿儺は、顔を引き攣らせる英霊たちや魔獣たちを見下ろし、極上の笑みを浮かべた。

 

「さあ――存分に足掻け」

 

 

 ダンッ!!

 

 崖の岩盤が、宿儺の踏み込みの反動で粉々に吹き飛んだ。

 

 宿儺の肉体が、砲弾のような速度で魔獣の密集地帯――戦場のど真ん中へと落下していく。

 

 空中に身を躍らせた状態で、宿儺は両手を広げた。

 

 そして、眼下に広がる数万の魔獣の群れに向け、広域を薙ぎ払う不可視の斬撃――『解』の雨を、惜しげもなく解き放った。

 

 

 

 ――ズパァァァァァァァァァンッッ!!!

 

 

 

 戦場を横断するように、数キロに及ぶ巨大な十字の亀裂が大地に走った。

 

 それは、あまりにも理不尽な蹂躙劇の始まりだった。

 

 空を飛んでいた翼竜型の魔獣が、見えない刃に両翼を切り落とされて墜落する。

 

 地上で密集していた大型の獣たちが、悲鳴を上げる間もなく、ドミノ倒しのように次々と肉片に変わっていく。

 

 宿儺が戦場の大地に降り立った瞬間、彼の着地点を中心とした半径百メートルの魔獣が、瞬く間に細切れのミンチと化し、血の噴水となって空へ舞い上がった。

 

 

「ギャァァァァッ!」

 

「グォォォ……ッ!」

 

 

 統率を失った魔獣たちがパニックに陥り、宿儺に襲いかかろうとする者、逃げ出そうとする者が入り乱れる。

 

 

 だが、宿儺の歩みは止まらない。

 

 右手を振るえば前方数百メートルの獣が真っ二つに裂け、左手を振るえば左翼の群れがサイコロ状に解体される。

 

 彼は血だまりの中を悠然と歩きながら、文字通り「周囲に斬撃を撒き散らす」だけで、万単位の軍勢を一人で刈り取っていく。

 

 

「全軍、後退!! 決してあれに近づくな! 巻き込まれるぞ!!」

 

 

 レオニダスが、腹の底からの大音声で兵士たちに撤退を指示した。もはや防衛線どころではない。あの白い男の射程圏内に入れば、人間であろうと魔獣であろうと等しく塵にされる。完全な異常事態だった。

 

「あれは……何なんだ……。まるで、地獄の蓋が開いたような……」

 

 

 牛若丸が、戦慄に瞳を揺らしながら、血の暴風の中心で踊るように殺戮を続ける宿儺の姿を見つめていた。

 

 

 ――そして、この異常事態を感知していたのは、戦場の彼らだけではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 【場所:ウルク市街・ジグラット(王の間)】

 

 

『異常事態発生! 北壁近郊の原生林から絶対魔獣戦線にかけて、未確認の超高密度エネルギー反応を感知!』

 

 

 カルデアの管制室からの通信が、王の間に響き渡っていた。

 

 モニターの数値を食い入るように見つめるDr.ロマンの声は、かつてないほどのパニックに陥っている。

 

『魔力じゃない! これは……人間の負の感情が集約されたような、未知の呪詛エネルギーだ! 計測器の針が振り切れてる! 桁が違いすぎる、こんなものが局地的に発生するなんてあり得ない!』

 

 

 藤丸立香とマシュ・キリエライトも、通信から伝わってくる絶望的な数値と、遠く離れたこのウルクにまでビリビリと伝わってくる「悪寒」に、息を呑んで立ち尽くしていた。

 

「な、何が起きているんですか、ドクター!」

 

『分からない! だが、三女神同盟のどれとも違う、完全に別枠のイレギュラーだ! 戦線の魔獣たちが、文字通り「消滅」させられていってる!』

 

 

 玉座に深く腰掛けていたウルクの支配者――賢王ギルガメッシュは、苛立たしげに舌打ちをした。

 

 彼自身の卓越した感覚も、北方の空から漂ってくる常軌を逸した「穢れ」の気配を明確に捉えていた。神代の美しい大気を汚す、吐き気を催すほどの濃密な死と暴逆の匂い。

 

 

「ええい、騒々しい! 貴様ら、静まれ!」

 

 

 ギルガメッシュの一喝で、パニックになりかけていたシドゥリや兵士たちが硬直する。

 

 王は紅玉の瞳を細め、傍らでいつになく真剣な表情を浮かべている宮廷魔術師へと視線を向けた。

 

「マーリン。貴様のその眼は飾りか? 現地で何が起きている。特異点に干渉してきた小バエの正体を、今すぐ見極めよ」

 

「……言われなくても、もう視ているよ、ギルガメッシュ王」

 

 

 マーリンは杖を握り締め、自身の持つ最高峰の視力――現在すべてを見渡す『千里眼』を全開にして、北の戦場へと意識を飛ばした。

 

 何重もの空間の層を透過し、魔力のノイズを掻き分け、その異常発生源の中心を覗き込む。

 

 

 

 視えた。

 

 血の海の中、万の獣の死骸を積み上げた頂点に立つ、白い和装の黒髪の青年。

 

 四つの腕も二つの顔も持たない、一見すればただの人間。だが、その内に内包しているのは、星すらも腐らせるほどの凝縮された「呪い」の極地。

 

 マーリンがその存在の本質を視認し、驚愕に目を見開いた、その瞬間だった。

 

 

 

 ――ギロリ、と。

 

 

 

 千里眼のレンズ越し、数十キロ離れた戦場に立つ「その男」が、ゆっくりと顔を上げ、マーリンの視線と真っ直ぐに目が合ったのだ。

 

(なっ――視線を、感知された……!?)

 

 

 マーリンが戦慄した次の瞬間。

 

 モニター越しの男の真紅の瞳が、三日月のように細められた。

 

 男の唇が動く。『見下ろすな』。

 

 

 直後、マーリンの千里眼の視界に、ドス黒いノイズが走った。

 

 それは単なる魔術的な防壁やカウンターではない。観測されたという事実そのものを逆手にとり、視線を繋いだパスを伝って逆流してくる、極限まで圧縮された宿儺の『呪詛』そのもの。

 

 観測してはいけない深淵の悪意が、直接マーリンの脳髄へと流れ込んだのだ。

 

 

「――――ッッ!!??」

 

 

 王の間に、マーリンの鼓膜を破るような絶叫が響き渡った。

 

「マーリンさん!?」

 

 

 藤丸とマシュが悲鳴を上げる。

 

 いつも飄々としている花の魔術師が、両手で自身の目を激しく押さえ、顔面を苦痛に歪めながら床を転げ回っている。彼の指の隙間からは、一筋の血がツゥーッと流れ落ちていた。

 

「ぐっ、ああああ……! 眼が、脳が焼かれる……! ダメだ、アレは視ちゃいけない、アレは、正真正銘のバケモノだ……っ!!」

 

 

 悲鳴を上げながらのたうつ宮廷魔術師の姿に、玉座のギルガメッシュすらも目を瞠り、藤丸たちは圧倒的な恐怖に言葉を失った。

 

 理を覆す、最凶のイレギュラーの降臨。

 

 神代のメソポタミアは今、かつてない究極の「天災」の只中に叩き落とされようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

【時刻:神代の終焉――紀元前2600年代】

 

【場所:絶対魔獣戦線・最前線跡地】

 

 

 ――静寂が、落ちていた。

 

 つい先刻まで、この平野は数万の魔獣が上げる咆哮と、それに抗う人間たちの怒号、金属がぶつかり合う凄惨な喧騒に支配されていた。

 

 どちらが生き残り、どちらが死ぬか。種族の存亡を賭けた生存競争の熱量が、神代の濃密な大気をさらに熱く煮えたぎらせていたはずだった。

 

 

 だが、今、この広大な空間を支配しているのは、鼓膜が痛くなるほどの「無音」である。

 

 風すらも息を潜めた大地に広がっているのは、もはや戦場と呼ぶことすら烏滸がましい、ただの「屠殺場(とさつじょう)」だった。

 

 原型を留めている魔獣の死骸は、ただの一個体たりとも存在しない。

 

 あるものは巨大なサイコロ状の肉塊に解体され、あるものは無数の薄切りとなって大地にばら撒かれ、あるものは自らの内臓と骨をぶち撒けたまま赤い泥と化している。

 

 数万という単位の神代の獣たちが、瞬きをするほどの僅かな時間で、文字通り「死滅」させられたのだ。

 

 彼らの体内から溢れ出した夥しい量の血液は、高密度の真エーテルと反応し、ジュウジュウと不気味な音を立てて蒸発していく。それが濃密な『赤い霧』となって、視界を一面の赫殷に染め上げていた。

 

 むせ返るような鉄と臓物の匂い。そして、その赤い霧の中に溶け込んでいる、名状しがたい絶対的な「悪意」の残滓。

 

 マナやエーテルといった世界の循環システムに属する清浄なエネルギーではない。人間の負の感情、どす黒い澱みだけを極限まで抽出して圧縮したような、異次元のエネルギー――『呪力』。

 

 

「……あり得ない。こんなこと、あってはならない」

 

 

 赤い霧の辺縁。かろうじて不可視の斬撃の嵐から逃れた位置で、牛若丸は愕然と立ち尽くしていた。

 

 彼女の足元には、つい先ほどまで彼女の首を狙って飛びかかってこようとしていた魔獣の上半身だけが転がっている。下半身は、まるで見えない巨大な刃のミキサーにかけられたかのように、綺麗な肉の立方体となって散乱していた。

 

 

 牛若丸の瞳が、恐怖と戦慄に激しく揺動する。

 

 彼女は平安の世に生き、京の都を騒がせた数多の悪鬼羅刹、魑魅魍魎を切り伏せてきた源氏の武将だ。魔性や呪いといった類のものには、英霊の中でもとりわけ敏感な感覚を持っている。

 

 

 だからこそ、理解できてしまった。

 

 この戦場を瞬時に更地に変えたアレは、決して「味方」などではない。

 

 人間を救うために現れた超越者でもなければ、神代の理に属する神霊でもない。

 

 一切の情理を持たず、ただ己の通り道にあるものを等しく粉砕し、削り取る。

 

 人間の道徳も、神々の法も届かない次元で呼吸をする、完全なる『災害』。

 

 平安の世の闇を煮詰めて、人の形に押し込めたかのような――正真正銘のバケモノだ。

 

 

「全軍、速やかにこの場から後退せよ!! 盾を捨ててでも走れ! 決して足を踏み入れるな!!」

 

 

 後方から、スパルタの王・レオニダスの腹の底から絞り出したような大音声が響いた。

 

 彼もまた、王としての卓越した直感で悟ったのだ。アレは「軍」という集団で対応できる相手ではない。あの射程圏内に入れば、人間であろうが英霊であろうが、ただの一振りで等しく肉片へと変わる。ここは一旦引くことこそが、指揮官としての唯一の正解だった。

 

 

「牛若丸殿! 某たちも退きますぞ! アレは触れてはならぬモノだ。あの恐るべき呪詛の気配……アレの前に立てば、魂すらも両断されかねません!」

 

 

 大柄な僧兵・弁慶が、必死の形相で牛若丸の肩を掴もうと手を伸ばす。

 

 だが。

 

「……退く? 弁慶。それはできない」

 

 

 牛若丸は、弁慶の手を静かに、しかし力強く払いのけた。

 

「なっ……正気ですか!?」

 

「正気だとも。……ええ、私の魂が、本能が、全身の細胞が、アレから逃げろと叫んでいる。レオニダス王の判断は、軍を率いる者として正しい」

 

 

 牛若丸は、手にした愛刀の柄を、指が白くなるほどに強く握り締めた。

 

 自身の額から、嫌な脂汗がツーッと流れ落ちるのを感じる。

 

 それでも彼女の瞳には、源氏の武士としての、そして一人の英霊としての強固な光が宿っていた。

 

「だが、私は『武将』であると同時に、主を護る一振りの『剣』。得体の知れない異常事態(イレギュラー)を前にして、尻尾を巻いて逃げ帰るわけにはいかない。……アレが何者なのか、ウルクの脅威となるのか否か。誰かが、見極めなければ」

 

「しかしッ!」

 

「私が行く。弁慶よ、兵たちの撤退を補佐せよ!」

 

 

 それだけを言い残し、牛若丸は赤い霧の奥――血みどろの更地となった戦場の中心へと向かって、ただ一人、歩みを進め始めた。

 

 

 

 ザッ、ザッ、ザッ。

 

 

 足裏に、血と臓物を吸い込んでぬかるんだ大地の感触が伝わってくる。

 

 一歩踏み出すごとに、大気に残留している莫大な『呪力』の圧力が、物理的な重さとなって牛若丸の華奢な肩にのしかかる。

 

 まるで、深海へ向かって歩いているような、あるいは巨大な台風の目に向かって進んでいるような、息苦しさと圧倒的な拒絶感。呼吸をするだけで、肺の中に呪いの毒が入り込んでくる錯覚を覚える。

 

 

(なんと、おぞましき気配。……こんな怪物、魔獣すらも児戯に等しい……っ!)

 

 

 牛若丸は歯を食いしばり、必死に足を進める。

 

 周囲の光景は、進めば進むほどに凄惨さを増していった。魔獣の死骸は徐々にその原形を失い、霧の最深部に近づくにつれて、ただの「赤い泥」と化している。どれほどの密度と速度で刃を振るえば、巨大な魔獣がこんなペースト状になるというのか。

 

 

 

 やがて。

 

 赤い霧が最も濃く渦巻く、戦場の中心地。

 

 その光景が、牛若丸の視界にうっすらと結像した。

 

 

「――――ッ」

 

 

 息を、呑む。

 

 そこには、万の魔獣の残骸と血の海を敷き詰めた上に、ただ一人、一人の『青年』が佇んでいた。

 

 白い和装を身に纏い、黒い髪を風に揺らす、人間と寸分違わぬ姿。

 

 これほどの血の雨を降らせ、大地を赤い泥に変えた張本人であるにも関わらず、彼の白い衣にはただの一滴の血飛沫すらも付着していない。

 

 それは、彼自身の圧倒的な呪力が、外部からの汚れ(他者の血)すらも不可視の障壁のように弾いている証明だった。

 

 男は、牛若丸に背を向けたまま、自身の掌を不思議そうに眺めたり、軽く首を回して骨を鳴らしたりしていた。

 

 まるで、少し強めの「準備運動」を終えて、自身の体の調子を確かめているかのような、ひどく無防備で、退屈そうな仕草。

 

 万の命を奪っておきながら、そこに一切の感情の昂りも、殺戮への狂気すらもない。

 

 ただ、「道端の石を蹴り飛ばした」のと同じテンションで、彼はそこに立っていた。

 

 

(……動けない)

 

 

 牛若丸は、男の背中から数歩離れた位置で、完全に足を止めていた。

 

 刀の柄を握る手は汗で滑り、膝は微かに震えている。

 

 背中を向けている。完全に隙だらけだ。武将としての直感は「今すぐ背後から首を刎ねろ」と囁いている。

 

 だが、英霊としての本能が、それを全力で否定していた。

 

 『斬れない』。あの男の間合いに入った瞬間、己の首と胴体が泣き別れになる未来しか、どうしても想像できなかったのだ。

 

 

 

 それでも。

 

 牛若丸は、武士としての矜持を総動員し、凍りついた喉を無理やり開いた。

 

 

「…………貴様は、何者だ」

 

 

 赤い霧の中に、彼女の凛とした声が響き渡る。

 

 恐怖を押し殺し、最大限の警戒と敵意を込めた、誰何の声。

 

「神でも、魔獣でもない。だが、人間と呼ぶにはあまりにも異質で、おぞましい。これほどの殺戮を、ただ一人で成し遂げる怪物。……貴様は、我らの敵か。それとも……」

 

 

 声が震えないよう、必死に丹田に力を込める。

 

 牛若丸の言葉が、血の海に落ちた水滴のように、静かな戦場に波紋を広げた。

 

 

 男は、まるで背後で騒ぐ羽虫の羽音でも確かめるかのような、ひどく緩慢な、怠惰な動作で――ゆっくりと、牛若丸の方へと振り返った。

 

 

 

 ――ザワァッッ!!

 

 

 

 男が完全にこちらを向いた瞬間。

 

 牛若丸の全身の毛穴が開き、心臓が早鐘のように激しく警鐘を鳴らし始めた。

 

 白い和装。顔には奇妙な紋様が刻まれ、その瞳は、流れ出た魔獣たちの血よりもなお深く、暗い――真紅の色に染まっていた。

 

 男の顔に浮かんでいるのは、怒りでも、殺意でもない。

 

 己が絶対の頂点にいることを微塵も疑っていない、果てしなく傲慢な「王」としての余裕。

 

 

 

 

 宿儺の唇が、わずかに弧を描いた。

 

 低く、重く、鼓膜の奥を直接撫で上げるような、呪力を孕んだ声。

 

 真紅の瞳が、牛若丸を真っ直ぐに射抜く。

 

 視線が、交差した。

 

 その瞬間、牛若丸は直感的に「理解」してしまった。

 

 この男は、自分を「脅威」として見ていない。敵としてすら認識していない。

 

 彼の目には、自分はただの『言葉を喋る石ころ』か、あるいは『少し味の違う食材』程度にしか映っていないのだと。

 

 

「……なんだ。俺は今、己の肉体の調律で少しばかり気分がいい」

 

 

 宿儺は、血の海の中に静かに立ちながら、赤い霧の向こう側にいる小柄な武将を見下ろした。

 

 圧倒的な格の違い。存在のスケールの次元差。

 

 

「貴様程度の雑兵が、興を削ぐな。……すっこんでいろ」

 

 

 

 神代のメソポタミアの赤い霧の中。

 

 ヒリヒリとするような極限の緊張感が、二人の間に張り詰めた。

 

 




あとがき

たくさんコメントありがとうございます!
助かりました!

評価されるために書いてるわけではないのですが、自己満足だけでは限界がありまして。

コメント、評価、共に活力になりました。
感謝してます。
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