Fate/stay night [Alter Ego of Calamity] ――理外の双貌   作:りー037

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狂気の代償と、太陽の神威、そして結ばれる死王の印

【時刻:神代の終焉――紀元前2600年代】

 

【場所:絶対魔獣戦線近郊・エリドゥの祭壇麓】

 

 

 神代の密林を切り拓いて建造された、黄金の太陽を頂くエリドゥの祭壇。

 

 その巨大な石造りの建造物の麓で、相対する二つの極限の存在の間に横たわる空間的距離は、数十メートル。だが、互いの肉体から放たれる常軌を逸したエネルギーの奔流は、既に目に見えない次元で激しく衝突し、周囲の空間をバチバチと火花を散らして軋ませていた。

 

 

 神霊としての絶対の格と、太陽の如き慈愛、そして苛烈なる闘争への歓喜を内包した南米の主神、ケツァル・コアトル。

 

 対するは、人間の負の感情を極限まで煮詰め、濾過し、世界そのものを在り方で削り取らんとする絶対的なエゴイズムの権化、両面宿儺。

 

 

 対峙する両者の間合いが、ゼロになる。

 

 誰の合図もない。ただ、互いの魂が「殺し合いの最適解」を弾き出したその瞬間が、開戦の号砲であった。

 

「――シッ!」

 

 

 宿儺の呼気が、鋭く空気を裂く。

 

 同時に、彼の体内を巡る莫大な呪力が、かつてないほどの爆発的な循環を始めた。伏黒恵という器の細胞一つ一つに呪力が浸透し、筋繊維、骨格、神経伝達速度に至るまで、生物としてのリミッターを完全に焼き切るほどの極限の『強化』が施される。

 

 大地を蹴るというよりも、空間そのものを踏み砕くような神速の踏み込み。白い和装の残像すら置き去りにし、宿儺の肉体は砲弾と化して真っ直ぐに女神の懐へと殺到した。

 

 

 対するケツァル・コアトルもまた、一歩も引くことはなかった。

 

 彼女は黄金の神気を爆発させ、陽気で苛烈な笑みを顔に貼り付けたまま、正面から突進する。

 

 両者が放った拳が、両者のちょうど中間地点で、寸分の狂いもなく真正面から激突した。

 

 

 

 

 ドゴォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!

 

 

 

 

 空間が、文字通りひしゃげた。

 

 呪いの王が極限まで呪力を込めたフィジカルの暴力と、太陽の女神が誇る理不尽なまでの神霊の筋力。二つの規格外のエネルギーが拳と拳の接点という極小の一点に集中し、耐えきれずに破裂した。

 

 接触面から生じた衝撃波は、ドーム状の暴風となって周囲を薙ぎ払う。祭壇の麓の硬い岩盤がすり鉢状に粉々に吹き飛び、数十メートル離れた原生林の巨木群が、まるで枯れ枝のように根こそぎへし折られて吹き飛んでいく。

 

(……ほう!)

 

 

 拳を打ち合わせているその刹那、宿儺の真紅の瞳が、僅かに驚愕に見開かれた。

 

 呪力による本気の強化を施した自分の右拳。完全に押し負けているわけではない。だが、ミリ単位で、ほんの僅かにだが確実に『押し込まれて』いるのだ。

 

(この圧倒的な身体能力……『フィジカルギフテット』よりさらに上!)

 

 

 宿儺の脳裏に、かつて刃を交えた者たちの姿がよぎる。呪力から完全に脱却し、肉体のポテンシャルのみで呪術の極致に肉薄した者達。彼らが見せた純粋な肉体の暴力は、確かに特級の術師すら凌駕しうるものだった。

 

 だが、目の前のこの神霊が放つ筋力は、それら天与の肉体すらも遥か高みから見下ろすような、次元の違う出力。人間という生物の限界点ではなく、『神』という星の法則に底上げされた絶対的な神理の結晶。

 

 

 拳が完全に押し切られ、自身の体勢が崩される。その数瞬前。

 

 宿儺は、神速の判断で自身の重心を極限まで沈み込ませた。激突の反発力を利用して下段へと潜り込むと同時に、ケツァル・コアトルの軸足を根こそぎ刈り取るべく、鋭い回転下段蹴りを放つ。

 

「オー、素早いデスね! ですが、ルチャドールを足元から崩そうなんて、百年早いデース!」

 

 

 だが、闘争の歴史そのものである女神は、そのカウンターすらも完全に読んでいた。

 

 彼女は片足の膝を直角に曲げ、黄金の神気を極限まで圧縮して纏わせた脛で、宿儺の渾身の蹴りを強引にガード(防御)する。

 

 

 ガキィィィンッ! と、肉体同士の衝突とは到底思えない、甲高い金属の激突音が密林に響き渡った。

 

 宿儺の蹴りを受け止めたケツァル・コアトルの口角がさらに吊り上がり、そこから、両者による息もつかせぬ超高速の近接戦闘(インファイト)の幕が切って落とされる。

 

 

 

 

 ドドドドドドドドドドドドドドドドドドッ!!!

 

 

 

 

 拳、肘、膝、蹴り。

 

 

 流れるような連撃が互いの急所を狙って殺到する。打撃が交差するたびに、空間が破裂するような轟音が響き、衝撃波がクレーターをさらに深く穿っていく。

 

 フェイント、回避、防御、そしてカウンター。これは単なる筋力のぶつかり合いではない。何千年、何万年という闘争の歴史で培われた女神の格闘技術(ルチャ・リブレ)と、平安の世からあらゆる強者を蹂躙し尽くしてきた呪いの王の絶技が、ミクロの次元で極限の読み合いを繰り広げている。

 

 

「ハハハハハハッ!! 良いぞ、ここまで見事に踊るとはな!」

 

 

「ムイ・ビエン! 貴方も最高にホットなステップ、いいデース! その冷たい魂に、ルチャの炎を灯してあげマース!」

 

 

 互いの肉体を容赦なく削り合い、時には皮膚が裂け、血が舞い散る。周囲の地形を完全に更地に変えながら、二人はどこか狂気的な、それでいて心底楽しげな笑みを浮かべて打ち合いを続けていた。

 

 

 だが、その狂笑の裏側で、宿儺の冷徹な脳髄は、極めて冷静に状況を分析し続けていた。

 

(強い。先ほどの、あの珍獣(ジャガーマン)よりもさらに上。圧倒的な霊基の密度を誇っている。真正面からの殴り合いで僅かに分が悪いのは、癪だが事実か)

 

 

 

「そら、どうした! 動きが単調になっているぞ!」

 

 

 宿儺は打撃の連打から一転、見えない空間の面を蹴る絶技を使用した。

 

 物理法則を無視した鋭角な軌道で、空中へとジグザグに跳躍する。平面での押し合いから、三次元的な立体機動戦への移行。死角からの強襲を狙った動きだった。

 

「逃がしまセーン! リングは平面だけではないのデス!」

 

 

 だが、ケツァル・コアトルは太陽の神威を爆発的な推進力に変え、空を飛ぶようにして宿儺の変則的な空中機動にピタリと食らいついてきた。

 

 上空数十メートルの虚空で、彼女が宿儺の脳天を砕くべく、強烈な踵落としを仕掛けてくる。

 

 

 宿儺はその一撃を、首を僅かに捻って紙一重で躱した。

 

 そして、すれ違いざまに、彼女の振り下ろされた脚の裏側、そして腕の関節を、両手でガッチリと掴み取る。神の肉体を掴んだ確かな感触。

 

「――飛べ」

 

 

 空中で自身の体勢を反転させ、凄まじい遠心力を利用して、女神の長身を眼下の深い森の方へと豪快に投げ飛ばした。

 

 

 

 ズドォォォォォォォォンッ!

 

 

 

 隕石が墜落したかのように、数本、数十本の大木をへし折り、粉砕しながら、ケツァル・コアトルが森の奥深くへと墜落していく。土煙が上がり、地響きが辺り一帯を揺るがした。

 

 

 宿儺はすぐさま空を蹴って自身の体勢を立て直し、ふわりと森の中へと舞い降りた。

 

 木々を遮蔽物として利用し、気配を殺しながら高速で立ち回り始める。相手が神の筋力を持つのであれば、正面からの打撃戦にこだわる必要はない。呪術という、己の真の土俵へと引きずり込む。

 

「――『解』」

 

 

 木々の隙間を縫うように移動しながら、宿儺は指先から不可視の斬撃を次々と飛ばし、牽制をかける。

 

 シュパパパパパッ! と、神代の硬い古代樹が次々と輪切りにされ、崩れ落ちていく。その無数の見えない刃の雨の中で、宿儺は斬撃そのものを囮にして一気に肉薄した。

 

 

 土煙を払って立ち上がろうとしていた女神の死角、その完全な背後を取る。

 

 対象との呪力差、強度に応じて威力を自動調整し、一太刀で両断する重斬撃――『捌』。

 

 宿儺は、その必殺の刃を、彼女の無防備な脇腹へと直接、掌を触れて打ち込んだ。

 

 

 

 ギギギギギギギギギギギギッ!!!

 

 

 

 

 刃が神の肉を裂く、悍ましい音が響く。鮮血が空中に舞い散った。

 

 だが、宿儺は会心の一撃を放ったにもかかわらず、忌々しげに舌打ちをした。

 

(……固い。完全な『切断』には至らんか。これが、星の法則に守られた神の霊基というやつか)

 

 

 『捌』は確かに彼女の皮膚を裂き、肉を抉った。だが、骨を断ち割り、内臓を両断するほどの決定的な致命傷には程遠い。彼女の肉体を構成する神気そのものが、呪力による概念的な切断を強引に相殺し、肉体の崩壊を食い止めたのだ。

 

「オー、少し痛いデスね! 凶器攻撃は反則デース! ならば、こちらのお返しデース!」

 

 

 脇腹から血を流しながらも、ケツァル・コアトルは痛みに顔を歪めるどころか、闘争の歓喜をさらに深めて振り向いた。

 

 彼女は高速で森の中を駆け抜けながら、どこからともなく『アステカ神話の黒曜石を埋め込んだ木製の剣マクアフティル』を顕現させた。神話において、神々の戦いで振るわれたとされる、鈍器と刃物の性質を併せ持つ恐るべき武具。

 

 

 彼女はそれを軽々と振り上げ、宿儺の頭部を真っ二つにカチ割るべく、強烈に叩き下ろした。

 

 ブォンッ! と空気が爆発するような風圧。宿儺がそれをステップで躱した瞬間、彼女は剣の軌道を強引かつ滑らかに変え、宿儺の退路を塞ぐように横薙ぎの連撃を放つ。

 

 宿儺は、物理的な回避が間に合わないと見るや、眼前を覆い尽くすほどの網の目のような『解』を乱れ撃ち、剣撃そのものを相殺しようとする。

 

 

 だが、女神はその不可視の斬撃の網すらも、空界踏破に匹敵する、いやそれ以上の圧倒的な空中機動と柔軟な身のこなしで駆け抜け、間合いをさらに詰めてきた。

 

 

 

 

 バキィィィィィィィィンッ!!

 

 

 

 

 呪力を限界まで集中させた宿儺の拳と、神気を纏ったケツァル・コアトルの黒曜石の剣が激突する。

 

 互いの特大の一撃が交差した瞬間、発生した凄まじい衝撃波が、二人の足元の地面を深さ数メートルにわたって抉り取った。両者はその反動により、森の開けた場所へと、互いに数十メートルにわたって弾き飛ばされる。

 

 

 神と呪い。両者一歩も譲らない、極限の死闘。

 

「……チッ、しぶとい女だ」

 

 

 猛烈な勢いで吹き飛ばされながらも、宿儺は空中で見事に体勢を立て直す。

 

 そして、両足が大地に着地したその瞬間、自身の傍らにそびえ立っていた、樹齢数千年、直径数メートルはあろうかという巨大な古代樹に目をつけた。

 

 

 宿儺は指を振るい、『解』でその大木の根元を水平に切断する。

 

 重力に従って倒れ込もうとするその巨大な丸太に、宿儺は自身のどす黒い呪力を限界までコーティングした。大木そのものが、禍々しい呪いの質量兵器へと変貌した。

 

「消し飛べ」

 

 

 宿儺は、弾き飛ばされて着地したばかりのケツァル・コアトルに向かって、その呪力で強化された巨大な大木を、砲弾のごとき超音速で『投擲』した。

 

 空気を切り裂き、周囲の木々を巻き込みながら、巨大な質量が女神へと殺到する。

 

「オー! ダイナミックなキャッチボール、大歓迎デース!!」

 

 

 だが、太陽の女神はその絶望的な質量兵器を前にしても、満面の笑みを浮かべていた。

 

 彼女は空中で体勢を整えるや否や、両手を大きく広げ、飛来する巨大な大木を『真正面から』受け止めたのだ。ズガァァァンッ! と、彼女の足元が数十メートル後退して深い轍を刻むが、彼女の腕は決して大木を逃さない。

 

「そぉぉぉぉいッ!!」

 

 

 ケツァル・コアトルは、大木の勢いを完全に殺すと同時に、黄金の神気を両脚に集中させ、宿儺へ向かって思い切り「蹴り飛ばして」返えす。

 

 宿儺が投げた時よりもさらに速く、神威を纏って黄金に輝く大木が、今度は宿儺に向かって飛来する。

 

「小賢しい真似を」

 

 

 倍以上の速度と威力で帰ってきた大木を前に、宿儺は慌てることなく、両腕を交差させて広げた。

 

 極めて精密にコントロールされた、格子状の『解』の網。

 

 神速で飛来した巨大な大木は、宿儺に直撃する寸前で、その不可視の網に触れ――一瞬にして、数万の木片、いや、ただの細かいチリ(木屑)へと完全解体された。

 

 

 

 

 ズザァァァァァァァッ……!!

 

 

 

 

 

 大木がチリとなったことで、宿儺の視界を、広大な木屑の煙が完全に覆い尽くした。

 

 

 木屑の煙が視界を遮った、その瞬間。

 

 煙の向こう側から、空気を裂く凄まじい摩擦音と共に、先ほどの黒曜石の翡翠剣マクアフティルが、超音速で投擲されてきたのだ。

 

「甘い」

 

 

 視界が塞がれていようと、宿儺は正確にその軌道を捉えていた。

 

 彼は即座に空へと舞う。飛来する剣をやり過ごすように、空中へと大きく跳躍した。剣は彼の足元を虚しく通り過ぎ、遥か後方の森へと消えていく。

 

 

 

 ――しかし。

 

 宿儺が空中で回避行動をとったその「先」の空間。彼が到達するであろう空中の座標に、恐るべき速度で先回りしていた影があった。

 

「ルチャの基本は、空間の支配と、相手の心理の誘導デス!」

 

 

 大木の打ち返しも、剣の投擲すらも、すべてはただの囮。

 

 

 空中に逃れた宿儺の背後から、ケツァル・コアトルのしなやかで力強い両腕が、宿儺の右腕に大蛇のように深く、そして完璧に絡みついた。

 

 抵抗を一切許さない、太陽の神霊による絶対的な筋力の拘束。関節の可動域を完全にロックされ、身動きの取れない空中という密室。

 

「これで、チェックメイトデース!!」

 

 

 女神の歓喜の声と共に、太陽の女神の神話級の『プロレス技(関節技)』が、呪いの王の右腕に、一切の隙もなく完璧に極まった。

 

 

 ギリィィィィィッ!!

 

 

 

 常人の骨ならば、絡みつかれた瞬間に粉微塵に砕け散っているであろう圧倒的な万力。太陽の神威を乗せたその関節技は、単なる物理的な締め付けに留まらず、空間そのものを固定し、対象の魔力や呪力の循環すらも外側から強引に押さえ込むという、まさに神代の『拘束術』の極致であった。

 

 

 宿儺の強靭な右腕の骨が、ミシミシと悲鳴を上げる。

 

 このまま落下し、大地に激突すれば、受け身をとることもできない宿儺は右半身を完全に粉砕され、ルチャ・リブレの絶対的なルールの下に敗北を刻み込まれることになる。それが、女神ケツァル・コアトルの描いた、愛と試練のフィナーレであった。

 

 

 

 しかし。

 

 通常、自らの腕をあり得ない角度に極められ、脱出不可能な空中に放り出された者は、恐怖に顔を歪め、痛みに叫び、あるいは絶望に抗おうと無駄な足掻きを見せる。

 

 だが、右腕をへし折られんとしている宿儺の顔には、焦りも、恐怖も、苦痛すらも一切浮かんでいなかった。

 

(……関節を完全に極め、呪力の流れごと空間をロックしたか。見事な拘束だ)

 

 

 呪いの王の脳髄は、極限の死地にあってもなお、氷のように冷たく澄み切っていた。

 

 神の腕力を力ずくで振りほどくのは不可能。ならば、どうするか。

 

(ならば、この腕ごと置いていくまでだ)

 

 

 宿儺の真紅の瞳が、三日月のように細められる。

 

 

 次の瞬間、彼の指先から、不可視の斬撃――『解』が放たれた。

 

 しかし、その刃が向かった先は、背後の女神ではない。

 

 

 己自身の、右腕の根本である。

 

 

 

 ズバァァァァァァァンッ!!!!

 

 

 

 

 凄惨な肉の破裂音が、上空の風を切り裂いた。

 

 鮮血が、間欠泉のように爆発的に噴き出す。

 

「――ワッツ!?」

 

 

 ケツァル・コアトルの口から、神としての余裕を完全にかなぐり捨てた、素の驚愕の声が漏れた。

 

 彼女の腕の中に残されたのは、拘束したはずの男の身体ではなく、肩から先を綺麗に切断された『右腕だけ』。

 

 

 自身の腕を、己の術式で躊躇いなく切り落とす。

 

 その、神の思考が完全に停止した「一瞬の硬直」。

 

 それこそが、呪いの王が己の右腕という代償を支払って作り出した、絶対の勝機。

 

 

「よそ見をしている場合か、女神」

 

 

 死神の囁き。

 

 残された無傷の左腕。その大きな掌が、驚愕に見開かれた太陽の女神の顔面、顔の右半分から顎にかけてを、万力のような力でガッチリと鷲掴みにする。

 

「オー、ノォォォォッ!?」

 

 

「消え失せろ」

 

 

 宿儺の掌と、女神の顔面が接触したゼロ距離。

 

 対象の強度と呪力差に応じて威力を自動調節する斬撃――『捌』。

 

 それを、一発ではない。顔面に触れた掌の面積すべてから、チェーンソーの刃を直接押し当てるかのように、数十、数百という超高密度の斬撃の嵐として、至近距離から一斉に解き放ったのだ。

 

 

 

 ガガガガガガガガガガガガガガガガガッ!!!!!!!!

 

 

 

 

 ダイヤモンドを巨大な削岩機で削り取っているかのような、耳を劈く凄まじい破壊音。

 

 宿儺の掌から放たれる漆黒の呪力が、ケツァル・コアトルの顔面を構成する黄金の神威と真っ向から衝突し、ミクロの次元で削り合い、火花を散らしている。

 

 

「グ、ガ、アァァァァァァァァァァッ!!??」

 

 

 女神の口から、初めて苦痛の絶叫が迸った。

 

 神代の真エーテルを纏い、星の法則に守られた絶対的な耐久力を誇る彼女の霊基。だが、対象の強度に合わせて際限なく威力を底上げし続ける『捌』の理不尽な連撃の前に、彼女の美しい白磁の肌に、ついに無数の亀裂が走り始めたのだ。

 

 

 

 ピキッ、メキメキメキッ!!

 

 

 

 皮膚が裂け、そこから太陽の炎のように熱く、輝く神の血が噴き出す。

 

 宿儺の左腕を伝って、その血がジュウジュウと音を立てて彼の皮膚を焼くが、宿儺は一切手を緩めない。さらに呪力の出力を上げ、彼女の頭蓋骨ごと脳髄を微塵にすり潰そうと圧力を増していく。

 

(……ここで、ここで引き剥がさなければ、私の霊基が完全に崩壊する……ッ!)

 

 

 ケツァル・コアトルは、視界を鮮血と黒い呪力に塞がれながらも、闘神としての本能を極限まで駆動させた。

 

 顔面を削り取られる激痛に耐えながら、彼女は両腕を強引に引き上げ、自身の顔に食らいついている宿儺の左腕を手首のあたりで力任せに掴み取る。

 

「ハァァァァァァァァァァッ!!」

 

 

 

 太陽の女神の、烈火の如き咆哮。

 

 神霊のフルパワーによる抵抗。メリメリと、宿儺の左腕の筋肉が悲鳴を上げる。宿儺の指が、彼女の頬の肉と皮膚を無残に引き裂きながら、強引に顔面から引き剥がされた。

 

 

 バチィィィンッ!! と、血の飛沫を上げて両者が引き離される。

 

 だが、女神の反撃はそれだけで終わらない。彼女は顔面から血を流し、空中で体勢を崩しながらも、その強靭な両脚をバネのように引き絞り、宿儺の無防備な腹部へと、渾身の蹴りを叩き込んだ。

 

 

 

 ドゴォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!

 

 

 

「……グッ!」

 

 

 神の怒りを乗せた一撃。

 

 それはまさに、星の質量をぶつけられたかのような途方もない破壊力。宿儺の強靭な腹筋が陥没し、内臓が激しく揺さぶられる。

 

 凄まじい衝撃波と共に、宿儺の身体は空中からくの字に折れ曲がり、眼下のエリドゥの大地に向かって、隕石のごとき速度で撃ち落とされた。

 

 

 

 ズドォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!

 

 

 

 

 祭壇の麓、先ほどジャガーマンが叩きつけられたクレーターのすぐ真横に、新たな巨大なクレーターが穿たれる。

 

 

 濛々と立ち込める土煙。

 

 常人であれば、いや、並の英霊であったとしても、右腕を失った状態であの蹴りを食らい、大地に叩きつけられれば、全身の骨が粉砕されて即死しているだろう。

 

 

 しかし。

 

 土煙の中心から、ゆっくりと、何事もなかったかのように立ち上がる一つの影があった。

 

「……ハァ……、ハァ……」

 

 

 宿儺は、軽く息を吐き出しながら、首をボキリと鳴らした。

 

 彼の腹部には巨大な陥没の痕があり、右肩からは相変わらず大量の血が滝のように流れ落ちている。

 

 

 だが、彼の真紅の瞳に宿る光は、微塵も衰えてはいなかった。

 

「……面倒な手間をかけさせおって」

 

 

 

 宿儺が、小さく呟く。

 

 次の瞬間、彼の右肩の切断面から、淡い陽炎のような、しかしひどくおぞましい呪力の光が立ち昇り始めた。

 

 

 

 シュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ……!!!

 

 

 

 負のエネルギーである呪力を掛け合わせ、正のエネルギーを生み出す究極の呪力操作。

 

 ――『反転術式』。

 

 

 

 切断された右肩の断面から、赤黒い筋肉の繊維が生き物のようにうごめき、絡み合い、骨を形成し、神経を繋ぎ止め、皮膚を覆っていく。

 

 ジュクジュクと悍ましい音を立てながら、失われたはずの右腕が、肘、手首、そして指の先まで、ほんの数秒の間に『完全に元通りに』復元されたのだ。

 

 それと同時に、腹部の陥没や、全身に負っていた細かい打撲の痕跡すらも、綺麗さっぱりと修復されていく。

 

 

 

 パチン、と。

 

 宿儺は新しく生えそろった右手の指を鳴らし、その完全な動作を確認して、薄く笑った。

 

 

 ドスンッ。

 

 ちょうどその時、上空からケツァル・コアトルが、重力に逆らうかのようにふわりと、しかし威厳を持って大地へと着地した。

 

「……ハァ……、ハァ……」

 

 

 女神の肩も、僅かに上下していた。

 

 彼女の顔の右半分――宿儺に鷲掴みにされ、『捌』の連打を食らった部分には、無数の斬り裂かれた傷跡が深く刻まれている。そこからは、神の血がツゥーッと顎を伝い、彼女の白い胸元へと滴り落ちていた。

 

 

 神の霊基による超回復力があるとはいえ、呪いの王の必殺の斬撃を直接受けたダメージは、決して浅くはない。

 

 だが、ケツァル・コアトルは、傷ついた顔を手で覆うこともせず、自身の顔から流れる血を指でそっと拭い取ると、それを舌でペロリと舐め取った。

 

 そして、先ほど自身の腕を躊躇いなく切り落とし、今まさにそれを再生させたばかりの目の前の怪物に対し、心底呆れたような、それでいてどこか嬉しそうな笑みを浮かべた。

 

 

「オー……。自身の腕を切り落として脱出するなんて、本当に、かなり無茶をする人間デスね、貴方は」

 

 

 彼女の声には、怒りはなかった。

 

 あるのは、己の予想を遥かに超えてきた対戦相手に対する、純粋な賞賛と、闘争の喜悦。

 

「ですが、そのクレイジーなまでの勝利への執念、嫌いではありませんよ。……さあ、傷も癒えたようですし、もう一度、仕切り直しと行きまショウか?」

 

 

 女神が、再び黄金の闘気を練り上げ、両腕を広げて構えをとる。

 

 このまま第2ラウンドの肉弾戦へと移行しようとする、その熱狂的な誘い。

 

 

 

 だが。

 

 

「……いや」

 

 

 宿儺の声は、沸騰するような周囲の熱気とは裏腹に、氷の刃のように冷たく、ひどく静かだった。

 

「ここまでだ」

 

 

 宿儺は、両手をだらりと下げたまま、一切の構えをとろうとしなかった。

 

 彼の真紅の瞳は、目の前で微笑む太陽の女神を、もはや「遊ぶ対象」としてではなく、明確に「排除すべき障害」として、極めて冷徹に分析・評価していた。

 

(……認めざるを得んな)

 

 

 宿儺の脳内で、これまでの数分間の死闘のデータが高速で処理されていく。

 

 己のフィジカルを上回る、理不尽なまでの神の『筋力』。

 

 空界踏破による三次元軌道にすら食らいついてくる、圧倒的な『俊敏性』。

 

 何万年という闘争の歴史に裏打ちされた、完璧な『戦闘技能』。

 

 そして何より、『捌』を至近距離から叩き込んでも脳髄までは届かせない、星の法則に守られた異常な『耐久力』。

 

 

 どれをとっても、一級品。

 

 紛れもなく、彼が生前闘ってきたどの術師よりも、遥かに高く、強固な霊基を持つ『神』という存在。

 

(正面からの殴り合いを続けても、ジリ貧になるのはこちらか。反転術式があるとはいえ、俺の呪力にも、いずれ限界が来る)

 

 

 このまま通常の格闘や、小規模な斬撃を飛ばし合っていても、決定打には欠ける。

 

 神の耐久力を完全に凌駕し、その魂の核ごと塵芥にすり潰すためには、もはや手加減や「小手調べ」の範疇では不可能だ。

 

 

 ならば、答えは一つしかない。

 

「……貴様が、ただの羽虫ではないことは理解した。神という大層な名前を騙るだけのことはある」

 

 

 宿儺が、ゆっくりと両腕を胸の前に持ち上げた。

 

「だからこそ、ここで終わらせる」

 

 

 宿儺の言葉と共に、周囲の大気が、突如として『死』の静寂に包まれた。

 

 空間の温度が、一瞬にして絶対零度まで凍りついたかのような、異次元の悪寒。

 

 ケツァル・コアトルの本能が、神としての絶対の危機察知能力が、これまでとは桁違いの破滅の予兆に、かつてないほどの激しい警鐘を鳴らし始める。

 

 

「…… この、おぞましいプレッシャーは……」

 

 

 女神が息を呑み、構えをさらに固めた。

 

 宿儺は、無表情のまま、両手の中指と人差し指を交差させ、独自の形を組み上げる。

 

 

 それは、究極の呪術の極致。

 

 己の心の中にある生得領域を、現実の空間に強引に具現化し、必中必殺の理を世界そのものに押し付け、新たな法則を押し付け、書き換える。

 

 

 神への叛逆。

 

 

 ――『閻魔天印』。

 

 

 呪いの王の真骨頂。

 

 太陽の女神を完全に殺し尽くすための、絶対の死域の構築。

 

 指が結ばれたその瞬間、宿儺の背後の空間が、ガラスが割れるように無惨に砕け散り、その奥から、血と怨念に塗れた『何か』の巨大な気配が、産声を上げるように姿を現そうとしていた。

 

 

 神話の時代における、呪術の極致の顕現。

 

 呪いの王が本気で神を仕留めにいく、凄絶なる『第二フェーズ』が、今、その幕を開けようとしていた。

 

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