Fate/stay night [Alter Ego of Calamity] ――理外の双貌   作:りー037

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伏魔の死域と黒き閃光、女神の決死

【時刻:神代の終焉――紀元前2600年代】

 

【場所:絶対魔獣戦線近郊・エリドゥの祭壇麓】

 

 

「だからこそ、ここで終わらせる」

 

 

 氷の刃のような声。

 

 宿儺の両手が胸の前に持ち上がり、掌印を結ぶ。

 

 たったそれだけの動作。だが、ケツァル・コアトルの闘神としての本能が、全身の毛穴を逆立てて死の警鐘を鳴らした。

 

 空気が凍る。いや、違う。空間そのものが、この男の指先を中心にして、おぞましい「何か」へと変質しようとしているのだ。

 

 

 

 ――『閻魔天印』。

 

 

 神代の真エーテルが悲鳴を上げて弾け飛んだ。

 

 宿儺の背後の空間が、薄氷のようにひび割れ、砕け散る。その虚無の奥底から、血と怨念に塗れた巨大な気配が産声を上げた。

 

 

 

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ……!!

 

 

 

 

 血の池。這い回る巨大な骨の数々。

 

 それらの不浄なる土台の上に、禍々しい角と牛の頭骨を頂いた巨大な神殿――いや、死を捌くための『厨房』が顕現する。

 

 それは、己の心の中にある生得領域を、現実の空間に強引に引き摺り出し、具現化する呪術の極致。

 

 

「領域展開――」

 

 

 宿儺の真紅の瞳が、残酷な三日月の形に歪む。

 

 

 

「――『伏魔御廚子』」

 

 

 

 展開された領域。だが、その領域は、極めて「異端」な代物だった。

 

 通常、自らの領域を世界に押し付ける場合、己の法則を外界から分断するための『外郭』を構築する。それが魔術であれ、呪術であれ、異界を創り出すための絶対の基本定理だ。

 

 

 だが、宿儺の領域には、その『外郭』が存在しなかった。

 

 

 

 結界を閉じずに領域を展開する。

 

 それは、キャンバスを用いずに、空という虚無に直接絵を描くような代物。

 

 

 まさに神業。

 

 さらに、相手に「逃げ道」を与えるという縛りを自らに科すことで、必中効果の範囲を底上げを可能とした。その最大半径は、実に二百メートルにも及ぶ。

 

 

 だが、宿儺の冷徹な脳髄は、極限の死地においてすら、冷酷な計算式を弾き出していた。

 

 

(宝具(領域)の維持には、魔力を使用する。二百メートルまで広げれば、俺の霊基に過剰な負荷がかかる)

 

 

 現在、彼には魔力を供給するマスターがいない。土地の魔力から強引にエネルギーを吸い上げている状態だ。

 

 対象であるケツァル・コアトルとの距離は、およそ三十メートル。逃げ道を潰し、確実に息の根を止めるには、半径百メートルもあれば十二分に事足りる。

 

 

 宿儺は、領域の必中効果範囲を、意図的に『半径百メートル』へと絞り込んだ。

 

 これにより、宝具使用における魔力の消費量を半減させることに成功。理不尽な天災でありながら、極めて緻密な術式運用。

 

 その瞬間、半径百メートルの空間に、絶対の死のルールが敷かれた。

 

 

 

 

 シュパパパパパパパパパパパパパッ!!!!

 

 

 

 

 空気が裂ける音すら置き去りにする。

 

 領域内に存在する無機物には、『解』が。

 

 呪力、あるいは魔力を帯びた生物には、『捌』が。

 

 

 伏魔御廚子が消え去るまで、絶え間なく、雨霰と、自動で浴びせられ続ける。

 

 

 一瞬だった。

 

 宿儺を中心に半径百メートルの範囲にあった古代樹の森が、硬い岩盤が、祭壇の階段の半分が。

 

 まるで巨大な不可視のミキサーにかけられたかのように、音を立てる間もなく『細切れの塵』へと姿を変えた。

 

 

「――!?」

 

 

 ケツァル・コアトルの視界が、自身の血で赤く染まった。

 

 回避は、不可能。防御など無意味。放たれた時点で「当たっている」という絶対の必中効果。

 

 女神の白磁の肌が、瞬く間に無数の見えない刃によって切り裂かれ、鮮血が噴き出す。

 

 

 痛覚が、脳を殴りつける。

 

 だが、神の知性は、この異常事態のルールを一瞬で正しく把握した。

 

 範囲内のものすべてを切り刻む、致死の空間への変質。このままでは、サイコロ状の肉塊にされる。

 

 

「オー、ノォォォォォッ!!」

 

 

 ケツァル・コアトルは、太陽の神としての霊基をフルで起動させた。

 

 黄金の神気が、これ以上ないほどに超高密度に圧縮され、彼女の肉体表面を分厚い鎧のように覆い尽くす。

 

 パラメーターが、限界を突破して跳ね上がった。膨大な神の力で、自身の肉体に触れた『捌』の斬撃効果を、強引に中和し、相殺しにかかったのだ。

 

 

 

 ガガガガガガガガガガガガッ!!

 

 

 

 

 刃が神気を削る、凄まじい摩擦音。

 

 斬撃は絶え間なく、無限に浴びせられ続ける。彼女の神気の鎧をすり抜け、皮膚を切り裂き、筋肉を断つ。だが、彼女は両腕で顔を庇い、血塗れになりながらも、その両足で大地を踏み締め、耐え抜いていた。

 

 

「ククッ……ハハハハ!」

 

 

 掌印を組みながら、宿儺が邪悪に嗤う。

 

 見事な耐久力だ。だが、それも時間の問題。いつまでその神気が持つのか。血を流し尽くして崩れ落ちるのを待つだけだ。

 

 

 だが。

 

 次の瞬間、ケツァル・コアトルの紅い瞳が、血の隙間から爛々と輝いた。

 

 

 ダンッ!!

 

 大気が爆ぜる。

 

 無限の斬撃の雨の中、彼女は大地を蹴り、宿儺へ向かって真っ直ぐに突進を開始したのだ。

 

 

(範囲は約百メートル! このまま範囲外へ逃げようと背を向ければ、確実に背後から妨害される!)

 

 

 逃げ道を与えられているからこそ、逃げるわけにはいかない。

 

 背中を見せれば、確実に致命の追撃が来る。ならば。

 

 自身の霊基が斬撃によって完全にすり潰される前に、この空間の主である術師本体を叩き潰す。それが、闘神としての最適解。

 

「ルチャドールは、背中を見せまセーン!!」

 

 

 膨大な神気を纏い、全身から血の尾を引きながら。

 

 先ほどとは比べ物にならない、極限まで引き上げられた身体能力で、女神が迫る。

 

 宿儺は目を細め、印を解いて迎撃の体勢に入った。

 

 呪力を肉体強化へ極限まで回しつつ、防御主体の構えをとる。

 

 今のケツァル・コアトルのステータスは、先ほどの肉弾戦の時よりも格段に跳ね上がっている。死を覚悟した神の、捨て身の特攻。

 

(反転術式を回し続けたとしても、今のあの女と真っ向から殴り合えば、分が悪すぎる)

 

 

 宿儺の思考は冷徹だ。

 

 無理に攻める必要はない。伏魔御廚子の斬撃は、今この瞬間も彼女の肉体を削り続けている。相手が細切れになるまで、こちらは耐え凌げばいい。

 

 

 

 ドゴォォォォォォォォンッ!!

 

 

 

 

 ケツァル・コアトルの右ストレートが、宿儺の防御した両腕に突き刺さる。

 

 凄まじい重圧。宿儺の両足が、大地に深い轍を刻みながら後退した。骨が悲鳴を上げ、腕の筋肉が断裂しかける。

 

 

(……凄まじいな)

 

 

 宿儺は、神の身体スペックに舌を巻いた。

 

 神気を纏った女神は、先ほどとは比べ物にならない圧を放つ。己の肉体が崩壊する前に敵を討つという、絶対的な殺意。

 

 自身の膨大な呪力による強化があったとしても、少しでも受け損ねれば、容易く腹を貫かれる程の打撃。

 

 

 ここで、宿儺はもう一つの手札を切った。

 

「――『領域展延』」

 

 

 宿儺の肉体の表面を、薄い水の膜のようなものが覆う。

 

 それは、術式効果を付与しない、ただの「空箱」としての領域。

 

 

 展延の効果は、主に二つ。敵対存在の術式を中和し、流し込むこと。そして、術者自身の攻撃力、防御力を底上げすること。

 

 

 本来、展延を発動している間、術師は自身の生得術式を使うことはできない。

 

 だが、今の宿儺には関係ない。すでに『伏魔御廚子』という領域の必中効果に、自身の術式を設定し、自動化してある。

 

 宿儺は展延を用いて、ケツァル・コアトルの拳に乗せられた高密度の神気を中和し、威力を殺す。

 

 

 その上で、底上げされた防御力で、彼女の極限の打撃を紙一重で捌き続ける。

 

 

 避けて、捌いて、出し抜く。

 

 相手の隙を伺い、カウンターを狙いつつも、決して無理な攻めはしない。

 

 

「オオオォォォォォォッ!!」

 

 

「チッ……!」

 

 

 顔面を狙う蹴りを腕で流し、腹部への連撃を展延で中和しながら後退する。

 

 

 

 ケツァル・コアトルは、焦燥に駆られていた。

 

 神気を纏った彼女の力は、間違いなく今の宿儺を上回っている。

 

 

 だが、守りに徹した呪いの王の防御は、あまりにも分厚い。

 

 圧倒的な呪力強化、領域展開による自身のバフ、そして領域展延による中和と防御の底上げ。これら複数の防御レイヤーが、ケツァル・コアトルの決死の猛攻をことごとく受け流し、致命傷を与えることを許さない。

 

(硬い! なかなか決定打が入らない!)

 

 

 領域展開から、はや四十秒。

 

 神霊の圧倒的な密度の霊基。絶対的な神気による自己修復。

 

 

 だが、それらすらも上から捻じ伏せ、喰らい尽くそうとする、無慈悲な斬撃の嵐。

 

 ケツァル・コアトルの全身は既に千の傷を負い、血液が滝のように流れ落ちていた。

 

 

 『サーヴァントとしての限界』

 

 彼女は自身の霊核が、ミシミシと崩壊の音を立て始めているのを理解していた。

 

(この速度で斬撃を浴び続ければ、あと一分と持たずに、私の肉体は完全に崩れ去る……!)

 

 

 先ほどの、宿儺の宣言の意味。

 

 前哨戦は終わった。この男は、完全にこちらを殺しに来ている。

 

 

 ケツァル・コアトルは、瞬時に戦略を切り替えた。

 

 自身の肉体が消滅する前に術師を潰す手筈だったが、予想以上に相手の立ち回りが巧みで、仕留め切れない。

 

 

 ならば。

 

(私が生き残るには、この異界の外に出るしかない!)

 

 

 彼女は、宿儺への攻撃の雨を唐突に緩め、鋭く方向を転換した。

 

 

 狙うは、結界の効果範囲からの脱出。

 

 この絶対の死域の範囲は、あの禍々しい建物を中心とした半径約百メートル。神である彼女の脚力ならば、一息で踏破できる距離だ。

 

 ダンッ!! と大地を蹴り、己から背を向けて、領域の範囲外へ向かって一直線に疾走する女神。

 

「――逃がすか」

 

 

 それを、宿儺が許すはずがなかった。

 

 莫大な呪力を脚部に集中させ、爆発的な瞬発力で女神の背中を追走する。

 

 

 獲物を逃がす捕食者などいない。

 

 背後からの強襲。宿儺の拳が、彼女の背骨を砕こうと迫る。

 

 だが、ケツァル・コアトルは走りながらサイドへと鋭くステップを踏み、それを躱した。

 

 

 宿儺は、領域外への逃亡を完全に阻止する軌道で動く。

 

 ケツァル・コアトルとの距離を一気に詰め、防御から一転、積極的な攻撃へとシフトした。

 

 

 

 逃亡を図る女神。

 

 その進行方向へ先回りし、妨害の打撃を放つ宿儺。

 

 

 領域展開から、おおよそ七十秒。

 

「ハァッ……ハァッ……!」

 

 

 ケツァル・コアトルの息が上がり始めている。

 

 無限の斬撃によって霊基が削られ、再生が追いつかなくなりつつあった。

 

 その血に塗れた姿を見て、宿儺の口角が深く釣り上がる。

 

 

(だいぶ削れてきたな)

 

 

 激しい攻防。

 

 宿儺は、展延の出力を上げ、彼女を纏う神気をさらに直接的に中和しにかかる。

 

 防御の薄くなったところへ、強烈な蹴りを放つ。

 

 

 だが、彼女はそれを紙一重で避け、なおも領域範囲外へと疾走する。

 

 速い。削られてなお、その速度は落ちない。

 

「逃がさんと言ったはずだ」

 

 

 宿儺の真紅の瞳に、極限の殺意が収束する。

 

 最大出力の呪力を右拳に込め、彼女の背中を完全に叩き潰すべく、渾身の一撃を振り抜いた。

 

 

 死の直感。

 

 ケツァル・コアトルは、背後から迫る絶対的な破壊の圧力を感じ取り、ギリギリの反応で振り返った。

 

 回避は間に合わない。彼女は瞬時に左腕を盾として前に突き出し、右の掌をその左肘の裏側に添えた。

 

 

 骨と筋肉を組み合わせた、最も強固な『L字の城壁(フレーム)』。

 

 ルチャドールが致命の打撃を殺すための、究極の防御姿勢――クロスアーム・ブロック。

 

 その完璧な防御の壁に、宿儺の右拳が激突する。

 

 

 

 ――その瞬間。

 

 宿儺の右拳における、打撃のベクトルと呪力の衝突誤差が、ミクロの次元で『ほぼゼロ』になった。

 

 

 空間が、歪む。

 

 

 

 ドゴォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!!

 

 

 

 

 黒く、禍々しい火花が、ケツァル・コアトルのL字の防御の上で爆発した。

 

 呪力と打撃の完全一致。威力が二・五乗へと跳ね上がる、特異現象。

 

 

 ――『黒閃』。

 

 ケツァル・コアトルの完璧な防御フレーム。そして、極限まで圧縮された神気。

 

 それら二つの絶対的な盾が重なり合ってなお、持て余す一撃。

 

 

 

 メキャァァァァァッ!!

 

 

 

 嫌な音が響く。

 

 ケツァル・コアトルの左腕の骨が、城壁が崩れ落ちるように軋みを上げ、粉砕された。

 

 

 領域展開から、現在八十五秒。

 

 神の肉体は、そろそろ本気で限界を迎える。

 

 

「ガ、アァァァァァッ!!」

 

 

 黒閃の理不尽な衝撃によって、ケツァル・コアトルの身体は砲弾のように後方へと吹き飛ばされた。

 

 

 だが、彼女は痛みに顔を歪めながらも、空中で一瞬にして体勢を立て直す。

 

 そして、自身が吹き飛ばされたその凄まじい運動エネルギーの反動すらも利用して、一気に領域の範囲外へと跳躍しようとした。

 

「……ククッ、ハハハハハ!」

 

 

 

 黒閃の発動。

 

 それは、両面宿儺というバケモノのボルテージを、さらに一段階上の領域へと引き上げるトリガーだった。

 

 

 百二十パーセントの覚醒状態。

 

 さらなる呪力効率の強化を得て、出力が跳ね上がり、脳髄が歓喜に沸騰する。

 

 

(領域による解体を待つまでもない)

 

 

 宿儺は確信した。

 

 逃げようとするあの女を、自身の次の一撃で、完全に終わらせられると。

 

 

 自身から背を向け、跳躍する女神。

 

 爆発的に膨れ上がった呪力と出力により、宿儺はさらなる超速度で、空中にいる彼女の背後へと追いついた。

 

 

 先ほどと全く同じ光景。

 

 だが、宿儺の右腕には、先ほどの一撃よりもさらに上回る、爆発的に膨れ上がった死の呪力が渦巻いている。

 

 

(決める)

 

 

 

 狙うは、領域外へと逃れようと背を向けた女神の、無防備な背中。

 

 この超加速から放たれる最大出力の一撃が直撃すれば、いかに神の耐久力であろうと、脊椎から内臓まで完全に粉砕され、即死は免れない。

 

 

 拳が突き刺さる、その刹那。

 

 空中にあったケツァル・コアトルが、唐突にこちらを振り向いた。

 

 

 

 

 その瞳に浮かんでいたのは、死への恐怖でも、焦燥でもなかった。

 

 己の命すらもチップとしてテーブルに叩きつける、狂気的で苛烈な『闘神の歓喜』。

 

 

(――なッ!?)

 

 

 宿儺の冷徹な脳髄に、緊張が走る。

 

 彼女は、先ほどの黒閃をまともに受けてひしゃげた『左腕』を、自身の顔の前にかざしたのだ。

 

 

 

 ドゴォォォォォォォォォォンッ!!!!

 

 

 

 

 宿儺の全呪力を乗せた右拳が、女神の左腕に直撃する。

 

 肉が弾け飛び、骨髄が粉のようになって空中に散った。神の強靭な左腕が、肩の付け根から先、完全に『粉砕』される凄惨な破裂音。

 

 

 血の雨が、宿儺の顔面を赤く染め上げる。

 

 

 だが、その血の飛沫の向こう側から。

 

 左腕を犠牲にして推進力を得たケツァル・コアトルが、滑空するようにして、宿儺の『懐』へと完全に潜り込んでいた。

 

(これが狙いか――!)

 

 

 宿儺の真紅の瞳が見開かれる。

 

 自身に背を向け、領域範囲外へ出る素振りを見せたのは、すべて囮。背中を見せることによって、「追撃の確信」を抱くための。

 

 

 確実に仕留めるため、宿儺は全呪力と全身の運動エネルギーを『右腕』に集中させていた。

 

 それはつまり、今この瞬間、呪いの王の身体において、攻撃に回した右腕以外の部分――特に胴体への呪力防御が、極端に薄くなっていることを意味していた。

 

 

 

 このタイミング。

 

 回避不能の、ゼロ距離。

 

 己の左腕を粉砕させることで、相手の拳の軌道を固定し、そこに生まれた致命的な死角へと、渾身のカウンターを叩き込むための布石。

 

 

 敵の狙いは、がら空きになった自身の腹部。

 

 宿儺は神速の思考で、右腕に集中していた呪力を腹部へと引き戻そうとする。

 

 

(間に合え――ッ)

 

 

 

 だが、遅い。

 

 物理法則と呪力循環のタイムラグ。そのコンマ数秒の隙間を、太陽の女神の『右拳』が正確に穿った。

 

「ルチャのリングに、逃げ場はないのデース!!」

 

 

 

 メキョォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!

 

 

 

 

 星の質量を一点に圧縮したかのような、絶望的な衝撃。

 

 胃袋が破裂し、腸が千切れる。強靭な腹筋が陥没し、背骨が砕けそうに軋む。

 

 宿儺の口から、おびただしい量の鮮血が噴き出した。臓腑が焼けるような、視界が真っ白に明滅するほどの激痛。

 

 

「ガ、ハァッ……!?」

 

 

 自身の放った右拳の勢いと、彼女から受けたカウンターの威力が相乗効果を生み出し、宿儺の肉体は、自らが構築した領域『伏魔御廚子』の中心へと向かって、隕石のように弾き飛ばされた。

 

 

 

 ズガァァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!

 

 

 

 領域の中心である、禍々しい神殿。

 

 その土台へと、宿儺の身体が激突する。硬質な柱が数本へし折れ、猛烈な土煙と骨の破片が舞い上がった。

 

 宿儺は血の池に倒れ込みながら、腹部を押さえ、激しく咳き込む。

 

 口から零れ落ちる血の塊が、不浄な地面をさらに汚していく。

 

(……やって、くれたな)

 

 

 瓦礫の中から這い出し、血塗れの顔を上げる。

 

 

 視線の先。

 

 強烈なカウンターを放った反動を利用し、ケツァル・コアトルはすでに、伏魔御廚子の『半径百メートルの効果範囲外』へと着地を果たしていた。

 

 

 領域展開という必殺の札を切り、勝負を決めるはずだった。

 

 だが、神の異常な耐久力と、狂気的な戦術の前に、決定打を逃す。

 

「……ハァ、ハァ……」

 

 

 致命傷だ。放っておけば数分で死に至る。

 

 右肩から立ち昇る陽炎――『反転術式』。負のエネルギーを掛け合わせ、正のエネルギーを生み出す治癒の奇跡を、直ちに腹部へと回す。

 

 

 

 だが、それだけではない。

 

 領域展開を解除したことで、現在、宿儺の生得術式は焼き切れ、一時的に使用不可能な状態に陥っていた。

 

 通常であれば、術式が回復するまで時間を稼ぐしかない。だが、目の前の闘神が、そんな悠長な時間を与えてくれるはずがないだろう。

 

 

 ならば、力技でこじ開ける。

 

 

「……グ、ゥゥゥゥッ!」

 

 

 宿儺の顔が、苦痛に歪む。

 

 自身の脳――術式が刻まれている前頭葉の一部を、呪力で強引に『焼き切り』、それを即座に反転術式で『再生』させる。

 

 それは、自身の脳髄に直接焼けた鉄串を突っ込み、かき混ぜるような、常軌を逸した荒療治。脳を自ら破壊し再構築することで、焼き切れた術式を強制的にリセットする、一部の者にしか成し得ない狂気のリカバリー。

 

 

 ブチブチと脳細胞が死滅し、再生する悍ましい音が、頭蓋骨の内側で響く。

 

 鼻から一筋の血が流れ落ちるが、宿儺の唇には、獰猛な笑みが貼り付いていた。

 

(……回復したな)

 

 

 宿儺は立ち上がり、百メートル先で膝を突いている女神を見据えた。

 

 

 ケツァル・コアトルの姿は、まさに満身創痍。

 

 

 左腕は失われ、肩からは骨が覗いている。

 

 全身の白磁の肌は、伏魔御廚子の無限の斬撃によってズタズタに引き裂かれ、もはや元の原型を留めていない。物理的な肉体だけでなく、サーヴァントとしての霊基そのものが、風前の灯火のようにボロボロになっていた。

 

 

 誰の目から見ても、明らかな死に体。

 

 

 

 だが。

 

 シュゥゥゥゥゥゥゥゥゥ……ッ!!

 

 

 彼女の傷口から、黄金の光が漏れ出し始めていた。

 

 神代の空気に満ちる極大の『真エーテル』。それが、呼吸をするたびに彼女の体内へと流れ込み、失われた肉体と霊基を強引に繋ぎ止め、修復していく。

 

 宿儺の反転術式とは異なる、星の法則に支えられた神の再生。

 

(……バケモノめ)

 

 

 傷だらけの肉体に反比例するように、ケツァル・コアトルの全身から立ち昇る闘争心の炎は、先ほどよりもさらに高く、熱く燃え盛っていた。

 

 狂気すら孕んだ太陽の瞳が、百メートルの距離を越えて、宿儺を真っ直ぐに射抜く。

 

 

「まだまだ、メインイベントはこれからデスよ!!」

 

 

 

 ズドンッ!!

 

 

 大気が悲鳴を上げる。

 

 片腕の女神が、爆発的な速度で大地を蹴り、再び宿儺の懐へと接近してくる。その速度は、傷を負う前よりもさらに鋭く、重かった。

 

 

 どうやら、まだまだ元気いっぱいのようだ。

 

 宿儺は短く息を吐き、再び胸の前で両手を合わせた。

 

 

 

 閻魔天印の掌印を結ぶ。

 

 脳を破壊し、術式はすでに回復している。

 

 

 ならば、もう一度だ。

 

 今度こそ、逃げ場のない死域の中に閉じ込め、あの狂った神を微塵にすり潰す。

 

 

「領域展開――」

 

 

 宿儺の呪力が、空間に干渉しようと渦を巻く。

 

 周囲の大気が歪み、再び禍々しい神殿が顕現しようとした。

 

 

 

 

 ――だが。

 

 

 ピキッ。

 

 ガラスにヒビが入るような、乾いた音が鳴った。

 

 顕現しかけた骨が、柱が、血の池が、空中に溶けるようにしてパラパラと崩れ落ちていく。

 

(……何?)

 

 

 領域が、完成しない。

 

 伏魔御廚子が、未完成のまま空間から剥がれ落ち、崩壊した。

 

(……これは)

 

 

 呪いの王の計算に、決定的な狂いが生じた瞬間だった。

 

 彼は現在、マスターを持たない「はぐれ」の状態であり、この土地から直接魔力を吸い上げることで現界を維持している。

 

 呪力のみで完結する通常の術式行使とは異なり、『領域展開』という宝具の発動には、莫大な『魔力』を消費する。

 

 

 ただでさえ極大の魔力を喰らう宝具の連続使用。

 

 それに加え、召喚されてからまだ一日も経過していない彼の霊基は、この神代という異質な環境に、完全には馴染みきっていない。

 

 

 魔力不足、そして霊基の適応不良。

 

 自身のスペックを過信した無茶な連続展開が、最悪のタイミングで、エラーを引き起こした。

 

 

 

 『サーヴァントとしての限界』

 

 領域が崩壊し、宿儺の動きが完全に硬直した、その絶望的な隙。

 

 

 その眼前に、黄金の流星と化したケツァル・コアトルが迫っていた。

 

「よそ見は厳禁デース!!」

 

 

 ケツァル・コアトルの渾身の右拳が、宿儺の顔面――左頬の骨を砕かんばかりの勢いで、深々と突き刺さる。

 

 

 

 ゴボォォォォォォォォンッ!!!!

 

 

 

 

 視界が、横に吹き飛んだ。

 

 首の骨が嫌な音を立て、強烈な脳震盪が宿儺の意識を揺さぶる。

 

 地面を何度もバウンドしながら吹き飛ばされ、硬い岩盤に激突してようやく停止した。

 

「……チッ、ガ……ッ」

 

 

 宿儺は血まみれの顔を上げ、フラつく足に力を込めて、強引に体勢を立て直した。

 

 口の中に溜まった鉄錆の味のする血を、忌々しげに吐き捨てる。

 

 

(……ここまで、か)

 

 

 自身の内側で枯渇しかけている魔力の残量と、熱を帯びて軋む霊基の状態を正確に把握する。

 

 これ以上の宝具の使用は不可能。肉体は反転術式で修復できても、世界に干渉するための出力が完全に底を突いた。

 

 

 対して、遠くでゆっくりと構え直すケツァル・コアトルの姿。

 

 

 互いに満身創痍のボロボロだ。

 

 だが、決定的な違いがある。

 

 宿儺は、この神代の世界にまだ完全な適合を果たしていない『異物』。

 

 それに引き換え、目の前の神にとって、神秘に満ちたこの世界は、まさに『ホームグラウンド』そのもの。

 

 

 極大の真エーテルに満ちる大気。

 

 それは、神が全力を出すに相応しいフィールド。彼女は呼吸をするだけで、その霊基の質を向上させ、無限の活力を得ている。

 

 

 この空間にいる限り、彼女のスタミナは実質的に無尽蔵だ。

 

 領域は使えない。魔力は枯渇寸前。相手は時間経過と共に、力を増す神。

 

「……ククッ」

 

 

 圧倒的な不利。絶望的な状況。

 

 

 だが、それでも。

 

 宿儺の真紅の瞳に宿る昏い光は、微塵も失われてはいなかった。

 




戦闘描写って、難し
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