Fate/stay night [Alter Ego of Calamity] ――理外の双貌   作:りー037

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硝子の網と、紅き槍の狂犬

【時刻:午後4:45】

 

【場所:冬木市・穂群原学園 校舎内】

 

冬の日は短い。

 

放課後のチャイムが鳴り終わる頃には、西の空はすでに濃い茜色に染まり始め、長く伸びた影が廊下を黒々と塗りつぶしていた。生徒たちの喧騒は部室棟やグラウンドへと移り、校舎内は徐々に静寂を取り戻しつつある。

 

「……よし。人が引いたわね。さっさと片付けるわよ」

 

遠坂凛は、誰もいなくなった三階の廊下で足を止め、薄く息を吐いた。

 

彼女の隣には、依然として『認識阻害』のベールを纏った両面宿儺が、音もなく立ち尽くしている。純白の和服は夕日を浴びて薄紅に染まり、その肌に刻まれた禍々しい紋様が、血のようなどす黒い影を落としていた。

 

凛は鞄からいくつかの宝石(あらかじめ自身の魔力を込めておいたトパーズ)を取り出し、昨日宿儺の「嗅覚」によって特定した結界の起点――壁の裏側や消火栓の陰――へと向かった。

 

他陣営のサーヴァント(ライダー)が仕掛けた、生徒の生命力を吸い上げる悪辣な結界『鮮血神殿(ブラッドフォート・アンドロメダ)』。昨日の段階ではマーキングに留めていたが、これ以上放置すればいつ本格稼働するか分からない。

 

「……『Set(固定)』。……『Anfang(起動)』!」

 

凛が短い呪様を紡ぎ、トパーズに込めた魔力を解放する。

 

パリンッ! という、ガラスが砕けるような微かな音。

 

壁に刻まれていた赤黒い血の紋様が、凛の清浄な魔力によって中和され、ジュワッと煙を上げて消滅していく。

 

これを、学園内に点在する起点一つ一つに対して、素早く、かつ正確に行っていく。

 

自身の管理地(シマ)を穢された魔術師としての怒りを、冷徹な作業へと変換する凛の横顔を、宿儺は退屈そうに眺めていた。

 

「……まどろっこしい真似を。俺が一つ斬撃を飛ばせば、そんな起点など壁ごと塵になるものを」

 

「馬鹿言わないで。校舎を破壊したら、明日からの隠蔽工作で私の胃が死ぬわ。魔術戦の基本は、相手に気づかれずに術式を書き換えることよ」

 

最後の起点――屋上への階段の踊り場――の紋様を焼き消した瞬間、学園全体を薄く覆っていた「空気の淀み」が、フッと晴れた。

 

見えない蜘蛛の巣が、完全に切断されたのだ。

 

その直後だった。

 

宿儺の四つの瞳が、面白そうに細められた。

 

「……くっ。はははは」

 

「な、なに? 急に笑い出して」

 

「いや。お前が網を切って回ったせいで、遠くで『アホな蜘蛛』が網を揺らされて慌てふためいている気配がしてな。ひどく狼狽し、魔力が乱れているのが匂いで分かる」

 

宿儺は、新都の方角から発せられた、微小な魔力の揺らぎを確実に捉えていた。

 

 

「手間ひまかけて作った巣を、見えない誰かに壊されたのだ。今頃、マスターとやらがサーヴァントに当たり散らしている光景が目に浮かぶようだぞ」

 

「……ふん。いい気味ね。これで、あっち(ライダー陣営)は警戒を強めるか、報復のために尻尾を出すか……どちらにせよ、こっちのペースよ」

 

 

凛はトパーズの灰を払い落とし、満足げに笑みを浮かべた。

 

「さあ、用事は済んだわ。あとは……少しだけ、見回りをしてから帰るわよ」

 

 

 

 

【時刻:午後5:15】

 

【場所:穂群原学園・弓道場付近】

 

凛が向かったのは、校舎から少し離れた場所にある弓道場だった。

 

木造の厳かな建物の周囲には、冷たい冬の空気がピンと張り詰めている。道場の中からは、弦の弾ける「パンッ」という小気味よい音と、矢が的に突き刺さる「トスッ」という音がリズミカルに聞こえてきた。

 

凛は道場の中には入らず、少し離れた木陰から、その様子を静かに見つめていた。

 

彼女の視線の先には、紫色の髪をした後輩の少女――間桐桜の姿があった。

 

凛の実の妹でありながら、遠坂の魔道を守るために幼くして間桐家へ養子に出された少女。彼女は今、弓道着に身を包み、静謐な表情で的と向き合っている。

 

「…………」

 

凛は無言のまま、桜の横顔を見つめていた。

 

そこに交わす言葉はない。ただ、彼女が「平穏」に暮らしているかどうかを、遠くから確認することしか、今の凛にはできないからだ。

 

 

しかし。

 

 

凛の隣に立つ両面宿儺の目には、その「平穏」という薄皮の裏側にある、身の毛のよだつような悍ましい『地獄』がはっきりと映し出されていた。

 

 

(……ほう)

 

 

宿儺は、認識阻害のベールの中で、面白そうに目を細めた。

 

彼の卓越した呪力(魔力)感知能力は、間桐桜という器の『内側』で蠢くものを、完璧に看破していた。

 

少女の血肉に食い込み、神経に絡みつき、魔術回路を無理やり拡張しながら魔力を啜り続ける、無数の醜悪な蟲の群れ。その一つ一つが、深い怨念と執着の泥で構成された、呪いの塊だった。

 

 

(……あの娘。生きたまま、内側から『ナニか』に食い破られかけているな)

 

宿儺は内的独白のみで、その惨状を分析した。

 

(他者の命を苗床にして、己の魂を無理やり生き永らえさせている外道の術式……なるほど、間桐の家とやらには、随分と業の深い『腐れ蟲』が潜んでいるらしい)

 

 

かつて、宿儺の生きた千年前の呪術全盛の時代にも、他者の肉体を奪う者や、呪霊を取り込む者は存在した。だが、ここまで陰湿で、少女の尊厳と命をじわじわとすり潰すような劣悪な術は、胸糞が悪くなるほどに『弱者のやり方』だった。

 

 

(教えてやる義理はないな)

 

 

宿儺は、隣で切なそうに桜を見つめる凛を横目で見下ろした。

 

この小娘は、妹の体内で何が起きているのかを全く知らずに、ただ平穏を祈っている。その無知ゆえの滑稽さと、いずれ訪れるであろう絶望の瞬間。

 

 

それを特等席で眺めることこそが、呪いの王にとっての極上の「暇つぶし」だった。

 

「……行くわよ。暗くなってきたし」

 

凛は、自らに言い聞かせるように呟き、弓道場に背を向けた。

 

宿儺は何も言わず、ただ薄く笑いながら、その背中に従った。

 

 

 

 

【時刻:午後6:30】

 

【場所:穂群原学園・校庭】

 

完全に日が落ち、夜の闇が学園を包み込んでいた。

 

部活動の生徒たちもほとんどが下校し、校庭には街灯の冷たい光だけが落ちている。

 

凛は念のため、校内の見回りを終えてから帰路につこうとしていた。

 

「……ふぅ。今日も疲れたわ。結局、他のマスターの気配はなかったわね」

 

「どうだかな。お前のその貧弱な魔術回路では、匂いなど分かりはしまい」

 

「はいはい、悪うございましたね。あなたみたいに……」

 

凛が軽口を叩き返そうとした、その時だった。

 

 

ゾワァァァァァッ……!!!

 

 

全身の毛穴が、一瞬にして開ききった。

 

冬の寒さなど比較にならない、文字通りの『死の冷気』。

 

圧倒的な、そして剥き出しの殺意が、何もない虚空から突如として膨れ上がり、遠坂凛という獲物の喉笛にピタリと狙いを定めたのだ。

 

「――――っ!?」

 

凛は言葉を失い、反射的に戦闘態勢を取ろうとした。

 

しかし、体が動かない。蛇に睨まれた蛙のように、絶対的な強者の『気当て』によって、魔術回路が凍りついてしまったのだ。

 

 

「……ほう」

 

 

その殺気の中心に向けて、宿儺だけが楽しそうに喉を鳴らした。

 

校庭の暗がり。街灯の光が届かない闇の中から、一人の男がゆっくりと歩み出てくる。

 

青い全身タイツのような装束。肩に担いだ、自身の身の丈をゆうに超える紅き魔槍。

 

獣のような鋭い眼光を放つその男は、第五次聖杯戦争における『槍兵(ランサー)』――アイルランドの光の御子、クー・フーリンだった。

 

「よう、嬢ちゃん。随分と遅くまで残ってるじゃねえか。学校の怪談でも探しに来たのか?」

 

ランサーは、軽薄な口調で笑いながら、しかしその瞳には一切の容赦のない「殺し屋」の光を宿していた。

 

「朱い槍……、ラン、サー……!」

 

凛は奥歯を噛み締め、必死に魔力を練り上げようとする。

 

昨日のライダーのような「様子見」ではない。こいつは初めから、マスターである自分を殺すためにここへ来たのだ。

 

ランサーは、凛の背後に立つ「白い和服の少年」へと視線を移した。

 

すでに凛の認識阻害は、この濃密な戦闘の気配によって自然解呪されている。

 

「……なんだそりゃ。お前のサーヴァントか? セイバーってガラじゃねえな。どこの極道か知らねえが、浴衣姿で戦場に出てくるとは舐められたもんだ」

 

 

ランサーは、槍の穂先を軽く地面に打ち鳴らした。

 

「悪いが、俺のマスターは臆病でな。他の陣営をさっさと削れとうるさいんだ。恨むなら、こんな夜更けまでウロチョロしてた自分の不運を恨むんだな」

 

ランサーが、重心を低く落とした。

 

その瞬間、大気が軋むような音がした。英霊としての莫大な魔力が、彼の足元に圧縮されていく。

 

 

 

「……凛。下がっていろ」

 

 

 

宿儺が、凛の前に一歩出た。

 

伏黒恵の細身の肉体。武器すら持たない徒手空拳。しかし、彼から放たれる『呪力』のプレッシャーは、ランサーの殺気を真っ向から跳ね除け、逆に校庭全体を重く淀んだ泥のように沈み込ませていた。

 

「ほう……?」

 

ランサーの目が、猛禽類のように鋭く見開かれた。

 

直感。幾千の戦場を駆け抜けてきた英雄の勘が、目の前に立つ浴衣の少年が「絶対的な異常」であることを告げていた。

 

「いいツラだ、槍兵。昨日のトカゲ(ライダー)よりは、いくらかマシな余興になりそうだ」

 

宿儺は両手をだらりと下げたまま、口角を凶悪に吊り上げた。

 

「……大きく出たな、坊主! その減らず口、いつまで保つか見せてもらおうか!!」

 

 

ドォォォォォン!!!

 

 

ランサーの姿が、爆発音と共に消えた。

 

いや、消えたのではない。神速の踏み込み。音速を超える突進が、空間を置き去りにしたのだ。

 

コンクリートの地面がクレーターのように抉れ、数十メートルの距離を一瞬でゼロにする。

 

「死ね!!」

 

紅き槍の穂先が、宿儺の心臓を一直線に穿つ。

 

回避不能。防御不能。ただの一撃で必殺を約束された、英雄の神技。

 

だが。

 

 

ガキンッッ!!!

 

 

火花が、夜の闇を強烈に照らし出した。

 

「……な、に!?」

 

ランサーが驚愕の声を上げる。

 

宿儺は、一歩も動いていなかった。

 

ただ、胸の前に掲げた自身の『右手』。その手の甲で、音速を超える槍の突きを、完全に弾き飛ばしていたのだ。

 

「……鈍いな。犬の散歩か?」

 

宿儺は、呪力で限界まで強化された右腕を振り払い、嗤った。

 

「テメェ、素手で俺の槍を……! バーサーカー並みの筋力ってのかよ!」

 

ランサーは弾かれた槍の軌道を強引に修正し、そのまま流れるような連続攻撃へと移行する。

 

突き、薙ぎ払い、刺突。

 

紅き閃光が、一秒間に数十回という次元で宿儺を襲う。嵐のような槍の乱舞。

 

しかし、宿儺はそれを全て『捌き』切っていた。

 

伏黒恵の肉体ポテンシャルに、莫大な呪力強化。そして何より、千年の戦闘経験に裏打ちされた完璧な体術。

 

「遅い、遅いぞ槍兵!」

 

宿儺は、顔面スレスレを通過する槍の穂先を首の動きだけで躱し、同時に踏み込んだ。

 

 

【固有スキル:空界踏破 B】

 

 

 

何もない空間。そこにあるはずのない『面』を蹴り、宿儺の軌道が物理法則を無視して直角に折れ曲がる。

 

「なっ、空中で軌道変化だと!?」

 

ランサーの視界から、宿儺が消えた。

 

次の瞬間、ランサーの真横から、大気を引き裂くような蹴りが放たれる。

 

「シッ!」

 

ランサーは咄嗟に槍の柄を盾にして防ぐが、その規格外の衝撃に吹き飛ばされ、校庭の地面をボールのようにバウンドしながら数十メートルも後退した。

 

「ぐっ……ははっ、やりやがる! こりゃあ、ただの魔術師のサーヴァントじゃねえな!」

 

ランサーは土煙の中から立ち上がり、口元の血を拭った。その瞳には、純粋な闘争心が炎のように燃え上がっている。

 

「その程度で満足するな。俺の術式は、体術ではない」

 

宿儺が、右手の指を軽く立てた。

 

その瞬間。ランサーの『矢除けの加護』――飛道具や視認不可能な攻撃に対する絶対的な直感――が、脳髄を焼き切るような警鐘を鳴らした。

 

(――来る! 見えねぇ『何か』が!!)

 

ランサーは本能に従い、限界を超えた速度で横へと跳躍した。

 

 

ヒュンッッ!!!

 

 

直後。

 

 

ランサーが先ほどまで立っていた校庭の地面が、長さ数十メートルにわたって『真っ二つ』に切断された。

 

音もない。閃光もない。ただ、空間に不可視の断層が生まれ、大地が綺麗に両断されたのだ。

 

「……なっ、なんだ今の攻撃は!? 魔術の類じゃねえ、不可視の斬撃!?」

 

ランサーは背筋に冷たい汗を流しながら、抉れた地面を凝視した。

 

もしあの直感(スキル)がなければ、今頃自分の胴体は綺麗に上下に分かたれていたはずだ。

 

「……ほう。今の『解(かい)』を躱したか」

 

 

宿儺は、面白そうに瞳を輝かせた。

 

「ただの獣ではないらしいな。その異常な直感と身体能力、まさに獲物として極上だ。……いいだろう、少しだけギアを上げてやる」

 

宿儺の周囲で、呪力が濃密な黒い炎のように立ち上り始める。

 

空気が悲鳴を上げ、校舎の窓ガラスがその重圧に耐えきれずにピキピキとひび割れていく。

 

「ちぃっ……こいつぁヤベェ。本気でやり合わねぇと……死ぬ……!」

 

ランサーが、自身の宝具『刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)』の真名解放を覚悟し、腰を低く落とした、その時だった。

 

 

「……あ、」

 

 

不意に。

 

 

本当に、偶然の重なりだった。

 

 

張り詰めた殺気の空間に、ポツリと、第三者の足音が響いた。

 

 

校舎の影。弓道場の戸締まりや生徒会室の雑務を終え、たまたま帰路につこうとしていた一人の少年――衛宮士郎が、そこに立っていた。

 

士郎は、手にした鞄を地面に落とし、信じられないものを見るような目で、校庭の惨状と、二人の異常な存在を見つめていた。

 

 

「――――」

 

 

ピタリと、戦闘の空気が停止した。

 

「……チッ。運の悪いガキだ」

 

ランサーの赤い瞳が、宿儺から士郎へと瞬時に移り変わる。

 

 

魔術世界における絶対のルール。それは『神秘の秘匿』。一般人に戦闘を見られた場合、その目撃者を始末しなければならない。

 

ランサーの殺意の矛先が、呪いの王から、無力な少年へと完全に切り替わった。

 

 

「悪いが、ここで退場だ。坊主」

 

 

ドンッ!

 

 

ランサーは宿儺への攻撃を放棄し、一直線に衛宮士郎へと向かって跳躍した。その速度は、一般人である士郎には認識することすら不可能な神速。

 

「あっ……!」

 

凛が叫ぼうとしたが、遅い。

 

宿儺は、その光景を動くことなく眺めていた。

 

ランサーを止める気は一切ない。むしろ、この圧倒的な暴力の前に、あの少年がどう足掻き、どう死ぬのか。その血の匂いを、特等席で楽しむように嗤っていた。

 

 

夜の闇の中、紅き魔槍が、容赦なく少年の胸へと突き出された。

 

 

 

 

 

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