Fate/stay night [Alter Ego of Calamity] ――理外の双貌   作:りー037

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王の気まぐれと、交錯する価値観

【時刻:午後6:45】

 

【場所:冬木市・穂群原学園 校庭】

 

ズチュッ、という肉と骨を乱暴に破壊する、ひどく生々しい音が夜の校庭に響き渡った。

 

「が、はっ……!?」

 

衛宮士郎の口から、おびただしい量の鮮血が吐き出された。

 

彼の胸のど真ん中、心臓があるべき場所を、ランサーの紅き魔槍が深々と貫いていた。

 

「……悪いな、坊主。運がなかったと諦めな」

 

ランサーは冷酷に言い放ち、無造作に槍を引き抜く。

 

支えを失った士郎の体が、糸の切れた人形のようにアスファルトへと崩れ落ちる。彼が手から落とした鞄が、無残に広がる血の海の中に沈んでいった。

 

「……あ、」

 

遠坂凛の喉から、声にならない悲鳴が漏れた。

 

思考が完全に停止し、視界が白黒に明滅する。魔術師として、聖杯戦争の『目撃者は始末される』という絶対のルールは知識として持っていた。しかし、自身が通う学園の、見知った同級生が目の前で理不尽に殺される光景は、彼女の強靭な精神の防壁を容易く打ち砕いた。

 

「チッ……つまらねえ横槍が入っちまったな」

 

ランサーは槍についた血を振って払い落とすと、忌々しげに宿儺を睨みつけた。

 

「今日はここまでにしておくぜ。テメェの顔は覚えたからな、浴衣の坊主。次は本気(マジ)で殺し合おうや」

 

言い捨てるなり、ランサーは跳躍した。その姿は一瞬で夜の闇に溶け込み、英霊としての莫大な魔力反応ごと、完全に校舎の向こう側へと消え去った。

 

後に残されたのは、血の匂いと、静寂だけ。

 

「……衛宮、くん」

 

凛は震える足で、倒れ伏した士郎の元へと駆け寄った。

 

アスファルトに膝をつき、彼の体を仰向けにする。月明かりに照らされたその胸には、ぽっかりと致命的な大穴が空き、内臓と骨の断面が覗いていた。

 

心臓が完全に破壊されている。どう見ても即死だ。助かる見込みなど、万に一つもない。

 

(私の、せいだ)

 

凛の脳裏を、どす黒い後悔が駆け巡った。

 

自分が放課後に起点をいじってライダー陣営を刺激したから? いや、違う。自分がこの校庭でランサーの標的にされたからだ。私が彼を巻き込んだ。私の魔術師としての戦いが、彼という一般人の日常を理不尽に奪い去った。

 

「はぁっ、はぁっ……!」

 

凛の呼吸が乱れる。震える手が、制服のポケットの中を探り、一つの『宝石』を取り出した。

 

それは、父・遠坂時臣から受け継いだ、遠坂家家長の証。彼女自身の十数年分の魔力(オド)が極限まで圧縮されて封じ込められた、たった一度きりの絶対的な切り札――赤いペンダント。

 

これを使えば、失われた心臓の代替となる細胞を強制的に構成し、命を繋ぎ止めることができるかもしれない。

 

凛がペンダントを握りしめ、魔力回路を全開にしようとした、その時だった。

 

「――なぜ、そこまでする?」

 

頭上から、絶対零度の声が降ってきた。

 

凛が顔を上げると、そこには両面宿儺が立っていた。純白の和服の裾を血だまりに浸すことも厭わず、四つの冷酷な瞳で、彼女の『愚行』を見下ろしている。

 

「その石ころには、お前自身の命の束にも等しい莫大なエネルギーが込められているな。それほどの切り札、聖杯戦争とやらを勝ち抜くためには、絶対に手放してはならない手札のはずだ」

 

宿儺は、嘲笑すら浮かべず、ただ淡々と事実を述べた。

 

「その切り札を、ここで使い潰して、本当にいいのか? たかが見知らぬ小僧一人の、しかもすでに千切れた命を拾い上げるために」

 

「……どいて」

 

凛は血走った目で宿儺を睨み返した。

 

「これは、私の責任よ。私の戦いのせいで、彼が死んだ。遠坂の魔術師として、自分の管理地で無関係な人間が死ぬのを黙って見過ごすことはできない」

 

「責任、だと?」

 

 

宿儺は鼻で嗤った。

 

 

「弱いな、凛。他者の死を己の背に負うなど、自ら足枷を嵌めるに等しい。死んだのはこの小僧が弱く、運がなかったからだ。それ以上でもそれ以下でもない。……その安い感傷のために自身の勝利を捨てるというなら、お前も所詮、その程度の魔術師だったということだ」

 

 

圧倒的な強者の論理。他者を切り捨て、己の目的(勝利)のみを絶対視するエゴイズム。宿儺の言うことは、魔術師の冷徹な合理性から見れば、一〇〇パーセント正しい。ここでペンダントを消費すれば、彼女の生存確率は劇的に下がるのだから。

 

しかし、凛はペンダントを握る手の力を全く緩めなかった。

 

「……あなたには、分からないでしょうね」

 

凛は、這いつくばるような姿勢のまま、はっきりと宿儺に告げた。

 

「魔術師としての合理性なら、あなたの言う通りよ。でも、私は『遠坂凛』なの。私が私であるために、ここで彼を見捨てたら、私は一生、自分の誇りを信じられなくなる」

 

凛の瞳の奥で、決して消えない炎が燃え上がっていた。

 

 

「勝つためにすべてを切り捨てるのがあなたのエゴなら、すべてを背負ってでも意地を通すのが、私のエゴよ。……悪いけど、この切り札は私のものよ。使わせてもらうわ」

 

「…………」

 

宿儺は、凛のその瞳をじっと見つめ返した。

 

恐怖に震えながらも、決して折れない意志。己の命を危険に晒してでも、自身の根幹にある「矜持」を貫き通そうとする、歪で、ひどく人間臭い強さ。

 

宿儺の脳裏に、かつて自身を打ち破った者たちの姿が重なった。

 

呪術という理不尽の中で、愚直なまでに他者を救おうとし、自身の理想のために命を燃やし尽くした小僧。

 

彼らは弱かった。だが、その「折れない芯」だけは、ついに宿儺の呪いすらも凌駕したのだ。

 

 

(……なるほどな。お前も、そちら側の人間か)

 

 

宿儺の口角が、ゆっくりと吊り上がった。

 

それは嘲笑ではなく、ある種の「感嘆」を含んだ笑みだった。

 

「……面白い」

 

宿儺は低く呟いた。

 

凛はそれに構わず、ペンダントを握りしめた手に自身の魔力(オド)を限界まで注ぎ込む。

 

「……『Anfang(起動)』――!」

 

 

遠坂の十数年分に及ぶ莫大な魔力が解放されようと、赤い宝石が眩い光を帯び始めた、まさにその瞬間だった。

 

 

 

ガシッ、と。

 

 

 

凛の細い手首が、万力のような力で強引に掴み止められた。

 

「えっ……! や、やめて、離して!」

 

魔力の循環を物理的に遮断され、不完全燃焼を起こした回路の痛みに凛が悲鳴を上げる。全力で腕を振り解こうとするが、伏黒の肉体を通した宿儺の膂力にはビクともしない。

 

 

「その安っぽい石ころは、仕舞っておけ」

 

 

宿儺は起動寸前だったペンダントを凛の手から容赦なく奪い取ると、それを無造作に彼女のコートのポケットに押し込んだ。

 

 

そして、空いた自身の右手を、血まみれになった士郎の胸の穴へと直接押し当てた。

 

「な、なにを……っ!?」

 

凛が叫ぼうとした次の瞬間。

 

 

 

【固有スキル:反転術式 A】

 

 

カッ! と、士郎の胸から淡い光が溢れ出した。

 

それは、凛が使おうとしていたような、物質を変換して傷を塞ぐ「魔術」の光ではない。

 

負の感情から生まれる『呪力』同士を掛け合わせ、プラスのエネルギー――すなわち『正の力』を生み出すという、呪術の極致。

 

いかなる重傷をも即座に修復し、肉体を根源から再生させる奇跡の治癒術。他者へのアウトプットすら可能な、宿儺の規格外の手札の一つ。

 

 

「……ぁ、」

 

凛は、目の前で起こっている現象に言葉を失った。

 

抉り取られた筋肉が繋がり、砕けた肋骨が元通りに形成され、失われたはずの心臓が、まるで時間を巻き戻すかのように完璧に再生していく。

 

ほんの数秒の出来事だった。

 

「……っ、こほっ、がぁっ……!」

 

士郎の口から、空気が吸い込まれる音がした。

 

完全に停止していた心臓が再び脈打ち始め、死の淵にあった少年の顔に、急速に血色が戻っていく。

 

「治っ、た……? 心臓が、元通りに……」

 

 

凛は信じられない思いで、士郎の胸に触れた。確かに、力強い鼓動がそこにあった。失われた血液まで補填されたわけではないが、致命傷は完全に治癒している。

 

遠坂の切り札であるペンダントすら不要にする、神業のような再生能力。

 

「……なぜ」

 

凛は呆然と見上げ、宿儺の顔を見た。

 

「他者の命なんてどうでもいいって……そう言ってたじゃない。なんで、あなたがこの子を助けたの?」

 

宿儺は、士郎の血で汚れた自身の右手を一瞥し、パンパンと軽く払った。

 

「勘違いするな。俺がこの小僧に情けをかけたわけではない。ただ、お前のその『意地汚いエゴ』に、ほんの少しだけ免じてやっただけのことだ」

 

 

宿儺は踵を返し、夜の闇が広がる校門の方へと歩き出した。

 

「切り札を手放さずに済んだのだ。せいぜい、お前のその重苦しい誇りとやらを背負ったまま、俺を楽しませるための盤面を作り上げろ」

 

背を向けたまま、宿儺は言葉を続ける。

 

「用は済んだのだろう。帰るぞ。こんな血生臭い場所で夜風に当たる趣味はない」

 

「……っ」

 

凛は、しばらくその場に座り込んだまま、宿儺の白い背中を見つめていた。

 

圧倒的な暴力の化身。他者を塵芥としか思わない呪いの王。

 

 

しかし、彼は確かに、凛の「譲れない意地」を認め、そのための選択肢を残してくれたのだ。

 

「……本当に、意味が分からないわよ、あなた」

 

凛は小さく悪態をつきながら、自身のポケットに入ったペンダントの重みを確かめた。

 

士郎の呼吸が安定していることを確認し、彼をその場に残したまま立ち上がる。

 

(……ごめんね、衛宮くん。今はこれが精一杯よ。どうか、何事もなかったと思って、日常に戻って)

 

凛は心の中でそう祈りながら、宿儺の後を追って、冬の夜の闇の中へと歩き出した。

 

 

 

 

 

【時刻:午後8:00】

 

【場所:冬木市・遠坂邸 居間】

 

遠坂邸に帰還した二人は、一階の居間で向かい合っていた。

 

暖炉には火が入り、パチパチと薪の爆ぜる音が、部屋に僅かな温もりをもたらしている。

 

凛はシャワーを浴びて血の匂いを落とし、私服のセーターに着替えていた。テーブルの上には、彼女が淹れたばかりの紅茶が、二つのカップから湯気を立てている。

 

 

「……さっきは、ありがとう」

 

 

沈黙を破ったのは、凛の方だった。

 

彼女はカップを両手で包み込むように持ち、視線をテーブルに落としたまま呟いた。

 

 

「あなたの……その反転術式? あれがなければ、私は遠坂の切り札を失っていた。本当に、助かったわ」

 

 

「礼を言われる筋合いはない。ただの気まぐれだ」

 

 

宿儺はソファに深く腰掛け、足を組んだまま紅茶に口をつけた。

 

「お前が死ねば、俺の暇つぶしも終わる。お前が手札を失って早々に死なれては、俺が退屈するだけだからな」

 

「……そう。相変わらず、可愛げのない言い回しね」

 

 

凛は微かに苦笑し、紅茶を一口飲んだ。

 

熱い液体が喉を通る感覚が、自身がまだ生きているという現実を実感させる。

 

「ねえ、宿儺。あなたはさっき、私の考えを『弱さ』だと言って嗤ったわよね」

 

 

凛は顔を上げ、宿儺の四つの瞳を真っ直ぐに見つめた。

 

「すべてを切り捨てて勝つのが魔術師の合理性なら、確かに私は三流かもしれない。でも、私は人間よ。冷酷な機械にはなれない。誰かを助けたいと思う感情を否定してまで手に入れる勝利に、私は価値を見出せないの」

 

それは、遠坂の魔術師としての自分と、人間としての自分との間で常に揺れ動いてきた、彼女の根幹にある葛藤の吐露だった。

 

宿儺は、カップをソーサーに置き、腕を組んだ。

 

「価値、か。お前たち人間は、すぐに物事に意味や価値を付加しようとする。だからこそ、その重みに耐えきれずに自滅するのだ」

 

宿儺の声は、静かだった。

 

「俺には価値などという概念はない。俺の『快』と『不快』。ただそれだけが世界を測る物差しだ。俺は食いたい時に食い、殺したい時に殺してきた。誰の理解も求めず、誰の理想にも寄り添わず、ただ己という存在のスケールで、世界を削り取ってきた」

 

 

絶対的な自己の肯定。究極の孤立。

 

それが「両面宿儺」という呪いの王の在り方だった。

 

 

「……寂しくないの?」

 

 

凛の口から、無意識のうちにそんな言葉がこぼれていた。

 

「自分以外に誰もいない世界で、ただ自分の欲望だけを満たし続けるなんて……そんなの、ただの虚無じゃない」

 

「寂しい、だと?」

 

宿儺は目を細め、底知れぬ深淵を覗かせるような笑みを浮かべた。

 

 

「俺には不要な感情だ。他者に愛を教えるなどという理屈も、俺にとっては等しく無価値。己の身の丈で、ただ己を愛し、己を楽しませる。それで完全に完結している。……だが」

 

宿儺は言葉を切り、視線を窓の外、冬の夜空へと向けた。

 

「俺はその生き方を最後まで貫き通し……そして、敗れた」

 

彼の声に、かつての怒りや執着はなかった。ただ、歴史の事実を述べるような、静かな受容があった。

 

「俺の呪いは、ある小僧の『誰かと共に生きる』というブレない理想の前に砕け散った。言い訳はない。あれが俺の身の丈であり、限界だったのだ」

 

凛は息を呑んだ。

 

この規格外の化け物が、自らの「敗北」と「限界」を、これほどまでに潔く認めているという事実に。

 

「だからこそ、俺はここ(死後の世界)で、少しだけ趣向を変えてみることにした」

 

宿儺は視線を凛に戻した。

 

「お前のような、すべてを背負い込もうとする愚かな人間が、この狂った盤面の上でどこまで足掻き、どこまで登り詰めるのか。それを隣で観察するのも、悪くない余興だとな」

 

「……観察、ね。要するに、見世物扱いってわけ?」

 

 

凛はため息をつきながらも、その瞳に強い光を取り戻していた。

 

「上等じゃない。せいぜい、瞬きもできないくらいの特等席で見せてあげるわよ。遠坂凛が、この聖杯戦争をどうやって勝ち抜くか」

 

二人の間に流れる空気は、奇妙なほどに穏やかだった。

 

価値観は全く交わらない。魔術師としての矜持と、呪いの王としての傲慢。

 

しかし、互いの「在り方」を提示し合ったことで、彼らの間には、単なるマスターとサーヴァントという枠組みを超えた、歪で強固な『凹凸コンビ』としての繋がりが確かに形成されつつあった。

 

 

 

 

【時刻:午後9:15】

 

【場所:冬木市・遠坂邸 居間】

 

「……さて。それじゃあ、明日の作戦についてだけど」

 

凛がティーポットに手を伸ばし、二杯目の紅茶を淹れようとした、その瞬間だった。

 

 

ビリィッッ……!!

 

 

大気が、いや、空間そのものが悲鳴を上げるような、強烈な衝撃波が遠坂邸を揺らした。

 

「――っ!?」

 

凛は咄嗟に立ち上がり、窓の方へと身を構えた。

地震ではない。これは、純粋な『魔力の奔流』だ。

 

 

「な、なによこれ……!」

 

 

凛の魔術回路が、恐怖ではなく、圧倒的な「畏敬」の念で粟立っている。

 

方角は新都の住宅街辺りからだ。

 

そこから立ち上っているのは、星の息吹をそのまま凝縮したかのような、桁外れに清浄で、高潔な魔力(マナ)の光柱。

 

「……」

 

ソファに座ったまま、宿儺の四つの瞳が、その方角を鋭く射抜いた。

 

(この匂い……)

 

宿儺の内に、チリチリとした微かな『不快感』と、それを遥かに凌駕する暴力的な『闘争心』が燻り始めた。

 

 

彼が操る負のエネルギーの極致である「呪力」とは、完全に対極にある力。

迷いのない理想。何者にも侵されない王としての矜持。そして、星そのものを守護する聖剣の輝き。

 

 

それは、彼がかつて戦ったどの術師とも違う、純度一〇〇パーセントの『正(光)』の結晶だった。

 

「……なるほど。どうやら、極上の獲物が産声を上げたらしいな」

 

宿儺は立ち上がり、口元を三日月のように歪めて嗤った。

 

それは、この冬木に降り立ってから初めて見せる、心の底からの歓喜に満ちた、呪いの王としての本性の笑みだった。

 

「行くぞ、凛」

 

宿儺は振り返り、呆然とする凛に告げた。

 

「この盤面で最も輝く『光』が、今、あそこで顕現した。……見物に行かない手はないだろう?」

 

「……っ、ええ、行くわよ」

 

凛も我に返り、自身の赤いコートを引っ掴んだ。

 

(この魔力……間違いない。最強クラスのサーヴァントが喚び出されたんだわ!)

 

あの致命傷から蘇生したばかりの衛宮士郎が、この魔力とどう関係しているのか。その答えは分からない。

 

ただ一つ確かなのは、聖杯戦争の最後のピースが埋まり、本当の意味での「戦争」が今、幕を開けたということだ。

 

冷たい冬の風が吹き荒れる中、二人は遠坂邸を飛び出した。

 

呪いの王と、紅き魔術師。彼らの向かう先には、月明かりの下で銀の甲冑を輝かせる『騎士王』との、運命の邂逅が待っていた。

 

 

 

 

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