USJ襲撃事件からの休校明け。開口一番の衝撃というのは、まさに吉報どころの騒ぎではなかった。
全身をミイラのように包帯でぐるぐる巻きにされた相澤と一条が、なんとわずか休校一日挟んでの登場。これには案の定、クラスに凄まじい悲鳴と動揺をもたらしたのだ。
そして、二人でミイラのようなお二方。その片割れである相澤が、戦いがあると唐突に言い放った。
当然戦いがあると言われれば、あの悪夢を想起させることは無理ない。のだが、『雄英体育祭』の開催が告げられ、クラスは重々しい空気から一転して、熱気を取り戻した。
そこから皆引きずるものがあるものの、そこで起こるは峰田ホールインゴミ箱というハプニング。
そんなこんなで、やや前のめり、というよりは足をつっかえながらのスタートにはなりはしたが、ようやく元の平穏のペースを取り戻しつつあった。
そして今、皆それぞれ弁当箱や学食購入のための学生証を取り出して、教室はすっかり伽藍だ。
無論一条も昼食を食べるために廊下を歩いていたのだが、
「…………」
──お腹すいた……。
カクッ──カクッ──
今日はいつもと違い、一条は切島たちとともにはいなかった。
その代わりに、
「なんか、シュールやねー」
「星野さん、昔あった人型ロボットみたいだね」
「星野くん、歩きづらそうだが車椅子やサポートロボで移動しなくてもいいのかい? 委員長として、歩行を不自由にしているクラスメイトを見過ごすことはできないのだが……」
麗日、出久、飯田とともに、大食堂『ランチラッシュの飯処』に赴こうとしている真っ最中。
だが、一条の一挙手一投足のぎこちなさが見るに耐えないのかしどろもどろだ。
「別に。歩けるから大丈夫」
ガクッ、ガクッ。
膝や腕、関節というよりは、腹部をガチガチに固められているのもあるため、歩幅がどうしても狭くなる。動きはかくつくし、ほとんど体を傾けて足をつけ、また体を傾けて足をつけるという、なんともぎこちないという一言。
ギッグギッギッグギッギッ──
指一本でも突けばそれで転倒してしまうほど、今のミイラ一条は可動テスト中のロボット。だが、本人に至っては真面目に歩いている。
「…………」
──カレー、早く食べたい……。
真面目なはずだ。
「そうか。無理は禁物だぞ!」
飯田が腕をロボットのように上下させながら頷く。
一条の歩行に合わせてスローペースになる三人。そんな一風変わった一団だったが、ふと出久が、隣を歩く麗日に瞳を向ける。
「そういえば、麗日さんはどうしてヒーローを目指そうと思ったの?」
「えっ!? 私!?」
唐突の話の転換。しかもこの雄英校を通っている上では、割とデリケートにもなりうる話題だった。
出久、その隣の飯田にも視線を向けられることで、麗日が顔を真っ赤にして両手をわきわきと動かす。
「わ、私はそのっ…………お金、のためかな」
「「お金……!?」」「…………」
出久と飯田が驚きの声を廊下に響かせてハモる。
ヒーロー、といえば『平和の象徴』に憧れて、や、『人命救助』といった崇高な理念が先に来るものだと考えていたのだろうか。
そんな二人の予想外といった反応に、麗日が恥ずかしそうに顔を両手で押さえてしまう。
「ごめんね、なんか不純で……!! 飯田くんとか立派な動機なのに」
「──不純じゃない」
しょんぼりと眉を下げる麗日に、ぐだぐだな歩みを止めない一条が呟く。顔を合わせることはできないが、言葉は麗日の方へと向いていた。
「お金があれば、食べ物が食べられる」
「そうだよ麗日くん! 生活のために目標を掲げることの何が立派じゃないんだい?」
そうだ。生きるためには、まずこの社会においてお金は必要不可欠だ。食べるのはもちろんのこと、寝る場所だって当然。
教師寮で住まわせてもらっている身ではあるが、その部屋代や今こうして通えているのはミッドナイトのおかげ。一条はそれを知っているし、いずれは返していきたいとも考えている。
借りたままなのは、なんだか肩が窮屈になる気がした。
「ウチ建設会社やってるんだけど──」
麗日が苦笑いを浮かべながら、出久たちに事情を説明し始めた。
言うには、実家が建設会社をやっているのだが、仕事がなく現在進行形の不景気続きで貧乏暮らし。
だからこそ、
「私は絶対ヒーローになって、たくさんお金稼いで──父ちゃん母ちゃんに楽させたげるんだ」
家族のために麗日はヒーローになるのだ、と。
まっすぐで、嘘偽りのない家族思いな決意だ。
けど、
── 家族……。
一条は、喉に引っかかる違和感を覚えた。実際に何か喉に詰まらせたとか、そういった話ではない。ただすんなりと麗日の言葉が胸に落ちてこないのだ。
あんなにまっすぐであったのに、
「麗日くん……! ブラーボおお!!」
「…………」
どうして、こんなに胸の奥がザワザワするのだろうか。
──なんなんだろ……これ。
──『父ちゃん』と『母ちゃん』──
胸でつかえるのはその二つだ。いや、それら含めての『家族』だ。
思えば、今の今まで考えもしなかった。自分はカプセルから目覚めていて、小中学を通うことなくみんなと共に生活を送っている。
形式上の家族としては、ミッドナイトの親戚の子という扱いを受けているものの、この身にまつわる家族関係のようなものはまるでない。実の両親も、探してはくれていなかった。
いったい、どこにいるのだろうか。
「…………」
──今はいいや……。
考えても、わからないものはわからないまま。知らないものも、知らないまま。
温まるやりとりを傍に一条は、どこか歩みをはやめながら考えに耽るのをやめた。
「……お金稼いで…………、すごいね麗日」
「……! へへっ、ありがとみんな!」
一条の口調はどこかうわ言めいた口調の呟きだったが、麗日は気にしていない様子で少し照れたように頭を掻いた。
この胸の奥で燻る二文字の概念への違和感は、目前にまで迫っているカレーの香りで上書きしよう。
やがて、一行は廊下を抜け、一階の大食堂へ続く階段へと差し掛かった。
その最中、出久がこちらを振り向いてどこかほっとしたように笑いかけてくる。
「でも、こうしてみんなで行けるようになって本当に良かったよ。あんなことがあったけど、星野さんもご飯食べられるみたいだし」
「ねー!」
「そうだな。あの時を思い返すだけで、一時はどうなるかと何度思ったことか。しかし気になるのは星野くんの調子だ」
麗日に焦点が向いていたのだが、次に当てられるスポットライトは自分へと向かってくる。
飯田の疑問だが、気になるなと言う方がむしろ酷というものだ。なにしろ内臓欠損と欠損した内臓の紛失。この逃れようのない死への片道切符をどう抗い抜けてきたのか。
とはいえ、答えられるとしたら、
「なんか、吉田……お医者さんは、光る青い糸がお腹の中を元通りにしたって……」
瞬間、
「──青い糸」
出久が目を丸くして──懐からノートを取り出した。
「欠損した内臓を、エネルギーのような糸が物理的に補って修復しているってこと……!? それって単なる超再生じゃなくて、もはや自己のエネルギーを物質変換して欠損部位を代替、あるいは縫合している……? そんな個性──いや、黒い大砲と剣のエネルギー相転移、つまり体そのものを概念的エネルギーで補っているってこと……!? これはもはや回復系と言うよりは創造や具現化に近い複合的な性質──ブツブツブツブツブツブツブツ」
「…………」
── なに、これ……。
「緑谷くん!? また君の癖が出ているぞ! 見たまえ、星野くんが困惑しているじゃないか!」
突如として始まった出久の高速ぶつぶつ分析を飯田が手刀でバッサリと断ち切り、一条へ手を仰ぐ。
が、
「…………」(スーン)
一条。直立不動。
「全然わからんやないかああい──っ!」
「麗日くん!?」
麗日が吹き出しながらずっこけた。
それもそのはず。見ても目が合う、いや顔が合うのはやはり髪を巻き込まないように包帯で巻かれた一条の不可視の表情。正直にいって全然わからない石膏だった。
加えて態度に現れないものだから、
・BEFORE・
「…………」(スーン)
☆ AFTER ☆
「…………」(スーン)
ビフォーアフターが劇的なまでに役に立っていなかった──!
それに一条を取り巻くものもそれを後押ししている。
なぜか。
「こうなると星野さんの個性だ。創造は八百万さんと被ってしまうしそもそも一条さんが大砲と剣以外に出せるのかもわからない。けど体の内臓系を創造はできるわけだから自分に関連した──」
「…………」(スーーン)
「というわけだから、いやでもこれだと個性がたくさん持っているみたいなことになってしまう。やはりこれは星野さんの体自体をブツブツブツブツ」
「…………」(スーーーーーン)
「やめて……っ! あははははっデクくん星野ちゃん! 腹筋壊れてまう──!」
一度断ち切ったはずだ。断ち切ったはずだったが、脅威の分析欲求が飯田の手刀を切り損じさせた。
ミイラ一条という直立不動の柱を軸にしてグルグルグルグル回る出久がノートに書き込みながらマシンガントークを止めない、止まらない、止められない。
──シュール──
それしか言えない。
そのシュールさといったら、出久と一条の温度差によってさらに後推しされるわけで、麗日は腹を抱えながら床をのたうち回っていた。
「麗日くん!? それに緑谷くんはなんと凄まじい分析だ! しかしこれでは収集がつかなくなってしまう……っ! 頼む二人とも! 戻ってきてくれー!!」
「…………」
──みんなおかしくなっちゃった。
歩く考える人、方や有名絵画のように頭を抱えるメガネ、方や床でのたうち回る爆笑麗日。
── カオス ──
「…………」
……もういいや。
ギッグギッギッ──
一条、このカオスを横向け右して不干渉を貫くことを決めた。こんな時、ミッドナイトがいれば『情・緒!!』と鞭を床に叩いて叫ぶだろうが、仕方がない。
飯田でさえ手に追えなくなってしまった状況を『どうにかできますか?』とマイクを向けられてしまえば、一条は『帰る』と当然のように答える。答えるしかない。
そうして一人一条は騒ぎを背にして階段を降りようとしたのだが、
ギッグギッギッ──ガッ
「────」
──あ。
踏み出した足が、ガチガチに固定された包帯のせいで関節を曲げられず、段差の角に引っかかった。
そして、引き起こされるのは重力に従って──倒れるのみ。
「え」
その異変に、分析していた出久の目に入ったわけだったのだが、時すでに遅し。
森で切り倒された大木が、重力に従ってそのままパタンと倒れる。一条はその見事な一本倒れ真っ最中だった。
「星野さあああん!!」
背後でようやく我に帰った出久の悲鳴が上がるがもはや一条の体は階段という名の斜面を滑り、いや転がり落ちていく──
「ハッ、そうだ廊下で騒いではいけな──星野くぅぅうん!?」
ご
ろ
ご
ろ
「星野ちゃーーん!?」
ご
と
ご
と
我に帰る飯田と麗日。だがもう遅い。
丸太ように綺麗に回転しながら落ちていく一条には声は届くが手に関しては届きはしなかった。
階段の青、天井の白、壁の白、階段の青。
青、白、白、青
青白白青
ゴロゴロと転がるごとに見える色が変わってきて、目がまわる。
──前途、多難……。
頭の中で、このミイラ状態の先行きに、目が遠くなる。
その時だった。
「私が階段から──どぅわッ!? 星野少女が転げ落ちて来たア!?」
階段の下から、聞き覚えのありすぎるの太い声が響いた。
その直後、
「んぶっ……」
柔らかくも分厚い壁に激突したような感触が包帯越しの顔面に押し付けられる。
一体誰なのか。その疑問も、体を勝手にくるりと回転させらことで見る──見上げることができた。
「だ、大丈夫かい星野少女!?」
「…………」
そこには、筋骨隆々、アメリカンコミックから飛び出して来たような一世を風靡する圧を纏う大男、『平和の象徴』──オールマイトがいた。
一本の棒となって下り落ちていた一条を、糊の効いたスーツを纏うオールマイトが受け止めたのだ。
「……あ、おーるまいと」
一条は、オールマイトのその逞しい腕の中に依然として一本の棒のように収まったまま、驚きのかけらもない声を漏らした。
唯一彼女を石像たらしめないのは、頭の左右から垂れる長さ違いのツインテールで、抱き上げられた拍子に黒髪が靡く。
「は、ハッハッハッ! あまりに綺麗に転がり落ちてくるものだから、思わず! キャッチに力を入れてしまった! 大丈夫かね?」
「…………。うん、助かった」
「いや助かったならいいんだけれども! 君、一応怪我人だから。包帯ぐるぐる巻きで階段転げ落ちてくるって、ぶっちゃけ心臓に悪い……」
「ごめん」
そろりと視界が地面と水平になり、一条はオールマイトによってようやく立たされる。
そこへ、階段を猛スピードで、ちゃんと廊下を走らないというギリギリの速度を保ちながら駆け降りてくる三人が。
「星野さん! 大丈夫!? 怪我はない!?」
「星野くんすまない! 俺がそばにいながら不注意だった!」
「星野ちゃん痛くない!?」
「…………」
──一気にきた……。
三者三様の悲鳴に囲まれ、一条は棒立ちのまま答え方に迷う。
と、そんなあたふたあたふた和気藹々な一条と出久たちを見比べるオールマイトだったが、それからなんとも言えない、怪訝そうな表情を浮かべ始めた。
一条はそんなこと知りもしないで、すぐに方向転換して再び階段を下ろうとするのだが、
「星野少女、歩行もままならないのに、一体どこへ行こうとしていたんだい?」
「食堂。カレーライス食べに」
「────」
途端、両肩を優しく掴んで止めるオールマイトの動きがぴたりと止まった。
何かおかしなことは言っていないはず。お腹が減ったなら、雄英生徒がまず行く場所は大食堂。なにもおかしなことは言っていない。この答えは、お腹が空いてからずっと胸に押さえていた願い。
このままでは埒が開かない。一条は固まったままのオールマイトを避けるように方向転換しようと──、
「星野少女……楽しみにしているところごめんね? いや、本当にごめんね!? 君、昨日からゼリーを食べなければいけないんじゃないかい!?」
そのとき──、
「────っ!」
──は……っ!!
一条に電流走る──。
棒よりも棒に。木よりも木。まるで根っこでも生えたかのように、一条の体が瞬間、硬直した。
忘れていた。完全に、自らの都合のいいように、あのゼリーを。
自分の置かれている食事情は今、カレーライスはおろか、固形物を口にすることすら禁じられた『絶賛身体修復中』だったのだ──。
──あの、味のしない、ゼリー……。
一条の青い瞳から、光が吸い取られ──
──がーーーん……。
消えた。
「……ほ、星野くん? どうしたんだ、急にフリーズしてしまっ──」
「…………」(ボー……)
無言。一条は無言だった。
そして、ガチガチに固められた体のまま、回れ右して階段の麓まで直帰。
その行動に皆がどうしたのだと見守る中、一条は動き出した。
関節が固定されている膝を無理やり屈めるや否や、
ググググッ──
倒れそうなほどに前傾。いや、この姿勢は、
「──っ」
ッピョーン‼︎
「「「「えっ」」」」
跳躍の構えでもあり、皆がそう気付いた時には──一条はすでに跳び上がっていた。
階段を一段ずつ登るのではない。直立不動のまま、浅い山形の軌道を描いて重力無視の階段一段飛ばしならぬ、
「コラコラコラコラコラコラ──!?」
『一階層飛ばし』をしてみせたのだ。
「「「「階段の上り方おかしいぃイイい!?」」」」
出久たちの、ひいてはオールマイトのツッコミが下から響く中、一条は音もなく上の階に着地。
そのまま一条は関節に巻かれた包帯を呻かせながら横へ向くと、
ギッグギッギッグギッギッ──‼︎
「…………」
廊下を歩き、戻っていった。
ゼリーを入れたカバンのある、教室へ──。
* * *
── 1- A「ズゾゾゾゾゾゾ──ッ」 ──
誰もいなくなった、静かな教s「ズゾゾゾゾゾゾッ」──。
窓から差し込む「ズジュルズゾゾゾゾッ──」陽光が、ポツンと実績に座る一つの白い塊を照らしていた。
「…………」
ズゾゾゾゾゾゾ……ッ
一条は、無言でパウチを握り締め、
カレーのスパイシーな香りも、ホクホクじゃがいももない。あるのはただ、
ズゾゾゾゾゾゾッ──‼︎‼︎
常温の味の
「…………」
── ………………。
ズゾゾゾゾゾゾ……
誰もいない教室で、ゼリーをただただ啜るという虚しい音だけが、静かに、そして少しだけ悲しげに響き続けていた。
* * *
時は流れて──。
── 放課後 ──
無味無臭のゼリーで胃を満たした、虚無の昼休みを経て、午後の授業を終えた。
午後の授業、ヒーロー基礎学も滞りなく終わり、そしてホームルームも終えた1-Aの生徒たちは、各々帰りの支度を始めている。
皆、心に引きずっていたものもある。二週間後の体育祭に向けて誰もが野心をたぎらせるのと同時に、二日前の惨劇というのは元気さで取り繕うにも、まだ時間が必要だ。
体育祭までの二週間は、このクラスにとっては心の整理でもあるし、後悔のなき選択のためのレベルアップ。
できなければ、社会に出てからのヒーロー活動での心構えに揺らぎが生じるのだから。
「…………」
──体育祭……。
麗日は家族のために、自分は敵を炙り出すために。
これでいいのだと思う反面、みんなと自分の体育祭への力の入れ方に、一条は少し淀みを覚えた。
体育祭はヒーロー科のみならず、サポート科、経営科、普通科のみんなが、学年ごとに課せられる各種競技の予選を行い、そこから勝ち抜いた生徒を本戦で競う。というもの。
その中で、一条は落ち着いた脳みそで顧みた。
──『ヒーローとは何なのか』──
「…………」
一条はその言葉を反芻し、胸の落ちる水滴が平静だった水面を荒立たせてしまう。
包帯で巻かれた両手。その下には、ミーを手にかけようとした重みが刻まれている。たとえ真っ白な包帯に、黒板を書き写すために奮闘した鉛筆の黒ずみがあろうとも、上書きされることはない。
自分の行った行為は、決して消えるものではない。
あの時の自分は、確かにやらなければならないと思ったことをした。そうしなければ、ミーはいずれクラスメイトたちに牙を向く。
だから──殺そうとした。
「…………」
『──ヒーローっていうのは、人を“安心させる”存在。────殺してしまったら、怖いって思うでしょ?』
『……? 私は怖くない』
『情・緒!』
一年前の、ミッドナイトと自分のやりとり。
『君たちの力は、人を傷つけるためにあるのではなく、『救ける』ためにあるのだと──』
USJの、13号の言葉。
「…………」
怖くはないし、別にミーのことの命の所在など知ることはない。知ったところで、あれは生きていたらやがて市民を貪る。
けど、自分の中で確かに意気込んでいたはずの、救ける手にする目標。救けるために、殺そうとした手。
この二つが、ヒーローと自分で相反してしまったのだ。
「…………」
それがどんなにわからなくて、どんなに難しいのか。一条は、予備のゼリーが入っているカバンを横目に眺めて、そっと吐息した。
──むずかしい……。
みんな、目的は違えど本質は誰かを助けるためにある。のに、自分は誘き出そうとこの機会に乗じようとしている。皆を踏み台にして、ヒーローと相反する行いをした自分が、さらに重ねようとしている。
そんな自分が、ヒーローを目指していいのだろうか。
一条の胸中は、USJでのあの惨劇が過去になりつつあるのと同時に、ビデオのように自分を見せつけられていた。
──ゼリーの、せい……?
無味だからこそ、無臭だからこそ、包まれることのない味に、そんな漠然とした気持ちに方をつけた。
と、一条は思考を強引に無味無臭評価ゼロゼリーのせいにした、その時だった。
「うおぉおお……何事だああ!?!?」
教室の前方から、クラスメイトである麗日の困惑する声が聞こえたのは。
「…………」
──なに?
帰ろうとオフィスチェアのキャスターを駆使して立ち上がった一条が、体ごとドアの方へ向けると──そこには教室の出入り口を塞ぐ何者かが塞ぐ。
いや、何者かなんてどうでもいい。
人。ただただ人の群れが、壁となして教室の出入り口を完全に塞いでいた。その人、おそらくは他学科の生徒なのだが、みんながみんなA組を覗き込む。
まさしく、値踏みだった。
「んだよ出れねーじゃん! 何しに来たんだよ!」
クラスメイトもこれには出ようにも出られない。
皆の疑問を代弁する峰田だったが、その隣を後から通り過ぎる、歩く姿は傲岸不遜、口を開けば爆発発言の、
「敵情視察だろザコ。敵の襲撃を耐え抜いた連中だもんな、体育祭の前に拝みにでも来たんだろ」
爆豪が、一片の動じを見せることなく、ポケットに手を突っ込んだまま口舌を放った。
「意味ねェから。どけモブ共」
「「「────」」」
これにはざわついていた生徒衆も唖然。というより、この鉄砲玉というよりは鉄砲爆弾っぷりの爆豪にA組も唖然。
出久に至っては雰囲気に耐えきれず頭を抱える始末だ。
「とりあえず知らない人のこととりあえずモブっていうのやめなよ!!」
飯田も爆豪の出来上がりっぷりに、振り下ろす腕のキレが刀のそれだ。
そんなピリピリした雰囲気。導火線にマッチの火が弾けるような緊張感に、
「どんなもんかと見に来たが──随分と、偉そうだなぁ」
ドア枠を隔てた向こう側。人の群れから一人、割って前に出る紫色の逆立った髪少年がいた。
「ヒーロー科に在籍する奴は皆こんななのかい?」
「ああ?」
爆豪がさらにガンを飛ばし、一触即発の空気が廊下と教室の境界線で弾けそうなる。
当然、爆豪の印象でA組の印象がこれだと決めつけられるのはたまったものではない。
飛び火しかける口合戦に、前列にいた出久と飯田は首がもげそうなくらいに左右に振りまくる。
だが、
「そういうの見ちゃうと、ちょっと幻滅するすなぁ」
おあいにくさま、頭を掻いて爆豪の視線を回避してのける紫髪の少年には届かなかった。
それどころか、彼は爆豪を見据えて挑発的な笑みを浮かべてくる。
「普通科とか他の科って、ヒーロー科落ちたから入ったって話結構いるんだ。ま、その態度なら知るわけないか」
呆れ気味に眉を上げる紫髪の少年から飛んでくる、煽り。
爆豪のこめかみに血管の筋が浮かび上がってくるが、そんなものお構いなしに紡ぎ続けた
「体育祭のリザルトによっちゃ、ヒーロー科編入も検討してくれるんだって。その逆もまた然り」
「ごちゃごちゃと、能書垂れるより──用を言えや」
が、爆豪、ここはあえて抑えた。
その反応、いや自信過剰な爆豪に少年は「わからないなら言ってやるよ」と、急かせられる結論を紐解いた。
「調子乗ってると、足元ごっそり掬ってやるっつう──
「「「────」」」「…………」
その言葉は、あまりに静かで、確かな敵意のこもった言葉だった。
出久や飯田、クラスの面々も息を呑み、空気が張り詰める。
毒は同じ毒を持って制すとあるように、大胆不敵には大胆不敵をぶつけるのが効果的、なのだろうか。
いや、違った。
「…………」
爆豪は、案外無言であった。まるで彼の、ひいては彼の後ろで神妙な面持ちで場を眺めていた有象無象なんて視野になんか入れていないように。
爆豪の肝っ玉に、クラス中誰もが呆れの含んだ簡単の息を口から漏らす。
だがその中で、石像が目を背くことができないようにその場で根を張ったように立ち尽くす一条は、そっと包帯の隙間から見つめた。
爆豪と一条は反りが合わない。というよりは、どこか相入れないのだ。
まるでN極とN極をくっつかせようとしてもくっつくことはない。だが、磁石を売り出している会社が違う。そんな根本の違い。
皆、何か言っている。だが、関係がないのだ。
「…………」
──上に立てば、何にも変わらない。
ここで敵を増やしたところで、結局は上に立てば変わらない。だからこそ、その一言に落ち着くのだ。
からこそ、その考えに至ったであろう爆豪は何も言わず、群衆の中へと入り込んで、最前列を押し除けて出ようとした。
そう、出ようとした。
ようとしただけで、行動に移ることがなかったのだ。
なぜなら──、
「ちょっ、待てって!」
後ろの方で、この雰囲気を兜割る騒ぎが起こったからだ。
「ちょっと……どきなさいよッ!!」
「おわっ!? 待っててコラぁ!!」
人の壁を後方から、苛立ちを隠そうともしない鋭い声が響き渡る。
誰かに止められているのだろうが、その制止すら振り切って、無理やり人混みをかき分けるように苛立った声は突き進んでくる。
何者なのか。
煽り散らかしていた心操でさえ、怪訝に眉をひそめて背後を見やる。そして、強い力に突き飛ばされ、たまらず体制を崩してしまった。
その正体を誰かは知らなくても、少なくともA組の中で知る人は四人いた。
そして、その中の一人である一条がぎこちない足取りで教室の扉へと吸い寄せられるように歩んだ。
灰色の髪を振り乱し、赤縁のメガネの奥の灰緑色の瞳に凄まじい衝動を燃えたぎらせた少女──、
「…………ッ」
灰原ナナだったから。
なぜだかは知らない。けれど一条は、いつもと違う雰囲気をまとってはいても絶対に近づなかないなんて選択肢はなかった。
「…………。──ナナ」
「一条……」
全身をぐるぐる巻きにされ直立不動で立つ一条と、ドアフレームに手をつくのをやめて仁王立つナナの目が交わった。
その直後だった。
「ッ……」
ナナの瞳が痛切に歪んだのは。
ついで、その瞳は一条を捉えるばかりか、その背後、爆豪を、出久を、飯田を、切島を、そして、A組の生徒全員へと席巻させる。
灰緑色に滲む思いは、まるで
「……ナナ」
──お昼ご飯の……。
一日だ。たった一日、されど一日。もはやルーティンとなりつつある昼ごはん。
隣で座る。そう言ったのに、できなくなってしまったことを伝えていない。
はっきりと、口にしようとした。その直後、
「あんたたち……ッ」
一条の呼びかけをかき消して、ナナがA組全体に、
「一体どの面下げて、デカい顔してるのよ──ッ!!」
怒鳴り声を上げた──。
突然の、ヒステリックとも言えるナナの剣幕に、A組の生徒たちは言葉を失う。爆豪でさえも、予期せぬ方向からの怒気に立ち止まった。
「『敵の襲撃を耐え抜いた』ぁ!? ふざけるのも大概にしてッ!!」
誰もが、爆豪の口ぶりに激昂するものが現れた。と考えるに違いない口ぶりだったが、違う。
ナナの瞳は──一条を見ていた。青い瞳を隠されるように邪魔な包帯を、忌々しく見つめて。一条の目がナナ自身を反射して映らなくなったことを悔やむように。
「偉っそうに……ッ。なんで一条が、なんでこの子が、こんな姿になってるのよ!?」
教室を揺るがすような怒声を、張り上げた。
「あんたたち、同じ場所にいたんでしょ!? なんで守れなかったの!? どうして助けなかったの!?」
ナナがスカートを掴む指先を戦慄かせて、爪が食い込む。
「大言壮語も甚だしいわッ! 何が『耐え抜いた』よ……っ、結局一条一人に押し付けて、自分たちはその後ろに隠れてただけじゃないッ!!」
「な……っ!」
「そ、そりゃ……っ」
痛烈なまでにナナから放たれ続ける言葉の数が、出久や切島、教室の中の者たちを抉る。教室の窓から指す太陽で伸びる影を、追い詰める。
「違わないでしょッ!? だったら……だったらなんでっ、この子はこんなになってるのよ」
「それは……っ、ヴィランが大勢きたから──」
「大勢来たから……!? じゃあ大勢来て、それが一条を助けられなかったって免罪符になるとでも本気で思ってるの!?」
ヴィランが大勢来たから。確かに、それも一つの要因といえよう。だがそんなもの、ナナの前では納得の材料になるどころか、むしろ熱されて溶解寸前の疑問符に薪をくべるのと同義だ。
「ニュースでも出てたわ、ヴィランの多くはチンピラのくずどもだって。そんな有象無象に、一条が負けるはずないじゃない。どうせ押し付けたんでしょ……あの子の強さに甘えて……ッ」
肩を震わせるナナ。
「その結果が──!」
背後では、彼女を止めようと後から追いかけてきたB組の生徒たちが「や、やめろって灰原……!」としどろもどろ。
だが一条には、ナナの声が怒りには聞こえなかった。
「このザマじゃない!! この卑怯者ッ!! それでよく、ヒーローを志そうなんて平気で思えたわね──ッッ!!」
ひどく、泣きそうな声をしていた。
だから一条は、包帯の下にある口を緩めて、
「一人助けることもできないあんたらに──」
「ナナ……」
危ないナナを止めようとして、
「一条を見ようともしないあんたらに──」
崩れそうなナナを止めようとして、
「ナナ──っ!」
一歩踏み出して、ナナの目に入り込んだ──。
「A組のみんなは、悪くない。私が自分で決めて、戦っただけ。だから──」
一条は、ナナの怒りを鎮めようとして、ただ淡々と述べた。
ただ隣で、ふとした時に口を拭いてくれるナナに戻って欲しかった。
「私は大丈夫」
だから──、
「だから──」
気にしないで────
だが、『気にしないで』という言葉。その言葉が、実際に大気を震わせて教室を、ナナの鼓膜を揺らすことはなかった。
「────」
届かなかったのだ。
張り詰めた空気を断ち切るように、乾いた打音が容赦なく突き刺し、弾けたから。
それが鳴ったと同時に、一条が、視界が傾く中で覚えたのは──右頬を起点とした衝撃。
視界が傾く。ナナが倒れる。教室が傾く。
違う──。
傾いているのは世界の方ではなく、
「ぅっ」
一条の方であった。
一条の体が、大きく後ろへと傾く。傾いて傾いて、最後は受け身すら取れず『ドサッ』と、無防備に床へと尻餅をついて倒れ込んだ。
「…………」
一体何が起こったのか、一条には点で訳が分からず、包帯に覆われた頬にゆっくりと手を当てた。衝撃の意図が分からなくて、脳内が真っ白になる。
一体何が、頬をこんなにも熱くするのか。
一体何が、胸の奥をざわつかせるのか。
それを知りたくて、一条は座り込んだまま、ただゆっくりと顔を上げた。
そこに入り込んだのは、瞠目する生徒連中と
「はぁ……っ、はぁ……っ、──ッ」
平手を振り抜いた右手を震わせ、今にも泣き出しそうなほどに顔を歪めたナナが、自分を見下ろしている。
ついに、一条は知った。右頬をジンジンとさせる熱の原因が、ナナの平手によって打たれたという事実に。
「何が、『大丈夫』よ……ッ」
静寂の中で響かせるナナの声は、悲痛だ。悲痛で、それでいて、今、この瞬間に、
「何が大丈夫なのよ!! 全然大丈夫じゃないじゃない──ッ!!」
一条は初めて、ナナに怒り目を向けられた。
「自分を大切にできないくせに……! そんなボロボロの体のどこか、何が大丈夫だって!?」
「……っ」
「あんたのそういうところが、昔っから本当に……ッ、本ッ当に! ムカつくのよ──ッ!! ────」
立ち上がれない。
別に立とうと思えば、いつでも立てるはずなのだ。けれど、どういうわけなのか、
──なんで……
胸の奥が、熱い。
腹を裂かれたみたいに、いや、裂かれるよりもどういうわけなのか熱くて、口元が痙攣して、これ以上言葉が出せない。
『昔』
そんなものないはずなのに、それが当たり前のように──何か漠然としていた穴にぴたりとハマったかのような感覚に襲われたのだ。
「────」
「────」
少なくとも、それが考えた末に飛びだした言葉ではなかった。だとすれば考えなしに飛び出した常套句というわけでもない。
まるで、こうするのが当たり前で、ひどく──懐かしく思えてしまって。
「ナナ……」
どうしようもなく、ナナの手を取りたかった。
「…………っ」
ナナが、一条から顔を背けて血が滲むほどに拳を握りしめる。つい先ほどまでの戸惑いに似た迷いを、振り払うように。
一条とナナ。二人の間に生まれた、別種の沈黙。先に破ったのは、やはりナナだった。
「教えて、あげるわ……」
手を仰ぎ、振り乱した灰色のショートヘアを払いのけるナナが深く息を吐いて、それから吸った。
次に出る言葉の準備のために。
「体育祭のトーナメント! そこで私が、あんたを完膚なきまでにボコボコにしてあげるわ! あんたがどれだけ弱くて頼りない『雑魚』なのかを、世界中に証明してやるんだから!」
床に座り込む一条に向かって、ナナは指を突きつけながら捲し立てる。
それは──
「あんたは大丈夫なんかじゃないッ。あんたは私が守らなきゃいけないくらい、ただの弱虫だってこと、その真顔面に刻み込んでやるッ 覚悟しなさい──ッ!!」
── 宣戦布告 ──
あまりにも歪で、あまりに痛切。
クラスの対立の中で、ただ一人だけに真っ直ぐに突きつけた──明確なまでの宣戦布告だった。
「…………」
一条は、ただただナナを見上げていた。
包帯の隙間から覗かせる青い瞳は、以前として一切の揺らぎはない。
わからないのだ。
──どうして……。
どうしてナナが、こんなにも辛そうに顔を歪めていたのか。なぜ自分に対して、ここまで執着して、熱心にぶつけてくるのか。
どうして、なぜ、なんで。
そんな言葉の羅列が、一条の頭の中でトグロを巻いて渦となる。だから、
「────」
「────」
青い瞳を灰緑色の瞳へ、鸚鵡返しするような形になってしまった。
その何も響いていないような、帰結に至らない瞳がナナの瞳に入り込んだ瞬間。
「……ッ! チィッ!!」
ナナは忌々しげに、一向に話の進展しないこの状況を唾棄するように舌打ち。
そして、踵を返し、A組連中を冷淡な目で睨みつけると、人混みを割って入って、そのままズカズカと廊下の奥へ消えていく。
次第に灰色の髪が、高い背の生徒を通り過ぎたところで、見つけることは叶わなくなった。
「あ、ちょっと灰原っ! 待ちなさいって!」
慌てて、おそらくはB組の一人の女子生徒をはじめとして、後を追い始める。
と、その最後尾。銀色の髪を持つ少年が足を止めると、勢いよく振り返り拳を突き上げた。
「そ、そういうこったァ!! 俺たちB組が! 体育祭でテメェらA組ぶっ倒してやるからな!! 本番で恥ずかしい事んなんねェように、首洗って待っとけェ──ッ!!」
と、言いたいことを全部言い切ったのか、ドタドタとどこまでも忙しない足音が、ナナを追って遠ざかっていく。
掻き回すだけ、掻き回したまま丸めた開戦の詔書を突きつけて消えていく。
「「「…………」」」
残されたA組の教室前には、奇妙な静寂と冷え切った空気が漂っていた。
他科の生徒たちも、あまりの修羅場的雰囲気に着圧されたようで、そそくさと蜘蛛の子散らして失せ始めていく。
「…………」
「ほ、星野さん……大丈夫!?」
途端に、我に帰った出久と麗日が、慌てて座り込んだままの一条の元へと駆け寄る。
が、
ギィ─ッ ギィ─ッ ギッ
「うん。大丈夫」
手を貸すよりも前に、歪な音を立てながら一条は立ち上がった。
振り向かないで言ったまま、打たれた頬に再び手を当てて、それからナナが消えていったはずの廊下の奥をじっと壁越しに見つめた。
──私が、大丈夫じゃ……ない……?
ナナにつけられた、自分を見つめる声。
出久にも、飯田にも、麗日にも、ミッドナイトにも、みんなにも言われた言葉のはずだった。似たような言葉でも、同じだった。
けど、『大丈夫』と言ったのに払いのけて両肩を掴むようなことは、これが初めて。みんなはどこか納得したように離れるのに、ナナだけが。
「…………」
雄英体育祭。
少なくとも、一条は前向きではなく後ろ向きに挑もうとしていた。別にヒーローを目指すのに迷っているのなら、生半に臨んでいいと。
──わからない……。
何もかもがわからない。ヒーローも、ヴィランも、殺しも救いも、大丈夫もだいじょばないも。わからないことだらけで、ナイナイ尽くしな一条の胸中。
だが、理解や不理解よりも──、
──…………。知りたい……ナナのこと。
奇妙なモヤモヤに、一条は静かに胸の中に呟く。たとえ理解できなくなっても、この知りたいという“気”持ちだけは、嘘ではないのだから。
ふと、一条は頬に添えていた手を離した。手を顔から下ろして、それを手繰り寄せるように見つめる。まだ、ナナの気持ちが残っているような気がして。だからこそ、消えないものを決意と一緒に胸に抱いて。
この瞬間、体育祭に挑む理由が前向きとなったと同時に、
「ナナ」
この日、星野一条が他でもない誰かを知るために──踏み出した。