デスノート・オブ・カーストルーム   作:戦竜

10 / 10
最終話 本当の死神は誰か

夜の校舎は、昼とはまったく別の建物のように静まり返っていた。

照明は最低限しか点いておらず、廊下の奥は薄い闇に沈んでいる。

足音だけがやけに響く。

それは静かだからではない。

この場所に人の気配が存在しないことを、

建物そのものが執拗に強調しているような音だった。

旧校舎へ続く渡り廊下に入った瞬間、空気がわずかに変わる。

 

湿度。

温度。

そして、匂い。

 

使われなくなった資料や古い記録が蓄積された空間特有の、

乾いた紙と埃の匂いが、夜気と混ざり合って鼻の奥に沈んでくる。

 

綾小路は、足を止めない。

歩幅も変えない。

警戒はしている。

だがそれを動きとして表に出すことはしない。

罠である可能性は高い。

だがそれは、堀北も同じ条件にいることを意味する。

互いに自分の急所を差し出しているという点で、この場は完全に対称だ。

 

だからこそ――ここは戦場として成立している。

 

資料室の扉は半開きだった。

中から灯りが漏れている。

綾小路は一拍だけ間を置く。

 

音。

気配。

呼吸。

それらを拾う。

 

そして、そのまま扉を押した。

軋む音が、やけに大きく響いた。

中は、思ったより広かった。

壁一面に並ぶ古い棚。

分類ごとに積まれたファイル。

机がいくつか。

そして中央付近に、一つだけ灯りが点いている。

 

その光の中に、堀北鈴音はいた。

 

机の前に立ち、こちらを見ている。

逃げる気配はない。

隠れる気配もない。

ただ、そこに立っている。

 

「来たのね」

 

その声は、昼間と変わらない。

だが、わずかにだけ低い。

 

「来るように仕向けたのはお前だ」

 

綾小路は室内へ入り、扉を閉める。

音が消え、完全に外界と切り離された。

 

「ええ」

 

堀北は短く答える。

 

「来ない理由がないもの」

 

その言葉に虚勢はない。

事実の確認に近い。

机の上には、数冊の資料が並べられていた。

 

「それが餌か」

 

綾小路が視線だけで示す。

 

「そうよ」

 

堀北は頷く。

 

「あなたが欲しい最後の断片」

 

一歩も動かない。

距離は、まだある。

だが、その距離は安全を意味しない。

むしろ、どちらでも踏み込める距離だ。

 

「確認するわ」

 

堀北が言う。

 

「あなたは、私の管理名に届いている?」

 

沈黙。

数秒。

綾小路は、否定しない。

 

「……ああ」

 

それだけ。

堀北の呼吸が、わずかにだけ浅くなる。

だが、それをすぐに押し戻す。

 

「そう」

 

そして、今度は自分の番だと言わんばかりに視線を強める。

 

「私も、あなたに届いている」

 

嘘ではない。

完全ではないが、ほぼ一点まで絞れている。

あとは最後の照合だけ。

だからこそ、ここに来た。

 

「なら話は早い」

 

綾小路は静かに言う。

 

「ここで終わるか」

 

堀北は、首を横に振った。

 

「いいえ」

 

その否定は、予想外ではない。

 

「終わらせるために来たんじゃない」

 

一歩、前へ出る。

 

「確かめるために来たの」

 

その言葉に、綾小路の視線がわずかに鋭くなる。

 

「何をだ」

「あなたが、本当にそこまでやれる人間なのか」

 

静かだった。

だがその中には、はっきりとした感情が混ざっていた。

怒りでも、悲しみでもない。

理解したいという衝動。

 

「坂柳さんも、櫛田さんも、龍園くんも、一之瀬さんも、高円寺くんも」

 

一つ一つ、名前を置いていく。

 

「あなたは全部、構造で処理した」

 

視線が逸れない。

 

「でも」

 

ほんの一瞬だけ、言葉が止まる。

 

「それでもまだ、あなたが人間なのかを、確かめたい」

 

綾小路は何も言わない。

沈黙が落ちる。

それは重い沈黙ではない。

むしろ、異様に静かな沈黙だった。

 

「……面白いな」

 

綾小路がようやく口を開く。

 

「この場に来て、それを聞くか」

「ええ」

 

即答。

 

「だって、ここで終わるなら」

 

一歩。

さらに距離を詰める。

 

「最後に、それくらいは知る権利があるでしょう?」

 

その言葉は、挑発ではない。

本音だった。

そして同時に――時間稼ぎでもある。

 

綾小路はそれを理解している。

堀北は会話を使っている。

距離を詰めるために。

呼吸を整えるために。

タイミングを測るために。

そして何より――書く瞬間を探るために。

 

綾小路も同じだった。

机の上の資料。

堀北の指先。

ポケットの位置。

視線の揺れ。

すべてが情報だ。

どこで書くか。

どこで奪うか。

一瞬の判断で決まる。

 

「答えは簡単だ」

 

綾小路が言う。

 

「人間かどうかなんて、関係ない」

 

一歩、踏み込む。

 

「必要かどうか、それだけだ」

 

空気が、張り詰める。

堀北の瞳が、はっきりと細くなる。

 

「そう」

 

短く。

 

「やっぱり、そうなのね」

 

そして――その瞬間だった。

 

堀北の手が、動く。

速い。机の資料を払うのではなく、その下に隠していたノートへ。

同時に綾小路も動く。

距離はすでに、ゼロに近い。

腕が交差する。

紙が散る。

椅子が倒れる。

音が一気に弾ける。

 

静寂は、完全に壊れた。

 

ノートを奪うか。

書くか。

止めるか。

そのすべてが、同時に起きる。

堀北の動きは鋭い。

迷いがない。

それは覚悟の速度だった。

だが――綾小路の方が、わずかに速い。

手首を押さえる。

ペンの軌道を逸らす。

ノートの位置をずらす。

一瞬で三つの操作が重なる。

 

「っ……!」

 

堀北の呼吸が乱れる。

だが、止まらない。

体をひねる。

距離を取り直す。

再度、踏み込む。

この瞬間、二人は完全に同じ状態だった。

互いに――あと一手で終わる位置にいる。

その緊張が、空間を歪ませる。

時間が遅くなる。

呼吸だけがやけに大きく聞こえる。

 

そして――その直前で、止まる。

 

どちらも。

ほんの一瞬。

完全な停止。

それは偶然ではない。

互いに理解したからだ。

この次の一手で、本当に終わる。

だからこそ――わずかに躊躇が生まれる。

そのわずかが、すべてだった。

堀北の瞳が揺れる。

綾小路も、ほんのわずかに呼吸を止める。

そしてその均衡は――外側から壊されることになる。

 

だが、その壊れるまでの一瞬は、永遠に引き延ばされたように長かった。

堀北の指先はまだ綾小路の手首に触れている。

綾小路の膝は机の角へ半ばかかり、散らばった資料の上を踏みしめている。

白い紙片が空中をゆっくり落ちていく。

その一枚一枚に、これまでの試験で積み重ねられた

名前と記録と処理と死の断片が封じ込められているように見えた。

 

堀北は綾小路の顔を、ありえないほど近い距離で見た。

呼吸が触れ合うほど近い。

こんな距離で相手の瞳を見るのは、いつ以来だったか、一瞬だけ分からなくなる。

だが今、その近さに感情の余地はない。

あるのは、相手がどの瞬間に筋肉へ力を込めるか、

視線をどこへ流すか、どちらの手が次に本命へ伸びるかを読むための、

研ぎ澄まされた知覚だけだった。

堀北はその中で、痛いほどはっきり理解してしまう。

 

この男は、本当に自分を書ける。

脅しではない。

決意の強さでもない。

必要なら、その一線を越える。

 

それが感情の昂りからではなく、徹底して冷えた判断として成立している。

その事実が、今さらになって堀北の胸へ遅れて刺さる。

 

それでも、堀北も引かなかった。

ここまで来て引けば、全てが無意味になる。

坂柳も、櫛田も、龍園も、一之瀬も、高円寺も。

彼らが消えた後に残ったこの冷たい空白を、

そのまま綾小路へ明け渡すことになる。

そんなことだけは、どうしても認められなかった。

 

だから堀北は、押さえられた手首を外へ切るのではなく、

むしろ内側へ捻り込み、綾小路の腕の軸ごとずらそうとする。

綾小路はそれに反応し、半歩だけ体重を乗せ替える。

その瞬間、二人の足元で紙束が滑った。

たったそれだけのズレで、均衡がまたわずかに崩れる。

 

堀北の肩が先に入る。

綾小路は上体を引く代わりに、机を支点にして体勢を立て直す。

椅子の脚が床を擦る耳障りな音が響き、

古い棚の上で積み上げられていたファイルが小さく揺れた。

堀北はペンを持ち替えようとする。

綾小路はその指の動きだけで意図を読み、手首ではなく肘の位置を制する。

一度制された堀北は、今度はノートそのものを手放しかけるように見せ、

綾小路の視線を一瞬だけ下へ落とさせる。

 

その一瞬に、膝を入れ替える。

綾小路は反応する。

だが、反応してなお互いの速度が僅差すぎる。

どちらも決定打に届かない。

届かないまま、呼吸だけが荒くなる。

 

「……まだ、止まれるわ」

 

堀北が、息の隙間でようやく言葉を押し出した。

それは説得の言葉ではない。

むしろ、自分自身へ言い聞かせているような響きだった。

綾小路は答えない。

答えれば揺らぐからだ。

 

だが、その沈黙が逆に堀北を追い詰める。

この男は本当に、何も言わずに書き切る気だ。

なら自分も、もう同じ場所へ行くしかない。

 

そう腹を括りかけた瞬間だった。

綾小路の目が、ほんのわずかだけ変わる。

冷たく薄い膜のようだった視線の奥に、一瞬だけ何か別の色が差し込む。

それが怒りなのか、迷いなのか、

あるいはそれらとも違う単なる人間的な揺れなのか、堀北には分からない。

だが、その一瞬を見てしまったことで、堀北の中にもまた別の揺れが生まれる。

本当に空っぽなら、ここまで来てもこんな目はしない。

 

なら――この男は、まだ完全には壊れていないのかもしれない。

そう思ってしまった、そのわずかな遅れこそが致命的だった。

 

綾小路もまた、その揺れを感じ取っていた。

堀北の力の入り方が、ほんの一瞬だけ変わる。

決意のまま押し切るのではなく、確かめようとする力になる。

 

その違いは微細だ。

 

だが今の距離では、微細であるほど致命的になる。

綾小路はその変化を捉えながら、それでも即座には決めきれない。

堀北鈴音という人間を、ただの障害物として処理しきれない何かが、

こちらの内側にもまだ残っているからだ。

 

堀北は秩序のために動く。

真面目で、頑なで、無駄に不器用で、

それでも最後まで自分の責任を放り出さない。

 

だからここまで来た。

だから今、目の前にいる。

その事実を切り捨てることに、綾小路の身体がほんのわずかだけ遅れる。

その遅れは感傷ではない。

ただ、認識だ。

それでも認識がある限り、人間は一瞬止まる。

 

その止まり方は、二人ともほとんど同時だった。

だから、互いに分かってしまう。

今、自分たちは同じところで揺れている。

相手を消せる。

自分も消されうる。

その両方を理解した上で、なお一線を越えきれずにいる。

それがどれほど危うい均衡か、二人とも痛いほど分かっている。

分かっているからこそ、余計に動けない。

 

動けば終わる。

本当に、終わる。

 

それが比喩ではなく、紙の上に名前を書くという

単純な行為だけで完結してしまうことを、

ここまでの誰の死よりも深く理解しているのが、今の二人だった。

 

だから資料室の空気は、静まり返っているはずなのに、

耳鳴りのような緊張で満ちていた。

灯りの下に舞う埃。

雨の気配すらない夜の乾いた空気。

散らばったファイルの紙の端。

机の角に当たった肘のわずかな痛み。

その全てが、異様に鮮明になる。

人は本当に死の手前まで来ると、

逆に世界の輪郭だけが濃くなるのかもしれない、と堀北は場違いなことを思う。

 

そして、綾小路の視線がほんの一瞬だけ、堀北の肩越しを見た。

 

扉の方。

外。

 

その動きは小さすぎて、普段なら絶対に見逃していただろう。

だが今は違う。

堀北はそれを見た。

見てしまった。

次の瞬間、綾小路の身体がまた動く。

今度こそ躊躇を切り捨てるように。

堀北も反射的に応じる。

指先がノートの角へ届く。

綾小路の掌が堀北の手の甲を押さえる。

どちらが先か分からないほど僅差。

その、まさに刹那の瞬間に――資料室の外側から、足音が近づいた。

 

最初は微かな気配だった。

だが、二人ともすぐに分かる。

迷いのない足取り。

こちらへ真っ直ぐ近づいてくる。

しかも一人ではない。

複数。

十中八九、見回りの教師かガードマン。

その事実が、資料室という密閉された空間の中へ、鋭い現実として差し込まれる。

 

堀北の瞳が揺れる。

綾小路もまた、その一瞬だけ体重のかけ方を変えた。

戦いの均衡が崩れるのではなく、戦場そのものが外から侵食される。

これまで二人だけの閉じた世界だった場所に、別の論理が入ってくる。

 

その予感が、資料室の空気を根こそぎ書き換えた。

そして次の瞬間、扉の向こう側で足音が止まる。

取っ手へ手がかかる気配。

二人の均衡は、そこで完全に外側から壊されることになる。

 

 

その夜の決着は、結局そこではつかなかった。

最終的な衝突の場は、皮肉なことに教室だった。

監視カメラの死角でも、屋上でも、校舎裏でもない。

何度も死を告げられ、何度も空気が凍りついたあの場所。

 

二年生の教室。

授業前の静かな朝。

 

生徒たちはいつもより重い空気の中、それぞれ席についていた。

堀北は前方。

綾小路は自席。

表面上は変わらない。

だが二人とも、今日が最後になる可能性を理解していた。

堀北は昨夜の段階で、綾小路の管理名候補をほとんど一点に絞っていた。

綾小路もまた、堀北の管理名を既に正確に押さえている。

あとは、どちらが先に決断するか。

誰も知らないところで、二人の指先は既に臨界へ達していた。

 

机の中のノート。

筆箱の中のペン。

呼吸の浅さ。

視線の切り方。

全てが、あと一歩で終わる緊張に支配されている。

 

堀北は一度だけ、綾小路を見た。

綾小路もまた、堀北を見た。

何も言わない。

しかし、その視線だけで互いの状況は伝わる。

おそらく堀北は今朝、書くつもりで来ている。

綾小路もまた、必要ならここで終わらせるつもりでいた。

 

誰かが席を立つ。

誰かがノートを開く。

それだけで、均衡は崩れる。

 

教室のざわめきは小さい。

誰もまだ、この場にそんな殺意が張り詰めているとは知らない。

そして、その瞬間だった。

 

教室の扉が開き、茶柱佐枝が入ってきた。

その足取りはいつもより少しだけ速い。

だが慌てているわけではない。

むしろ、決められた通達をただ運んできた教師の顔だった。

教壇へ立った茶柱は、出席簿も開かず、開口一番こう告げた。

 

「特別試験は終了した」

 

その一言が、教室の空気を完全に止めた。

数秒、誰も意味を理解できなかった。

終了。

あまりにも唐突な宣告。

しかも説明も前置きもない。

 

「……は?」

 

須藤が小さく声を漏らす。

軽井沢が顔を上げる。

平田が目を見開く。

教室中の反応が遅れる中で、最も強く揺れたのは堀北だった。

 

「終了……?」

 

思わず口に出たその声には、明確な動揺があった。

当たり前だ。

ここまで来て、あと一歩のところまで追い詰めて、

いや、お互いに追い詰め合っていたその局面が、

突然、外側から切断されたのだから。

堀北はすぐに立ち上がった。

 

「どういうことですか、先生」

 

茶柱は表情を変えない。

 

「そのままの意味だ。

デスノートを用いた特別試験は、この時点をもって終了となる。

以後、各クラスへ配布されていたノートは全て学校側が回収する」

「そんな……」

 

堀北の声に滲んだのは、安堵ではなかった。

あまりにも急に、戦いの意味ごと取り上げられた者の動揺だ。

 

「何の説明もなく、こんな……」

「学校側の判断だ」

 

茶柱は淡々と続ける。

 

「詳細な理由は公開されない」

 

教室がざわつく。

当然だった。

これだけ多くの死者を出し、

学年全体を地獄のような疑心暗鬼へ沈めておいて、理由もなく終わる。

その理不尽さに、生徒たちは怒りより先に呆然としていた。

 

堀北だけは違った。

いや、違いすぎた。

彼女の中では今、この終了宣告は単なる試験の打ち切りではない。

あと一歩で届いたはずの真実が、目の前で扉ごと閉じられたことを意味している。

綾小路を止められるはずだった。

綾小路の管理名へ、あと一歩で届くはずだった。

それなのに、外側から全てが消された。

その事実が、堀北の胸を強く打っていた。

 

「納得できません」

 

堀北の声は静かだったが、明確な怒りがあった。

 

「こんな形で終わるなんて」

 

茶柱はそれにも表情を変えない。

 

「納得する必要はない。試験は終了した。それが全てだ」

 

それ以上、教師は何も語らない。

教室のざわめきだけが広がっていく。

 

その中で、綾小路はただ静かに座っていた。

堀北はその横顔を見た。

驚きがないわけではない。

だが動揺が薄い。

いや、薄いというより、

綾小路は本当に終わったならそれでいいと受け止めている顔だった。

そこに未練も怒りもほとんどない。

それが堀北には信じられなかった。

 

「綾小路くん」

 

気づけば、堀北は小さくその名を呼んでいた。

綾小路が視線だけを向ける。

 

「……これでいいの?」

 

その問いは、責めるようでもあり、縋るようでもあった。

綾小路は数秒だけ黙り、それからごく平坦に答えた。

 

「終わったなら、それでいい」

 

その一言は、堀北の胸に深く刺さった。

自分はここまで来てなお、答えを欲しがっている。

綾小路を止めたかった。

はっきり終わらせたかった。

なのに本人は、試験が終わったという事実だけで受け入れている。

その温度差が、どうしようもなく堀北を動揺させた。

 

「あなたは……」

 

続く言葉が出ない。

綾小路はそれ以上何も言わなかった。

沈黙だけが残る。

そしてその沈黙こそが、

二人の戦いが決着しないまま終わったことを、何よりはっきり示していた。

 

こうして、デスノートの特別試験は唐突に、忽然と終了した。

何の前触れもなく。

何の説明もなく。

名前を巡る戦いも、記録の追跡も、感情のすれ違いも、

全てが途中のまま切断された。

それは救いだったのか。

あるいは、最悪の未決着だったのか。

少なくとも堀北鈴音にとっては、後者に近かった。

あと一歩で届いたはずなのに、最後の最後で盤面そのものが消えた。

その事実は、堀北の中に深い空白を残した。

一方で綾小路清隆は、本当にそれでいいと考えていた。

試験が終わるなら、それで構わない。

終わった盤面に執着する必要はない。

そう割り切れること自体が、やはり綾小路清隆という人間の異常さを示していた。

 

だが、本当に全てが終わったわけではなかった。

学園の外。

人知れず、別の場所で、この結末を誰よりも愉快そうに眺めている男がいた。

 

綾小路篤臣。

 

ホワイトルームの生みの親であり、綾小路清隆の父。

薄暗い室内で、男は机に肘をつきながら、報告書の最後のページを静かに閉じた。

その口元には、満足げな笑みが浮かんでいる。

 

「見事だ」

 

低く、しかし確かな喜びを含んだ声だった。

 

「知略の極致だけではない。感情の切断、痕跡の処理、

管理名の追跡、盤面整理。清隆は、ついにこの領域にまで到達したか」

 

その声音に、父親らしい温度はない。

あるのは、自らが作った作品を評価する研究者の冷たい喜びだけだ。

 

「最高傑作だ」

 

綾小路篤臣はそう呟く。

 

「学業でも、思考でも、統率でもない。

シリアルキラーとしても、これほど完成度の高い個体に育つとはな」

 

その評価は、祝福ではなく呪いに近かった。

だが篤臣にとっては、そこに違いなどない。

清隆がどんな形であれ極みに達するなら、それは自分の正しさの証明だ。

そんな傲慢さが、男の瞳には静かに宿っていた。

 

そして篤臣は、机の引き出しを開けた。

そこから取り出したのは、一冊の黒いノートだった。

教室で配られたものと同じ、簡素で無機質な表紙。

さらに、その横へ一本のペンを置く。

 

「だが」

 

篤臣の笑みが、さらに深くなる。

 

「どれだけ成長しようと、お前の命はいつでも私が握っている」

 

その言葉には、揺るがない支配の感覚があった。

清隆がどれだけ多くの名へ届こうと、どれだけ盤面の上で人を消そうと、

最後の最後に清隆自身の名へ届く手は、ここにある。

その事実を、篤臣は何より愉しんでいる。

黒いノートの表紙を、男の指先がゆっくり撫でる。

ペン先が、かすかに光を反射する。

 

「埼玉翔也……か」

 

綾小路清隆の管理名。

 

室内は静かだった。

だがその静けさは、物語の幕引きというより、

さらに大きな闇がまだ外側にあることを示す、不気味な余韻そのものだった。

 

綾小路清隆と堀北鈴音の戦いは、決着しなかった。

互いにあと一歩まで迫りながら、制度の側から無理やり終了を宣告された。

一之瀬の優しさも、坂柳の知略も、龍園の支配も、

櫛田の観察も、高円寺の傲慢さも、全ては途中のまま切り取られた。

 

だが、綾小路篤臣だけは別の場所で笑っている。

その笑みは、ここまでの全てを試験結果として受け取る者の笑みだった。

 

清隆は最高傑作になった。

しかも、シリアルキラーとしてまで。

そう喜びながらなお、篤臣は黒いノートとペンを手元に置いている。

息子の命すら、最後には自分が握っているという確信を楽しむように。

 

こうして、デスノートを用いた特別試験の幕は下りる。

だがそれは、全ての答えが出たからではない。

答えの一歩手前で、あまりにも唐突に、あまりにも冷酷に閉じられた幕だった。

教室では試験が終わり、ノートは回収され、日常の形だけが戻っていく。

それでも、一度人の名前が急所になった世界は、もう元には戻らない。

 

誰が誰を追い詰め、誰がどこまで届いていたのか。

誰が本当に勝者だったのか。

その全てを曖昧なまま残しながら、最後の一枚の黒い表紙だけが、

別の場所でまだ静かに開かれる時を待っていた。

 

 




デスノート・オブ・カーストルームは当初、構想がほとんど進んでいませんでした。
自分はだらだらと書いてるうちに筆が乗ってくるタイプなので
あれはああしたい、これはこうしたいと書いてたらいつの間にか完成していました。

4話から最終話にかけて綾小路無双でした。
綾小路が強すぎると監修して頂いた方から指摘を受け、
急遽、堀北を強力なラスボスとして描きました。

頭脳戦や情報戦の作品ではありますが、
本作はそれ以上に綾小路のシリアルキラー(原作でいうキラ)の大量殺人、
坂柳から高円寺まで計5人を次々と殺害していく爽快感をメインにしました。

あと、龍園、高円寺、堀北と、格闘も多かったかも知れません。
綾小路の調査の描写が多かったので、いい塩梅になれたでしょうか。

綾小路の「埼玉翔也」という管理名はネタで書きました。
シリアスにこういうちょっとしたギャグを入れるのも好きなので。

死神は登場しませんでしたが、清隆にとっては篤臣こそが死神です。
「シリアルキラーとしての完成」を喜ぶ篤臣の姿は、
月を面白がって見ていた死神リュークのようでもあり、
月が最終的に逃れられなかった死の運命を支配する存在でもあります。

最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

カーストルーム・オブ・ザ・デッド(作者:戦竜)(原作:ようこそ実力至上主義の教室へ)

ようこそ実力至上主義の教室へを基にした▼「バイオハザード」というホラーゲームの設定を使った長編です。▼時系列は2年生編の6巻から7巻の間くらいです。▼高度育成高等学校で突如として発生したバイオハザード。▼閉鎖された学園は瞬く間に地獄と化し、生徒たちはゾンビや未知のクリーチャーに襲われる。▼綾小路清隆たちは生き残るため、極限状態の中で脱出を図るが――▼その戦い…


総合評価:444/評価:8.76/完結:16話/更新日時:2026年04月10日(金) 00:00 小説情報

カーストルーム・オブ・ザ・デッド2(作者:戦竜)(原作:ようこそ実力至上主義の教室へ)

ようこそ実力至上主義の教室へを基にした「バイオハザード」というホラーゲームの設定を使った長編です。▼時系列は2年生編の6巻から7巻の間くらいです。▼バイオハザードが発生した高度育成高等学校から生還した綾小路清隆たちを待っていたのは、▼ゾンビが徘徊する崩壊した東京だった。▼生存者なき死都で、彼らはハンターやタイラント級B.O.Wとの戦いに再び身を投じる。▼仲間…


総合評価:18/評価:-.--/連載:11話/更新日時:2026年05月08日(金) 00:00 小説情報

ようこそ殺戮至上主義の教室へ(作者:戦竜)(原作:ようこそ実力至上主義の教室へ)

ようこそ実力至上主義の教室へを基に、「バトル・ロワイアル」の設定を使った作品です。▼時系列では1年生編の3学期開始直後(原作8巻くらい)の頃になります。▼綾小路たち生徒160名が最後の一人になるまで殺し合いを強いられる史上最悪の椅子取りゲーム。▼原作のバトル・ロワイアルのように、主人公がヒロインと脱出するようなことはなく、▼完全に最後の一人になるまで殺し合い…


総合評価:160/評価:7.56/完結:13話/更新日時:2026年03月27日(金) 00:00 小説情報

綾小路 in Cクラス(作者:NIES)(原作:ようこそ実力至上主義の教室へ)

WRの最高傑作・綾小路清隆がCクラスに入ったストーリーを書いてみました▼


総合評価:1790/評価:8.51/連載:12話/更新日時:2026年05月05日(火) 21:17 小説情報

よく来たね、ボクだけが勝つ教室に(作者:透明な唐揚げ)(原作:ようこそ実力至上主義の教室へ)

ホワイトルームのカリキュラムを僅か1年でクリアしたモノホンの怪物を平穏な高校生活を望む綾小路くんにぶつける。▼


総合評価:393/評価:7.42/連載:4話/更新日時:2026年04月22日(水) 18:00 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>