携帯魔獣叛乱戦争   作:戦竜

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第十二話-暗涙-

祝祭の華やかさが嘘のように、家の中には澱んだ空気が満ちていた。

一階から響いた「ガタッ」という不吉な音。

それは、神秘の魔獣がもたらす超自然的な脅威ではなく、

もっと卑俗で、もっと救いようのない「人間の醜悪さ」が立てた音だった。

 

水君は、震える手で階段の手すりを握りしめ、一段ずつ闇の底へ降りていく。

台所から漏れる微かな光。そこには、冷蔵庫の扉を乱暴に開け放ち、

獣のような荒い吐息をつきながら中を漁る一人の男の背中があった。

 

「……ない、ねぇじゃねぇか!どこだよ、金はどこに隠してやがる!」

 

男は興奮のあまり、生魚のパックを床に叩きつけ、中身をぶちまける。

その異様な光景に、水君の喉が恐怖でせり上がった。

 

「……お父さん」

 

絞り出すようなその一言に、男が弾かれたように振り向いた。

かつては家族を守る強壮な背中をしていたはずのその男――水君の実父は、

今やギャンブルという毒に身を焼き、眼窩が落ち込み、瞳には濁った狂気だけを宿していた。

 

「あぁ?水君か……。ちょうどいい、金だ、金を出せ!

100万、持ってるんだろ!?闘技場で勝ったって聞いたぞ!」

「……あれは、お母さんの薬代と、生活のための……」

「うるせぇッ!!」

 

言葉が終わるより早く、男の太い腕が空を切り、水君の頬を激しく打ち据えた。

肉のぶつかる鈍い音。視界が火花を散らし、水君の細い体はリノリウムの床に叩きつけられた。

口の中に鉄の味が広がる。

 

「邪魔だ、どけ!」

 

男は倒れ込んだ娘を一顧だにせず、階段を駆け上がった。

その先には、重い病に伏せる妻の寝室がある。

 

「待って……行かないで!!」

 

水君は痛む体を無理やり引きずり、背後から父親の腰に抱きついた。

 

「離せ、この出来損ないが!」

「お願い……お母さんは今、やっと眠りについたの! 刺激を与えたら死んじゃうよ!!」

 

必死の懇願。しかし、金という魔物に魂を売った男に、娘の涙は届かない。

男は苛立ちまぎれに水君を振りほどき、その腹部を無慈悲に蹴り上げた。

 

「ガハッ……!」

 

肺から空気が搾り出され、水君は廊下の隅で悶絶した。

その隙に、男は寝室の扉を乱暴に蹴破った。

 

「おい!!起きろ、金はどこだ!!金を出せ!!」

 

病床で静かに息を整えていた母親は、突然の怒号に飛び起きた。

 

「……あなた、また……麻雀なの?」

「うるせぇ! 今回はデカいんだよ、負け分を払わなきゃ俺の首が飛ぶんだ!

金はどこだよ、タンスか?それとも床下か!?」

 

男は、震える妻の胸ぐらを掴み上げ、激しく揺さぶった。

死の淵を彷徨う病人の体には、あまりにも残酷な暴力。

 

「お父さん、やめて!!」

 

這うようにして部屋に飛び込んだ水君が、再び男の腕に縋り付く。

 

「どけと言っているだろうが!!」

 

男の裏拳が水君の反対側の頬を弾き、彼女は再び床へと崩れ落ちた。

男は狂ったようにタンスの引き出しをすべて引き抜き、中身を床にぶちまける。

衣類、書類、思い出の品々がゴミのように散乱する中、男の手が一つの小さな桐箱を掴み取った。

 

「……ヒヒッ、あったぜ。これなら質屋でいい値がつくはずだ」

 

箱の中から現れたのは、質素だが丁寧に磨かれたプラチナの指輪だった。

 

「やめて!それは……お父さんが、お母さんにあげた……世界に一つの結婚指輪じゃない!」

 

水君の声が枯れる。その指輪は、母が病床にあっても片時も離さず、

心の支えにしていた唯一の「愛の証」だった。

 

「さっきからギャーギャーと……死ねよ、クソガキが!!」

 

男の顔から、完全に人間としての理性が消えた。

彼は倒れ込んでいる水君の上に跨ると、容赦なくその小さな顔面へ拳を振り下ろした。

拳が肉を打つ嫌な音が静かな寝室に響き渡る。

水君の意識は急速に遠のいていった。視界の端で、母が泣き叫びながら、

動かない体を引きずって自分を助けようとしているのが見える。

 

「(ごめんね、お母さん……私、守れなかった……)」

 

水君の口から鮮血が溢れ、彼女の意識は深い闇へと沈んでいった。

 

「水君!! 水君、目を開けて!!」

 

母親の悲鳴が虚しく響く中、男は指輪をポケットにねじ込み、逃げるように部屋を出ようとした。

その時だった。

 

カチッ、という小さな音が、水君の腰にあるベルトから響いた。

持ち主の絶体絶命の危機、そして溢れ出した負の感情に共鳴し、

傷ついたモンスターボールが独りでに開いたのだ。

 

現れたのは、先ほどの試合で満身創痍のはずのシャワーズだった。

その瞳には、自分の命を削ってまで愛し、育ててくれた主人を蹂躙されたことへの、

灼熱のような怒りが宿っていた。

 

「な、なんだお前は……!どけッ、この化け物が!」

 

男が怯えて足を止める。

 

「オーロラ……ビーム……」

 

シャワーズの叫びと共に、口腔から虹色の高エネルギー光線が放たれた。

それは本来、神秘的なオーロラのように美しい技だが、今のシャワーズが放ったそれは、

対象を根こそぎ凍てつかせる断罪の刃だった。

 

「ぎゃあぁぁぁぁ!!」

 

光線は男の肩を掠め、一瞬でその衣服と皮膚を凍土へと変えた。

激痛と恐怖に顔を歪ませた男は、逃げ惑うようにして玄関へと走り、

夜の闇の中へ消えていった。

 

……どれほどの時間が経っただろうか。

 

水君が再び目を開けたとき、部屋には静寂が戻っていた。

腫れ上がった瞼を辛うじて持ち上げると、傍らでボロボロになりながら自分に体を寄せ、

温めようとしてくれているシャワーズの姿があった。

 

「シャ……ワーズ……」

 

弱々しくその頭に触れる。

シャワーズは悲しげな声を上げ、彼女の手を優しく舐めた。

水君は痛む体を引きずり、母の元へと這っていった。

 

「……お母さん。大丈夫? 指輪……取られちゃった……ごめんなさい……」

「いいのよ。いいのよ水君……あなたが無事なら、それだけでいいの……」

 

母は水君を抱き寄せ、二人で声を殺して泣いた。

 

外では、依然として不自然な寒気が街を浸食し始めていた。

フリーザーの影が空を覆い、明日をも知れぬ「叛乱戦争」の狂気が

世界を焼き尽くそうとしている。

しかし、水君にとっての本当の絶望は、魔獣でも戦争でもなく、

信じていた絆が砕け散ったこの部屋の中にあった。

 

水君はシャワーズを強く、壊れんばかりに抱きしめた。

こぼれ落ちる涙は、彼女の頬を伝い、シャワーズの冷たい皮膚の上で凍りついた。

戦う術を持たぬ少女が、この地獄のような世界で流す、人知れぬ、そして最も冷たい涙。

 

その夜、彼女の心の一部は、

フリーザーがもたらす極寒の風よりも深く、凍りついてしまった。




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