海を統べる神、カイオーガが放った無慈悲な終焉の飛礫――『潮吹き』。
その一撃は、鋼鉄の戦艦をも穿つ破壊力を持ちながら、
一人の女性と一匹の龍の肉体を、無数に、執拗に貫いた。
爆炎と水飛沫が沈静化していく中、海面に力なく浮かぶ蒼い影があった。
晴香を背に乗せ、最期まで盾となろうとしたギャラドスだ。
その巨躯には、弾丸のような水の粒が通り抜けた無数の穴が開き、海水が赤黒く染まっていく。
「晴香さん!!晴香さぁぁぁん!!」
水君は、カイリューの背から転げ落ちるようにして、
静止したギャラドスの背へと飛び移った。
そこには、かつて凛として艦隊を指揮していた晴香の姿があった。
誇り高き軍服は無惨に裂かれ、その下の白い肌は至る所から鮮血を噴き出している。
内臓を、骨を、そして何よりも大切な「明日への希望」を貫かれ、
彼女はかろうじてその場に横たわっていた。
水君は震える手で彼女を抱き起こす。温かかったはずのその体は、
降りしきる雨と冷たい海水のせいで、驚くほど急速に熱を失い始めていた。
「晴香さん!目を開けて、しっかりして!!」
「ゲホッ……! ……あ……、水ちゃん……。
私、まだ……死ぬわけには……いかないの……。裕太が……待って……」
血を吐きながら、晴香は虚空を掴もうと細い指を動かした。
その指先が、海中に消えたはずのロケットペンダントを探していることに水君は気づく。
水君は無我夢中で周囲の海面をさらい、波間に漂っていた銀色のペンダントを拾い上げた。
蓋が壊れ、海水に濡れたその中には、あどけない少年の笑顔があった。
「晴香さん、これ……!裕太くんだよ!ここにいるよ!!」
水君は、その写真を晴香の瞳の前に掲げた。
焦点の定まらぬ彼女の瞳が、最愛の息子の姿を捉える。
「……ああ……。裕太……。ごめんね……。母さん……もう……」
晴香の唇が、かすかに震えて弧を描いた。
それは、最期の瞬間に母として見せた、この世で最も優しく、そして悲しい微笑みだった。
次の瞬間、彼女の腕から力が抜け、静かに海面へと垂れ下がった。
向けられていた瞳から光が消え、深い紺碧の闇へと溶けていく。
「晴香さん……晴香さ―――――――ん!!
うわあああああぁぁぁぁぁぁ!!」
水君の絶叫が、荒れ狂う嵐の音をかき消した。
冷たくなった彼女の亡骸を抱きしめ、水君は人目も憚らずに泣きじゃくった。
救 え な か っ た ……
溢れ出す涙が、晴香の血を洗い流していく。
けれど、失われた命が戻ることはない。
人 を 、 命 を 、 護 る た め に 戦 っ て い た
け れ ど
救 え な か っ た
武龍の数百の乗員。浪花艦長。
そして、自分に指揮官としての背中を見せてくれた晴香。
魔獣を倒せば救えると信じていた。強くなれば守れると信じていた。
だが、眼前に横たわるのは、無言のまま冷たくなっていく戦友の姿だけだ。
晴香の死と同時に、彼女の魂と共鳴し続けたギャラドスもまた、その生涯を閉じた。
主を独りで逝かせぬよう、残された僅かな生命力を使い果たしたのだ。
水君は、激しい雨に打たれながら、ゆっくりと上を向き、瞳を閉じた。
頬を伝うのは、雨か、それとも涙か。
悲しみが、鋭い刃となって心を抉る。
しかし、その痛みこそが、死にゆく者が遺した最後のメッセージだった。
負 け る な
心の中に、誰かの声が響いた。
それは晴香の声か、あるいは散っていった兵士たちの願いか。
幾 多 の 悲 し み が
私 の 身 に 降 り か か ろ う と も
自 分 が 正 し い と 信 じ る 道 を 貫 き
け し て 私 は 負 け な い
水君は、ゆっくりと立ち上がった。
先ほどまで子供のように泣いていた少女の姿は、そこにはなかった。
濡れた髪をかき上げ、カイオーガが潜む海面を真正面から睨み据える。
その瞳には、深い悲しみを超越した、静かで烈しい「闘志」の炎が宿っていた。
彼女の背後で、カイリューが呼応するように咆哮を上げる。
進化を経て手に入れたその力は、
今、愛する者を失った怒りによって真の覚醒を迎えようとしていた。
周囲では、残された数少ない護衛艦や潜水艦が、
死力を尽くしてカイオーガへ攻撃を続けようとしている。
しかし、水君は通信機を手に取り、生き残った全軍へ向けて、
低く、しかし有無を言わせぬ威厳に満ちた声で告げた。
「誰も動かなくていい……。私が戦う」
それは、神への宣戦布告。
一人の少女が、人類の未来と、散っていった魂のすべてを背負い、
再び蒼き死神へと立ち向かう。
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