――国鉄本社・総裁室(昭和61年 冬)
その辞令は、あまりにも簡潔だった。
――各鉄道管理局及び関連施設における業務記録整理のため、出張を命ずる。
丸の内、国鉄本社ビル。
総裁室文書課のデスクで、片桐光崇はその一枚の紙を見つめていた。
45歳。組織の中では中堅から管理職へと差し掛かる年齢だが、片桐の佇まいは、使い込まれた万年筆のようにどこか控えめで、しかし芯の強さを感じさせた。
小石川の閑静な街で生まれ育ち、東京都立小石川高等学校から早稲田大学へ。絵に描いたようなエリートコースを歩み、昭和30年代後半、国鉄に入社。当時の国鉄は、戦後復興の旗手であり、誰もが羨む巨大組織だった。
窓の外では、冬の東京が燻んだ光を放っている。
眼下を走る中央線のオレンジ色の車体、そして有楽町方面へカーブを描いて消えていく新幹線の白い残像。そのどれもが、片桐にとっては見慣れた、そして愛すべき「日常」だった。
「国鉄が変わる――」
その言葉が、現実味を帯びた刃となって組織の首筋に突き付けられてから、どれほどの月日が流れただろうか。
分割。民営化。再建。
会議室の重い空気の中で飛び交うのは、血の通わない数字の羅列ばかりだった。
累積債務数兆円。余剰人員数万人。不採算路線の廃止。
効率という名の算盤を弾くたびに、線路の砂利を噛み締めて走る現場の息遣いが、切り捨てられていくような気がしてならなかった。
片桐の仕事は、記録を整理することだ。
膨大な公文書を分類し、保存期間を定め、歴史に残すべきものと廃棄すべきものを分ける。
不要と判断された紙は、シュレッダーの刃にかけられ、文字通り粉々に砕かれる。それが組織における記憶の整理であり、片桐はそれを淡々とこなしてきた。
だが、今回の辞令は違った。
「全国を回れ、ですか」
独り言が、冷えた空気の中に溶けていった。
北海道から九州まで、30の鉄道管理局。
その全てを直接訪れ、散逸しがちな現場の資料を本社に集約し、来るべき「その日」に向けて整理せよという。
それはつまり、国鉄という巨大な家族が解体される前の、最後の戸籍調査のようなものだった。
「国鉄という組織の終わりを、その最前線で見届けて来い」
上層部の意図がどこにあれ、片桐にはそう突き付けられたように感じられた。
昭和61年。
終わり行く季節の中で、片桐の長い旅が始まった。
それは30の魂を巡る旅。
そして、最後の一日に向けて刻まれる、30の秒針を合わせる旅でもあった。