パチパチと枝のはじける音が聞こえる。鬱蒼とした森の中、比較的木の生えてない広いスペースでキャンプをしている男女三人、焚き火をちょうどいい木の棒でつついているのは……もっとも魔族を殺したエルフ、誰が呼んだか『葬送』名をフリーレンと言う。傍で本を読んでいるのは彼女の弟子 フェルン。茶をすすっているのはフリーレンの仲間の弟子 シュタルク。
彼らは大陸最北端である「エンデ」にある魂の眠る地 オレオールを目指すべく旅を続けている。その過程で困っている人がいたら助けたりして報酬として地元に根付いていたり、一族に代々伝わる魔法を貰っている。大概は『あったら便利だけど欲しいかと聞かれると首を傾げざるを得ない魔法』ばかりなのだが……今日も今日とて人助け。また新たな魔法を習得したそうな……
「フリーレン様、今回はどのような魔法を頂いたのですか?」
「ふふ、気になる?気になるよね」
フェルンの問いかけにフリーレンは得意げな顔と共に答える。
(あぁ、今回はかなりくだらない魔法なんだろうな……)
いつもより三割増で魔法を自慢しそうなドヤ顔は彼女を憂鬱にするには充分であった。
「これはね、【パネマジを見抜く魔法】だよ」
「……ん?」
「ブッフォ!」
あまりの衝撃に理解が追いつかなかったり茶を吹き出す2人。当然であろう普段の彼女からは決して飛び出ない言葉が出てきたのだから。
「聞き間違いでしょうか……もう一度お聞きしても?」
「だから【パネマジを見抜く魔法】だよ」
「聞き間違いであって欲しかった……そんな魔法さっさと処分するに限ります」
そういうと同時に魔導書を奪い取るフェルン。そのまま焚き火へ叩きつけ燃やすつもりなのだろう。だがフリーレンもただでやられるつもりはない。彼女は魔法使いとは思えないほど機敏な動きで飛びかかり、本を奪い返し一回転、この間二秒。
「ふふ、フェルンもまだまだだね。この魔法の本質をなんにも分かっちゃいない」
「別にそんな魔法の本質なんて分かりたくもありませんよ」
「仕方ないから教えてあげるよ」
フリーレンはふぅ、とため息をついた。
フェルンはイラッ、とした。
「シュタルクも聞くといいよ。これから話すのはこの世界の歴史において重要なことだから」
「え?俺もォ?」
そんなシュタルクのこぼした言葉に反応せず話を続ける。
「じゃあどこから話したものか……二人とも、フェウイソク帝国って知ってる?」
「いえ、聞いたこともありません」
「フェルンが知らねーなら俺が知ってるわけねーよ」
「それはそうだろうね。だってその国は五百年前に滅んでいるからね」
「「???」」
あまりにも突飛な内容に二人の理解が追いつかない。変な民間魔法の話から歴史から消えた国の話をされたのだから困惑するなと言うほうが難しいであろう。
「あの、何の話ですか?」
「その国は他の周辺諸国を圧倒する軍事力を誇っていたんだ。鎖国していて他国との交流が少なかったけど兵站も自給自足できて、兵力も十分。他の国から支援を受けなくても魔族の軍勢相手に戦線を維持、いやむしろ押し上げていた」
「話が見えねーぞフリーレン」
「さらに財もあり、国民に貧富の差は無かった。世界で一番幸福な国とも言われてたよ。でも滅んだ。なんでだと思う?」
二人の疑問にも答えず話を続けるフリーレン。その様子におかしいと思いつつも二人は彼女の問いに答えた。
「あー……すごい強い魔族が襲ってきたとか?」
「突然酷い政治を始めたとか?」
「ちょっと惜しいかな、正解は不安に駆られた市民によるクーデターだよ」
「不安?」
「先程のお話では貧富の差も無く平和で幸せだったのでは?」
「そうだよ。帝国は平和そのものだったんだ。でも帝国が滅ぶほんの二週間前にある噂が流れた」
「それは『既に魔王が滅びている』という噂だった」
二人は息を呑んだ。
「……魔王が、滅んでいる?」
フェルンが小さく繰り返す。シュタルクも茶の残りをゆっくり置き、声を落とした。
「じゃあ、戦う必要がねぇってことになっちまうのか?」
「そうだよ。平和で裕福で、何一つ不満のない国だった。だからこそ、その噂は一瞬で広がった」
フリーレンは焚き火をゆっくりとつつく。炎が小さく爆ぜ、彼女の白い髪を赤く照らす。
「『魔王はもういない』『じゃあ、なぜ我々はまだ兵役に服さねばならないのか』『税金の多くは軍に使われている』『この平和は本当に魔族の脅威から守るためなのか、それとも……』。そんな声が、わずか数日で街中に満ちた」
「でも、それはただの噂なのでは?」
「ただの噂じゃなかった。不安は急速に膨らんだ。『帝国内のどこかに魔族が潜んでいる』『情報を隠蔽している』『自分たちだけが騙されている』。疑心暗鬼は連鎖し、ついには『皇帝と軍部が国民を家畜のように飼いならしている』という極論まで生まれた」
シュタルクが眉をひそめる。
「……で、クーデター?」
「うん。二週間後には、市民と一部の軍が宮殿を包囲した。皇帝は対話を試みたけど、すでに誰も耳を貸さなかった。血が流れ、帝都は炎上し、帝国は内から崩壊した。周辺諸国が慌てて介入したときには、もう何も残っていなかった」
フェルンが静かに本を閉じる。
「……それから、どうなったのですか」
「他の国々が合同で調査した。残骸から残された記録、生存者の証言、魔力の痕跡。結果は明白だった。あの噂を最初にばら撒いたのは、ただの人間ではなく、魔族だった。しかもただの噂ではない。『嘘を信じ込ませる魔法』が使われていた」
二人の表情が同時に強張る。
「嘘を……信じ込ませる?」
「そう。相手の心に『これは真実だ』という確信を強制的に植え付ける魔法。どれだけ矛盾があっても、どれだけ根拠がなくても、聞いた者はそれを絶対に疑わなくなる。帝国の国民は、その魔法で『魔王はすでに滅びている』という嘘を、魂の底から信じ込まされたんだ」
フリーレンは少し間を置いてから続けた。
「その魔族はすぐに討伐された。そして『嘘を信じ込ませる魔法』は、存在そのものが危険すぎると判断され、記録ごと闇に封じられた。二度と世に出ないようにね」
「……対策は?」
「もちろん作られたよ。『嘘を見抜く魔法』だ。効果は凄まじかった。相手の発言の真偽を、ほぼ完璧に判別できる。国々はこれを緊急に普及させようとしたけど……」
彼女は小さく肩をすくめた。
「必要性が消えれば、魔法も消える。魔王が本当に滅び、魔族の脅威が薄れ、戦時体制が終わると、『嘘を見抜く魔法』も『嘘を信じ込ませる魔法』も、どちらも歴史の闇に沈んだ。誰も必要としなくなったからね」
焚き火がパチパチと音を立てる。
「……で、それが今回の話とどう繋がるんだ?」
シュタルクが先に口を開いた。
「昔の記録から『嘘を見抜く魔法』を復活させようとしたんだ。でも精度が低くくてね。当時使われていたものに比べて、せいぜい三割程度。実用なんて現実的じゃない。村の魔法使いたちは悩んだ末に、ある結論にたどり着いた」
「見抜く嘘の範囲を、極端に限定する」
フェルンが冷静に補完する。
「そう。対象を絞れば精度は上がる。彼らは試行錯誤の末に、たった一つの嘘だけを完璧に見抜ける魔法を完成させた」
フリーレンはふふーんと得意げに本を掲げた。
「それが、この【パネマジを見抜く魔法】だよ」
「……は?」
「パネマジ。それ以外の嘘はまったく見抜けない使えない魔法、でもパネマジに限っては百発百中。村の人たちは『これでもう娼館でハズレを引かないぜ!』と言って喜んでたよ」
フェルンとシュタルクは無言で顔を見合わせた。
「ふーん」
「そうですか」
二人の反応は揃って冷ややかだった。フリーレンは少し不満げに唇を尖らせる。
「もっと驚いてくれてもいいのに」
「そんな魔法、実用性がなさすぎます」
「パネマジ以外に使えねーなら、ゴミじゃねえか」
「ふふ、そうかな?」
フリーレンはゆっくりと二人を見つめた。瞳の奥に、いつもの穏やかさとは違う、微かな光が宿る。
「実は……さっきから、私は二人に『嘘を信じ込ませる魔法』を使っているんだよ」
「「……は?」」
フェルンの手が魔導書から離れた。シュタルクの顔が一気に青ざめる。
「え、ええええっ!? 本気かよフリーレン!?」
「フリーレン様、それは……冗談ですよね? さっき、その魔法は闇に封じられたと……」
「封じられた、と言ったよ。でも、本当に封じられたかどうかは……どうかな?」
二人は同時に立ち上がりかけた。
「待ってくれ! じゃあ今の話全部が……!」
「もし本当に使われているなら、さっきの『封じられた』という話自体が嘘で、魔法は存在する。でももし嘘なら、魔法は存在しないのに、私たちは今それを信じようとしている……?」
フェルンの声がわずかに揺れた。
「……もう分かんないです」
「何が本当で何が嘘なんだよ〜!?」
シュタルクが頭を抱える。フェルンも珍しく表情を崩し、フリーレンを睨みつけた。
「フリーレン様、はっきりしてください」
フリーレンは静かに本を閉じ、焚き火の炎を見つめながら、ゆっくりと口角を上げた。
意味深な、ほんの少し意地悪な微笑みを浮かべ、
「……さぁ、どう思う?」
それだけを残して、彼女は再び本を開き、何食わぬ顔でページをめくり始めた。
パチパチと枝のはじける音だけが、森の夜に響いている。
今夜は眠れそうにないかもね