悪魔に利用されてますが、その悪魔を人に戻すことにしました 作:白井ライ
ミストの成長を見届けたボクは、彼女達と別れ、夜のマリッツァを歩いていた。
「た……助けて――」
ふと路地裏を覗くと、若い女性が組合員の2人組に詰め寄られていた。
「イイじゃねえか。こんな短いスカート履いて、誘ってんだろ?」
「ちょいと一杯付き合ってもらうだけじゃねえか。ほら、遠慮せず――」
明らかに嫌がっているのに、赤ら顔をした男達は引こうとしない。
ちょうどいい。――今夜捧げる“分”は、まだ足りていない。
「イ……イヤ――」
「やれやれ――【チリアット】……!」
黒い針が、空間から滲み出る。
酔っ払った男の一人を、胸ごと串刺しにする。
「キ――キャアアアア……!?」
「兄弟!? テメエ! 弟をよくも……!?」
助けた女性は悲鳴とともにその場でへたり込む。
弟を殺された酔っ払いの男は、頭に血が上り向かってくる。
「へぇ――【カニャッツォ】……!」
逃げる機会を捨てたその選択を――ボクは嗤う。
巨大な犬の顎が、空間を裂いて現れる。
「ガァッ!?」
迫る男を――牙が、噛み砕いた。
「これで2人――」
温かい血を浴びる。またシャツを洗わないといけなくなった。
これで“分”は満たした。
足元の死体を見下ろす。
「あ……あり――」
女性は怯えながらもボクに礼を言おうとする。
――その顔。
恐怖と安堵が混ざった表情。
「……キミを助けたわけじゃない」
低く、感情を押し殺すように呟いた。
ふと、人間時代の記憶が脳裏に一瞬浮かんだ。
ボクに向かって笑みを向ける両親の顔――。
目の前で礼を言おうとする女性と重なった。
「……違う、ボクは――」
遅れて、風が裂けた。
その瞬間には、もう遅い。
「――見つけた♪」
言い終える前に、彼女の頭は宙を舞った。
――遅れて、血が噴き出す。
「アハッ☆」
血でできた大鎌を軽々と振るった彼女は、両断された女性の頭を手で掴む。
月明りの下で、その瞳だけが異様に濁って見えた。
尖った耳にボブカットの黒髪、そして場違いなほど整った顔立ち。
ボクと同じ魔王軍幹部――モレラの姿がそこにはあった。
「やっほ~☆コモくん♪」
彼女は女性の頭を投げ捨てた。
最後の瞬間――女性の表情は絶望に染まっていた。
その表情だけは、見たくなかった。
「ん〜、美味しっ☆」
血で染まった手を顔に近づけ、小さく赤い舌で舐め取る。
「モレラ……」
ボクはゆっくり後ずさりした。
小さな翼を生やしたミニワンピースは、飛び散った血で染まっている。
「奇遇だね〜、同じ町で獲物《にんげんさん》を探していたなんて♪」
「…………」
一方的に話しかけてくるモレラを無視する。
殺した男達を両手で掴むと、そのまま魔王城へ移動しようとした。
「前は1人だけだったしぃ~、イブくんも喜ぶね」
その一言に、歩みを止める。
「……あいつのために殺している訳じゃない」
ボクが反論すると、モレラはボクの元へと歩み寄る。
そして首を傾けて不思議そうに、ボクの顔を覗き込んできた。
「違わないよ? ウチらにとって、にんげんさんが死ぬのが一番楽しいんだから」
顔が近い。
その黒く澱んだ瞳から、目を逸らせない。
「コモくんの殺人は、イブくんの喜びなんだよ?」
「……ボクは、ボクのために人を殺している」
引き下がろうとしないモレラへと、つい反論を重ねてしまった。
「そうだね。まあどっちにしてもイブくんは喜ぶと思うなぁ~」
ボクから離れたモレラは、静かな口調で呟いた。
「流石に“人間時代”の記憶も薄れてきたでしょ? だってどうでもいいもんね♪」
どうでもいい。その一言に怒りがこみ上げる。
「にんげんさんに戻ったら、この美味しい血だって味わえなくなっちゃうし」
モレラはボクが殺した男の死体を踏みつける。
笑っている。滲み出した血を見て、一瞬目の色を輝かせた。
「アハッ! グチャグチャ〜♡」
何度も踏みつける。
理解できない。――いや、理解したくない。
死体の内側が、弾けた。
血が降りかかり、顔が一瞬で赤に染まる。
「いいよね~。にんげんさん達はみんな、死ぬときウチ好みの表情で逝ってくれる……“一人”を除いて」
無邪気に笑っている。罪悪感など、欠片もない。
……こいつは、“あれ”よりも――危険だ。
「それにほら! こっちは肝臓でぇ〜、これは腸!」
さらにモレラは死体をあさる。
おもちゃ箱からお宝を見つけ出した時のように、臓物を引きちぎって取り出す。
死体で遊んでいる。
しかし――臓物を弄ぶ手が、ふと止まる。
「――でも、いくら探っても“心”なんて見つからない……」
その笑みが、ふっと消えた。
空っぽになった死体から、手を離した。
「それとも、無いのかな? 最初から――」
遠くを見る。
その方角――かつて“戦い”があった場所を向いていた。
「ねえ、もっとおしゃべりしたいなぁ〜、あっ! コモくんにもこの血、啜らせてあげるよ☆」
「――お断りだ」
血まみれになった手を、ボクに舐めさせようとしてきた。
「ちぇ、釣れないのー、でも勝手に餌付けしたら、イブくんが嫉妬しちゃうかぁ」
そしてモレラはボクから離れ、背を向けて立ち去ろうとする。
「そー言う訳だから、これからもドンドンにんげんさんを殺していこー☆じゃあねコモくん!」
そして数歩歩いたのち、指を額に当てたモレラは再びボクへと振り返る。
「そうそう、イブくんが探してたってこと、伝えとくね。それじゃ!」
今度こそ彼女は、ボクの前から姿を消した。
「……くっ!」
男の死体を蹴飛ばし、怒りをぶつける。
「……悪魔め」
爪が掌に食い込む。
奥歯が軋む。
「受け入れたくない……あんなおぞましいもの」
あの笑みが――未来の自分に見えた。
いや、ならない。
そう言い聞かせるように、胸の奥で繰り返す。
両親を殺され、悪魔として生きる日々――
ミストさえ育てば、“やり直し”ができるはずだ。
――まだ、戻れる。
……そう信じたい。
殺した男達の死体を掴むと、足元に広がる血だまりを一瞥する。
路地の闇に溶けるように、それは黒く沈んでいた。
「……戻れるのかな。――人間に」
血だまりを踏みしめ、路地裏から立ち去った。