悪魔に利用されてますが、その悪魔を人に戻すことにしました 作:白井ライ
カーヒルの市場で財布を盗まれた帰り道。
あたしとケビンは、ほとんど言葉を交わさないまま――モニカ・ハウスへと戻ってきた。
扉を開けると、薬の匂いと、どこか落ち着く静けさが迎えてくれる。
「あら、お帰り。随分と早かったじゃないか」
待合室の奥から顔を出したのは、白衣姿のモニカさんだった。
あたしの顔を見るなり、眉をひそめる。
「……何かあったのかい?」
見抜かれている。
無理もない。こんな顔をしていれば。
「……はい。実は――」
ちょうど戻ってきたケビンと顔を見合わせ、あたしは市場で起きたことを説明した。
財布を盗まれたこと。
取り戻すこともできず、途方に暮れたこと。
「――なるほどね。それは災難だったね」
話を聞き終えたモニカさんは、腕を組んで小さく息を吐いた。
その表情は同情半分、現実半分といったところだ。
「……それで?」
静かに問われる。
「……ここでの返済、少し待ってもらえませんか?」
自分でも情けないと思う。
でも、今のあたしには――これしか言えなかった。
モニカさんは、じっとあたしを見つめる。
「失った分も含めて――どうやって稼ぐ気だい?」
「……っ」
言葉に詰まる。
魔力がない。
戦えない。
身を守る術すらない。
――働く? どうやって?
「……どうにか、なりませんか?」
気づけば、縋るような声が出ていた。
「治療費もあるし……このままじゃ……」
沈黙が落ちる。
「……はぁ」
やがて、モニカさんは大きくため息をついた。
そして――近くに立てかけてあったモップを一本、あたしに差し出してくる。
「返せるようになるまで、ここで働きな」
「……え?」
「住む場所も貸してやる。その代わり、きっちり働くこと。いいね?」
一瞬、言葉の意味を理解するのに時間がかかった。
「……ありがとうございます!」
気づけば、頭を下げていた。
「ただし」
モニカさんは指を一本立てる。
「借りを返し終えたら、あとは自己責任だ。守ってやれるのはここまでだからね」
「……はい」
その言葉は優しかったけど――同時に、冷たくもあった。
ここは、安全な場所じゃない。
ただの“猶予”だ。
――強くならなきゃ。
そう、思った。
*
それから数日。
あたしはモニカ・ハウスで働くことになった。
「シーツの取り込み、終わりました!」
「ご苦労。それじゃ次は古い倉庫の整理をお願いするよ」
掃除に洗濯、雑用全般。
最初は戸惑ったけど、今ではだいぶ慣れてきた。
この日、あたしは初めて倉庫の整理を任された。
古びた鍵を使い、扉を開ける。
中は――薄暗く、物音ひとつしない。
長い間使われていなかったのだろうか。
物が積み上げられた迷路のような空間だった。
「えっと……薬品の箱を運び出して……」
棚の間を縫うように進む。
背丈より高い棚が並び、少し圧迫感がある。
「あ、これかな――」
目当ての段ボールを見つけ、引き出す。
その奥に――
「……あれ?」
妙に存在感のある“大きな釜”が置かれていた。
「邪魔ね……」
奥の荷物を取り出すため、釜を持ち上げようとする。
その瞬間――
「――っ!? 熱っ!?」
指先に、焼けるような熱が走った。
思わず手を離す。
ガンッ――と鈍い音を立てて、釜が床に転がった。
「なに、これ……?」
恐る恐る覗き込むと――
釜の表面に、文字が浮かび上がっていた。
『ふむ、珍しい娘だ。魔力を持たぬ人間は初めて見た』
「……え?」
文字は、あたしが読み終えるのを待つように――次へと切り替わる。
『私はこの釜に宿りし意思』
「魔法道具……?」
そっと触れた、その瞬間。
――いかにも。
頭の中に、低く渋い声が響いた。
「なっ……!?」
慌てて手を離す。
すると声は消え、再び文字だけが浮かび上がる。
「……触れてる時だけ?」
再び手を置く。
――娘よ、聞こえているか。
「娘じゃなくて、ミストって呼んで」
反射的に返していた。
――では、ミスト。私は錬金釜『アル』だ。
錬金釜――アル。
妙に落ち着いた声だった。
「錬金って……何ができるの?」
――試してみれば分かる。布と革を持ってこい。
「……分かった」
好奇心が勝った。
包帯の切れ端と、捨てられていた古い革靴を持ってくる。
「これでいいの?」
――投入したまえ。
半信半疑のまま、釜の中へ放り込む。
次の瞬間――
眩い光が溢れた。
「……っ!?」
目を細める。
光が収まったとき、そこにあったのは――
「手袋……?」
片腕を覆う、革のグローブだった。
恐る恐る、左手にはめる。
――感じるか。それが私と繋がった証だ。
同時に、何かが流れ込んでくる。
魔力とは違う。
でも――確かに“力”だ。
「これ……!」
胸が高鳴る。
――物質変換。それが私の能力だ。
アルの声が、どこか誇らしげに響く。
*
「遅かったじゃないか」
倉庫から戻ると、モニカさんが腕を組んで待っていた。
「すみません。でも……見てください!」
あたしは左手の錬金グローブを掲げる。
倉庫で起きたことを一気に説明した。
「……見つけちまったかい」
含みのある言い方だ。
モニカさんは、しばらく黙り込んだあと――
「それ、あんたが持っていきな」
「えっ?」
「縁ってやつさ」
「……ありがとうございます!」
思わず声が弾む。
「その代わり」
モニカさんがニヤリと笑う。
「何ができるか、見せてみな」
「……分かりました」
倉庫で見つけた鉄くずを取り出す。
そして――
錬金グローブで握る。
「――っ!」
鉄くずが溶けるように、手のひらへと吸い込まれる。
次の瞬間――
腕に、鉄がまとわりつくように変形していく。
「これ……!」
試しに、拳を突き出す。
空気を裂くような一撃。
重い。強い。
――見事だ。
アルの声が響く。
――名付けるなら、【硬化拳(ソリッド・フィスト)】といったところか。
鉄を媒体に腕を鋼鉄化させる錬金術。
この力を――【錬金空手】と名付けた。
「あっ……」
やがて腕は元に戻った。
「……これなら」
握りしめる。
震えるくらいの高揚。
――戦える。
「ケビン」
「はい」
「あなたの“探索魔術”、役立てて欲しい」
彼がいないと不可能な作戦だ。
「もう一度、市場に連れて行って」
「取り戻すのですね?」
あたしは、はっきりと頷く。
「……戦えますか?」
「戦って、取り返す」
少し間をおいて――
「この世界は――そういう場所でしょ?」
誰も、止めなかった。