悪魔に利用されてますが、その悪魔を人に戻すことにしました 作:白井ライ
カーヒルの市場は、今日も喧騒に満ちていた。
人の波、飛び交う声、擦れ違う視線。
――あの日と、同じ。
「……来る」
小さく呟く。
あたしは歩く。
自然体を装いながら、意識は研ぎ澄ましていた。
――逃がさない。今度こそ。
「……【隙間風】」
背後から、気配。
次の瞬間――
スッ、とポケットが軽くなる。
来た。
ボロ布をまとった小柄な影が、人混みをすり抜けるように駆け出す。
「ケビン!」
「はい――【事跡(チェイサー)】!」
少年の背に、淡い光が刻まれる。
――標的捕捉。
刻印は脈打つように輝き、予測される逃走経路を浮かび上がらせた。
「なっ……!?」
少年が振り返る。
その一瞬の動揺を、あたしは見逃さない。
「逃がさない!」
地面を蹴る。
人混みを裂いて、加速する。
「くそっ……【脱兎】!」
少年は屋台を蹴り、軽やかに屋根へと飛び移った。
さらに――逆さに走る。
重力を無視した異様な軌道。
けれど。
「――上から行く!」
錬金グローブを着けた左手で、用意した鳥の羽を掴む。
「【天空飛翔(フェザー・ボンド)】!」
錬金グローブの触媒となる。
背中に広がる、白い翼。
一気に宙へ――
風を切り裂く。
視界が開ける。
少年の真上へ――一直線。
「っ――!」
体をひねり、そのまま――
叩き落とす!
ドンッ!!
「がっ……!」
屋根を転がり落ち、地面に叩きつけられる少年。
その上に、あたしは着地した。
「――観念しなさい」
押さえ込む。
細い腕。軽い体。
魔力は無くても――
空手で鍛えた腕力には敵わない。
「放せ……っ!」
「もう逃げられない」
冷たく言い切る。
「ケビン!」
「はい!」
駆け寄ってきたケビンが、手早く縄で拘束する。
抵抗は、そこで止まった。
「……はぁ……はぁ……」
少年は荒く息を吐きながら、うなだれる。
あたしは、その顔を覗き込む。
「――あんたよね?」
静かに問う。
「この前、あたしの財布を盗んだの」
沈黙。
視線を逸らした。
認めているのと同じだ。
「うるさい! 放せよ……!」
顔を逸らし、反抗――
パンッ!
「っ……!?」
少年の頬を叩く。
身なりからして分かっている。軽い気持ちでやってない。
それでも――止めなきゃこの先も同じことを繰り返す。
「悪いとは思わないの?」
短く、問いを投げる。
「このまま兵隊さんに突き出してもいいのよ?」
しばらくの沈黙のあと――
「……食わせるためだよ」
絞り出すような声。
「仲間が……腹減らしてんだ」
胸の奥が、わずかに揺れる。
けれど――
「……案内しなさい」
あたしは言った。
「どこにいるの?」
少年は驚いた顔で、あたしを見る。
「いいから」
短く促すと、観念したように頷いた。
*
案内されたのは、薄暗い裏路地だった。
崩れかけた壁。
湿った空気。
「……ここだ」
腕を縄で拘束された少年が呟く。
その先に――
子どもたちがいた。
痩せた体。汚れた服。
「テオ!?」
ひとりが駆け寄る。
その目が、あたしへ向いた。
「……あんたたち、この子の仲間?」
問いかける。
警戒の視線が突き刺さる。
「いい? あんたたちが使ってるその金――」
一歩、踏み出す。
「全部、盗んだものよ」
空気が張り詰める。
「……だからなんだよ!」
少年のひとりが叫ぶ。
「食えなきゃ死ぬんだ! 盗るしかねえだろ!」
その言葉は――正しい。
この世界では。
――だからこそ、だ。
「そんな生き方じゃ恨みを買うだけよ」
あたしは、目を逸らさない。
「恨まれることなんて怖くない!」
「分かってない。盗った分だけ、憎まれるのよ。一生ね」
積み重ねた悪事の数だけ――その身に降りかかる。
「盗めばいい。でもね――その分だけ、世界に敵が増えるのよ」
「……っ!?」
「――そんな生き方でいいの?」
視線を、一人ひとりに向ける。
沈黙。
誰も言い返せない。
「……どうするの?」
最後に、問いかける。
「そのまま生きる? それとも――変わる?」
長い沈黙のあと。
ひとりが、ポケットから何かを取り出した。
金貨。
続いて、別の子も。
やがて――
盗品が、地面に並べられていく。
「頼むわ。ケビン」
「はい。【帰巣(リターン)】」
光が走る。
盗品が、それぞれの持ち主の方向を示す。
「返してきなさい」
あたしは言う。
「ちゃんと謝って」
「……うん」
子どもたちは、小さく頷いた。
「……あんたは?」
テオを見る。
「まだ盗むの?」
「……わかんねえよ」
俯いたままの声。
「どうやって生きりゃいいんだよ」
その言葉に、少しだけ笑う。
「仕事なんて、いくらでもある」
路地の外を見る。
「掃除でも、運びでも、売り子でも」
パッと思いつくだけでも、いくらでもある。
これだけ大きな町ならなおさらだ。
「“ちゃんと生きる”道はね、意外と転がってるのよ」
テオはしばらく黙っていたが――
「……真っ当に生きるよ」
小さく、そう言った。
両腕の縄を解く。
「次はないからね」
「……うん」
財布を取り返す。
軽くなっていたけど――まだ残っている。
「じゃあね」
背を向ける。
「やりましたね!」
表通りに戻ると、ケビンが嬉しそうに言った。
「……まあね」
肩の力が抜ける。
――見逃すとは。随分と甘いな。
頭の中で、アルの声。
「いいのよ」
あたしは即答する。
「変わるなら、それでいい」
空を見上げる。
青い。
「それにしても――便利ね」
拳を握る。
「素材はいるけど、拳を硬くさせたり、翼で飛んだり」
――物質変換には無限の可能性がある。おぬし次第だがな。
アルが低く笑う。
「頼もしいわね」
自然と、笑みが浮かぶ。
「――帰ろっか」
その時。
「あっ……ミスト」
聞き覚えがある男の声。
すぐに振り返った。
「トウマ! ナキリ!」
駆け寄ってくる二人。
「無事でよかった……!」
ナキリが抱きついてくる。
「そっちこそ」
強く抱きしめ返す。
温もり。
ちゃんと、生きている。
「心配したんだからね……」
「ごめん。でも――もう大丈夫」
離れて、笑う。
「わーってるよ。一番傷付いたくせに謝んじゃねえ」
トウマが頭を掻いた。
「2人は退院してからどうしてたの?」
「今、バイトしてんの」
きちんと生活できているようだ。
「俺もライブの準備中だ!」
夢のために働き、お金を貯める。
未来の話をする二人。
それが、眩しい。
「……あたしも頑張る」
自然と、言葉が出た。
「ライブ見に来てくれよな! ぜってー盛り上げるからさ」
「うん、絶対行くから」
「待ってるぜ!」
笑って別れる。
歩き出す。
改めてモニカ・ハウスへ。
足取りは、軽い。
――だけど。
このとき、あたしはまだ知らなかった。
そのとき――遠くでカラスが鳴いた。
1匹。
2匹。
一斉に飛び立つ。
――まるで、何かから逃げるように。