悪魔に利用されてますが、その悪魔を人に戻すことにしました 作:白井ライ
光の届かない地下空間。
湿った空気と、金属の軋む音だけが支配していた。
「……まだ成果なしか」
低く響く声。
重厚な鎧に身を包んだ男が、腕を組む。
「クックッ……そう急くでない」
応じたのは、白衣の老人だった。
皺だらけの口元が、不気味に歪む。
「データは着実に蓄積されておる。失敗もまた、尊き糧よ」
「フン……セーラ、そちらの経過は?」
「……芳しくはないわね」
黒装束の女が、肩をすくめる。
「被検体はどれも脆すぎる。適合率が低すぎるわ」
「と、言うと?」
「“注入”した途端、悲鳴も上げられずに溶けたわ」
中々適合者が現れないことに、女は焦燥している。
「ケッ、手間取らせやがって」
男も吐き捨てる。
「構わん」
科学者――ドクトル・ヴィーアは、愉快そうに笑った。
「いずれ“当たり”は出る。そのための数だ」
そのとき。
――ギィ……。
重い扉が開く。
細い光が差し込み、三人の影を切り裂いた。
「揃っているようだな」
低く、整った声。
三人は一斉に振り返り、姿勢を正す。
「――はっ!」
入口に立っていたのは、上質なスーツを纏った男だった。
整えられた髪、鋭い眼差し。
場の空気が一変する。
「首尾はどうかね」
男は静かに問う。
「わしが魔力の“抽出”を担当」
「私が被検体の確保と“注入”」
「俺が施設の守備だ。抜かりはねえ」
三者三様に報告する。
男はわずかに頷いた。
「――結構」
指先で眼鏡を押し上げる。
「バッシュ、セーラ、ドクトル・ヴィーア」
「はい」
「期限は待つ。だが――」
場の空気が変わる。
「必ずや“例の物”で、最高の個体を完成させろ」
その言葉に、三人の背筋が伸びる。
「お任せを」
「必ず」
「クックッ……ご期待に沿いましょう」
男は踵を返す。
そして、闇へと溶けた。
「――我ら【ダイアモンズ】の名に懸けて」
三人は、影が完全に消えるまで敬礼を続けていた。
*
「ミスト! あんたに客だよ!」
モニカさんの声で目が覚めた。
まだ朝早い。
「はーい……!」
慌てて着替え、玄関へ向かう。
「姐さん! おはようッス!」
そこにいたのは――テオだった。
「あんた……」
思わず目を丸くする。
テオは勢いよく頭を下げた。
「おいら、盗みはやめたッス! だから――」
頼み込まれる。
「子分にしてください!」
「……は?」
何を言ってるの、この子。
「姐さんの生き方に惚れたッス! そばで学ばせてほしいッス!」
真っ直ぐすぎる目だった。
冗談ではない。
本気だ。
「……“姐さん”やめてくれる?」
「無理ッス!」
即答だった。
ため息をつく。
「……話だけなら聞くわ」
部屋に通し、紅茶を出す。
テオは目を輝かせた。
「うまい……!」
「そんなに?」
「こんなの久しぶりッス」
――引っかかる。
「……あんた、元は普通の生活してたの?」
問いに、テオは視線を落とした。
「……ある日、親が消えたんだ」
静かな声。
「探した。でも……見つからなかった」
拳が震えている。
「誰も行方を知らない。いつか帰って来るって思ってたけど……」
テオから悔しさを感じる。
そうか、それで一人で――
「……でも、待ってても帰ってこなかった」
「――連続失踪事件ですね」
振り返る。
ケビンが立っていた。
「ここ半年、不可解な失踪が増えています」
淡々とした口調。
「一家ごと消えた例もある。原因は不明のままです」
「……さらわれてる?」
「可能性は高いでしょう」
空気が重くなる。
「……取り返したい」
テオが顔を上げた。
「強くなりたい。姐さんみたいに」
その目は、あの時と同じだった。
――必死だ。
「……空手でいいなら、教える」
気づけば、そう言っていた。
「本当!?」
「ええ。でも厳しいわよ」
「望むところ!」
こうして――
あたしの“弟子”ができた。
*
「――突く!」
「はっ!」
庭に、乾いた音が響く。
「背筋! 丸まってる!」
「はいっ!」
テオの姿勢を直す。
「これが基本。【正拳突き】」
ゆっくり見せる。
真似させる。
何度も繰り返す。
「打ってごらん」
「はい! 【拳影突き】!」
腕を引き絞り、拳を振るう。
構えるあたしはそれを受け止める。
まだ粗い。軌道も読める。
それでも――芯だけは、確かに通っていた。
「その調子よ」
飲み込みが早い。
「いいわね。いずれは魔物相手に打つことになるわよ」
テオは体を硬直させる。
「魔物に……」
その目には恐怖が滲んでいた。
「家族を取り戻すんでしょ?」
改めて彼の覚悟を問う。
「…………」
沈黙。
「別に……あんた一人で取り戻そうって話じゃないわよ?」
一歩踏み出す。
「あたしもできることは協力する」
彼は顔を上げた。
もう不安は――ない。
「はいっ!」
再び特訓を再開した。
数日後――
「いきます……!」
テオが構える。
「来なさい」
受けの構え。
「【拳影突き】!」
テオが動いた。
この数日、何度失敗しても挑んだ技だ。
ゆらりと、だが確実に、手のひらへと当たる。
「っ!?」
気づいたときには、衝撃が走っていた。
体が吹き飛ぶ。
「姐さん!?」
「……大丈夫」
立ち上がる。
当たる直前まで読めなかった。
するりと相手の懐に入り込み、衝撃――。
“盗む”ように、奪い取る一撃。
「……才能あるわね」
正直、悔しい。
「やった……!」
テオが笑う。
その笑顔は、子供だった。
「ひとまず基本の型は習得できたわね」
これ一つあるだけでも違ってくる。
立派な特技だと、彼を誉めようとした。
「ミストさん!」
ケビンが駆け込んでくる。
顔色が悪い。
「市場で魔物が――!」
「なっ……!?」
街中で?
街の真ん中に発生するなんて聞いたことが無い。
「どこからか現れて……」
誰かの手引き?
そうとしか思えない。
「行くわよ、テオ!」
「はい!」
走り出す。
胸の奥がざわつく。
――嫌な予感がした。
この街には“何か”がある。
失踪事件とも、どこかで繋がっている気がした。
誰にも気付かれない場所で蠢いている“何か”と――