悪魔に利用されてますが、その悪魔を人に戻すことにしました   作:白井ライ

26 / 30
侵食

 壁に叩きつけられたミストは、ゆっくりと顔を上げた。

 

 視線の先で――

 

 バッシュの鎧が、黒く染まっていく。

 

 滲み出す魔力が、鎧を“侵食”していく。

 

 表面が泡立ち、歪み――

 

 ――そこに“顔”が浮かび上がった。

 

 笑っている。

 ――不快を催す悪魔の顔が。

 

 気持ち悪い――

 だが――飲み込む。

 

「この感じ……っ!」

 

 ケビンが息を呑む。

 

「市場に出た魔物と同じだ……!」

 

 人間を核に、魔物の力を被せた存在。

 

 あの時と、同じ――

 

「クク……その通りダ」

 

 低く、濁った声。

 

 もはやそれは、バッシュ本人のものではなかった。

 

「あの魔物にハ……俺の魔力も混ぜてやっタ……」

 

「……そういうこと」

 

 ミストは壁に手をつき、立ち上がる。

 

 全身が軋む。

 

 だが――倒れるわけにはいかない。

 

「この【イビル・メイル】デ――」

 

 黒い魔力が渦を巻く。

 

「お前達ヲ、皆殺しダァ!!」

 

 大剣が振り下ろされる。

 

「姐さん!」

 

 テオの叫び。

 

 だが、魔力は足りない。

 

(間に合わない――!)

 

「くっ――【試薬投与(ケミカル・ウェポン)】!」

 

 脚のベルトから試験管を抜き取る。

 

「【氷結】!」

 

 叩き割った瞬間、白い霜が爆ぜた。

 

「ナッ……!?」

 

 バッシュの身体が、鎧ごと氷に閉ざされる。

 

 動きが止まった。

 

 だが――

 

(残り、二本……)

 

 息を整える暇もなく、構え直す。

 

「こいつ……!」

 

 凍りついたはずの巨体が――軋む。

 

 ビシッ、と氷に亀裂が走った。

 

「うオオォォッ!!」

 

 粉砕。

 

 氷が弾け飛ぶ。

 

「効かねエ! この鎧の前ではナァ!!」

 

 大剣に黒い魔力が収束する。

 

「【イビルスラッシュ】……!」

 

「っ――!」

 

 横へ飛ぶ。

 

 直後、黒い斬撃が床を裂いた。

 

 石床が抉れ、深い亀裂が走る。

 

「次こそ終わりダ」

 

 迫る巨体。

 

 圧倒的な質量と殺意。

 

(……なら――)

 

 ミストは静かに息を吐いた。

 

 錬金グローブをはめた手の中指を、折る。

 

(“とっておき”を使うしかない――)

 

「僕達も戦います!」

 

 ケビンが前へ出る。

 

 魔法の虫眼鏡を構えた。

 

「【検視(アナライズ)】――!」

 

 視界が開ける。

 

 構造、流れ、歪み。

 

「――鎧の隙間です! そこが弱点!」

 

「だったら……!」

 

 もう一度、コモエディアから託されたナイフを左手で握る。

 

「【硬化剣(ソリッド・ダガー)】……!」

 

 錬金グローブが光る。

 

 刃が伸び、変質する。

 

 短剣は、剣へと姿を変えた。

 

「小手先ガァ……!」

 

 バッシュが踏み込む。

 

 だが――

 

「出し惜しみは無しよ」

 

 試験管を握り潰す。

 

「【試薬投与(ケミカル・ウェポン)】――【拳雷】……!」

 

 雷が走る。

 

 剣身を青白く包み込む。

 

(これで――終わらせる!)

 

「終わりダァ! 【イビルスラッシュ】!!」

 

「倒す――【纏雷・刺突】!!」

 

 激突――その瞬間。

 

「なっ……!?」

 

 彼の身体がよろめく。

 

「【脱兎】――姐さん!」

 

 テオが割り込んだ。

 

 体当たり。

 

「今です!」

 

 ケビンの声。

 

「【事跡(チェイサー)】! 急所はそこ!」

 

 視界に軌道が走る。

 

 線が、導く。

 

「――貫けぇぇぇっ!!」

 

 音が消えた。

 時間だけが、わずかに遅れる。

 

 そして――

 

 鎧の隙間へ、突き込んだ。

 

 雷が、弾ける。

 

「ガ――ッ……!?」

 

 衝撃が内部へと炸裂する。

 

 バッシュの身体が大きく仰け反る。

 

 剣を引き抜いた瞬間――

 

 血が、噴き出した。

 

「ぐ……ぁ……」

 

 膝が崩れる。

 

 巨体が、揺れる。

 

「俺は……こんな……ところで……」

 

 黒い魔力が、崩れていく。

 

 鎧の顔が、歪む。

 

「クソ――ガッ……」

 

 搾りだそうとした声は濁り、黒い魔力に飲み込まれた。

 

 そのまま前のめりに倒れた。

 

 重い音。

 

 それきり――動かない。

 

 鎧はひび割れ、崩れ――

 黒い霧となり、音もなく消えた。

 

「はぁ……っ、はぁ……っ……」

 

 ミストの肩が上下する。

 

 額から汗が滴る。

 

 アテルラナ以来の強敵だった。

 

「……死んだ……?」

 

 テオが呟く。

 

「……ええ」

 

 短く答える。

 

「仕方なかった」

 

 そう言いながら――

 

(……慣れたくない)

 

 胸の奥で、何かが軋んだ。

 

 特に人の命を奪うことに。

 

 慣れてはいけない。

 

「強かった……」

 

 錬金素材を大量に消費した。

 

 鋼鉄の拳も、魔術の試験管も残り1回ずつ――

 

「……行くわよ」

 

 振り返らない。

 

 前へ進むしかない。

 

*

 

 暗く湿った研究室。

 

 サイレンが鳴り響く。

 

「……やられたか」

 

 ドクトル・ヴィーアは、静かに呟いた。

 

 だがその目は――笑っている。

 

「実に興味深い」

 

 培養液に満たされた巨大な容器を見上げる。

 

「人間が魔へと至る過程……」

 

 視線がブレることなく、魔物へ注がれる。

 

 瞬間――耳元まで裂けた口が、吊り上がった。

 

「最早“人間”という枠に、価値などありません」

 

「……どういうことだね?」

 

 背後で、商会の会長が低く問う。

 

「魔物に匹敵するなら、人の身など不要です」

 

「違う。腕利きの用心棒と聞いていたが?」

 

「いやはや」

 

 肩をすくめる。

 

「出来の悪い奴らで申し訳ない」

 

 謝罪は軽い。

 

 だが、その手は止まらない。

 

「ですが――ご安心を」

 

 操作盤を叩く。

 

 ガコン、と音が鳴る。

 

 培養槽が開いた。

 

 青白い液体が溢れ出す。

 

「今こそ“完成体”をお見せしましょう」

 

 床へと落ちた二つの影。

 

 一つは――無数の蛇を生やした異形。

 

 もう一つは――両腕が鎌と化した怪物。

 

「ならば挽回しろ」

 

 会長は眼鏡のレンズを白く光らせる

 

 そして低い声で命令した。 

 

「侵入者を――排除せよ」

 

 その表情は冷酷だ。

 

「御意」

 

 魔物たちは、音もなく動き出した。

 

*

 

 地下通路。

 

「……あれは?」

 

 最初に気づいたのはテオだった。

 

 ズズ……と、這う音。

 

 暗闇の奥から、二つの影。

 

「魔物……?」

 

 ケビンが魔法の虫眼鏡を構える。

 

「【検視(アナライズ)】――」

 

 そして――

 

「……え?」

 

 言葉を失った。

 

「どうしたの?」

 

「……この魔力……」

 

 テオを見る。

 

 魔物を見る。

 

 交互に。

 

「まるで……同じ……」

 

「何言って――」

 

「やるしかない!」

 

 テオが駆け出す。

 

「待っ――!」

 

 止まらない。

 

「【乱風双牙】!!」

 

 刃が舞う。

 

 風が裂く。

 

 肉を斬り裂く。

 

「ウッ――テ……」

 

 声。

 

 ――人の声。

 

「……え?」

 

 テオの足が止まる。

 

 肉が、剥がれる。

 

 顔が、露出する。

 

 床に、崩れ落ちた――

 

「……お父さん……?」

 

 声を震わせ、絞り出した。

 

 もう一体。

 

 蛇の怪物が、ゆっくりと顔を晒す。

 

「お……お母さん……?」

 

 手から、短剣が落ちた。

 

 カラン――乾いた音が、やけに大きく響いた。

 

「そんな……」

 

 現実が、崩れる。

 

「テオの……両親……!?」

 

 ミストが息を呑む。

 

「最悪です……」

 

 ケビンが震える。

 

「魔力が完全に適合している……」

 

 もう戻れません。

 

 その一言が、胸の奥に重く沈んだ。

 

「お父さん……お母さん……」

 

 テオが歩み寄る。

 

 その瞬間。

 

「ウ――グオオッ!」

 

「危ないっ!!」

 

 ミストが飛び出す。

 

 突き飛ばす。

 

 鎌が振り下ろされる。

 

 床が裂ける。

 

「テオくん! ミストさん……!」

 

 ケビンの呼びかけに応じた。

 

「ええ……テオ!」

 

 呼びかける。

 

「戦わなきゃ――」

 

「無理だよ!!」

 

 叫び。

 

「助ける方法……あるよね!?」

 

 縋る声。

 

(……あるの?)

 

 ミストの拳が震える。

 

 敵だ。

 

 分かっている。

 

 でも――

 

(あたしが……この子の親を……?)

 

「それは――」

 

 言葉が出ない。

 

 その時。

 

 光が走った。

 

「避けて!!」

 

 ケビンの叫び。

 

 咄嗟に転がる。

 

 光線が床をなぞる。

 

 通った後が、岩のように硬直。

 

 当たれば――終わり。

 

「どうすれば……」

 

 テオは、もう戦えない。

 

 前には魔物。

 

 後ろにも戻れない。

 

 逃げ場はない。

 

 そして――

 

 “どちらかを捨てる”という選択だけが、残された。

 

(……やるしかないの?)

 

 ミストは、歯を食いしばる。

 

 震える拳を、無理やり握り潰す。

 ――どちらかを、選ばなければならない。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。