第五ピリオド終了後、私は静かに端末を閉じた。
議論はひとまず区切られた。
ひとまず、である。
実際には区切られたというより、
これ以上続けると確実に疲労と苛立ちが精度を上回るという判断に過ぎない。
「休憩を入れます」
私がそう告げると、ラウがわずかに笑った。
「今回は、ずいぶん早いね」
「前回までの経験則に基づく判断です」
「賢明だ」
ボスヤスフォートが低く言う。
「逃げるなよ」
ディオが言った。
「逃げではありません。
休憩です」
「同じようなものだ」
「違います」
私は空になったカップを脇へ寄せ、卓上の空気を少しでも切り替えようとした。
その時だった。
「ならば」
低く、よく通る声が、そこでようやく満足そうに響く。
「今回は、ぼくが出そう」
私は顔を上げた。
ディオ・ブランドーは、最初からそのつもりだったらしい。
椅子にもたれたまま、不遜で、退屈そうで、それでいて奇妙に機嫌が良い。
その機嫌の良さが、嫌な予感しかしない。
「ご用意があるのですか」
私は確認した。
「当然だ」
ディオは口元を歪める。
「休憩というのは、少しは優雅であるべきだろう」
「貴方の口から“優雅”という単語が出ると、少し警戒します」
私は言った。
「失礼だな」
「事実です」
ディオは鼻で笑い、足元から細長い箱を取り出した。
それは漆黒の外装に、金の細い縁取りだけを施した箱だった。
派手ではない。だが目を逸らしにくい。
その点だけでも、妙に本人に似ている。
蓋がゆっくりと開く。
中に並んでいたのは、透明なクリスタルグラスだった。
それぞれの中には、深い紅色のジュレが静かに光を閉じ込めている。
黒薔薇を模した食用花が一輪ずつ添えられ、
表面にはごく小さく金箔が散らされていた。
数秒、卓上が沈黙する。
見た目だけなら、文句のつけようがなかった。
「……綺麗ですね」
と、私は言った。
「だろう?」
ディオは当然のように答える。
「見苦しいだけの食い物は趣味ではない」
「趣味が悪い方向で整っているな」
ボスヤスフォートが低く言った。
「いや、美しいよ」
ラウが目を細める。
「いかにも君らしい。
完璧に飾られているのに、どこか生々しい」
シックスは楽しそうに笑った。
「なるほど。
君は“味”だけじゃなく、“意味”まで食べさせるつもりなんだね」
「そうだ」
ディオは頷いた。
「ようやく話の分かる者がいたな」
私は記録端末を開いた。
「名称をお願いします」
ディオは一拍、間を取る。
その間さえも演出なのが腹立たしい。
「鮮血のジュレ『100年の孤独』」
沈黙。
「嫌な名前ですね」
私は真顔で言った。
「褒め言葉として受け取っておこう」
「褒めていません」
「分かっている」
ラウが静かに笑う。
「“百年”とは、ずいぶんと含みのある数字だ」
ディオは口元を吊り上げた。
「眠りは長かった。
渇きもまた、長かったということだ」
「説明が不穏です」
私は言った。
「美とは、少しばかりの不穏を含んでこそ完成するのだ」
「また始まったな」
ボスヤスフォートが言う。
「今回は、ずいぶん自分語り寄りだ」
シックスも笑っている。
私はグラスを一つ手に取った。
冷たい。
表面に曇りひとつなく、深紅の色だけが、
こちらの指先をかすかに染めるように見えた。
「一応確認します」
私は言った。
「これは一般的な意味でのジュレですか」
「何だ、その確認は」
「必要です」
ディオは露骨に面倒そうな顔をしたが、やがて答えた。
「ザクロ、カシス、ベリー。
それに少しばかり工夫を加えてある」
「“少しばかり”の定義を確認したいのですが」
私は聞いた。
「安心しろ。
毒ではない」
「前例上、安心材料になっていません」
シックスが吹き出した。
「たしかに」
「貴様まで笑うな」
私は人数分を配し、卓上へ置いた。
ラウはすでに面白そうにグラスを眺めている。
ボスヤスフォートは警戒を崩していない。
シックスは、これから何が起こるか楽しみにしている顔だ。
一番ろくでもない。
「どうぞ」
と、私は言った。
「今回は、まだ食べ方診断の類は付属していないと期待します」
「君はまだ根に持っているんだね」
ラウが微笑む。
「当然です」
最初に口をつけたのはラウだった。
小さな銀のスプーンで少しだけすくい、舌の上へ運ぶ。
次いでシックス。
ボスヤスフォートも、仕方ないという顔で一口。
ディオは、当然のように自らの品を味わう。
最後に、私も少しだけ口にした。
冷たく、滑らかだった。
最初に来るのは、濃厚な果実味だ。
ザクロの酸味、ベリーの甘み、カシスの重さ。
上等で、整っていて、確かに美味い。
――が。
飲み込んだ後にだけ、妙な余韻が残る。
ほんのわずか。
だが、無視しきれない。
舌の奥に、鉄を思わせる、乾いた金属的な気配。
私はゆっくりと顔を上げた。
ラウが、先に微笑んでいた。
「なるほど。
上品だが、後味が嫌に生々しい」
ボスヤスフォートも低く言う。
「……趣味は悪いが、完成度は高いな」
シックスは楽しそうに頷いた。
「うん。
見た目で油断させておいて、最後に意味を残す。
実に君らしい」
私はディオを見る。
「確認します」
と言った。
「この鉄のような余韻は、意図的ですか」
ディオは心底愉快そうに笑った。
「当然だ。
ただ甘いだけで終わるなら、こんなものを出す価値はない。
百年の眠りの後に覚える渇きというものは、ただ芳醇なだけでは足りん。
舌の上に、少しばかりの“不穏”が残ってこそ、それらしい」
「それらしい、とは」
私は聞いた。
「想像に任せよう」
ディオは言った。
「嫌な任せ方ですね」
「いいではないか」
ラウが静かに言う。
「こういう曖昧さのほうが、かえって生々しい」
「貴方は面白がりすぎです」
私は言った。
「そうかな」
シックスがスプーンを置く。
「でも、これで分かったよ。
君のもてなしは、気遣いではなく支配なんだ」
ディオはわずかに顎を上げた。
「何が違う」
「大違いさ」
シックスは笑う。
「ボスヤスフォートの菓子は、場を整えた。
ラウの菓子は、こちらを観察した。
君のこれは、こちらに“君の美意識”を飲み込ませている」
「悪くない解釈だ」
ディオは認めた。
「客とは、多少なりとも主人の趣味に従うものだろう」
「貴方の場合、“多少”では済んでいません」
私は言った。
ボスヤスフォートが低く言う。
「もてなしとは、相手を寛がせるためのものだ」
「それは貴様の流儀だ」
ディオは即座に返した。
「ぼくの流儀では、客にただ安らがせるだけでは足りん。
記憶に残るものでなければ、出す意味がない」
「記憶には残りますね」
私は言った。
「不快感込みで」
「結構」
ラウがくすりと笑う。
「いや、実に君らしいよ。
美しく、上等で、わざわざ意味まで悪い」
「褒めすぎだ」
ディオは言う。
「褒めているとも限らない」
ラウは微笑んだ。
私は内部メモを開いた。
第三回休憩。見た目の美しさで警戒を鈍らせ、説明で不快感を完成させるタイプの差し入れ。
少し考え、さらに一行。
補記:味は非常に良い。そこが余計に腹立たしい。
「今、何を書いた」
ディオが聞く。
「休憩記録です」
「嫌な予感しかしないな」
「健全な予感です」
シックスがまた笑う。
「君、だいぶ平然と刺すようになったね」
「環境要因です」
「主に誰のせいだ」
ボスヤスフォートが言う。
「主に皆様です」
ラウがグラスを揺らしながら、どこか楽しそうに言った。
「しかし、これでだいぶ揃ってきたね」
「何がです」
私は聞いた。
「休憩の性質さ。
ボスヤスフォートは格式。
私は観察。
ディオは美意識による支配。
そして残るは――」
「言うまでもない」
と、シックス。
私はその先を考えて、一瞬だけ目を閉じた。
言わなくていい。
本当に言わなくていい。
ディオが、その反応を見て愉快そうに口元を歪める。
「何だ。
次の休憩がそんなに怖いか」
「怖いという表現は避けます」
私は言った。
「では?」
「予測可能な意味で不安です」
シックスは穏やかに微笑むだけだった。
一番嫌な反応である。
私は話題を戻すために、端末を閉じた。
「休憩はあと三分です。
その後、第六ピリオドへ移行します」
「次の議題は」
ボスヤスフォートが聞く。
私は一覧を確認する。
「戦争と悪意は必要か」
数秒、沈黙。
それからディオが笑った。
シックスも笑う。
ラウは目を細め、ボスヤスフォートは深く息を吐いた。
「なるほど」
ラウが言う。
「次は、かなり危険だね」
「だから先に糖分を入れておいた」
ディオは平然と言った。
「その“糖分”に鉄の余韻がついてくるのが問題です」
私は言った。
「贅沢を言うな」
「休憩に贅沢な不穏さは求めていません」
ボスヤスフォートは低く言う。
「次の議題では、誰か一人くらいは機嫌良くなるのではないか」
「すでに一名、かなり嬉しそうです」
私はシックスを見た。
シックスは隠しもせずに微笑んだ。
「悪意の話だろう?
楽しみでならないよ」
「でしょうね」
私は内部メモに、最後の一行を追記した。
補記:休憩としては不穏。
ただし、次の議題に入る前の空気としては、妙にふさわしい。
その下に、さらに短く書く。
補記:血の匂いがした。比喩ではなく。
「今のは声に出ていたぞ」
ラウが言う。
私は顔を上げた。
「どこまでですか」
「“比喩ではなく”まで」
シックスが答える。
「最悪です」
ディオは満足そうに笑う。
「ならば、今回の差し入れは成功だな」
「その成功基準を採用した覚えはありません」
「だが、印象には残っただろう」
「ええ」
私は認めた。
「非常に腹立たしい形で」
ラウが静かに笑い、ボスヤスフォートは低く唸る。
シックスは、まるで次の回のことしか考えていない目をしていた。
私は端末を開き直す。
休憩は終わる。
そして次は、悪意と戦争の話だ。
この場において、それが穏当な議題として成立するはずもない。
だが、ここまで来た以上、進めるしかない。
たぶんそれもまた、少し愚かなことなのだろう。
もっとも、この卓に着いている時点で、今さらだった。