第一ピリオド終了後の空気は、
休憩を挟んでいないにもかかわらず、
すでに一度壊れた会議のそれだった。
誰も自分の意見を撤回していない。
誰も他者の意見を認めてもいない。
にもかかわらず、
全員が「この場で最も理性的なのは自分だ」と確信している顔をしている。
実に疲れる。
私は記録端末の表示を切り替えた。
議題欄の次段を開く。
第二ピリオド 理想の人類とはなにか
「では、第二ピリオドに入ります」
私がそう告げると、ディオがわずかに口元を歪めた。
「理想、か。くだらぬ言葉だな」
「そう思われるなら、それも含めてご発言ください」
「最初からそう言え」
「最初からそのつもりです」
私は続けた。
「先ほどの第一ピリオドでは、人類の存続可否について、
それぞれの基本的立場を確認しました。
ここではもう一歩踏み込みます。
皆様にとって、理想的な人類とはどのようなものか。
できるだけ具体的にお願いします」
「具体的に、だと?」
シックスが楽しげに目を細めた。
「それはまた、随分と残酷な注文だ」
「この場では適切な注文です」
「理想などというものは、現実を裁断する刃物だからね」
ラウが穏やかに言う。
「詩的な前置きは不要です」
私は先回りして切った。
「中身からお願いします」
ラウは少しだけ肩をすくめた。
やや不満そうだったが、進行優先である。
「では、今回は順を変えます。最初は――ボスヤスフォート様」
内部メモ上ではボスやん。
だが口に出すほど、私はまだ疲れていない。
ボスヤスフォートはゆっくりと指を組み、卓の中央へ視線を落とした。
「理想の人類、か」
それは、先ほどまでの応酬よりも少し低い声だった。
思考に入る時の声だと判断する。
「理想とは、完成を意味せぬ。
欠点を失った存在など、人でも民でもない。
自らの愚かさを知り、それでもなお共同体を築き、
役割を果たし、
次代へ何かを残そうとする
――そのような者たちが積み重なってこそ、国は成る」
私は記録する。
「理想の人類とは、
己の限界を知りつつも秩序を保ち、
責任を引き受ける存在。
そういう理解でよろしいですか」
「概ねその通りだ」
ボスヤスフォートは頷いた。
「強き者は驕らず、弱き者もまた腐らず、
それぞれの持ち場で生をつなぐ。
治める者と治められる者、
支える者と支えられる者、
そのいずれもが己の役目を自覚している状態が望ましい」
「ずいぶんと整然としているな」
ディオが鼻で笑った。
「まるで兵隊の整列だ」
「秩序を嫌うのは、秩序の上に立つ術を知らぬ者だけだ」
ボスヤスフォートが即座に返す。
「割り込みです」
私は言った。
「ただし、発言内容自体は後ほど有効活用します」
ディオがこちらを見た。
その目は「今のは何だ」と言っていたが、説明は省く。
「続いて、シックス様」
ゾディア・キュービックは、待っていたと言わんばかりに笑みを深めた。
「僕にとって理想の人類は、とても単純だよ」
その“単純”ほど信用ならないものはない。
「脆さを言い訳にしない人類だ。
傷つけられれば壊れる、
恐怖に晒されればすくむ、
悪意を向けられれば恨む
――そんな反応自体は当然だ。
だが、そこで止まるものはいらない。
理想なのは、悪意によって試され、淘汰され、なお進み続ける種だ」
「種、と」
私は復唱した。
「そう。個人でも、集団でもいい。
肝心なのは、守られて育つことじゃない。
削られ、磨かれ、より強く、より鋭く変質していくことだ。
痛みを避ける人類ではなく、
痛みを素材にできる人類。僕はそれを美しいと思う」
沈黙が落ちる。
先ほどまでと違う種類の沈黙だった。
あまりにも自然に、あまりにも楽しげに、
恐ろしいことを言う者の前では、人は一度だけ言葉を失う。
「なるほど」
と、ラウが先に言った。
「実に君らしい。理想を語っているのに、そこに安息がひとつもない」
「理想に安息が必要かい?」
シックスが笑う。
「それは現状維持を望む者の発想だ」
「記録します」
私は言った。
「理想の人類とは、悪意と淘汰を経てもなお変化と前進を続ける存在」
「うん。ずいぶん穏当になったね」
「議事録ですので」
「いや、怖さが薄れて助かる」
ディオがぼそりと言った。
私は一瞬だけ顔を上げた。
「今、ディオ様が他者の意見について
“怖い”という人間的感想を述べました」
「貴様……」
「記録はしません」
「当然だ」
「次に、ラウ様」
ラウ・ル・クルーゼはわずかに顎を引き、目を伏せた。
まるで黙祷でも始めるような入り方である。
「理想の人類、ね」
その声音には、嘲りとも哀れみともつかない柔らかさがあった。
「私にとって理想とは、欠陥のない存在ではない。
むしろ逆だよ。
自分が愚かで、欲深く、壊れやすく、
争わずにはいられない生き物だと知っていること。
そのうえでなお、誰かのために手を伸ばそうとすることだ」
私は少しだけ意外に思った。
おそらく他の三人も同じだったのだろう。
卓上の空気がわずかに変わる。
ラウは続けた。
「人は美しくない。清くもない。
理性だけで世界を保てるような高尚な生き物でもない。
だが、自らの醜さを知らぬまま善を気取るより、
己の闇を知ったうえで、
それでも他者へ希望を託せる者のほうが、
はるかに人間的だと私は思うのだよ」
「……存外、甘いことを言うな」
ディオが目を細めた。
「甘い?」
ラウは微笑む。
「違うな。期待していないからこそ、ほんの少しの意志を貴く思うのさ」
シックスが頬杖をつく。
「つまり、“理想の人類”とは、壊れながらも綺麗事を捨てきれない存在、ということか」
「そう切り捨てると、君の発言よりよほど残酷に聞こえるね」
「実際、残酷だろう」
「記録します」
私は割って入った。
「理想の人類とは、
自らの愚かさと闇を自覚したうえで、
なお他者に希望を託そうとする存在」
「うん、いいまとめだ」
ラウが言う。
「少し綺麗すぎるが」
「議事録ですので」
ここまで来て、ようやく私は最後の一人へ視線を向けた。
「では、ディオ様」
ディオ・ブランドーは最初から退屈そうだった。
しかしその退屈の下で、ずっと他者の発言を測っていたのも分かっていた。
彼は椅子の背にもたれたまま、わずかに笑う。
「理想の人類などというものは、もともと下らぬ幻想だ」
「先ほどそうおっしゃっていましたね」
「だが、あえて答えてやろう」
その声音が、少しだけ低くなる。
「理想とは、己の位置を知っている人類だ。
上に立つ者と、従う者。命じる者と、服する者。
それをわきまえず、皆が平等だの尊厳だのと騒ぐから醜くなる。
強者はより高く、弱者はその価値に従って配置される。
そうして初めて世界は美しく整う」
「露骨ですね」
私は言った。
「本質的と言え」
「続けてください」
ディオは口元を歪めた。
「理想の人類とは、恐怖を理解している人類だ。
力ある者を恐れ、敬い、必要とする。
そして自らが上位に立てぬと悟ったなら、その秩序を受け入れる。
支配されることは屈辱ではない。
支配されるに値する者に支配されるならば、それは安定だ」
「要するに、貴方が上であることを前提とした人類ですね」
私は確認した。
「そうだ」
「非常に分かりやすいですね」
「貴様」
ディオが笑った。
「今のは褒めたのか?」
「議事録上の評価は留保します」
ボスヤスフォートが低く言う。
「結局、貴様の理想とは、民ではなく服従だ」
「違うな。服従を理解した民だ」
ディオが返す。
「無意味な自由を振り回す愚民より、よほど美しい」
「その美しさは、君の趣味に過ぎない」
ラウが言った。
「趣味で王になれるなら結構なことだ」
「進行上、今のは“開き直り”として記録しておきます」
私は言った。
「やめろ」
「では第二ピリオドの総括に入ります」
私は全員の発言を一覧表示させた。
ボスヤスフォート。
理想の人類とは、限界を知りつつ秩序と責任を引き受け、共同体を支える存在。
シックス。
理想の人類とは、悪意と淘汰を経てもなお変化と進化を続ける存在。
ラウ・ル・クルーゼ。
理想の人類とは、自らの愚かさと闇を知りながら、それでも他者へ希望を託そうとする存在。
ディオ・ブランドー。
理想の人類とは、序列と恐怖を理解し、支配の秩序を受け入れる存在。
見事だった。
ここまで綺麗に、同じ“人類”という言葉へ別々の檻を被せられるものかと、
少し感心するほどに。
「総括します」
私は言った。
「皆様とも、人類そのものを理想化しているのではありません。
理想の人類とは、皆様にとって都合の良い人類の別名です」
一瞬、静寂。
先に反応したのはシックスだった。
楽しげに笑っている。
「いいね。だいぶ遠慮がなくなってきた」
「事実確認です」
「だが乱暴でもある」
ボスヤスフォートが言う。
「自分に都合が良い、だけでは片づけられん」
「失礼しました」
私は言った。
「では訂正します。
皆様にとって“許容できる形に矯正された人類”の別名です」
ラウがとうとう吹き出した。
ディオは露骨に不快そうな顔をした。
ボスヤスフォートは眉間に皺を寄せ、シックスはますます嬉しそうだった。
「記録しないでいただきたい表現だな」
ラウが言う。
「内部メモです」
「ますます困る」
私は端末を閉じた。
「第二ピリオドを終了します。
次は、理想を実現する主体の問題へ移ります。
議題は――誰が人類を導くのか」
その言葉に、卓上の空気が再びわずかに張る。
そうだろう。
ここから先は、理想を語るだけでは済まない。
誰が上に立つのか。
誰にその資格があるのか。
この四名に、その問いを投げて穏便に済むはずがない。
私は内部メモに一行だけ追記した。
補記:第二ピリオド終了。全員、自分の理想だけは人類愛のつもりでいる。