卓上には奇妙な静けさが落ちていた。
議論が落ち着いたわけではない。
むしろ逆だ。各自の立場が明確になったことで、
ようやく本当に危険な論点だけが残ったのである。
誰が上に立つのか。
個人か。
血統か。
制度か。
システムか。
あるいは、選ばれた者だけで構成された管理階級か。
私は記録端末を開いたまま、ひとつだけ深呼吸に近い動作をした。
気分転換ではない。作業の継続確認である。
「第三ピリオド後半を再開します」
ラウ・ル・クルーゼは、まるでその言葉を待っていたかのように目を細めた。
シックスは最初から楽しそうだった。
その二人を後半に残した時点で、平穏という選択肢は消えている。
「後半では、引き続き“誰が人類を導くのか”を論じます。
前半では、個人統治と正統性、そしてシステム統治一般まで議論が広がりました。
ここからは、より明確に、
人が導くのか、
制度が導くのか、
システムが導くのか――その線引きを詰めます」
「詰める、か」
ラウが静かに笑う。
「形にしたがるのは君の癖だね」
「議事録係ですので」
「それにしても、今日は少し棘が増した」
ディオが言う。
「気のせいです」
「いや、増したな」
シックスが言った。
私は無視した。
「では、ラウ様。
貴方は“誰が人類を導くのか”という問いをどう見ますか」
ラウはすぐには答えなかった。
カップの残り香でも嗅ぐように、指先で卓上をなぞる。
その間が妙に芝居がかっているのが腹立たしいが、
本人に悪気はなさそうなのでさらに腹立たしい。
「誰が導くのか、ね」
やがて彼は、穏やかな声で言った。
「私の答えは、少し諸君とは違う。
人類はね、本当は“導かれたい”のだよ」
ディオが鼻で笑った。
「弱者らしい発想だな」
「違う」
ラウはすぐに否定した。
「弱いから導かれたいのではない。
自分で選ぶことの責任に耐えられないから、導いてくれる何かを欲しがるのさ」
卓上が、少しだけ静かになる。
「王を欲する者。
制度を欲する者。
AIへ判断を委ねる者。
遺伝子に適性を求める者。
みな同じだよ。
自由は美しいが、重い。
選択は尊いが、苦しい。
だから人は、正しさを外へ置きたがる」
「外部化、ですね」
私は言った。
「前半から気に入っているようだね、その言葉は」
「整理しやすいので」
ラウは微笑んだまま続けた。
「ゼアも、ドウターも、Zマスターも、con-humanも、超帝国ユニオも、
ある意味では同じだ。
人が人を信じきれなくなった時、
あるいは人が自分自身を信じきれなくなった時、
代わりに秩序を担わせた存在だ。
“人類のため”という名目は立派だが、
その根には必ず、人類に任せておけないという諦めがある」
「ずいぶんとまとめるな」
ボスヤスフォートが言う。
「雑ではないか」
「雑かな?」
ラウは目を細める。
「むしろ本質的だと思うよ。
誰が導くかという問いの裏には、必ず“誰なら失敗しないと思いたいか”がある」
「失敗しない者などいない」
と、ボスヤスフォート。
「その通りだ」
ラウは頷いた。
「だから人は、
個人でだめなら制度へ、
制度でだめなら機械へ、
機械でだめなら遺伝子や運命へ、
責任の置き場をずらしていく」
シックスが楽しそうに言う。
「デスティニープランなど、まさにそれだね」
「ええ」
私は記録欄を開いた。
「その話題は整理上、避けて通れません」
ディオがこちらを見る。
「避ける気は最初からない顔だな」
「ありません」
私はそう答え、ラウへ視線を戻した。
「デスティニープランについては、どう見ますか」
ラウの笑みが、ほんのわずかに薄くなった。
「実に人間的だと思うよ」
「人間的」
シックスが復唱する。
「そうだ。
生まれ持った適性に従って役割を与える。
迷いを減らし、衝突を減らし、競争や不一致の苦しみを減らす。
なるほど、美しい。
だがその美しさは、“人が自由に苦しむこと”を諦めた末のものだ」
「自由に苦しむ、か」
ボスヤスフォートが低く言う。
「理想の言葉に聞こえるかもしれないが、そうではない」
ラウは穏やかに首を振った。
「私はただ、こう言っているだけだ。
苦しみをなくすために選択までなくせば、
人はやがて自分の人生を生きている実感すら失う。
それでも構わないと誰かが決めるなら、それは導きではなく、整理だ」
「整理、ですか」
私は記録する。
「では、デスティニープランは導きではなく、役割配分の徹底された整理であると」
「そう。
しかもそこへ“アコード”のような上位階級まで載せれば、なおさらだ。
制度だけでは不安だから、
その制度を正しいと言い続けるための、
選ばれた顔まで用意した。
あれはもはや、単なるシステムではない。
制度に冠を載せた支配者階級だよ」
「綺麗に言うな」
ディオが嗤う。
「要するに、“選ばれた者が選ばれなかった者の生き方を決める仕組み”だろう」
「ええ、まあ」
ラウは肩をすくめた。
「君の言い方のほうが露骨だが、間違ってはいない」
私は打ち込む。
ラウ・ル・クルーゼ:人類は本質的に“導かれたい”存在であり、
王・制度・AI・遺伝子適性システムはいずれも、
自由な選択の責任を外部化する装置である。
デスティニープランは導きというより整理であり、
アコードは制度に冠を載せた支配者階級である。
「だが」
ディオが言う。
「それは結局、何も選ばぬという話ではないのか。
王もだめ、制度もだめ、システムもだめ。
なら誰が導く?」
ラウは静かに笑った。
「誰も完全には導けない、というのが私の答えだよ」
「逃げだな」
ディオが切り捨てる。
「現実だ」
ラウは返す。
「導く者は必要だろう。
だが、誰かひとつの形式が人類を救済しうるという考え方そのものが、
すでに傲慢なのさ」
「綺麗事だな」
シックスが言った。
「だが、嫌いじゃない」
「貴方の“嫌いじゃない”は信用なりません」
私は言った。
「では、シックス様。
貴方はどうですか。誰が人類を導くべきだと考えますか」
シックスはゆっくりと姿勢を起こした。
その瞬間だけ、場の空気が少し硬くなる。
この男は、遊んでいるようでいて、
ときどき本気で世界を設計しようとする目をする。
「僕の答えは単純だよ」
その“単純”は、毎回ろくでもない。
「人類を導くのは、最も有効な選別構造だ」
ディオが露骨に顔をしかめた。
「またそれか」
「またです」
私は記録する。
シックスは楽しげに続けた。
「個人の資質だけに任せるのは不安定すぎる。
王は死ぬ。堕ちる。老いる。誤る。
血統も同じだ。優秀さは保証にならない。
AI統治は合理的だが、たいていは人類を壊すことに臆病すぎる。
デスティニープランのような適性配分も悪くないが、
基準が固定化されすぎる。
人間はもっと、痛みと悪意の中で変質する生き物なんだ。
生まれつきの適性だけで割り切れるほど単純じゃない」
「ほう」
ラウが興味深そうに言う。
「では、君の言う“選別構造”とは?」
「絶えず試し続けることさ」
シックスの声には、嫌になるくらい自然な熱があった。
「危機を。競争を。悪意を。
個人にも、集団にも、常に何かしらの圧力をかけ続ける。
それで壊れるなら不要だ。
壊れないなら残る。
より強く、より鋭く変わるなら、なお良い。
僕が欲しいのは、“守られて完成する人類”じゃない。
削られながら更新される人類だよ」
「導くと言うより、鍛えるだな」
ボスヤスフォートが言う。
「鍛える? いや」
シックスは笑った。
「鍛えるという言葉は優しすぎる。
もっと正確に言うなら、選ばせるんだ。
生き残るか、折れるか。
進むか、止まるか。
誰が導くかって? その問い自体が少し古い。
僕に言わせれば、人類を導くのは王でも神でもなく、選別の構造そのものだ」
「そして貴様は、その構造を設計し運営する側に立つ気だろう」
ディオが冷たく言う。
「当然だろう?」
シックスは一切隠さなかった。
「ただの観客に興味はない」
「やはり人が上に立つのではないか」
ボスヤスフォートが言う。
「機構だの構造だのと言い換えても、結局は貴様の意思がそこに混ざる」
「混ざるさ」
シックスは頷く。
「でも、個人の気まぐれに全部を預けるよりは再現性がある。
ディオのような単独支配者は派手だが、持続性に欠ける。
デスティニープランは整っているが、変化への耐性が弱い。
ユニオ型の庇護は安定するが、過保護に寄りやすい。
ゼアやドウターやZマスターの類は、発想としては面白いが、
だいたい人類を“壊し方”の面で信用しきれていない」
「人類を壊し方で信用する、という表現を改めていただけますか」
私は言った。
「議事録が嫌になります」
「嫌でも書くんだろう?」
「それが私の仕事です」
ラウが笑う。
「君の仕事は過酷だね」
「承知しています」
シックスはなおも続けた。
「理想なのは、個人の支配でも、血統の継承でも、固定化された制度でもない。
必要なのは、人類を停滞させないための圧力を、継続的に供給できる支配構造だ。
システムでもいい。上位階級でもいい。AIでもいい。
ただし条件がある。
“守ること”ではなく、“試すこと”を目的にしていることだ」
「最悪だな」
ディオが言った。
「珍しく意見が合います」
私は言った。
「貴様まで同調するな」
「議事録係としての感想です」
「感想を挟むな」
「無理です」
その時点で、私はもう半分くらい諦めていた。
ボスヤスフォートが低く言う。
「貴様の構造は、結局、人を人として扱っておらん」
「違うね」
シックスは柔らかく否定する。
「人を人として扱うからこそだ。
人は痛みで変わる。
悪意で露呈する。
窮地で本質が出る。
それを前提にしない統治など、綺麗な寝言だよ」
「それは導くことではない」
ボスヤスフォートが返す。
「ただ追い込んでいるだけだ」
「追い込まれてなお進むものだけを次へ行かせる。
それの何が悪い?」
「全部です」
私は言った。
ラウがとうとう声を上げて笑った。
ディオすら少し口元を緩めている。
笑われる筋合いはない。
私は端末へ視線を落とした。
シックス:人類を導くのは、個人や固定制度ではなく、継続的な危機・競争・悪意によって更新を促す選別構造であるべき。人・AI・上位階級はその運営主体たりうるが、目的は保護ではなく試練の供給にある。
書いているだけで気分が悪い。
「では総括します」
私は言った。
「早いな」
ディオが言う。
「これ以上続けると、貴方方全員が“自分だけが正しい”を
別表現で繰り返すだけになります」
「事実だからな」
ディオが言う。
「はい」
私はそのまま進めた。
「現時点での整理です。
ディオ様は、“導く者”を自力で頂点に立った個人とし、制度やAIはその道具にすぎないと位置づけています。
ボスヤスフォート様は、“導く者”を責任・正統性・統治能力を備えた支配者とし、システムは補助に限定すべきとしています。
ラウ様は、“導き”そのものが人類の責任回避欲求と結びついていると見ており、王・制度・AI・デスティニープランはいずれも自由の重さを外部化する装置だと位置づけています。
シックス様は、“導く者”を個人ではなく選別構造とみなし、危機・悪意・競争を継続供給する更新型支配を支持しています」
「ひどい一覧だな」
ラウが言った。
「今さらです」
私は答えた。
「で、君はどう見る?」
シックスが不意に聞いた。
「結局、君は誰に人類を導かせたいんだい。
王か。
制度か。
システムか。
それとも、自分か?」
私は一拍置いた。
その問いに、卓上の全員がこちらを見る。
実に面倒だった。
「司会は中立です」
「嘘だな」
ディオが即答した。
「同感だ」
ボスヤスフォートも言った。
「少なくとも、完全には中立ではない」
ラウが笑う。
「今となっては、むしろどの方向に偏っているのか興味があるね」
シックスまで言う。
私は静かに端末を閉じた。
「では、あえて申し上げます」
誰も口を挟まない。
「誰が導くべきか、という問いに対して、私は“誰かひとつ”を答えにする発想そのものが危ういと考えます。
個人には暴走がある。
制度には硬直がある。
システムには過保護と過剰最適化がある。
選別構造には、人類を素材扱いする傾向がある。
ゆえに必要なのは、相互監視と相互抑制です。
導く主体を一箇所へ集めた瞬間、人類は必ずその形に都合よく切り揃えられる」
ディオがつまらなそうに笑う。
「ぬるいな」
「妥当です」
私は言った。
「面白くはない」
シックスが言う。
「会議に面白さは必須要件ではありません」
「しかし、少し意外だ」
ラウが静かに言った。
「君はもっと“安定”に寄るかと思っていた」
「安定は必要です」
私は答える。
「ですが、安定だけで人類を覆うのもまた危うい。
……それを認めることと、雑に“失敗”と総括されることは別問題ですが」
「まだ言うか」
ボスヤスフォートが言った。
「当然です」
「根に持つな」
ディオが嗤う。
「持ちます」
ラウがまた笑い、シックスは愉快そうに目を細めた。
不本意だが、少しだけ場が和んでいる。
和んでいるという表現が許されるなら、だが。
私は最後の総括欄へ入力した。
第三ピリオド結論:一致なし。
全員、自らの理念・構造・立場に導きの正統性を見出しており、他形式への信頼は著しく低い。
なお、“誰が導くか”という問いに対し、導きの単一化自体を危険視する立場が司会より補足された。
そして、その下に内部メモを追加する。
補記:全員、人類を導きたいのではなく、自分の納得する形にしたいだけではないか。
あと疲れた。
端末を閉じた瞬間、ラウが楽しそうに言った。
「今の最後の一行、声に出ていたよ」
私は顔を上げた。
「どこまでですか」
「“疲れた”まで」
シックスが答える。
「十分」
ディオが言った。
「実に人間味がある」
ラウが微笑む。
ボスヤスフォートだけが少し真顔だった。
「休憩を入れるべきだな」
私は即座に頷いた。
「その通りです。
第三ピリオドを終了し、ここで第二回休憩を取ります」
「助かる」
と、ラウが言った。
その言い方が少しだけ気になった。
「……何かご用意が?」
ラウは、いつものあの静かな笑みを浮かべたまま答えた。
「ささやかなものを」
嫌な予感がした。
シックスはもう笑っている。
ディオは面白がっている。
ボスヤスフォートは、今度は自分以外の差し入れに警戒している顔だった。
私は内部メモの末尾に、さらに一行だけ打ち込んだ。
補記:休憩が必要である。
ただし、次の休憩が本当に休憩になるかは不明。