第四ピリオド終了後の空気は、前回までとは少し違っていた。
疲労は確実に蓄積している。
しかし同時に、各自が他者の立場をある程度見切り始めてもいた。
誰がどこで怒るのか。
誰がどの言葉に反応するのか。
そして誰が、どの瞬間に妙に嬉しそうになるのか。
把握したからといって、扱いやすくなるわけではない。
むしろ逆だ。踏むと分かっていて踏みにいくようになる。
実に悪い会合である。
私は記録端末を開き、次の議題を表示させた。
第五ピリオド 愚かさは罪か、可能性か
この文字列を見た瞬間、ディオが笑った。
シックスも笑った。
ラウは静かに微笑み、ボスヤスフォートはわずかに眉を動かした。
嫌な予感しかしない。
「第五ピリオドに入ります」
私が告げると、ディオが肘掛けに頬杖をついた。
「面白い問いだな」
「そう思われますか」
「当然だ。
愚かさなど、人間を語るうえで避けて通れん」
「珍しく人類そのものに関心があるような発言ですね」
私は言った。
「言い方に棘があるな」
「進行に必要です」
ラウが小さく笑う。
シックスは明らかに楽しんでいた。
もう慣れた。
「問いはそのままです」
私は続けた。
「人類の愚かさは、切り捨てるべき罪なのか。
あるいは、なお何かを生みうる可能性なのか。
まずは一人ずつ、基本的立場を述べてください」
「今回は、ずいぶん綺麗に分けたね」
ラウが言う。
「そうでもありません。
皆様とも、“愚かさ”の定義からして一致しないと見ています」
「賢明だ」
シックスが言った。
「少なくとも、僕の愚かさとディオの愚かさは違う」
「貴様の基準など知るか」
ディオが言う。
「では最初に――ラウ様」
「私からかい?」
「一番遠回りに見えて、案外芯を突く方からです」
ラウは少しだけ肩をすくめた。
「買いかぶりだよ」
そう言いながらも、まったく悪い気はしていない顔だった。
「愚かさは罪か、可能性か。
私に言わせれば、そのどちらでもあり、どちらでもない」
「曖昧ですね」
私は言った。
「人間そのものが曖昧だからね」
ラウは卓上へ視線を落としたまま、穏やかな声で続ける。
「人は愚かだ。
欲に流され、
見たいものだけを見て、
都合の悪い真実から目を逸らし、
同じ過ちを繰り返す。
それは否定しようがない。
だが同時に、人はその愚かさゆえに、
身の程を越えた願いも持つ。
誰かを救いたいと願うのも、
届かぬ理想へ手を伸ばすのも、
たいていは愚かさの一種だ」
「つまり」
私は確認する。
「愚かさは破滅の種であると同時に、人間らしさの源でもあると」
「そう」
ラウは頷いた。
「人が完全に合理的なら、争いは減るかもしれない。
だが、同時に祈りも、夢も、身を焦がすような執着も減るだろう。
人間の尊さと醜さは、案外同じ根から生えているのさ」
ディオが鼻で笑う。
「甘いな。
愚かさを飾り立てているだけだ」
「そうかな?」
ラウは微笑した。
「君のような怪物ですら、
人間の愚かさを相手にしてこそ映えると思うのだけれど」
「貴様」
ディオの目が細くなる。
「割り込みは後ほど」
私は言った。
「続けてください、ラウ様」
「罪という言葉は便利だ。
責める口実になるからね。
だが私は、愚かさそのものを罪だとは思わない。
むしろ怖いのは、自分が愚かである可能性を認めないことだよ。
欲深く、弱く、間違える生き物だと知りながら、それでも何かを選ぶならまだいい。
だが、自分だけは正しいと思い込んだ瞬間、人は最も救いがたくなる」
沈黙。
私は淡々と記録する。
ラウ・ル・クルーゼ:愚かさは破滅の種であると同時に、人間らしさや願いの源でもある。愚かさそのものより、自らの愚かさを認めないことのほうが罪深い。
「嫌なまとめですね」
私は言った。
「ありがとう」
「褒めていません」
「分かっているよ」
「次に――ディオ様」
ディオは待っていたと言わんばかりに口元を歪めた。
「愚かさは罪だ」
即答だった。
「あまりにも分かりやすいですね」
私は言った。
「当然だ。
自分の位置も、
相手の格も、
力の差も理解せず、
無意味な尊厳だの平等だのを振りかざす。
それを愚かと呼ばずして何と呼ぶ」
「かなり狭い定義だな」
シックスが言う。
「黙れ。
人間の愚かさとは、要するに現実を見ないことだ。
自分が弱いくせに強者へ歯向かう。
従うべき相手に従わず、恐れるべきものを恐れない。
その結果、潰される。
ならばそれは罪だ。己の限界を知らぬ罪、身の程をわきまえぬ罪だ」
「可能性は?」
私は尋ねる。
ディオはわずかに笑う。
「愚かさそのものに可能性はない。
あるのは、愚かな者をどう使うかという可能性だけだ」
「ひどいですね」
「本質的と言え」
「嫌です」
ラウがくすりと笑った。
ボスヤスフォートが低く口を開く。
「では、民の未熟さはすべて罪か。
知らぬことも、誤ることも、弱さも、全部切り捨てるのか」
「価値のない愚かさならな」
ディオは即答した。
「だが使い道はある。
愚かであればこそ恐怖に従う。
愚かであればこそ支配の秩序は浸透する。
つまり愚かさは、矯正対象であると同時に利用資源だ」
「資源」
私は繰り返した。
「随分と乾いた表現ですね」
「感傷は統治に不要だ」
「支配でしょう」
私は訂正する。
「どちらでもいい」
「よくありません」
私は記録する。
ディオ・ブランドー:愚かさは、現実と力関係を見誤る罪である。ただし統治・支配の観点からは、恐怖に従わせるための利用資源でもある。愚かさ自体に可能性は見ない。
「冷たいな」
ラウが言う。
「正確と言え」
ディオが返す。
「次に――ボスヤスフォート様」
ボスヤスフォートはわずかに息を吐いた。
ラウとディオの発言を聞いて、言いたいことが順調に増えていた顔である。
「愚かさを罪と断じるのは簡単だ」
その第一声は、少し硬かった。
「だが、自分はそうは見ぬ。
人は愚かだ。
短慮で、忘れやすく、都合よく解釈し、怠り、時に同じ失敗を繰り返す。
その程度のことは前提だ」
「前提」
私は記録しながら言う。
「そうだ。
統治とは、賢者だけを相手にするものではない。
愚かで、不完全で、感情に流される者たちを、
それでも共同体として動かしていく技術だ。
ゆえに、愚かさを罪として切り捨てるだけでは政治にならぬ」
「では可能性ですか」
私は聞く。
「無条件の可能性とも思わぬ」
ボスヤスフォートは言った。
「愚かさには代償がある。
誤れば誰かが傷つく。怠れば現場が崩れる。
だから責任は問われねばならん。
だが同時に、人は愚かだからこそ学ぶ。
愚かだからこそ支え合い、制度を作り、次は同じ失敗を減らそうとする。
その意味では、愚かさは管理されるべき素材であって、ただの罪ではない」
「素材」
シックスが愉快そうに笑う。
「君までそういう言い方をするんだね」
「貴様の“素材”とは意味が違う」
ボスヤスフォートが切った。
「自分は、人を壊して選り分ける話をしているのではない。
未熟さや誤りを織り込んで、それでも回る仕組みを作る話をしている」
「制度の話だな」
ディオが言う。
「当然だ」
ボスヤスフォートは頷く。
「人が愚かであるなら、なおさら制度は要る。
個々人の善性に期待しすぎず、悪意や怠慢を前提に、なお破綻しにくい形を作る。
それが統治だ」
「つまり」
私は整理する。
「愚かさは罪というより、統治や制度設計が前提とすべき現実であり、
同時に教育や改善の余地を持つ可能性でもある、と」
「概ねそうだ」
ボスヤスフォートは頷いた。
「少なくとも、“愚かだから不要”という結論は短絡にすぎる」
シックスが静かに言う。
「甘いな」
「違う」
ボスヤスフォートは即座に返す。
「長期的な視点だ」
私は記録欄へ入力する。
ディス・ヒフツェン・ボスヤスフォート:愚かさは人間社会の前提であり、統治や制度設計が織り込むべき現実である。罪として責任を問う局面はあるが、同時に学習・改善・共同体形成へつながる可能性も持つ。
そして最後に視線を向ける。
「シックス様」
シックスは楽しげに指先を組んだ。
「ずいぶんと面白い順番だったね。
最後が僕でいいのかい?」
「嫌な予感が増すので早めに済ませたかったのですが、
皆様の流れ上こうなりました」
「正直だ」
「最近、少し疲れていますので」
「知っている」
知っているなら配慮していただきたい。
シックスは微笑んだまま口を開いた。
「僕にとって、愚かさは罪でもあり、可能性でもある。
ただし条件つきだ」
「条件とは」
「同じ愚かさに留まるなら罪。
愚かさを経て変質するなら可能性。」
ラウが興味深そうに目を細める。
「なるほど。君らしいね」
「人は皆、最初から賢いわけじゃない。
誤るし、見誤るし、傷つけられれば簡単に怯む。
それ自体は構わない。
問題は、そこで何も変わらないことだ」
シックスの声は静かだった。
静かすぎる時はたいてい危ない。
「裏切られた。傷つけられた。負けた。奪われた。
そういう経験のあとで、なお同じ場所で同じ泣き言を繰り返すなら、それは罪だ。
少なくとも進化にとってはね。
だが、そこから少しでも変わるなら――
より強く、より鋭く、より冷たくなれるなら――
愚かさは素材になる。
可能性と呼んでもいい」
「つまり」
私は言った。
「愚かさそれ自体ではなく、その後に変化が起きるかどうかが問題だと」
「そう。
愚かだった、で終わる者は要らない。
愚かだったから変わった、という者だけが次に進める」
「厳しいな」
ボスヤスフォートが言う。
「当然だろう?」
シックスは笑う。
「愚かさを優しく包んで許してばかりでは、人は鈍る。
かといって最初から全部切り捨てても、変化の芽を潰す。
だから必要なのは、壊すことじゃない。
壊れるか、変わるかを試せる圧力だよ」
「またそれか」
ディオが言う。
「好きなんだよ」
シックスはあっさり認めた。
私は記録しながら言う。
「要するに、愚かさは試練にさらされることで価値が決まる、と」
「うん。
愚かさは原石みたいなものさ。
磨けば光る、なんて綺麗事は言わない。
たいていは削れて終わる。
でも、まれに面白い形で残る」
「ひどい言い方ですね」
「褒めてくれてありがとう」
「褒めていません」
私は記録する。
シックス:愚かさは、同じ状態に留まるなら罪であり、変化・適応・進化へつながるなら可能性である。重要なのは愚かさそのものではなく、その後にどれだけ変質できるかである。
全員分の記録が並ぶ。
見事なまでに、同じ単語を別の生き物として扱っていた。
私は小さく息をつき、総括に入る。
「整理します」
誰も口を挟まなかった。
たぶん、ここは少し興味があるのだろう。
自分がどうまとめられるかに。
「ラウ様は、愚かさを破滅の種であると同時に、人間らしさや願いの源とみなしています。
ディオ様は、愚かさを現実と力関係を見誤る罪とし、その価値は利用可能性にしか見出していません。
ボスヤスフォート様は、愚かさを社会の前提条件とし、制度と責任によって管理しつつ改善を促すべきものとみなしています。
シックス様は、愚かさを変化への通過点とみなし、適応や進化に繋がらぬ停滞のみを罪とみなしています」
「ひどい面子だな」
ラウが言う。
「今さらです」
私は答えた。
少し間を置いて、さらに続ける。
「なお、皆様とも“人類は愚かである”点では概ね一致しています」
ディオが笑う。
シックスも笑う。
ボスヤスフォートは否定しない。
ラウは楽しそうだった。
やはりそうなる。
「相違点は、その愚かさを」
私は端末を見ながら読み上げる。
「罪とみなすか、
資源とみなすか、
統治対象とみなすか、
あるいは人間性そのものとみなすか
にあるようです」
「いいまとめだ」
ラウが言う。
「ただし」
私は続けた。
「全員、自分だけはその“愚かな人類”の側に含めていないように見受けられます」
沈黙。
ボスヤスフォートが先に言った。
「雑な挑発だな」
「事実確認です」
ディオが鼻で笑う。
「当然だろう」
「ほら」
私は言った。
シックスが肩を震わせる。
「君もなかなか性格が悪くなってきたね」
「環境要因です」
「誰のせいだ」
ディオが言う。
「主に皆様です」
ラウが静かに笑った。
「だが、そこは面白いところだよ。
人は愚かさを語る時、だいたい“自分以外”を思い浮かべる」
「だからこそ、愚かなんでしょうね」
私は言った。
今度は、ほんの一瞬だけ、四人とも黙った。
少しだけ図星だったらしい。
実に珍しい。
私は最後の総括欄に打ち込む。
第五ピリオド結論:一致なし。
ただし“人類は愚かである”認識では概ね一致。
各発言者は、
その愚かさを罪・資源・統治前提・変化可能性として
それぞれ異なる角度から評価している。
なお、自身のみ例外とみなす傾向が観測される。
端末を閉じる。
そして内部メモ欄を開き、少しだけ考えたあと、一行だけ追記した。
補記:全員、自分以外は愚かだと思っている。
非常に分かりやすい。
その下に、さらに一行。
補記:そしてたぶん、それが一番人間らしい。
端末を閉じたところで、ラウがこちらを見た。
「最後の一行は、少し綺麗すぎないかい?」
「内部メモですので」
「最近の内部メモ、だいぶ文学的ですね」
シックスが言う。
「不本意です」
「毒されてきたな」
ディオが笑う。
「否定しきれないのが嫌です」
ボスヤスフォートは低く言った。
「……次は何だ」
私は議題一覧を確認する。
「次は、第六ピリオドです」
画面を切り替える。
戦争と悪意は必要か
数秒の沈黙。
それから、ディオが楽しそうに笑った。
シックスは最初から嬉しそうだ。
ラウは静かに目を細め、ボスヤスフォートは面倒そうに息を吐く。
私は静かに端末を閉じた。
「今日は、ここで区切るべきかもしれません」
「賢明だ」
ラウが言った。
「逃げるのか?」
ディオが聞く。
「違います」
私は即答した。
「被害予測です」
シックスが、いかにも楽しそうに微笑む。
「じゃあ、次はもっと面白くなるね」
「それを面白いと呼ぶ文化を、私はまだ信用していません」
そう言いながら、私は休憩時刻と議題進行を静かに記録した。
この会合は、まだ終わらない。
終わらないこと自体が、すでに少し愚かしい気もしたが。
それはたぶん、今さら言うことではなかった。