ルードヴィヒ皇太子死亡。この凶報が齎された時、最も取り乱したのは皇太子の義兄ブラウンシュヴァイク公爵とリッテンハイム侯爵だった。皇太子と共に帝国の次の世代を背負って立つ二人の大貴族は怒声を上げて報告する家臣を震え上がらせた。
彼等はすぐさま大混乱に陥る
皇太子は数日前から惑星オーディンの各地を行啓していた。行政機関や地方の学校を視察して、臣民と親しく交わり治世に意欲的な姿勢を示していた。今日も朝から帝国病院に入院する小児科の児童を見舞う予定で戦艦に乗艦していた。事態が急変したのは移動中。皇太子の乗った戦艦が突如爆発して墜落。事前に脱出した人員は皆無で、ルードヴィヒ皇太子と千人を超える護衛の軍人および随伴の文官も爆発に巻き込まれて生存は絶望的だった。
「いったい何が原因なのだっ!何故殿下がヴァルハラへと旅立たねばならん!?」
「目下調査中だが、殿下の乗っておられた艦は外からの攻撃ではなく中から爆発したと証言がある。爆発の瞬間の映像も随伴する護衛艦が捉えた」
リヒテンラーデは端末を操作して映像を再生する。戦艦の後部が唐突に膨張して中から装甲を突き破って破片をまき散らした。爆発の規模は思いのほか大きく、先導役の駆逐艦を飲み込むほどだった。爆発の原因は帝国軍科学技術総監部の解析を待たねばならないが、素人目に見てもこれでは逃げる暇も無く、誰も助かりはしない。
「これは本当に殿下の乗った船の映像なのか?手違いで殿下は別の艦に乗艦しているか、捏造した映像ではないのか!?」
リッテンハイム侯爵はほんの僅かな希望に縋り、これまでの映像は何かの間違いではないかとしきりに訴えたが、リヒテンラーデは無情にも首を横に振った。
ブラウンシュヴァイク公爵もまた声を上げて泣き崩れる。彼等は自らが担ぐに値する玉の神輿を永遠に失った事実を受け入れるしかなかった。
残された者が次に何をすべきかは優先順位がそれぞれ違うものの、思考停止を避けて何においても動かねばならない。
「ともかく皇太子殿下は身罷ったと思って動かねばならん。儂は葬儀の手配と皇宮の統制を図る。軍部には帝国の混乱に乗じてまた叛徒が攻めかかって来るやもしれぬから警戒を促した。お主等はそれぞれの傘下の貴族が良からぬ事をしでかさないように今後も手綱を握れ」
二人は一瞬国務尚書が何を言っているのか図りかねた。しかしすぐに意図を察しつつ平静を装いつつも、未だ自分達を未熟者扱いする妖怪に反感を抱いた。
皇太子が亡くなり、帝国は次期皇帝を失った。となれば別の皇帝候補を見繕わねばならない。現時点で皇位継承権を持つ者は五人いる。皇帝フリードリヒ四世の娘のアマーリエとクリスティーネ。その二人がそれぞれ産んだ皇孫のエリザベートとサビーネ。そしてルードヴィヒ皇太子の忘れ形見であり、継承権を持つ者の中で唯一の男児エルウィンである。
アマーリエとクリスティーネは、既にブラウンシュヴァイク公爵とリッテンハイム侯爵に降嫁して、臣籍となった時点で女帝になるのは極めて困難。ならばその娘達が女帝になるかと言われれば、ゴールデンバウム王朝は多少例外はあれど、基本的に皇帝位は男子相続を執っていた。よって順当に考えて皇太子の息子であるエルウィンが祖父の後を継ぐ。それが筋だ。
しかしそれで全ての貴族が納得するわけがない。いつの時代も自らの都合の良い皇帝や王を求めて蠢動する例が無数にあった。さらにエルウィンには有力な貴族の後ろ盾が無い。彼の母は皇宮で働いていた帝国騎士階級のメイド。母の実家には実力も無ければ野心も無い。
男児だろうが吹けば飛ぶような紙の盾しか持っていないのなら、いっそ女帝の戴冠式を挙げてしまえ。そしてエリザベートかサビーネ、いずれかの父が帝国宰相になれば、帝国を意のままに操れる。公爵と侯爵の耳元でそう甘言を囁く寄子の貴族はごまんと出てくる。そのような奸計、奸言に踊らされるな。リヒテンラーデは二人に警告しているのだ。
警告の理由と理屈は分かる。しかし子を持つ親に向かって偉そうに講釈を垂れる老人が気に入らない。ましてリヒテンラーデは侯爵。同格のリッテンハイムはまだ抑えられたが、公爵のブラウンシュヴァイクは一言ぐらい言わねば気が済まない。
「ならば陛下はどのように仰っていた。陛下が一声、『次の皇太子はエルウィンとする』そうお決めになれば儂は従う。既に殿下の最後は伝えたのだろう?」
「伝えたが、しばらく誰にも会いたくないと仰り、グリューネワルト伯爵夫人の館に入ったきりだ」
「うぅむ。まあよい、いずれ陛下も心の傷を癒され、新たな皇太子を立ててくださるだろう。卿は殿下の葬儀の準備を怠るな」
「私も諸々の準備があるから、今日はこれくらいにしてやる」
二人はひとまず矛を納めて執務室から出ていく。後姿を見送ったリヒテンラーデは頭の中にある皇太子弑逆犯のリストから、ブラウンシュヴァイクとリッテンハイムの名を消した。二人は本心から神輿の喪失を嘆いていた。互いに次期皇帝の右腕にならんと競い合う仲であり、神輿を叩き壊してでも娘を女帝に据えるなどというリスクのある選択は取るまい。
「では誰がルードヴィヒ皇太子を殺した?殿下、あるいは陛下に恨みを持つ者……クロプシュトック、まさかベーネミュンデ侯爵夫人」
クロプシュトック侯爵は元々は門閥貴族として有力な立場だったが、皇位継承の折、放蕩を尽くすフリードリヒ4世を散々蔑視して、弟のクレメンス大公に大金を投資した。それが土壇場で投資先の陰謀が露見して自害に追い込まれ、嘲笑していたフリードリヒ四世が至尊の冠を戴いた。それからは立場が逆転したように、クロプシュトックの方が皇帝の取り巻きから蔑視されて、かつて付き合いのあった貴族からは悉く交際を断られた。輝かしい未来を奪われ、何十年にもわたる抑圧と屈辱の矛先が後継者のルートヴィヒ皇太子に向けられても不思議ではない。
あるいはベーネミュンデ侯爵夫人も皇太子に恨みが無いわけではない。彼女は15歳でフリードリヒ四世に見初められて後宮に納められた。それから皇帝の寵愛を一身に受けて男児を出産した。しかし子供は死産だった。失意の夫人はしかし、それから三度懐妊した。だが、神は彼女を嘲笑い続けた。懐妊した子供は全て流産して、いつしか皇帝はベーネミュンデ侯爵夫人の元へ足を向けるのを躊躇うようになった。
その死産と流産にルードヴィヒ皇太子が関わっているという噂が一時期宮廷に流れた。皇太子は即座に否定して、そのような妄言を口にした者は死罪にすると怒りを露にした。結局、ベーネミュンデ侯爵夫人の死産は不運で片づけられたが、当人が噂を信じている可能性は無きにしも非ず。
それ以外にも帝国内に皇太子に死んでもらいたい者は数多くいる。共和主義者の長い手が届いた可能性も捨てきれない。ともかくこれから帝国は揺れるのは間違いない。
「帝国の安寧こそ第一。騒動の種は可能な限り減らさねばなるまいて」
最近年のせいか疲れが取れにくくなったのに、仕事だけは際限なく積み上がっていく。仕事に潰される前に引退して安穏と老後を過ごすのが賢い老人なのかもしれない。リヒテンラーデはそんな弱気な未来をすぐさま振り払った。己はまだ無用の長物ではない。帝国の為、ひいては己の地位と一族の繁栄のために、まだまだ働かねばならない。心を奮い立たせた孤独な老人は、部下にこれからの仕事を割り振った。
齢70に達しようとも権力に固執する様をして、余人は彼を政治の鬼、あるいは権勢欲の妖怪と呼んだ。
ルードヴィヒ皇太子の
オーディン郊外のとある一画は普段人気が少ないが、今日だけは万を超す貴族とその護衛で溢れ返る。今から冷たい雨が降り注ぎ、震える者が居ても誰も不平を口にしないだろう。今は葬儀の場であり、皇帝が臨席するなら貴族はたとえ凍死してでも動いてはならなかった。
皇帝が弔辞を読み上げ、父として息子を死後の世界へと送らねばならぬ悲痛は見るに堪えぬ。喪服に黒いベールを被る女性が何人も涙を流して慟哭が起きる。幼いエリザベートとサビーネも叔父の死を心より悲しみ、目を赤く泣き腫らす。彼女たちにとって皇太子は優しい叔父だった。
数多くの儀式が滞り無く進み、空の棺が皇族の墓地に埋葬されて葬儀は終わった。本来なら皇帝になってから数十年を経て送り出される若者の早すぎる死を、人々はようやく受け入れて、一人、また一人と去っていく。いつしか曇り空から氷水のように冷たい雫が落ち始めていた。まるでこれからの帝国の未来を暗示しているようにも思えた。
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惑星オーディンより数千光年離れた帝国辺境。本来植物の存在しない荒野の惑星に乱立する人の手による木々の一本、自治領主府の最上階のガラス越しから風化により削られた奇岩を眺める男が、部下からの報告を振り返る事なく聞き続ける。
男は三十台の半ば、色黒の肌に禿げ上がった頭部と分厚い筋肉に覆われた肉体から、働き盛りの肉体労働者のような印象を受けるが、れっきとした支配者である。それも眼下に広がる惑星フェザーンの五代目の自治領主である。名をアドリアン・ルビンスキー。帝国と同盟からは、その容姿と狡猾さから『黒狐』と呼ばれていた。在任期間はそろそろ四年を数える。つまり、彼が統治者になったのは30歳を数年過ぎた時期だった。当然周囲は若過ぎると反発もあったが現在もその地位を保っている事実こそが、彼の優秀性をこの上なく示している。
「――――ではルードヴィヒ皇太子の暗殺に成功。下手人は未だ特定に至らない、ということかボルテック」
「はい。皇太子の乗った戦艦は核融合炉の暴走により爆散していますので、証拠と生存者は存在しません。よしんば戦艦のクルーを親族全員尋問した所で、実行犯は天涯孤独の者を使いました。我々の所までたどり着くことはありません」
「帝国に残った貴重な駒を使い捨てたのだ。相応に結果を出してもらわねば赤字だよ」
もしも二人の会話を帝国人が聞いたら、誰もがひっくり返って驚くだろう。今の会話は皇太子の死の真相。しかもその犯人が帝国に臣従するフェザーンの領主だったからだ。自治領主ルビンスキーとその補佐官ボルテック。皇太子暗殺はこの二人の主導で行われた。
「四年前の一斉掃除で帝国側の地球教を隠れ蓑にしたサイオキシン麻薬の販売網は壊滅した。代わりに同盟側の販売を強化して補填をしたが未だ元の売り上げには届いていない」
「麻薬が蔓延して同盟の国力が弱体化しつつあり、帝国側の調整が必要でした。しばらくは皇位継承問題で揺れて門閥貴族が勝手に争ってくれるでしょう」
ボルテックの言葉には些か楽観的な思考が混じっている。反対にルビンスキーの表情が物足りないと告げていた。ここ数年、同盟は負けが込んでいる。三年前のエル・ファシルの奇跡の後も、辺境で何度か小競り合いは生じていた。両陣営とも勝ちを宣言しても、実際はどれも同盟の判定負けだった。これ以上の負けは同盟自体を危うくしかねない。ルビンスキーはここらで大きなテコ入れの必要性を感じていた。
「いっそ、イゼルローン要塞を同盟に取らせてみるか」
「まさか!数十年にわたる拮抗を崩すおつもりですか!?」
「その後に再び帝国に取り返させるのも面白い。互いに五万隻ぐらい吹っ飛ばす大規模調整だ。両陣営を合わせて1000万人ぐらい死んでもらおう」
ボルテックは領主ルビンスキーの豪胆さに呆れと、数千万人の命をまるで在庫の一掃程度にしか考えていない冷酷さに恐怖を感じる。この冷酷さと計算高さこそが若くして異形の男を一つの国の王にした源泉である。
「今から同盟の政治家に五回目のイゼルローン要塞攻略を示唆するか。また献金が増えるが仕方ない」
「元は同盟市民からサイオキシン麻薬で搾り取った金ですので、持ち主に還元というわけですか」
手間はかかっても結局己の懐が痛むわけではない。補佐官の皮肉に、ルビンスキーは分厚い唇を歪めて笑う。拝金主義もここまで極まれば醜悪を通り越して、いっそ清々しいまである。
その後、二つ三つ確認を済ませてボルテックは退席した。一人執務室に残ったルビンスキーは物思いにふける。
思いのほか早く座ったフェザーンの支配者の椅子の座り心地は中々のものと言ってよい。同時に妄執に囚われた陰気な狂人どもの走狗として働かねばならない。不快感とのせめぎ合いには辟易する。
「だがいつまでも俺が下僕のままでいると思うなよ」
帝国、同盟、フェザーン、そして人類発祥の星で蠢く亡霊共。それら全ては我が掌の上で踊り狂う人形に過ぎん。宇宙の支配者はこのアドリアン・ルビンスキーただ一人で良い。
不敵に笑う男の顔は、異名の狐を連想させる笑みであった。